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越中征伐陣立書

2019年02月10日 17:39

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/10(日) 14:33:09.70 ID:qKn6gYUk
以下は秀吉が越中征伐の際、従軍する加藤光泰に送った陣立書。


越中江先勢遣覚

  一番
前田又左衛門殿(利家)     壱万

  二番
羽柴五郎左衛門殿(丹羽長重)  弐万

  三番
木村隼人佐殿         三千
堀尾毛介殿(吉晴)       千
山内伊右衛門殿(一豊)     七百
佐藤六左衛門殿(秀方)     弐百
遠藤大隈守殿(胤基)      弐百
遠藤左馬助殿(慶隆)      弐百

  四番
加藤作内殿(光泰)       千
池田三左衛門殿(輝政)     三千
稲葉彦六殿          千五百
森仙蔵殿(忠政)        千五百

  五番
民部少輔殿(戸田勝隆)     二千五百    
蒲生飛騨守殿(氏郷)      三千五百

  船手衆
因幡衆            二千
長岡越中守殿(細川忠興)    二千
  以上
信雄         馬廻  五千
  都合五万七千三百

  七月十七日秀吉(朱印)
      
      加藤作内とのへ

――『陸奥国棚倉藩主阿部家資料』

大軍を率いる丹羽長重は若干十五才であり、家中の統制が利かなかったのか
越中において家臣が寺院への乱入や殺害行為をし、軍律を犯したとされている。



737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/10(日) 15:00:19.34 ID:bCEsbCEB
毛介・・・
清廉潔白すぎて獄死しかけた御仁か
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いつのまにか、同族になってしまった加藤s

2016年10月13日 17:54

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/13(木) 00:46:44.64 ID:Y0ZJU9Fw
加藤光泰〔大洲〕、嘉明〔水口〕、清正〔跡、旗本の人となる〕系統の事

括斎(大関増業)が言うに、

今の水口の加藤氏、肥後の先代の主の加藤氏、大洲侯、皆同家である。
大洲の先祖は嫡子で水口の先祖〔嘉明〕は次子。清正はその姪かであり、兄弟ではないとのことだ。
その世系を知らない人の為に記す。

(甲子夜話続編)

いつのまにか、同族になってしまった加藤s



208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/13(木) 07:32:05.95 ID:M+xN9isV
つっこみどころはそこなのか?
姪?だろ

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/13(木) 07:41:56.20 ID:79/PQNWV
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7253.html
にもあるように、顔真卿「祭姪文稿」などでは姪は一世代下の血族を表すから間違ってない。

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/13(木) 11:31:05.82 ID:M+xN9isV
ウィキでは1世代下の宗族となってたが
宗族=父系同族集団のことなのに女偏の姪がなぜ使われるのだろうか

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/13(木) 19:59:18.60 ID:imbpxLIX
>>207
それを言った大関括斎とは元々空気加藤の子孫であの大田原三兄弟の長男が祖の黒羽藩を
継いだ人物だから

光泰、朝鮮に於いて石田が為に毒殺に遭う。

2016年10月09日 12:31

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/09(日) 12:01:13.16 ID:Awu9dQS0
加藤侯〔大洲〕の先、光泰、朝鮮に於いて石田が為に毒殺に遭う。

 六月の末、箕輪の里にある大関(増業)の隠荘を訪ねて、謝礼のことを談じたついでに、
彼の実家の祖光泰のことに及んだ。(※大関増業は加藤家からの養子)
光泰は朝鮮の役に赴かれたのかと問うと、以下の話をしてくれた。

「そのころは甲斐一国を領して二十四万石でした。
かの征伐のときは在国していましたが、太閤の名護屋在陣の労をねぎらおうとして、
国を立って肥州に到りました。
 
 その折節、鮮国に在陣していた石田の輩が、
糧食のことで太閤の命を承って直にかの国に渡っていました。
それなのに石田が輩は糧食が乏しく清正が先入していた所に行くことができないと言ってきました。
光泰は
『己が進退のことを難しいと思って先入の人を察せない。
これは勇無しとするべきだ。我が直に先陣のところに行こう。』
と言い、石田が止めても聞かなかった。大いに争論しましたがついにその場を出発されました。

 石田はすぐに彼と和睦し、明日に彼を自分の陣所に招いて光泰を饗応したそうです。
このとき石田は秘かに毒を設けたといいます。
光泰は自分の陣所に帰ると病を発し、救われないことを悟りつぶさにその状を書いて死にました。
その書は今も加藤侯に伝わっているといいます。

 石田がこのことを為したのは、
もしかしたら帰朝の後に光泰がその朝鮮での実態をあらわにするかもしれないと
いまわしんでのことでした。」

『藩翰譜』には、この事が載っていない。
予は光泰の志を憐れむ。ゆえにこの事を記録せずにはいられない。

(甲子夜話続編)



