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家康からも賞賛されていた・加賀美正行(3)

2012年01月10日 21:59

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/09(月) 22:23:05.63 ID:jt+d33Sr
家康からも賞賛されていた・加賀美正行(3)

武田が滅亡し加賀美正行が死んだ時、その子・正光は幼年であったので落ち延びていった。
天正16年、家康は正光を召しだし、烏帽子親を選んで元服させた上で直接対面した。
家康は亡き正行を褒め、その死を残念がり、正光に仕官を勧めた。正光は平伏して応諾した。

これは特別のことで、人々は不平を口にし、それが家康の耳にも届いた。
それに対して家康はこう諭した。


「お前達はわしが甲州の名門旧跡ばかり喜んで特別扱いするというが、そんなことはないぞ。
その家の者が優れていると思うからこれを重用するのであって、家名を選んでいるのではない。
例えばあの正光の父である加賀美正行は、比類ない剛の者であった。

わしが武田に勝利したときのことだ。追撃していたものが使いを寄こして、しんがりの抵抗が
激しいから加勢が欲しいと行って参った。わしは不思議に思って内藤四郎左衛門をやった。

眺めてみると、敵のしんがりは地勢ををうまく味方にしていて、こちらを近づけない。
飛び込んでは引き、引いては飛び込み、まさに鬼神のごとき働きとはこれであった。
ここが死に場所と、軽輩雑兵に至るまで根が張ったごとき必死の覚悟がみえた。
このようになった敵をよく追い払うことはできないものだ。

誰かと(内藤に?)聞けば、あれは加賀美殿の息子でしょうと言うので然りと思った。


ところが後から聞いた話によると、正行はこう言っていたそうだ。
『お味方敗軍のことまこと意外であり、また急に退くとなって動揺した。
自分が殿軍に指名されるとは、まったく思いもよらないことだった。』

しかし平素から覚悟が座っているからこそ、変にあってもこのように振る舞えるものなのだ。
ただ退くだけなのに大げさな様子で殿軍を申し出たり、手落ち傷を誇らしげに見せにきたり、
そういう浅はかな覚悟とは違うぞ。

旧家名跡の子というのは、それだけに却って重んじられないこともあるから、お前達にとって
意外な人事となり、それはわしがブランドに弱いからだと思うかもしれないがそうではない。」

(加々見呈譜)


最後のあたりはかなり意訳。主語がところどころ分からん…。
他国者の登用に不満たらたらの、譜代の子弟に皮肉を言っているのだと思われます。

なおその後正光は小田原征伐、九戸一揆、関ヶ原、大坂の戦いに参加、書替奉行となった。
加賀美家は次々に加増を受け本家は500石、一族で1000石を越えた。
息子は大阪で先手弓頭として活躍、孫達は将軍の子弟の小姓などに取り立てられて行く中、
正光は寛永5年(または6年)に57歳で死んだ。幸せであったことだろう。

正行シリーズ終わり。

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:16:05.68 ID:tK7p5aY4
追加:

意外な人事となり、それはわしがブランドに弱いからだと思うかもしれないがそうではない。」

このようにして家康は、厚遇している新参・当参者たちの理由を列挙していったので、
彼らは大いに面目を施したという。

(加々見呈譜)




363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:22:08.15 ID:gXZKP/FC
家康が間違ってるとも思わないけど、
本人の戦功じゃなくて、親の戦功で特別に召しだしたんだったら
三河者たちが納得するとも思えないなあ

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:49:17.58 ID:rMrsSkIs
>>363
むしろ譜代としては、父祖の戦功を評価してくれないと
困るんだから、それで良いんじゃね?


365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:50:06.71 ID:afxWu2oK
天正十六年だと、三河者でも共に泥水すった世代はすでに引退していて、
親の武功で取り立てられた第二世代になっているとか?

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 00:51:34.03 ID:k1jYGRTe
武士の棟梁の重要な機能として、戦死した親の武功をきちんと認識し、その子を
親の武功に応じた待遇を取らせる、というものがあるので、武士社会においてこれは圧倒的美談だね。

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 01:00:25.68 ID:afxWu2oK
昔の敵であっても、源氏冠者であるワシはきちんと評価するんだからね!
圧倒的…………美談…………!!

源氏を名乗り始めたのは、ちょうどこの頃だっけ?

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 01:18:51.07 ID:k1jYGRTe
>>367
源氏自体は祖父の清康の段階で名乗ってる。
というか家康の安城松平はその祖である松平長親の段階で既に新田源氏を名乗っていた、
という説もある。

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 01:27:24.87 ID:UM/hR5J+
>>363
とはいえ、殿の見事さは正光の武功でそ。

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 03:35:30.93 ID:oYPii3Nq
家康と家来の話はいつも和む。

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 03:56:42.21 ID:tK7p5aY4
>>369
すみません。

>>誰かと(内藤に?)聞けば、あれは加賀美殿の息子でしょうと言うので然りと思った。

とあるので勘違いされたかと思いますが、加賀美殿の息子=正行 です。正光のことではないです。


原文を直訳して書いたのですが、分かりづらくてすみません。
たぶんこの時まだ正行は若くて、父親の方が有名だったのではないでしょうか。

武田滅亡時に正光は10歳くらい、正行は40前といったところです。
この逸話がいつの話なのか分かりませんが、長篠だとしても30ちょいですね。

このころには武勲も立てているはずですが、それでも父親のほうがイメージが強かったのでしょうか。

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 13:31:39.35 ID:YhSPlZgv
当時から武田好きは言われてたんだな。
本人が気にするくらい。


374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/10(火) 18:00:33.92 ID:9nasp5MP
>>361

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