とある士の死

2014年08月29日 18:53

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/29(金) 07:22:31.86 ID:tayKb6Jk
とある士の死

慶長6(1601)年、志村光安の軍が上杉領東禅寺城を攻めたときの話である

城攻めの最中、光安は城下で上杉軍の哨戒部隊と遭遇し、交戦の末一人の眉目麗しい若武者を捕縛した

若武者は光安に「死んだ仲間に申し訳がない。武士の名誉を知るならどうか殺してくれないか」と涙ながらに頼んだが、光安は「(東禅寺)城は(最上軍に囲まれ)孤立無援で間もなく落ちる。せっかく生き永らえた命を粗末にせぬ様に」と説得をした

しばらくし東禅寺城は最上軍に降伏し、開城

最上義光の命で庄内にいた上杉兵は米沢への帰途についたが
眉間に皺を寄せ、米沢行きに葛藤を覚える様に見えた若武者に光安は
「上杉家に戻るのに後ろめたさを感じるのなら、我が下で働かぬか?」と彼を勧誘した

光安は彼を気に掛け、若武者も光安に次第に心を開き、酒田三万石に加増となった光安は彼を常に近くに置き可愛がった

1609年、死の枕元で光安は彼に「儂が死んだ後も子の光惟を頼む」と言伝をして逝世した

しかし1614年
彼が別の用事で庄内を空けている間に一栗の反乱により志村光惟が暗殺された



光惟の葬儀が終わり
慶長19(1614)年暮秋、一人の士が酒田青原寺の志村光安の墓の前で腹を斬った



かつての若武者の名は力丸所左衛門。上杉の重臣で東禅寺城主であった志駄義秀の甥の話である

『奥羽永慶軍記』ほか




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