194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/09(日) 12:20:52.82 ID:LqOI0YIG
加藤光泰「石田めが俺の食っていた砂に毒を入れたのだ!」

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/09(日) 13:10:38.91 ID:2claNxhB
加藤光泰は碧蹄館の戦いの前に前野長康と明軍と戦ってやられたり、朝鮮では散々だったな

加藤遠江守は銀子10枚を所持して行きなさり

2016年09月06日 18:11

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/06(火) 03:56:31.98 ID:8KQM0JYC
加藤遠江守(光泰)はいつの陣のことなのか、銀子10枚を所持
して行きなさり、そのうち3枚を使って7枚をお持ちであった。

それを諸人は羨んで、遠江守のことを“銀持ち”と申したという。

――『武功雑記』



154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/06(火) 04:14:51.04 ID:PvoFT+jm
何に使ったんだろう

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/06(火) 08:54:45.46 ID:ab9L/mgl
部下への褒美

太閤は少しも物惜しみすることのない気質だった。されども

2015年12月01日 08:26

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/01(火) 02:36:06.63 ID:gLlmeV0S
太閤は心も言葉も行跡も、少しも物惜しみすることのない気質だった。

されども、加藤遠江(光泰)に甲州一国を賜るが、遠江が死ぬとすぐに取り上げて、
その子(貞泰)に2万石を与えた。

丹羽五郎左衛門(長秀)には70万石を賜るが死んですぐに65万石を取り上げて、
4万5千石をその子・五郎左衛門(長重)に与えた。

蒲生飛騨(氏郷)には会津100万石を賜り、四郎兵衛の裁判(蒲生騒動)以後、
80万石を取り上げた。

――『老人雑話』




砂加藤

2014年04月13日 18:45

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/12(土) 22:28:24.35 ID:yawQd5P5
朝鮮の役の時、既にその都を攻め落としたあと、加藤清正はそのまま進んで30里ばかりも
先に進出した。この間、諸軍は都にあってそこを守っていたが、兵糧が尽き、諸軍はこれに
耐えきれなくなった。

そこで諸将は皆このように言った。「この都を放棄し後方に下がって兵糧を得よう。」

ここで、独り加藤遠江守(光泰)だけが異を唱えた
「清正は既に30里も先に進んでいる!であるのに、彼を見捨てて都を守らずに去るような者は
男ではない!」

しかし皆は言った
「食がないのだ!仕方ないではないか!」

加藤光泰は答えた
「砂を食え!」

「砂なんか食えるか!!」
これには皆も総ツッコミである。しかし光泰は平然と
「砂には食い方というものがあるのだ。若い奴らはそれを知らんのだ!」

また福島正則に向かって
「おい市松、いつの間にそんなに大きくなったのだ?」と言い、
また備前中納言(宇喜多秀家)に対しては
「今まではお前のことを中納言様と呼んでいた。だが今後は、この中納言めと呼んでやる!」
と言った。

そしてその日の晩、加藤清正は帰ってきた。都から3里ばかりの場所に陣を張り、使いを光泰に立てて
このように伝えた

『私が今からここを守り、敵を寄せ付けないようにします。ですので安心して兵糧を取り寄せて下さい。』

これこそ誠に天命というものであろう。

(老人雑話)

関連
加藤光泰、連絡の取れなくなった加藤清正に


755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/12(土) 22:36:15.75 ID:u7/VKJ76
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5730.html
既出、かと思ったら出典が違った砂加藤

757 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/13(日) 08:17:58.71 ID:M0dTiUe0
空気加藤が、じゃりじゃり砂を食べるのを想像したら、なんか妖怪っぽいなと思った。

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/13(日) 08:53:46.38 ID:62jbK+RU
加藤四天王
地味加藤、砂加藤、飛び加藤、清正加藤

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/13(日) 09:04:43.33 ID:9ph50VZh
フォーエバーコミュニケーション加藤

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/13(日) 13:15:37.31 ID:5PtRY13x
砂加藤って朝鮮で吐血して死んでたよね...

毒死は覚悟の上である

2012年10月28日 19:17

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 15:14:44.99 ID:xPxBhuCu
加藤光泰石田三成との関係は、文禄の役において極めて険悪なものになっていたが、朝鮮との和談が成立し、
諸将の帰国が決まった頃、三成の使者が光泰のもとにやってきた。「和睦のための酒宴を開くので
参加してほしい」というのである。

8月26日、光泰はこの酒宴に出向いていった。
「殿!行ってはなりません!毒を盛られますぞ!」と必死で制止する謀臣諸臣を、
「わしも、そのような謀があろうことは察しておる。だが、行かぬとなれば武門の瑕瑾となるであろう。
毒死は覚悟の上である。」と、振り切って。

果たして、宴席で供された鮒の吸い物に鴆毒が加えられていた。
光泰はその日から苦しみ始め、翌27日、28日には既に危急の状態であった。
しかし、彼は苦しみながらも、一人の男を待ち続けていたのである。

