600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 01:13:04.02 ID:xfQW/kFg
慶長5年9月20日、南部氏の重臣北信愛(当時剃髪して松斎)は、
伊達領から攻め込んできた和賀忠親率いる一揆の攻撃を受けた。
彼の守る鳥屋ヶ崎城は侍わずか十数名しかいなかったが、民や女性まで動員してこれを撃退した。
一揆の襲撃を除けたその二日後のこと、城下の農民商人が城にやってきて、大きな太鼓を献上した。
「私どもは百姓町人ですので、武事に預かる事は恐れ入る事ですが、
もし今後鳥屋ヶ崎城へ一揆が来たなら及ばずながらも馳せ向かい、
後詰をして賊徒を討ち散らし御報恩に仕りたく、この儀をお許し願いたい。
城中にまた何か異変があれば、この太鼓を乱拍子に叩いてください、しからばこれを合図として馳せ参ります」
信愛はこの志を賞して願いを聞き、太鼓を受け取って家臣の熊谷惣三郎にこれを任せた。
さてこの頃、信愛の親戚の高橋伝助という男が三戸から来て城に入った。
だがこの男、大酒飲みで常に酔っぱらっており、いつも戯れを起こしていた。
城中に入った伝助は、そこで大きな太鼓を見つけた。
この時太鼓を管理する熊谷惣三郎はおらず、伝助はバチを持ってこれを思いっきり叩いまくった。
驚いた信愛は近習を遣わす。近習は伝助の姿を見てこれを咎め、伝助は事情を知り大いに恐れた。
近習「伝助は民が集まる事を知らず、ふざけて太鼓を叩き、今は大いに後悔しております」
信愛「……酔っていたとはいえ、その故を知らなかったのであれば仕方がない」
と信愛は急ぎ人を走らせて、酒数石分を買わせた。
そして数百人もの農民商人たちが城中に集まってきた。
信愛は多くの蓆を敷かせて席を設け、また酒器を並べ、自ら彼らの前に現れて言った。
「このたび上方の風説に、我がお館様がかの表において抜群の勲功を上げられ、
その賞として将軍家より格別の御加増を賜るべきとの風説がきた。
しかしながら未だその実否は詳らかではないけれども、まことに目出度きこと恐悦なれば、
その方らも一層身命をなげうって働いてほしい。
私はそなたらの志を知っているので、一刻も早くこの事を知らせ、
我らと共に喜びを分かち合おうと思い、太鼓にて呼び上げた次第である。お上を祝して心よく飲むべし」
この言葉に集まった者たちは大いに喜び、数石の酒を飲み干し帰っていった。
熊谷惣三郎はこれを無益な事だと思い、それが態度に出ていたようで、信愛は言った。
「酒を費やした事は無益の事だと思うけれども、三戸の客人が酒によっていたずらに太鼓を打ったななどという事実を告げたら、
我らが法令を軽んじているなどと知らしめ、その後は太鼓も合図にならなくなってしまう。
よって、本意でもない偽言をもって空太鼓の誤りを取り繕った。
諺にも下郎は喰に着くというだろう、祝いの席と称して酒を勧めて喜ばせて、今後の合図を違わぬように計らったのだ」
この言葉に熊谷は伏したという。
また信愛は周りに語り
「人は皆酒は好物であるものだが、我が親類高橋のごときは酒に飲まれるというものだ。いずれ酒は量の問題だが、
(南部家臣の)石井伊賀親子や中野吉兵衛、岩清水右京、桜庭安房、大槌孫八郎等は真の上戸と言える。羨ましい酒飲みだ。
この者たちはいくら飲んでも酔っぱらうという事は無い。しかしながら孫八郎や右京は一升枡で一息に三升の酒を続け飲みするという。
これは確かにすごいが、下郎の如き振る舞いで不愉快だ。
戦いでは少し酒気を帯びれば、勢いに乗じて日の中水の中も怖れることなく、また大雪や寒風の中でもいささかも厭う事がない。
敵前での働きも一層潔くなる、そう考えれば酒は実に徳のある物だ。
しかし高橋のごとく心を放しては、酔酒飲に劣りたり、と言うものだ」
この言葉に周囲の皆は感服したという。
(公国史)
601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 09:15:01.69 ID:0Nk9RM79
>>600
北さんは隠れた名将だよな。
604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 17:24:24.86 ID:YltpjxhE
信愛なる北様へ
608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/26(水) 18:50:25.96 ID:KiNWDPYW
高橋のおっさんは最後まで改心もしてないし評価もされてないんだな
