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勝利した方に付けば良い

2021年11月27日 15:39

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/26(金) 21:22:29.85 ID:nTccaeTD
大阪冬の陣の直前、片桐且元が大阪城より退去すると、大阪方は十月十二日、軍勢を堺に向かさせ
その占拠を目論んだ。

ある説に、この時堺に加賀屋正碩という富豪の町人が在った。豊臣軍が迫っていることを知った彼は、
自身で町中を駆け廻って申した

「女童、足弱は別として、十五歳以上六十歳以下は一人も当地を立ち退く必要はない!
どうするかと言えば、先ず若者と老人が、当面敵味方となる。

そして大阪へは老人共より、焔硝千斤を献じて、軍勢に寄って放火狼藉されることを免れるべし。
また若者二、三百人は政所(堺奉行所)へ行って、
『大阪より討ち手が甚だしく向かって来ていると承りました、僅かのご人数では御勝利出来ません、
岸和田へ御退きあれ』と無理にでも誘い引かせるのだ。
幸いにも堺奉行の芝山(正親)殿は眼病なので、この事に必ず従われるだろう。

そして後で関東より、焔硝を大阪に献じたことを咎められれば、老人たちの致したことであり
是非に及ばぬ旨を陳述するように。
世上が静謐になった後は、勝利した方に付けば良い。」

この言葉にみな同意したとの事である。

新東鑑

大坂冬の陣直前、豊臣軍の堺占拠の折の逸話。



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