その男・加藤清正は、27日晩、釜山に戻るや否や、即座に駆けつけてくれた。

光泰は彼の来訪を大いに歓び、
「わしは姦人のために、思いもよらず毒殺という目に遭ってしまった。
このことに我が士卒は憤怒し、これから石田の陣所に討ち入ろうとしている。
だが、三成を討ち取ったところで、わしの命が助かるというものではない。
それに、ここは敵地であるし、同士討ちにもなってしまう。決してそんなことをさせてはならぬ。
足下は我が士卒を堅くとどめてほしい。
そして、わしが死んだら、わしの諸勢を率いて帰国し、息子・作十郎(貞泰)に引き渡してくれぬか。」
と、懇ろに、最も信頼する盟友に後事を託したのである。

光泰は29日、この世を去る。

その後清正は、遺言どおり光泰の軍勢を率いて帰国し、貞泰に引き渡したという。
(曹渓院行状記)




111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 17:48:59.60 ID:GY+zhnlv
止めようとした部下が謀臣呼ばわりされているのはどういう訳なんだ

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 17:55:30.10 ID:RKz866HZ
謀臣って言葉自体は悪い意味は含んでないから使い方としては正しい

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 18:35:56.07 ID:QocNS2Vf
某、なにがしのと読んでも意味は通るな

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 19:15:06.88 ID:xPxBhuCu
>>111
今、原文を見たら「諸臣」になってた。
釜山までは行けないけど、備前へ行ってお茶飲んでくるわ。

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/28(日) 19:46:44.46 ID:QocNS2Vf
( ・∀・)つピトフーイ

光泰の足が不便であるのは

2012年10月25日 20:01

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/25(木) 00:26:01.46 ID:mWi4GbJz
加藤光泰は初め、斎藤龍興配下の「かつひさ」(姓氏不詳)という人物に仕えて信長と戦ったが、その際に
秀吉によって見出され、「かつひさ」の没落後、その臣となる。
彼は男ぶりいかめしく、勇力は人に優れ、度々軍功を顕したので、腰母衣随一の士に選ばれ、武威を異国にまで
轟かせていた。

元亀2年、竹中半兵衛らとともに近江の横山砦の守備にあたっていた時、浅井勢が突如襲撃してきた。
敵は多勢であったため、守将たちは城内に敵を引き入れて守る策を採る。
しかしながら光泰は一人槍を取り、城外へと出撃したのだ。
この時、例によって不思議なことを言ったのかどうかまでは記されていないが、兎にも角にも光泰は
敵中に突入し、力戦したのである。そして数十人の敵に囲まれ、左の膝口に深手を負う。
最早これまで・・・と思われた時、半兵衛が城門を開いて救援し、彼は九死に一生を得るのだが、
歩行不自由となってしまった。

しかし、三木城の戦いの時には、「病人・手負いの者は今回の戦に従軍せず、郷里に留まって農業をし、
年貢を納めよ」という秀吉に対し、
「歩行が叶わずとも、田里に残って匹夫とともに居ることなどできません」と言って参戦し、毛利による兵
糧搬入を阻止。その後の戦いでも数々の戦功を立てたのである。

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/25(木) 00:27:51.38 ID:mWi4GbJz
そんな光泰が、ある時、伏見城において料理を賜わることがあった。
その折、秀吉手ずから引き出物を下されるというので、彼は頂戴するために立ち上がったのだが、
いかんせん左足が不自由であったため体勢を崩し、膳をひっくり返して、飯や羹を座上に散乱させてしまった。

秀吉の近臣たちは光泰の無様な様子を見て笑みを浮かべたのだが、秀吉は彼らを見るや怒りをあらわにし、
「光泰の足が不便であるのは、武門にとって崇敬すべきことである。にもかかわらず汝ら、
愚かにも笑うとは何事か!」
と、近臣たちを大いに叱り付けたという。

加藤光泰貞泰軍功記、曹渓院行状記)





64 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/25(木) 17:56:14.00 ID:BUZQaKpv
>>59
蒲生氏郷にも似たような話があったな。

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/25(木) 21:36:20.19 ID:OQzYb+gs
>>64
あと福島正則の家来バージョンもあった
なんかテンプレみたいなのがあるのかもしれないな
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-239.html

加藤光泰失脚事件

2012年10月24日 20:02

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/23(火) 20:02:54.74 ID:Pn8DLQrX
天正13年、越中の佐々攻めで軍功のあった加藤光泰は、近江国より美濃大垣に所替えとなり、
知行4万石を拝領するとともに、美濃における秀吉の蔵入地2万石と国侍を預けられることになった。
そのお礼として京都へ参勤した光泰は、秀吉の御前でついつい、余計なことを言ってしまった。

「今度ご加増いただき、多くの侍を召抱えました。ですから、蔵入地からの収入については
お望みになりませんように。」

これを聞いた秀吉は激怒した。
「なにぃ!預け置かれた蔵米まで自分の家来に宛がうだと!そんなやり方が許されるとでも思っているのか!
出仕を停止するゆえ、今後、二度とわしの前に姿を現すな!」

