長柄刀のこと

2018年02月06日 19:26

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/06(火) 18:44:11.64 ID:WKKaJAK1
「昔、関東では北条氏直の時代まで、長柄刀といって、刀の柄を長く拵え、腕貫(鍔つばにつける革緒)を
打ち、束にて人を切るほどの形状であった。

当世ではかき鑓と言って、黒金を長く延べ、鑓の柄に十文字に入れ、その先に小しるしを付けて、
柄にて人を突くような威風を成しているが、物好きと言うのもの、時代によって変わるもののようだ。」

このような話があった時、これを聞いた人は

「その昔の長柄刀を、当世に差す人がいれば、柄が長すぎて目鼻の先につかえて見苦しく
可笑しな事になってしまうだろう。」

そう笑いだした。
この時、かつて関東において、若者たちが皆長柄刀を差していた時代を知っている老士が言った

「どうか若き方々、そのように昔を笑わないでほしい。古今の違いがあっても、その志は同じである。
得ることのみ有り失無く、失のみあって得るものが無い、という事は無いと、先賢の書いた
内外の文章にも見えるではないか。人をそしって我が身の失を省みる、これ人を鏡とする云々。
そも鎌槍は昔より用いられ…(以下神功皇后や頼朝の故事など延々と語るが中略)

さて、長柄刀における、長柄の益というものは、太刀では短く、かといって長刀では長すぎるという
場合に、その中間を取った益である。また、太刀と長刀両方の利点を合体させて常に差すという
利点も有る。

関東の長柄刀は、目鼻の先というような近距離での斬り合いには少なからず欠点がある。
だが、合戦において敵を亡ぼし我が命を護ることには、大益があるのだ、」

(北條五代記)



621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/07(水) 14:40:28.85 ID:0VAmVwxs
>>620
>太刀では短く、かといって長刀では長すぎる
そんな時あるかなぁ?

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/08(木) 22:00:40.69 ID:h1pB8ljj
>>621
屋内とか?

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/09(金) 01:08:37.57 ID:VQF9KdDF
そういえば、刀の腰への差し方が逆になったのは
室町以前の太刀式だと屋内でつかえて面倒だからなんだってな

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/09(金) 14:43:51.13 ID:78A2SVdl
>>625
家の中なら刀で十分と思ったけど、昔の屋敷や土間のある作りならたしかにぴったりかも。

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/09(金) 15:42:22.81 ID:8hqIVnpV
薙刀が振り回せない程度の密集した乱戦で使えば太刀より少しリーチがある分有利って事やろ

670 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/02/25(日) 15:16:32.73 ID:7M1bZXLQ
>>621
有るよ
リーチが長いので突きに有利
巌流島でもそうだけど長い方が勝つ場合がある
当時剣術が未発達だったからね
平安鎌倉は薙刀も標準装備だよ

横山光輝の漫画って結構、こういう交渉が優れてなされてるんだよね
今の漫画のように解説で述べるんじゃなくて漫画そのものに説明なく描かれてる

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/25(日) 16:58:03.35 ID:ugAEYEIr
なお横山光輝水滸伝の双鞭・呼延灼
https://i.imgur.com/mue2gnr.jpg
mue2gnr.jpg

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関八州に鉄砲始まること

2018年02月03日 11:55

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/03(土) 10:39:52.82 ID:Wka7mPI2
関八州に鉄砲始まること

昔、相州小田原に玉瀧坊という、年寄りの山伏が居た。愚老(三浦浄心)がまだ若かった頃、
その山伏からこんな話を聞いた。

「私は関東より毎年大峰に登るのだが、享禄(1528年8月20日~1532年7月)の始まる年、
和泉の堺へ下った折に、大変な鳴り物の音がした。これは何事かと問うた所、鉄砲という、
唐国より永正七年(1510)に初めて渡ってきたのだ、そういって標的を撃った。
私はこれを見て、さても不思議奇特なるものかと思い、この鉄砲を1挺買い取って関東へ
持って下り、当時の屋形であった北条氏綱公へ進上した。そしてこの鉄砲を試射をご覧になると、
『関東に類なき宝である』と、秘蔵された。」

