260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/10(木) 10:06:50.60 ID:EvlcOtgV
直江山城守兼続は、木曽(義仲)殿四天王の樋口次郎兼光の末である。
ある時、聚楽御城中において、諸大名列座されている中、伊達政宗が懐より金銭を取り出し、
直江山城を呼んで、
「城州、これを見よ。昔にはない物である。このように金銀にて銭を鋳る。見事なるものである。」
と、直江にこれを渡して見せた。
山城守は扇を抜き、少し開いて金銭を請けて、跳ね返しながら見て「実に珍物に候。」と言った。
この様子を政宗見て「城州、手に取って見よ。」と言われた。これに直江は申した
「私は輝虎(謙信)の目利きにて、用にも立つべきものと思われ、景勝に付けられました。
何時であっても采配を執る手であり、このようなむさき器は触らぬものであります。」
そう言うと金銭を畳の上に、扇より移した。これに政宗は赤面し、一言の返答も無かったという。
また、慶長三年、会津に景勝が移封される砌、横田式部という者が、召使いの茶道坊主を斬罪とした。
しかし、元よりこの茶坊主には誤りが無かったため、坊主の親類大勢が決起した。
丁度この頃、国改として京より前田徳善院玄以、石田治部少輔三成が当地に下向しており、
かの親類達はこの両人に対して訴えた。玄以、三成は「その事は直江方に申すべし。」と指図したため、
彼らは直江方に詰めかけた。
兼続は彼らに対面し「皆々の申し分は尤もである。であれば、主人である横田式部より、
詫び言として銀五十枚を出させるべし。それにて堪忍せよ。」と扱った。しかし訴訟人たちは
これに納得せず、怒って帰っていった。そして再び玄以、治部に訴えたが、彼らはこれを
取り合わなかった。そのため又山城守方に詰めかけた。
直江は「そう言うことであるのなら。銀七十枚を出させよう。」と扱いをしたが、彼らは
「七十枚が七百枚であっても、死したる人が帰ってくるでしょうか。中々分の無いことを
申される!」と、ごねた。
兼続はその時、札を一枚取り寄せ、一筆書きにて、直に持って出て、彼らに対し「訴訟人共の内、
張本人は幾人あるか」と尋ねた。「その坊主の兄と伯父であります。」と、両人出た。
彼らに対し山城守
「どのように扱おうとも、汝らは納得しない。もはやこの上は、かの坊主を再び今生に
呼び還さねば、汝らの心に叶わないであろう。ではあるが、誰であっても呼び返すための
使いが無いので、その者の兄と伯父の二人を、迎えに遣わそう。
この高札を持って早々に地獄に参り、閻魔王に見せて、かの坊主を召し連れて帰るべし。
乃ちその文を聞け」
と、山城守は高札を読んだ
『未だ御意を得ずと雖も、一筆申し入れ候。されば横田式部が召し使っていた茶道坊主を、親類どもが
呼び戻したいとたって申すに付き、即ち親類二人を迎えに越し申し候。きっと御返信有るべく候。
恐々謹言
直江山城守兼続
二月十日
閻魔大王殿 参』
そう書き付け、読み聞かせ、かの張本の二人をその場にて斬罪し、かの高札を前に立てて、
二人の首を獄門にさらした。それ故にかの徒党達は蜘蛛の子を散らすように逃げ失せ、
以後国中で嗷訴(大勢で喧しく訴え出る)するもの一人もなく、静謐となった。
(信州川中島合戰聞書并上杉家遺老談筆記)
266 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/06/18(金) 12:03:01.16 ID:6npJKe2o
>>260
直江兼続って金の価値わかってないからただの馬鹿だねってエピソードだね
(樋口兼光の子孫というのも自称であって確証がない。これは俺は武田だから武田信玄の末裔だというレベル)
そもそも政宗の叔父の伊達実元が越後守護の上杉家の養子で謙信の長尾家は守護代
家の格が伊達家>長尾家
267 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/06/18(金) 12:07:04.04 ID:6npJKe2o
さらに上田長尾家(景勝)で相手にならない
政宗は伊達宗家の跡取りである他に三浦氏の蘆名義高の子孫でもある(女系)し結城氏の子孫でもある(女系)
母親の家は斯波氏の流れを汲む最上氏で
近隣大名を分家化している立場で、樋口某がどうこうってレベルじゃないんだけどね。
これね結局のところ戦で上杉が伊達に勝ったことない
輝宗のせいで新発田の乱がおきて
政宗のせいで白石城奪われて
伊達家は上杉領を浸食して撤退戦はしているけど伊達領は上杉に戦で奪われていない
事に関しての後米沢藩士たちの妄想日記なんだよ
270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/18(金) 18:22:31.81 ID:aEvDc5Pw
>>266-267
左京大夫乙
271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/19(土) 05:27:22.71 ID:G/F/j9ep
>>266
実元が養子って、新しい資料でも出て養子入り頓挫ってのが覆ったのか?