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/23(火) 20:04:49.59 ID:Pn8DLQrX
光泰は謹んで言上する。
「恐れながら申し上げます。お預かりした蔵入地を家人に遣わしたのではありません。
自分の禄を私のために蓄えず、家人にことごとく遣わしたのです。言葉のあや、言い間違いでございます。」

この男、「蔵入地の収入を家来にあげちゃったらまずいけど、預かっている僕自身が使うんだから、
もちろんOKに決まってるよね!」とでも思っているのか?
さすがは戦国の不思議ちゃんである。さすがは「兵糧が無いなら砂を食えばいいじゃない!」という迷言を
残した人である。

彼は他にも色々と申し上げたが、聞き届けられるはずもなく、大和大納言秀長へ御預けとなってしまう。

大和ではなぜか、秋山城2万6千石(一書に1万6千石)を秀長から下されていたのだが、彼が秀吉から
正式に赦免され、佐和山城主・遠江守に任ぜられるまで、数年という時間を要したのである。
加藤光泰貞泰軍功記)

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/23(火) 20:06:21.25 ID:Pn8DLQrX
なお、加藤光泰貞泰軍功記には、『一書に』として、この光泰失脚事件についての別バージョンが
併記されている。

光泰が大垣在城の頃、飛騨国に武田勝頼の残党があり、討伐のための軍勢が派遣された。
この時、石田三成が先陣を望んだのだが、光泰が進み出て、
「今度の軍勢は大軍ゆえ、若輩者の先陣というのは大変に危のうござる。先陣はそれがしに
仰せ付けられますように」と献策し、軍勢を発向させてしまった。

これを恨んだ三成は、光泰を讒言。飛騨から帰陣した彼は、秀吉の勘気を蒙って流浪の身となり、
大和大納言の懇意によって宇多郡に蟄居する。

彼が秀吉の赦免を受けて、秋山城を拝領するのは3年後のことである。




981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/23(火) 21:14:04.57 ID:eEA/Ukp+
光泰は不思議ちゃんだったのか

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/23(火) 23:47:58.24 ID:7WzrrOpI
>「恐れながら申し上げます。お預かりした蔵入地を家人に遣わしたのではありません。
>自分の禄を私のために蓄えず、家人にことごとく遣わしたのです。言葉のあや、言い間違いでございます。」

お前は何を言っているんだ。


983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 00:14:51.91 ID:muuCJ20h
地味加藤よりひどい空気加藤と呼ばれていたが
不思議ちゃんというキャラ付けできてよかったな

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 00:28:26.25 ID:omz+zevW
自分の禄を皆家人に遣わして、自分の分がないから蔵入地で賄うからゴメンネ(・ω<)

うーん、これは許されないな

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 00:42:47.75 ID:1RNc34g3
>大和ではなぜか、秋山城2万6千石(一書に1万6千石)を秀長から下されていたのだが

秀長さん優しすぎ

蔵入地という仕組みがよくわかっていなかったのだろうか

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 00:45:24.02 ID:LyMdmEsP
管理任されてるだけで自分のもんじゃねーのに
勝手に手を付けたら斬られてもしょうがないだろ
守護の土地を守護代とか国人が勝手に横領したのと一緒だぞ

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 01:29:23.81 ID:LkotQpqW
>>985
代官の意味すらわかってないことになるぞ

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 07:37:40.50 ID:lrZY34+v
こっちの加藤はバ加藤って呼んじゃえばいい

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 09:49:22.67 ID:x8iJzT2J
バカトゥーー!!

芸人か!

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 11:09:44.47 ID:4cIIG4mP
よく改易程度で済んだなこれ

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 11:19:32.94 ID:8TiDJuTm
完全な横領だな勝手に会社の土地を経理担当者が売り払ったようなもんだろ

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 11:28:31.29 ID:oJ3MEW99
やっぱり砂なんか食べるから頭が・・・

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 15:41:57.76 ID:6WQFK4aF
>>977-979
結局どっちが正しいんだろうか?
前者だといくらなんでも光泰がアホすぎると思うし(代官という役職を理解してないようなもん)
後者は後者で如何にも後世の創作っぽいテンプレ的な佞臣三成像だし(そもそも佐々攻めの時点で
三成にそこまでの権力は無い)

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 15:46:19.55 ID:SqGp2EqN
自分の知行だけでは新規の国侍の知行を出せないので、蔵入地からの上がりで、預けられた
国侍の知行を出したんじゃないの
無理矢理預けられた奴らの知行なんだから、おまえの土地からの上がりでそいつらを養うぞと、
俺個人の知行では足りないからな

というわけなんだろ

加藤光泰が甲斐国主だったころの話

2012年08月30日 20:50

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 23:54:31.34 ID:dnSZQFUN
加藤光泰が甲斐国主だったころの話