この事を近国他国の、弓矢に携わる侍たちが聞くと、『これは武家の宝である。昔鎮西八郎為朝は
大矢束を引く、日本無双の精兵で、弓の威力を試みるため鎧三領を重ね木の枝にかけ、六重を射落とした
ほどの強弓であったという。保元の合戦で新院(崇徳院)に味方し、八郎一人あって多くの敵を
射殺し、そのため数万騎にて攻めても、その矢を恐れ、院の御門を破ることは出来なかったという。

現在では、弓があっても良き鎧を着けていれば恐るるに足らない。しかしなんといっても、
かの鉄砲は、八郎の弓にも勝るものなのだ。所帯に変えても、一挺欲しきものだ。』

そう願っていた所、氏康公の時代に堺より國康という鉄砲張りの名人を呼び下された。
また根来法師の杉坊、二王坊、岸和田などという者たちが下ってきて、関東を駆け回り鉄砲を教えた。
このような事があって、現代では人ごとに一挺所持している、というような状況となった。

そうして、あの北条氏直公の小田原籠城の時(小田原の陣)、敵は堀際まで押し寄せ、海上も隙間なく
船で包囲した。秀吉は小田原城の西に山城を築き、、小田原城を目の下に見てこう申された
「この秀吉は何度も合戦城攻めをしたが、これほどの軍勢を揃え、鉄砲を用意した事は初めての
幸いである。時刻を定めて、一度に射撃させ、敵味方の鉄砲の様子を観察したい。」
そう、北条方へよびかけた。双方同意し、五月十八日の夜、双方数万挺の鉄砲にて一斉射撃を行った。
これにより盾も矢倉も残り無く撃ち崩されたという。

北条氏直の方も、関八州の鉄砲を兼ねて用意した上で籠城をしたのであるから、敵には劣るまじ、
鉄砲比べせんと、矢狭間一つに鉄砲三挺づつ、さらにその間に大鉄砲を設置し、浜手の衆は船に向けて、
海際まで出、日が暮れるのを待つと、十八日の暮れ方より撃ち初め、敵も味方も、一晩中に渡って
射撃し続けたため、天地振動し月の光も煙に埋もれ、まったくの暗闇となった。
しかしそれにより、射撃による火の光が一層現れ、限り無く見えること、満天の星のようであった。

氏直公は高矢倉よりこれを遥かに見て、狂歌を詠まれた

『地にくだる 星か堀辺のほたるかと 見るや我うつ鉄砲の火を』

これを口にした所、御前に従う人々が
「御詠歌のごとく、敵は堀辺の草むらに、蛍火が見え隠れするようです。城中の鉄砲は
さながら星、月夜に異なりません。」

そのように語ると、氏直公はニコニコと笑みをお見せになられた。
愚老は相州の住人であった。小田原に籠城した時の事、今のように思い出される。

ともかく、鉄砲は永正七年に唐国より日本に渡り、それ以降繁栄し、この慶長十九年までで
百五年である。関八州にては、享禄元年より今年まで、八十七年となる。

(北條五代記)

一般に言われる、鉄砲記の天文12年8月25日(1543年9月23日)伝来説からは、33年も遡っていますね。



610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/03(土) 11:27:55.53 ID:t7jLHXY4
イゴヨサンガホシイテッボウ

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/03(土) 11:36:10.42 ID:bwluwx56
一斉射撃だなんて粋だねえ

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/03(土) 14:05:47.02 ID:T8vcZ8Wi
まとめの1077に
北条氏康が12歳の頃鉄砲の音聞いて驚いて笑われた話があるけど
これはその鉄砲かな

ポルトガルの文書だと1542年だっけ、鉄砲伝来は

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/03(土) 17:26:41.43 ID:6A/dZne6
いわゆる鉄砲伝来は欧州からのマスケット銃が伝来した史実を指す。
一方、東アジア及び東南アジアでは中国発祥のマスケットである鳥銃が広く普及していて、これが日本に部分的に伝来していた可能性は以前から指摘されている。
というか16世紀中盤時点で銃を知らなかった文化ってアジアでもフィリピンと日本だけなんじゃないか。