直江山城守兼続は、木曽(義仲)殿四天王の樋口次郎兼光の末である。
ある時、聚楽御城中において、諸大名列座されている中、伊達政宗が懐より金銭を取り出し、
直江山城を呼んで、
「城州、これを見よ。昔にはない物である。このように金銀にて銭を鋳る。見事なるものである。」
と、直江にこれを渡して見せた。
山城守は扇を抜き、少し開いて金銭を請けて、跳ね返しながら見て「実に珍物に候。」と言った。
この様子を政宗見て「城州、手に取って見よ。」と言われた。これに直江は申した
「私は輝虎(謙信)の目利きにて、用にも立つべきものと思われ、景勝に付けられました。
何時であっても采配を執る手であり、このようなむさき器は触らぬものであります。」
そう言うと金銭を畳の上に、扇より移した。これに政宗は赤面し、一言の返答も無かったという。
また、慶長三年、会津に景勝が移封される砌、横田式部という者が、召使いの茶道坊主を斬罪とした。
しかし、元よりこの茶坊主には誤りが無かったため、坊主の親類大勢が決起した。
丁度この頃、国改として京より前田徳善院玄以、石田治部少輔三成が当地に下向しており、
かの親類達はこの両人に対して訴えた。玄以、三成は「その事は直江方に申すべし。」と指図したため、
彼らは直江方に詰めかけた。
兼続は彼らに対面し「皆々の申し分は尤もである。であれば、主人である横田式部より、
詫び言として銀五十枚を出させるべし。それにて堪忍せよ。」と扱った。しかし訴訟人たちは
これに納得せず、怒って帰っていった。そして再び玄以、治部に訴えたが、彼らはこれを
取り合わなかった。そのため又山城守方に詰めかけた。
直江は「そう言うことであるのなら。銀七十枚を出させよう。」と扱いをしたが、彼らは
「七十枚が七百枚であっても、死したる人が帰ってくるでしょうか。中々分の無いことを
申される!」と、ごねた。
兼続はその時、札を一枚取り寄せ、一筆書きにて、直に持って出て、彼らに対し「訴訟人共の内、
張本人は幾人あるか」と尋ねた。「その坊主の兄と伯父であります。」と、両人出た。
彼らに対し山城守
「どのように扱おうとも、汝らは納得しない。もはやこの上は、かの坊主を再び今生に
呼び還さねば、汝らの心に叶わないであろう。ではあるが、誰であっても呼び返すための
使いが無いので、その者の兄と伯父の二人を、迎えに遣わそう。
この高札を持って早々に地獄に参り、閻魔王に見せて、かの坊主を召し連れて帰るべし。
乃ちその文を聞け」
と、山城守は高札を読んだ
『未だ御意を得ずと雖も、一筆申し入れ候。されば横田式部が召し使っていた茶道坊主を、親類どもが
呼び戻したいとたって申すに付き、即ち親類二人を迎えに越し申し候。きっと御返信有るべく候。
恐々謹言
直江山城守兼続
二月十日
閻魔大王殿 参』
そう書き付け、読み聞かせ、かの張本の二人をその場にて斬罪し、かの高札を前に立てて、
二人の首を獄門にさらした。それ故にかの徒党達は蜘蛛の子を散らすように逃げ失せ、
以後国中で嗷訴(大勢で喧しく訴え出る)するもの一人もなく、静謐となった。
(信州川中島合戰聞書并上杉家遺老談筆記)
266 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/06/18(金) 12:03:01.16 ID:6npJKe2o
>>260
直江兼続って金の価値わかってないからただの馬鹿だねってエピソードだね
(樋口兼光の子孫というのも自称であって確証がない。これは俺は武田だから武田信玄の末裔だというレベル)
そもそも政宗の叔父の伊達実元が越後守護の上杉家の養子で謙信の長尾家は守護代
家の格が伊達家>長尾家
267 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/06/18(金) 12:07:04.04 ID:6npJKe2o
さらに上田長尾家(景勝)で相手にならない
政宗は伊達宗家の跡取りである他に三浦氏の蘆名義高の子孫でもある(女系)し結城氏の子孫でもある(女系)
母親の家は斯波氏の流れを汲む最上氏で
近隣大名を分家化している立場で、樋口某がどうこうってレベルじゃないんだけどね。
これね結局のところ戦で上杉が伊達に勝ったことない
輝宗のせいで新発田の乱がおきて
政宗のせいで白石城奪われて
伊達家は上杉領を浸食して撤退戦はしているけど伊達領は上杉に戦で奪われていない
事に関しての後米沢藩士たちの妄想日記なんだよ
270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/18(金) 18:22:31.81 ID:aEvDc5Pw
>>266-267
左京大夫乙
271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/19(土) 05:27:22.71 ID:G/F/j9ep
>>266
実元が養子って、新しい資料でも出て養子入り頓挫ってのが覆ったのか?
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