ある日、光泰は領内の寺に立ち寄った。
そこでは勘太郎という少年が養育されており、彼が茶などを給仕した。
彼はこれを機に加藤家に仕官したいと考え、森五郎兵衛という光泰の家臣に斡旋を依頼した。
五郎兵衛は早速報告した。しかし光泰は、
「そうか」
と、言ったきりさっぱり音沙汰をよこさない。
五郎兵衛は非常に気の短い人物であった。
日数が経つにつれ、焦れて耐えられなくなってきた。

ある夜更け。
五郎兵衛は光泰が眠りについたのを見計らい、その寝所を急襲した。
眠っていた光泰だが、突然の闖入者に驚いて飛び起きた。
「一体どうした! どこで何が起こったというのだ!」
何らかの緊急事態が発生したと考え、急ぎ脇指を差し褥の上に座って問いただした光泰に、五郎兵衛は答えた。
「別に何も起きていません!」
「は?」
「勘太郎のことは一体どうなっているのでしょうか? 是非召抱えるべきです! そうするべきです!」
真夜中にいきなり叩き起こされて吃驚したのに、それが物凄くどうでもいい要件のせいだと知った光泰。
キレた。
相婿同士で付き合いの長い五郎兵衛にとって逆上した主君が殺してくることなど最初から予想の範囲内だったので、
光泰が脇指を抜ききるのを目視する前に一目散に外へ逃げた。

五郎兵衛が去って、暫く。
冷静さを取り戻した光泰は再び眠りにつこうとしていた。
「殿」
そんなところに人影が。
「先刻申し上げた勘太郎のこと勿論ちゃんと考えましたよね? どうなさるおつもりですか? 召抱えますよね?」
五郎兵衛は全く諦めていなかった。
真っ直ぐにひたすら催促しまくる五郎兵衛のあまりの熱心さに、
光泰は心を打たれたのか眠かったのか、とにかく先程とは打って変わって、
「義兄上がそこまで言うなら召抱える」
と言い、勘太郎を召抱えることに決めたという。

こうして勘太郎は無事に家臣になることができ、五郎兵衛は彼を光泰に紹介しながら礼を言ったそうだ。

(温故集)

ちょっと迷ったけど、オチはいい話風味なのでとりあえずこっちで。




273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/30(木) 00:09:58.94 ID:6txyMceY
志村けんのバカ殿コントみたいだな

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/30(木) 01:54:15.90 ID:RwWMsq13
珍しく光泰の話しが来たと思ったら増々訳わからん
甲斐を収めるにはこれくらいの性格の方がいいということか?

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/30(木) 09:04:46.38 ID:DmL2IuCl
勘太郎はそのあとちゃんと役に立つ家臣になったのか心配だ

加藤光泰、連絡の取れなくなった加藤清正に

2011年08月28日 22:29

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:03:55.27 ID:ls5hNM/b
文禄の役において、加藤清正は漢城(ソウル)攻略の後、さらに北部へ進軍し、諸将と連絡が取れなくなった。
糧秣が乏しくなった諸将は、漢城を離れ別の土地へ移動しようとしたが、ひとり加藤光泰が反対した。

「清正は、我らと離れて敵に向かっている。ここで我らが漢城を去れば、清正は捨て殺しになろう。
今ここを去る者は、男では無い!清正を捨てるは、日の本の恥ぞ!!」
「だが、食い物が無いのだ。どうしようもあるまい。」

すでにキレていたのか、光泰はムキになって答えた。
「砂を食えば良かろう!」
「いや、砂は食えんだろう・・・」
「へー!お前、砂の食い方も知らんのか?!じゃあ、オレが教えてやんよ!」

もはや絶好調の光泰、今度は福島正則を睨み、
「やい、市松!!いつの間にそんなにデカくなったんだ?!」
返す刀で宇喜多秀家を指差し、
「今までは『中納言殿』と敬ってやったが、お前なんか今日から『中納言め』だかんな!
どいつもこいつも、清正を捨て殺しにして、恥を異国にまでさらすヤツらだ!!」

そう言い捨てて光泰が座を立ったところに、清正が行く所まで行って戻って来たとの知らせが入った。
(常山紀談)

有名な話だけど、全部はまとめにもあがってないようなので。
残念ながら、光泰がその後どんな顔して諸将と付き合ったか、という記録はない。




574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:24:29.28 ID:huA4REKS
そのあとすぐ病死したからな

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:39:30.76 ID:cqcruWx6
そういう逸話があったとすると本当に病死か気になるな

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:44:20.75 ID:RIonVYmM
>>573
なかなか気持ちのいいやつじゃないかw

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 20:51:15.39 ID:3T6T1f/I
光泰は当時から毒殺説が囁かれてたよね

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/28(日) 21:30:43.23 ID:dacXyYTQ
まあ享年57だから死んでもおかしくはない
でも息子がいきなり4万石に減封されてるしなあ

