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松井康之の諫言

2013年03月16日 19:51

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/16(土) 00:14:16.48 ID:jmwYLjKu
文禄4年、秀次事件が起きると、その重臣・前野長重に娘を嫁がせていた
細川忠興にも疑いの目が向けられた。
秀次から黄金百枚を借りていたことも問題視され、閉門を命じられたのだが、
竹田永翁(※注1)からは、石田三成らが忠興を切腹させようと企んでいるとの報まで入っていた。


そんな中、またもや三成がしきりに讒言をしていると永翁から松井康之に知らせがあった。

これを聞いた忠興大いに怒り、

「本来なら年来の戦功に対し恩賞があるべきなのに、日頃三成と仲が悪いために
妨げられ僅かな恩賞すらなく、功ある家臣を賞することもできない。
さらにこの上、讒言が信じられ死を賜ったなら、むざむざ腹を切るものか!
三成を襲い討ち、この伏見を黒土にした上で、自ら首を掻き落してくれる!」

康之はこれに対し、

「もし幽斎様御夫婦が安穏に許されるなら、ご孝行の為大人しく切腹なさるべきです。
そうなれば御介錯を務め、御供仕りましょう」

忠興は深くこれに感じ、それからは切腹を申しつけられた時の用心に、毎日行水して白い肌着を着ていたという。

また、米田助右衛門を聚楽第の細川屋敷へ遣わし、伏見よりの一報次第で忠興夫人と子息を生害させ、
屋形に火を掛けた上で切腹せよと定め、死期を待ったのである。

(綿考輯録)

※注 永翁は忠興のいとこ違いにあたり、松井康之の甥にもあたる。
   目付役を務めていたので、五奉行の相談している席にも出入りできたという。


三斎様、どうせ死ぬなら三成を殺して伏見も焦土にする!とブチ切れるお話。
この後は前田利家や徳川家康に頼んで金を借り、
秀次から借りた黄金百枚をなんとか返すことで許されるのであった。




923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/16(土) 11:44:11.06 ID:z6oHy/xE
竹田永翁って名前だけ大坂の陣で出てくるけど細川家の親戚だったんだ


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