慶長5年9月20日、南部氏の重臣北信愛(当時剃髪して松斎)は、
伊達領から攻め込んできた和賀忠親率いる一揆の攻撃を受けた。
彼の守る鳥屋ヶ崎城は侍わずか十数名しかいなかったが、民や女性まで動員してこれを撃退した。
一揆の襲撃を除けたその二日後のこと、城下の農民商人が城にやってきて、大きな太鼓を献上した。
「私どもは百姓町人ですので、武事に預かる事は恐れ入る事ですが、
もし今後鳥屋ヶ崎城へ一揆が来たなら及ばずながらも馳せ向かい、
後詰をして賊徒を討ち散らし御報恩に仕りたく、この儀をお許し願いたい。
城中にまた何か異変があれば、この太鼓を乱拍子に叩いてください、しからばこれを合図として馳せ参ります」
信愛はこの志を賞して願いを聞き、太鼓を受け取って家臣の熊谷惣三郎にこれを任せた。
さてこの頃、信愛の親戚の高橋伝助という男が三戸から来て城に入った。
だがこの男、大酒飲みで常に酔っぱらっており、いつも戯れを起こしていた。
城中に入った伝助は、そこで大きな太鼓を見つけた。
この時太鼓を管理する熊谷惣三郎はおらず、伝助はバチを持ってこれを思いっきり叩いまくった。
驚いた信愛は近習を遣わす。近習は伝助の姿を見てこれを咎め、伝助は事情を知り大いに恐れた。
近習「伝助は民が集まる事を知らず、ふざけて太鼓を叩き、今は大いに後悔しております」
信愛「……酔っていたとはいえ、その故を知らなかったのであれば仕方がない」
と信愛は急ぎ人を走らせて、酒数石分を買わせた。
そして数百人もの農民商人たちが城中に集まってきた。
信愛は多くの蓆を敷かせて席を設け、また酒器を並べ、自ら彼らの前に現れて言った。
「このたび上方の風説に、我がお館様がかの表において抜群の勲功を上げられ、
その賞として将軍家より格別の御加増を賜るべきとの風説がきた。
しかしながら未だその実否は詳らかではないけれども、まことに目出度きこと恐悦なれば、
その方らも一層身命をなげうって働いてほしい。
私はそなたらの志を知っているので、一刻も早くこの事を知らせ、
我らと共に喜びを分かち合おうと思い、太鼓にて呼び上げた次第である。お上を祝して心よく飲むべし」
この言葉に集まった者たちは大いに喜び、数石の酒を飲み干し帰っていった。
熊谷惣三郎はこれを無益な事だと思い、それが態度に出ていたようで、信愛は言った。
「酒を費やした事は無益の事だと思うけれども、三戸の客人が酒によっていたずらに太鼓を打ったななどという事実を告げたら、
我らが法令を軽んじているなどと知らしめ、その後は太鼓も合図にならなくなってしまう。
よって、本意でもない偽言をもって空太鼓の誤りを取り繕った。
諺にも下郎は喰に着くというだろう、祝いの席と称して酒を勧めて喜ばせて、今後の合図を違わぬように計らったのだ」
この言葉に熊谷は伏したという。
また信愛は周りに語り
「人は皆酒は好物であるものだが、我が親類高橋のごときは酒に飲まれるというものだ。いずれ酒は量の問題だが、
(南部家臣の)石井伊賀親子や中野吉兵衛、岩清水右京、桜庭安房、大槌孫八郎等は真の上戸と言える。羨ましい酒飲みだ。
この者たちはいくら飲んでも酔っぱらうという事は無い。しかしながら孫八郎や右京は一升枡で一息に三升の酒を続け飲みするという。
これは確かにすごいが、下郎の如き振る舞いで不愉快だ。
戦いでは少し酒気を帯びれば、勢いに乗じて日の中水の中も怖れることなく、また大雪や寒風の中でもいささかも厭う事がない。
敵前での働きも一層潔くなる、そう考えれば酒は実に徳のある物だ。
しかし高橋のごとく心を放しては、酔酒飲に劣りたり、と言うものだ」
この言葉に周囲の皆は感服したという。
(公国史)
601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 09:15:01.69 ID:0Nk9RM79
>>600
北さんは隠れた名将だよな。
604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 17:24:24.86 ID:YltpjxhE
信愛なる北様へ
608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/26(水) 18:50:25.96 ID:KiNWDPYW
高橋のおっさんは最後まで改心もしてないし評価もされてないんだな
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