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 12:34:11.95 ID:D61nGDrr
光泰殺害の主犯が、三成で、共犯者は宮部の息子は、明白。

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 12:38:55.15 ID:CvhAk2z0
清正のために本当に砂を食ってみせたらいい話に…ならんか

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 13:40:40.31 ID:ysX4tuUO
このひと自分の槍に倒韓槍とか名前付けちゃう、
ちょっとイタイじいさんだからな。


586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:35:26.87 ID:UeTBVAd1
>>580
 砂を食ったために死んだと正直に記録しない程度の情けは豊臣家中にも存在した。

朝鮮陣にて鉄砲談義

2011年05月20日 00:00

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 02:37:41.99 ID:g7ZGOgGW
そーいや2chで「鉄砲は反動も少なくて簡単だから女子供の武器」って見て
腑に落ちた逸話があるんだけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2622.html
↑この逸話の詳細が違うバージョン

とりあえず逸話の本筋から書いて行く

立齋舊聞記より
碧蹄館の戦いの後の事、総大将秀家の主催で慰労会が開かれることになり
諸将が秀家の陣営に集まった。
食事が終わって物語りしていると、黒田長政が言い出した。
「鉄砲ってマジ最高だよね。昔は百歩も離れた敵は討てなかったらしいけど
鉄砲使ったら何百歩離れててもあてられるじゃん
まして的が近かったら絶対外さないし」
他の将も同意する。
加藤光泰「本当に、希代の重宝と言うべきだな。今度の戦で勝てたのもまた、
       鉄砲のよさが発揮されたからだ」
大谷吉隆「ていうか鉄砲最強じゃね?俺もう他の武器買わないわ」

余談だが、思うにここで大谷が極端な事を言うのが話をややこしくしていると思う。
良くも悪くも「思った事は絶対言う」人なのだ。
それで失敗しても、反省も後悔もしてなさそうなのが変に爽やかだが。

とにかく、これを聞き咎めた小早川隆景が口をはさんだ。
「防ぐには鉄砲がいいと思うけど、例えば破るには弓だな。鉄砲だけとか言いなさんな」
立花宗茂もこれを聞いていて
「武器は臨機応変に使い分けないとな。
鉄砲しか持ってなかったら雨の日と闇夜は戦できねえ」と続いた。

焦ったのは長政で、「俺は別に鉄砲だけで戦するとか言ってないし」と訂正したあと、
こう続けた。
「たださー弓を貴んで鉄砲が否定されるのは違うと思うわけ」
↑↑↑
 ここ

これずっと「今誰もそんな話してないんじゃ?
長政のいつもの被害妄想にしても唐突すぎる」と違和感あったんだけど、
鉄砲に「誰でも扱える、あまり男らしくもかっこよくもない武器」というイメージがあったとすると
本人も鉄砲の名手で鉄砲大好きだった黒田長政からしたら
普段から「鉄砲を擁護したい」とか「こいつも鉄砲の悪口言うつもりか」って気持ちがあっての
この発言なのかもしれないなー、と、なんとなく疑問がとけた気がした。

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 02:38:59.14 ID:g7ZGOgGW
で、せっかくここまで書いたんでその後の顛末も書くと

長政がナイーブになっているところに、宗茂が
「でもさー近接で鋒とかで切りあってる時でも切り損じる時ってあるだろ?
鉄砲はあたるあたるって言うけど、火薬で玉飛ばすような武器
そこまであてにできない気がするんだよね俺は
別に鉄砲がダメって言うんじゃないけど、そればっかり好きでもしょうがないと思う」
などと言ってしまい、微妙な雰囲気になっていると、
秀家が「話は聞かせてもらった!」と現れた。
「これはあれだ、甲州(黒田)が鉄砲、立花が弓使って勝負すればいいんじゃないかな!
的を用意して皆で見物しようぜ!」
この御曹司ノリノリである。

長政と宗茂からしたら、別にそこまでの騒ぎにしたいわけでもなかったのだろう。
辞退しようとしたが、隆景が仲裁に入った。
「まあまあ、勝ち負けとかじゃなくてさ、
立花は弓の名人って評判だし、甲州は飛ぶ鳥も落とす鉄砲の上手だろ。
実際撃ってるところを、是非見てみたいなあ」
そうまで言われては、強いて拒む方がおとなげない。
二人は十五間離れた場所に立てた笄を撃ちあうことになった。
大谷と加藤が「勝った方が負けた方の道具もらっちゃえよ」と囃す。
こいつらも悪ノリしている。

長政の秘蔵の鉄砲から、笄に見事に命中、これを打ち折った。
次に、宗茂は普通よりも大きな塗籠の弓を使っていたが、
これで放った雁股の矢が笄の真ん中を射切った。
周りはやんやの喝采を送る。
両方があててしまったので、もう一度。
ところが二度目の射撃で長政の狙いが反れ、笄の端を削っただけに終わった。
宗茂はといえば、最初に射た矢と同じ場所を、少しも過たず射切って見せた。
立花宗茂聞きしに勝る射手であると人々は大いに誉めた。
約束は約束なので、長政の大事な鉄砲は宗茂の手に渡った。