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/04(日) 19:05:07.80 ID:7bntfjjr
キリスト教:1世紀前半にできて、日本伝来は1549年(1500年くらいかかった)
鉄砲(マスケット銃):15世紀前半にできて、日本伝来は1549年(100年くらいかかった)
梅毒:1492年くらいにヨーロッパ人が感染し、日本伝来は1512年(20年くらいかかった)

宗教、武器、性病の伝来順序が西欧に現れた逆なのが面白い

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/04(日) 22:46:11.25 ID:C2CGA8dd
景教の経典として漢語訳された聖書を遣隋使か遣唐使が持ち込んではいるけどな

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/05(月) 11:12:21.53 ID:4RZFuuGH
元代のマニ教の宇宙図が日本にあった、て話はあるけど
景教経典が持ち込まれた、て話はあったっけ
あとは「甲子夜話」で松浦静山が
「群馬県の多胡碑(711年頃)の近くに十字架が発掘された。
おそらく多胡碑の羊というのはキリスト教徒の一族だろう」
と怪しげな説を唱えているくらい

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/05(月) 14:27:46.51 ID:s4DWgBB+
景教って平家とか朝倉家にいてもおかしくなさそうな名前

一つ提灯

2018年01月24日 18:36

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/24(水) 05:54:22.06 ID:oHBascNf
北条左衛門大夫(綱成)家中に、相州甘縄の住人、三好孫太郎という勇士があり、彼は指物に
提灯七つを付けており、「孫太郎が七つ提灯」と言って、隠れない物であった。

そのころ松山肥後守寄騎に山下民部左衛門尉という者がいたが、彼の指物は六つの提灯であった。

天正十三年の秋、北条氏直佐竹義宣が下野において対陣を張り戦ったが、この時、
三好孫太郎山下民部の六提灯の指物を見て馬を寄せ、尋ねた

「其方の指物に、何か仔細はあるのか?」

「提灯に何の仔細があるものか。我の好みだ。」

これを聞くと孫太郎は憤った
「武功を積まずして六ッ提灯は指して良いものではない!あれは天文十五年頃、上杉と
北条氏康公が武州において合戦した時、私は一番槍の誉れあり、氏康公より褒美の感状があり、
その時私は、一つ提灯を指物として頂いた。その後また忠ありて、二つ提灯を指す。三度功ありて
三つ、四度五度六度七度忠勤を抜きん出て、重ね重ねの功により、この七つ提灯を授かったのだ。
故に、孫太郎が七つ提灯と名が付けられ、関八州に隠れないものとなったのだ!」

馬上にてこのような問答となった。

その日の競り合い戦に、佐竹方に大石八郎という者、釣り鐘の指物を指すていたが、彼は名乗りを
上げると

「諸人に先立ち、我と思わん者あらば組んで腰部を決せよ!」

そう言って長刀にて斬って回る所に、山下民部馳せ合わせ、馬上から組んで双方落馬した。
民部は大力であったので、八郎を組み伏せ首を取った。

この時、ふと気が付き、自らの指物のうち、提灯五つを切り捨て、一つ提灯にして指した。
人々はこれを見て、「民部左衛門は問答してから時を移さず誉れを顕し、一つ提灯を指すこと、
かつて聞いた孫太郎の武勇にも劣らない!」
そう賞賛したという

(北條五代記)



592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/24(水) 23:37:21.30 ID:ztqaLHlA
ちょっとカッコいい話だな

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/25(木) 00:34:38.71 ID:kYpqHmCq
山下(あっこれ面倒くさい人だ、次にアピールしとかないとなあ)

賞賛してるのが人々で、三好さんの評価が無いのも気になる

自分の手で頸をもたげ

2017年04月13日 11:21

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 08:32:23.85 ID:WJZIhrj7
北条家の馬屋の預かりであった諏訪部という者は、度々善き働きがあった。

豊臣秀頼の小田原陣の時、諏訪部と勝田八左衛門という両人が物見に出た所、急に敵に接近され、
二人は早々に引き取った。
この時、諏訪部は馬屋の別当であったために善き馬を持っており、この敵の急追を振り切って
帰ることが出来た。
しかし勝田は良馬を持っていなかったため、敵を振り切ることが出来ず、立ち止まってこれと戦った。
勝田が後に残ったと聞いて、北条軍の人々はこれを救出するため馳せ参る間に、勝田は敵に討ち伏せられ
頸を半ば過ぎまで切られていた。

