551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/19(日) 17:57:38.33 ID:+x+mbxvS
上杉輝虎(謙信)の時代の、家老・北条丹後守(景広)は大剛の侍であった。
ある時、一尺ばかりの白練の小四半(6センチ四方とも)に、黒蟻一疋を書いて、指物にした。
あまりに小さい指物であったため、謙信も見咎め、丹後を呼んでその指物の訳を尋ねた。
丹後答えて曰く
「皆人は三幅懸、四幅懸に下猪、登龍、その他大紋を付けて指すのは、敵方に良く見えるようにという
事です。その大指物より私の小四半は良く見えます。何故なら何時の軍にも、間近く乘りこみますから。」
そう申し上げると、輝虎も機嫌直ったという。
この丹後は謙信の死後に、三郎(景虎)と景勝の闘争の時、荻田與惣兵衛に鑓を付けられた。
この時は乘り抜けたが、その手疵にて相果てた、三郎方もそのまま敗軍したという。
(杉原彦左衛門覚書条々)
552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/19(日) 18:03:47.19 ID:KN/X7LVv
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5838.html
前に出典なしで出てたけど今日の話の方が詳しいな
上杉輝虎(謙信)の時代の、家老・北条丹後守(景広)は大剛の侍であった。
ある時、一尺ばかりの白練の小四半(6センチ四方とも)に、黒蟻一疋を書いて、指物にした。
あまりに小さい指物であったため、謙信も見咎め、丹後を呼んでその指物の訳を尋ねた。
丹後答えて曰く
「皆人は三幅懸、四幅懸に下猪、登龍、その他大紋を付けて指すのは、敵方に良く見えるようにという
事です。その大指物より私の小四半は良く見えます。何故なら何時の軍にも、間近く乘りこみますから。」
そう申し上げると、輝虎も機嫌直ったという。
この丹後は謙信の死後に、三郎(景虎)と景勝の闘争の時、荻田與惣兵衛に鑓を付けられた。
この時は乘り抜けたが、その手疵にて相果てた、三郎方もそのまま敗軍したという。
(杉原彦左衛門覚書条々)
552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/19(日) 18:03:47.19 ID:KN/X7LVv
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5838.html
前に出典なしで出てたけど今日の話の方が詳しいな
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