秀家「あっ、じゃあ立花の弓は俺にちょうだい」

なにがじゃあなのかわからないが、宗茂の強弓は秀家の手に渡った。



…まあなんていうか、戦勝祝いで行き違いがあった悪い話ではあるんだけど、
出席者は盛り上がって帰ったみたいだから、終わりよければすべてよし?
戯言から発展して変な喧嘩にならなくてすんで幸いだった。

隆景からは場をなごませしこりを残すまいという気遣いが感じられる。
秀家はちょっとよくわからない。天然かもしれない。




255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 03:12:39.55 ID:vLE0dyFo
天然だろうな
主催者権限のつもりか知らんがちゃっかり立花の弓貰っても
事が穏便に済んでるのを見ると結構大物かもしれない

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 03:40:38.59 ID:0fx7IhwC
秀家はそういう徳と格があったのかね
バージョン違いの逸話も面白い

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 06:07:30.90 ID:wyYkYslW
秀家さんは真っ黒い父上と従兄弟に恵まれて、家が栄えたけど
本人は天真爛漫だよね。秀秋と比べて屈折したところがないし
秀吉にかわいがられたんだろうね

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 06:32:17.76 ID:ViFf/6zq
秀家さんかわいいです

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 07:33:36.73 ID:8Sis/NMS
ところで、銃弾を当てるのと、でっかい雁股の矢を当てるのでは難易度が全然違うと思うのだが、どうだろう?

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 07:46:29.50 ID:onIdjmnX
秀家は天然に見えるが、GJでは?
長政の鉄砲だけ取られると遺恨が残りそうだから、自分が宗茂の弓をいただいて「おあいこ」と

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 07:53:29.36 ID:piIGlA4J
>>259
槍投げならもっと楽だと思うか?
弓と鉄砲の性能の差、
ないしは当人たちの実力の差の方がはるかに影響が大きいんだから
その辺は問題じゃないんじゃね

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 09:35:19.02 ID:qwJ6DckA
>>259
ぜんぜん違うねw
まあ長政が不利な勝負をあえて受けたのだから、結果は仕方ないのかも

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 10:00:24.40 ID:SF3UlNgW
15間って27メートルくらいだぞ
ほぼ今の弓道場と同じだ。
鉄砲で外した長政がミスしただけだろ

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 10:14:21.99 ID:umDt/y00
あやうく死ぬような目にあった後の
猛者の話、各人の個性が出て面白いね。

この場にもし小西、清正がいたら何て言ったかな・・

265 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/19(木) 10:24:31.42 ID:7JbMHhIy
確か、秀秋は自分名義で貰った宗茂の弓を、改めて長政に贈ったんですよね。

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 11:06:15.96 ID:CFl8Rx3G
「小早川 加藤小西が 世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ」

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 11:57:02.59 ID:23zzbH/N
思いっきり遅レス>>229
そういや、こういう銃で狙われている前でのパフォーマンスという話になれば
たいてい南北戦争のセジウィック将軍の逸話ネタがあった気がするが
まああれは戦国とは関係ないか

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:25:51.16 ID:4eXx1OQ9
>>265
おい、秀家と秀秋と間違ってるぞ
天真爛漫な貴公子はともかく、屈折した貴公子って友達いたのかなあ?
関が原の後、江戸城では諸大名や旗本からバカにされ、無視された様子が
大河ドラマの葵三代にあったよなあ。そこいらも本当のところはどうだったんだろうね

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:37:21.25 ID:U/T/JL0N
あのシーンは大坂城だろ?そのご井伊直政が出てきてこれで大坂城も見納めだと言ってたから

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:55:53.76 ID:4eXx1OQ9
>>269
訂正トン

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 13:35:48.05 ID:ObwOxLwF
秀秋「小十郎たんとお友達になりたいお!」

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 15:28:58.01 ID:8m9kDxAo
>>254
最後、宗茂の弓を貰ったのは秀秋だと思ったけど。
この逸話、いくつかバージョンあるのかな?