敵は勝田の救援が来たのを見て引き取った。しかし助けに来た味方も
「勝田は深手を負っているから連れ帰っても死ぬだろう」とこれを棄て帰ろうとした。

ところが、勝田もさすがの勇者であった。彼は自分の手で頸をもたげ、
「未だ生きているのに、各々は棄てて帰るか!?」
と喚いた。

味方はこれを聞きつけ、彼を連れて帰った。

この時、諏訪部は良馬を持っていたが故に却って遅れを取り、勝田は危うい命助かり、勇を表した。
そう、その頃の人々は沙汰したという。

勝田八左衛門は吊り鏡の指物を差していた。後に漂泊し、松平右衛門太夫(正綱)の所で身罷ったそうである。

(士談)

なんというか色々凄まじいお話



807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 11:04:17.58 ID:5tXU3jKh
デュラハンかよ....

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 11:22:59.31 ID:KM5oiyGV
関東武士はいろいろとオカシイ

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 14:31:47.16 ID:wGmclQZB
>>806
助かったのかよw!

にぐるもはやき あしがらの敵

2016年06月05日 22:02

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 01:17:14.47 ID:uXEk1Z/S
 天正十八年庚寅の年三月朔日、大相国秀吉公、小田原北条左京太夫氏直退治のため
駿河に長陣あった時、裾野で、
「曽我兄弟が乗った馬に水より他に飼葉がないと言ったのも、今では自分の身のように覚える」
と嘆いているのを聞いた大村由己は

在陣を するがのふじの 山よりも たかねにかふは 馬のまめかな


 同じ年の三月二十九日、山中の城を攻め落とされると、その勢いに恐れ、
北条勢が箱根足柄の城を明けて退いたときに

山中を せむればあくる はこね山 にぐるもはやき あしがらの敵

(醒睡笑)




豊鑑より、北条への認識

2015年06月23日 17:39

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 20:35:01.10 ID:yUxMH566
その秋、北条美濃守(氏規)と言う者が上洛した。これは北条氏直の叔父である。
この北条氏直というのは、東の国々を7つばかり従え、相模の小田原に在った。

彼は北条時政の子孫ではない。早雲という人物の子孫であるが、彼も彼の国の者ではなく、
都あたりの出身であったが、従者一人二人ばかりで駿河国にさすらい行きて、今川のなにがしに
縁があったが、よろず優秀な人物だったので今川氏の心にかない、漸次出頭したが、伊豆の国に移り、
どうやったのか彼の国を従え、2年3年の内に相模の国を心のままにして、相模の小田原に移り住んで
なおも武蔵、上野の切り取りををこころざしたという。

その嫡男である氏康という男子、父にも劣らず賢く、武士の道にたけく謀ある人物だったので、
彼の時に武蔵、上野、上総、下総などまで従え、一族広く富み、権勢盛んとなったこと思い知るべきであろう。

氏康の嫡男である氏政は、老いたというには幾ばくも至らない内に嫡男氏直に世を譲ったそうだ。

(豊鑑)

当時の畿内における、北条への認識がかいま見られる豊鑑の記事である。
というか氏綱…。



972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 20:58:04.50 ID:wOzHKolz
まあ、ハブられてもしゃあないというか
無関係なところの人間にしてみたらそんなものじゃないの

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 21:03:39.10 ID:IpAvlnDm
もう出自不明になってたんだんだ

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 21:31:55.43 ID:g+i0E8PA
毛利の長男よりはまし

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 10:46:03.74 ID:LkICDGu3
斉藤道三の国盗りと一緒で一人と思い込んでたんじゃねーの?

