265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/30(土) 02:43:45.97 ID:PbrYLDou
大献院様(徳川家光)は名誉な公方様でござった。御一代の内に御鷹狩をされ、
ならびに島津家へ仰せ付けなさり、犬追物を上覧された。
また安宅丸を仰せ付けなさり、諸大名を召し集められて御遊覧などをなさった。
大方、太閤秀吉の気風を御慕い遊ばされた御様子である。
その安宅丸御遊覧の時、諸大名が舞いを仕るなど、色々の音曲がござった。
松平陸奥守政宗(伊達政宗)は御酒宴のうえで三方を頭に被って踊り申された
という。興に思われる趣のあることであったとの由である。
松平越後守殿(光長)や新太郎殿(池田光政)もその座に御出の方で、以後に
相公様(前田綱紀)へ御参会の折に度々直に御物語りを聞こし召されたとの由、
同年(享保7年)1月12日に仰せになった。
――『松雲公御夜話』
大献院様(徳川家光)は名誉な公方様でござった。御一代の内に御鷹狩をされ、
ならびに島津家へ仰せ付けなさり、犬追物を上覧された。
また安宅丸を仰せ付けなさり、諸大名を召し集められて御遊覧などをなさった。
大方、太閤秀吉の気風を御慕い遊ばされた御様子である。
その安宅丸御遊覧の時、諸大名が舞いを仕るなど、色々の音曲がござった。
松平陸奥守政宗(伊達政宗)は御酒宴のうえで三方を頭に被って踊り申された
という。興に思われる趣のあることであったとの由である。
松平越後守殿(光長)や新太郎殿(池田光政)もその座に御出の方で、以後に
相公様(前田綱紀)へ御参会の折に度々直に御物語りを聞こし召されたとの由、
同年(享保7年)1月12日に仰せになった。
――『松雲公御夜話』
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