273 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/19(木) 23:29:53.76 ID:Jcwz0sod
>>253, 265, 272
立花家資料館では弓は長政に渡ったと書いてあるね。
ttp://www.muneshige.com/column/03.html
残っていれば黒田家ゆかりのものが多い福岡市博物館にでもあるかも。
279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 05:21:11.83 ID:vOh19/0L
>>273
件の立花さんは、何か他に表沙汰に出来ない理由(家中のゴタゴタとか)があって、
タテマエに禿げ問題を挙げたんじゃないかと思ったが……勘繰りすぎか?
政治の為に、変なタテマエかかげるのって定番だからさ。

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 09:58:03.36 ID:hXqwW/rG
仮に建前だとしてもその建前が受け入れられる素地があったということで。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 10:32:31.22 ID:sgNQqCzk
>>262
弓道かじった者としては、この勝負、長政は不利どころか有利だと思えます。
照星のおかげで的に狙いを付けやすく、指一本動かせばある距離までなら火薬の威力でほぼ直線に撃ち出される鉄砲
(火薬炸裂時の衝撃やら重い銃身を支えるなどの大変さももちろんありますが)
一方、弓には照星のようなここで狙えばいいという装置がないので、
弓手に隠れて透けて見える視界の中で的に当たりをつけるしかない。
弓自体も竹や木、麻などの植物で出来てるので僅かな湿気や気温の変化で弓のコンディションが変わる。
しかも自らの弦引きの強さ次第で威力が変動するという不安定さ。

笄なんていう小さく細いものを的にして2度も笄のど真ん中にあてるのはすごい。
昭和の弓聖・阿波研造は目をつぶって射ても同じ場所に当てる
(一本目の矢尻に2本目が突き刺さる)ことが出来たそうですが、
宗茂は恐らくそれ以上の技量の持ち主だったのではないでしょうか。

しかし腕前勝負とは別に、上記のように弓は習熟・取り扱いが非常に難しいので
大量動員可能な遠距離兵器という軍隊における鉄砲の利点にはやはりかなわないという、
当初の論点wに関しては長政の言うとおりですが、なんでこんなオチになってしまったのやらw

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 11:33:44.28 ID:xi7NsWIk
>>281
うん、最初に大谷吉継が「鉄砲以外いらない」とか極端な事言っちゃったせいで
鉄砲の有用さを主張したい黒田長政
鉄砲のみに頼る事に反論したい立花宗茂との間で議論が噛み合ってないよねw
そこに、とりあえずイベントにしようという秀家が乱入してうやむやになってるけど

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:02:55.76 ID:LEMCF2+n
>>281
弓の方が技術的には難しいという所には同意しつつ
残念ながら、極めても生じてしまう仕方ない誤差がありまして
そっちは多分鉄砲の方が大きい

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:12:17.47 ID:Zd2Wrnlo
そもそも立花さんちは鉄砲隊の運用では一目置かれてた存在だもんなあ。

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:45:27.51 ID:M5/nOUUW
>>290
そうなんだよね、立花鉄砲隊は「早合」(弾薬カートリッジ)を使ってて他隊の三倍の速さで
連射できたらしいし。良く聞くのは、蛍大名の大津籠城戦で立花隊に面した銃眼だけ
閉め切られてた(=銃眼から撃とうとすると三倍返しされる)とか。

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 21:09:00.77 ID:M5/nOUUW
しかし長政の鉄砲に付けられた「墨縄」(=直線を引くもの、定規)という名前、
これって「百姓でもまっすぐ飛ばせるこの道具で外した長政(笑)」っていう皮肉だったら
宗茂の悪い話にできるんだがw 碧蹄館の英雄、そのぐらい傲ってほしいものである。

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 21:26:31.54 ID:c7CCic90
どっかの鷹匠じゃあるまいし、宗茂さんはそこまで根性悪じゃないぜ

加藤光泰は文禄の役の時

2011年02月14日 00:01

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 00:12:07 ID:prNQyHLp
加藤の光泰さんは、なんていわれてるんだっけ?

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 00:25:55 ID:zQGldhXw
>>739
空気加藤

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 00:32:35 ID:GOTpJhPV
甲府24万石の大名だったというのに・・・



748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 11:37:19 ID:DWwt4EEW
>>739
加藤光泰は文禄の役の時
迫る明の大軍に対して
兵糧の不足を理由に漢城からの撤退を主張する三成に

(`・ω・´)光泰「米がなければ砂を食えばいいんだよ!」

三成「砂なんて食べられるわけがないでしょう常識的に考えて」

(`・ω・´)光泰「食えるもん!おれ食えるもん!砂の食い方も知らないのかよバーカ!バーカ!」


という超理論をブチ上げた逸話しか知らないなあ。

そしてなぜか光泰のこの砂食いスピリッツに感化された諸将によって
明の大軍を迎え撃つことが決定してしまった
後の碧蹄館の戦いである。




749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 11:42:30 ID:cULL00l1
土食文化ってのは世界各地にあるらしいし日本でも「壁を舐めて飢えをしのぐ」なんて言うけれど
砂はいけるのか?

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 12:01:01 ID:GOTpJhPV
砂なんか食ってるから血を吹いて死ぬんだよ

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 12:56:06 ID:pFxqVH2W
>>748
ああ・・・宗茂の見せ場作ってくれたってことか
いい話だな

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/13(日) 13:44:29 ID:7D4/stwk
>>748
馬を売ってた地味加藤さんをスカウトしたのも、第三の加藤さんじゃなかったっけ?