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 23:34:23.03 ID:KeJRBl/z
>>973
興味薄いからろくに調べなかっただけでそ。
東国は別の国みたいなもんだし。

「十一月二十四日付北条氏直宛秀吉書状」

2015年05月10日 16:10

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/10(日) 00:23:24.37 ID:0KWMipET
『この秀吉は、若い頃は信長公に一人で従い、肉体は山野に捨て、骨は海岸で砕き、合戦を枕にし、
夜更けに寝て朝早くに起きて、戦功に励んだ。そのため中頃から君恩を頂き、人に名が知られるようになった。

こうして、西国征伐を命じられ、大敵に対して雌雄を争っていた所、明智日向守光秀が道理もなく
信長公を討った。この知らせを聞いて、私はかの方面(毛利方)を押し詰め思い通りにした上で、
直ぐに上洛し逆徒である光秀の頸を討って、信長公の恩恵に報い、会稽を雪いだ。

その後、柴田修理亮勝家が信長公の厚恩を忘れて国家を乱し、反逆したのでこれも退治した。
その他、諸国で背いた者を討ち、降伏した者は赦したので、我が麾下に属さないものはなかった。

この秀吉はとりわけ、一言の表裏もしたことがないので、そうしたことからも天道にかなっているのだろう。
私は既に高い地位に出世し、武勇の誉れを得て。君主(天皇)をたすけ、欠かすことの出来ない臣として
すべての政治を取り仕切っている。

しかし北条氏直は、天道の理に叛き、帝都に対して謀を企てた。どうして天罰を蒙らないことが有るだろうか。
古いことわざに、「巧みな言葉で偽って人を欺くことは、下手な言葉でも誠実であることに及ばない」という。
天下に知れ渡っている勅命に叛く者は、早々に征伐しない訳にはいかない。
来年には必ず、帝より授かった旗を携えて進発し、氏直の首を刎ねることについて、もはや後戻りすることはない。

天正十七年十一月二十四日 (秀吉朱印)
            北条左京大夫(氏直)どのへ 』

(北条文書 「十一月二十四日付北条氏直宛秀吉書状」)

秀吉が北条氏直に宛てた書状の中で、自分が最高権力者になる過程について語った部分である。




庭林坊の事

2015年04月26日 16:08

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/26(日) 03:06:59.59 ID:ier522gz
庭林坊の事

天正元(1573)年北条と里見との間で合戦があった

小田原へ向け里見の水軍が押し寄せているという噂が広まると、誓願寺の庭林坊は唐傘を差して見物に出かけた

すると浜には先客がいて、三本唐傘の旗印を差した高山大膳といった侍が沖の船に向かっていくさ名乗りを上げていた

庭林もこれを見て「拙僧は第二陣、浄土宗誓願寺の法師武者、唐傘の庭林なり」と名乗りを上げた

ところが沖の船はただの釣り船だと判明し、集まった人の間から失笑が漏れた

「高山某と誓願寺の坊主が釣り船に勝負を挑んだwwwwwwwwwww」

この噂は北条氏政の耳に入り、氏政の子の国王丸がその坊主を見たいと御前に召し「昨日のごとく言葉を違えず名乗ってみよ」と命じた

庭林坊はほかならぬ北条の若君の頼みとあって、庭へ下りて唐傘をばっと開き名乗って見せた

国王丸は大笑いし、庭林にたくさんの褒美を下されたという

『北条五代記』

ちなみにこの庭林、後の前田慶次の朋友と言われる




大丈夫と言うべきである

2014年11月23日 18:58

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 14:13:46.03 ID:Pe986KLZ
北条氏滅亡の後、豊臣秀吉板部岡江雪斎に対し、

