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遅かった話 南部信直・北信愛編

2012年08月11日 20:56

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 23:44:58.10 ID:CU/QAYC2
遅かった話 南部信直北信愛編

すったもんだの末に南部家25代当主として家督を相続した南部信直は、北信愛をそばに呼びこう語った。
「天下に名高き武将は多いが、今皆がその名を知り四海に武威を振るっているのは、織田信長様だ。
諸国諸士はこぞってよしみを結んでいると聞く。
私も参上こそ叶わないが、土産を持たせて使者を送りたい。だが、この遠い糠部の地、なかなか
思うようにはいかない。
それに、信長様に我が家の由緒を示したいが、代々の由緒を記した巻物(系図書)も火災によって
失ってしまっていてなぁ……」

天文18年(8年とも)に、当時の居城であった本三戸城は、晴政に妻を奪われた
家臣の赤沼備中によって放火され、
南部家相伝の証文・系図・家宝などはことごとく燃えてしまっていた。

信直はどうしたものかと思案していたが、そこへ北信愛が
「御屋形様、これを……」
と、差し出した。それはまさに焼けて無くなった筈の系図書だった。
「どうしたのだこれは?!」
「はい、御城炎上ののちに、晴政様は家中に自家の系図を提出させ、その時集まった
30巻余りをつき合わせて抜きだし、
御前で清書しました。私の父は文筆の心得があったので、その手伝いを任されました。
その下書きを、晴政様は私の父に賜り、その後父はこれを私に譲ったのです」

そして信愛はそれから延々系譜の内容について詳しく説明した(長いので割愛)
「――ということで、そのほかにも筆にも及ばぬ言い伝えは数多ありますが、それは
追々話すとして、あらましはこのようなものでした」
信直の喜びはひととおりではなかった。
「よし、こうとなればさっそく信長公へ使者を登らせよう! 誰が良いと思う?」
「このたびの使者は御家の一大事のことです、私が行きましょう。
良い伝えを持って帰りますので、安心して待っていてください」
と、信愛は御家の由緒を荒々と書き抜いて、献上するための馬三頭・大鷹五羽を持って糠部を出立した。

時に“天正10年 6月中旬”のことだった。

北信愛は順調に進み、日本海側に抜けて下越後へ着いた。が、そこで、信長公が京都で
逆臣のために果てたことを風聞に聞いた。
不安に思った信愛はしばらくその所に逗留して情報を集めていたが、風聞が真実だと知ると、
今は上洛しても詮無しと、力を失い帰国したという。




924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 01:53:21.67 ID:TZJ+STfh
本能寺の変への各大名の反応とか調べたいな

色んな情報が錯綜してそうで面白そう


931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:46:39.73 ID:/qNjNtQX
ん?6月中旬ってことは実際は越後は天正壬午の乱中だったんだろうが
信長が死んだことを知らないのになんで越後側に抜けたんだ
まさか上杉が織田と戦ってたことすら知らなかったのか?

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:54:23.60 ID:yi+zMmTj
下越後から船で上杉領スルーするとか?

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 17:32:29.71 ID:HF/OB6T/
>>931
下越後だと新発田重家の領内だろうから、そこから船にするか
関東方面へ出るつもりだったのかも。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 17:34:21.45 ID:UyImDaMx
>>922
この時秀吉に従ってれば、津軽は安堵されたのに(´・ω・`)

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 19:30:48.90 ID:9jyoXUZh
>天下に名高き武将は多いが、今皆がその名を知り四海に武威を振るっているのは、織田信長様だ。
>諸国諸士はこぞってよしみを結んでいると聞く

この程度の把握では信長急逝後の後継者見込みを立てられなかったんじゃないかな
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