「お前は先年、北条の使いとして上京し、約束したのに、たちまち背いて
名胡桃の城を取った。それは氏直の姦計だろうか? あるいはお前の偽りか?」

と責め問うた。これに江雪は「じきに申しましょう」と答えたので、

秀吉は大いに怒り、手かせ足かせを並べて江雪を呼び出し、刀を奪い取って
左右の手を引っ張り、庭上に引きずった。そして罵って曰く、

「お前が約束に背いたことは、誠に憎むに余りある! その上、日本国の兵を
動かし、主君の国を滅ぼしたことは、お前にとって快いことなのか!」

と、江雪を責めた。これに江雪は顔色も変えず、

「氏直には、まったく約束に背く心はありませんでした。辺鄙の士が愚かだった
ために名胡桃を取り、ついに戦いに及んで北条の家は亡んでしまいました。

その事は、江雪の思慮では、どうにもなすべき手立てがありませんでした。
誠に家の亡ぶべき運命だったのではないでしょうか。

されども、日本国の兵を引き受けて戦ったことは、北条家にとって名誉でした。
この他に申すべきことはありません。早く首をお刎ねになってください」

と言った。すると秀吉の顔色は打ち解け、

「お前を京に引き上らせて磔にかけようと思ったが、大言を吐いて主君を辱め
なかった。大丈夫(立派な男子)と言うべきである。命を助けよう、我に仕えよ」

と言って、彼を許した。板部岡を改めて岡と称したのはこの時からのことである。

――『常山紀談』



235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 14:38:09.50 ID:VfEz0+kO
憲秀「…

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:48:24.26 ID:RIqtraW4
岡江雪斎になったのか

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 21:16:06.58 ID:jjCqT+TR
獏「岡江さん?」

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 01:54:49.33 ID:Axoil3Ue
>>236
岡野融成

家康は己の無知と愚かさを思い知らされたであろう

2014年03月27日 19:03

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/26(水) 20:57:44.68 ID:U78NsWV6
かくて関白(豊臣秀吉)は北条殿(北条氏直)の国に入り、幾つもの地点から戦闘を開始した。
北条殿は若干の城を守りぬくことを決意し、関白の軍勢の包囲と遭遇に備えた。というのは、彼らにとって
自ら出撃して関白と一戦を交えることは適当ではないと思われたからである。関白はこの戦いを命ずるにあたり
贈賄と威力を巧みに使い分けながら、まもなく他のすべての国を支配するに至ったので、彼に抵抗するのは
北条殿の城だけになり、その諸城も徐々に包囲が狭められ猛攻にさらされた。

しかしそうした事態にもかかわらず関白の軍勢の窮状は否定すべくもなかった。何故なら北条殿の城内には
充分な蓄えが有り、多大の兵力を要していたので、人力を持ってしてはそれらの諸城を占拠することは
不可能に思われた。

一方関白の兵士たちは、遠隔の地方の出で有り、長途の旅で衰弱し、豊富な食料にありつけぬばかりか
その点では不足をさえ告げていた。従ってわずか数ヶ月で城を陥落させることは到底考えられず、まして
冬季に入れば積雪のため包囲を継続できなくなって退避を余儀なくされるに違いなかった。
しかもこの撤退の折こそは北条の軍勢にとって待望の機会であり、そのさい思いのままに攻撃し
関白勢を一挙に壊滅せしめようというのが北条方の魂胆であった。

だが我等の主なるデウスは、この人物(秀吉)を日本における聖なる正義の剣と鞭として選び給うたようであった。
彼は運命にも所業にも、極めて恵まれており、また非常に慎重で、とりわけ知恵と策略によって取引する術に
長けていたので、これらの諸城は孤立してしまい、中でも北条殿が家臣たちから取っていた人質の大半が居た
いくつかの城は陥落してしまった。このために、また大抵は関白の贈賄その他の手慣れた手段と策略に
陥ったため、北条殿が主だった武将らとこもっていた主城(小田原城)の兵士たちは戦意を喪失し辟易した。
そして彼らは北条殿の義父にあたる徳川家康の仲介によって城を明け渡すことを詮議し始めた。

降伏の申し出を受けた関白は本件を意のままに裁くこととし、北条(氏直)殿の父(氏政)と叔父(氏照)に
切腹を命じ、氏直自身に対しては剃髪して紀伊の国のある仏僧たちの広大な里である高野の僧院に追放する
事とした。同所には戦いに敗れたものやその他、自らの企てに失敗した不幸な人達が収容されていた。
北条氏直は義父家康の懇願によって生命だけは赦された。かくて北条の他のすべての家臣たちは助命され、
主要な家具を携えて退城することが認められた。

こうして関白はこの四ヶ月間で、従来の勝利のうちで最も名誉が有り、期待以上の勝利を収めた。
なぜなら、彼はこれによって日本全土の征服事業に結末をつけたことになり、その絶対君主となるに至った
からである。

ここにおいて彼は、かねがね腹蔵していた計画の実行に直ちに着手した。それは徳川家康に対して、
彼が当初所有していた都に近い5つの国を手放すように命じ、それに代わって関白は家康に別の同数の国、
ならびに北条殿から獲得した諸国の幾つかを与えることにした。そして家康からの返答を待つこと無く、
それらは全て関白の欲するままに実行された。

おそらく家康は関白に城を明け渡し、北条殿を屈服させることに関して援助を買って出た己の無知と愚かさを
思い知らされたであろうが、彼はこの苦衷を一人おのが胸中に秘めていた。

ルイス・フロイス『日本史』)


ルイス・フロイスによる、小田原陣に関する記事である。




827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/27(木) 01:29:43.02 ID:Voi5/N5n
>>823
小田原の陣だけ珍しく正確な報告だなw

岡部権太夫の指物

2013年03月11日 20:02

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/10(日) 21:36:00.72 ID:ozCl1eoC
天正13年(1585)の秋、北条氏直の軍と佐竹義宣の軍とが、下野国の大和田と藤岡という所にて
対陣をしたが、大合戦にはならず、200騎ばかりでの小競り合いが起こった。

この中に北条方の岡部権太夫と言う者、黒糸縅の鎧に、同じ毛の兜を付け、猪の指物をして一陣に
進み出、あまたの敵と戦ったが、ある敵と引き組んで馬から落ち、上になり下になって
転がったが。終に岡部が上になって敵の首を取り、これを拾って味方の陣に帰ろうとした。

と、その時、彼は自分の指物を落としたことに気がついた。敵にこれを拾われるのも無念の事と
思い、自分の討った首を引っさげて、再び敵陣の方へと向かったのだ。

この岡部権太夫の動きに敵も見方も怪しみ訝しんだ。このよ行動は、心変わりをして
敵に降参するようにしか見えなかったためである。

岡部は敵陣近くまで来ると馬を停め、大音を上げて言った

「ここに在るは下総国の住人、岡部の権太夫と云うものである!
先陣の駆け引きにおいて敵と組み、首をひとつ取ったのであるが、我が指物を落としてしまった!
紋は猪である!

されば、この首は未だ大将の実検に供していない!
我が指物を拾われた御方、どうかこれと取り替えて頂きたい!」

敵はこれを見て、なんとけなげな侍の心ばせだろう。ならば彼に返してやるべきだ、
などと話していた所に、河中喜平次と云うもの、岡部の指物を持って出てきて

「あなたの御心ばせに、やさしくも感じ入りました。これは、お返しいたします。」

と言って差し出した。

これに岡部は
「武士としてその情を深く感じ入っています。出来ればもうひとつご芳志に、指物を指し筒(背中で
指物を固定する筒)に指していただけないでしょうか?」

と言って馬の口を引き返し、後ろ向きになって敵に指物を指してもらい、それから
首を河中喜平次に渡して、味方の陣に静かに帰っていった。

これには敵も味方も、稀代の剛の者かと、岡部を褒めぬ者は居なかったという。
(軍人頓智叢談)




706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/10(日) 22:58:28.39 ID:1vD1W6ZD
猪の紋ってどんなのだろうw

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/10(日) 23:13:51.74 ID:j0aLHUcX
~にしか見えなかった、って・・・
味方の首持って来た奴の降参を受け入れるの?

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/11(月) 07:40:00.46 ID:MN3iRA3L
>>706
真壁氏の旗指物がちょうど猪。
ttp://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/topics/news/photo/h22/07/7-12.html
072302.jpg

珍しい旗指物だとは思うけど佐竹、北条の境界で珍しいかと言われたら
真壁さんが泣いてしまうと思う。

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/11(月) 13:03:44.36 ID:65W20Li6
>>708
おお、乙事主様的かっこよさ


712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/12(火) 20:18:03.83 ID:Xx6Ke432
>>705
既出だな
iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-785.html
当時のランキングで2位になるほどの話(一位は出世の白餅)
iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-821.html
もう4年も前のレスだが

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 07:56:50.81 ID:K8khZqNi
俺はもう四年もスレに張り付いてたのか…(絶句

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 12:31:07.32 ID:e6sbVAIy
>>713
いい話だ


北條ミカン・中国ミカンバージョン

2012年06月24日 21:02

109 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 01:14:49.40 ID:XCF0KyZA
織田信長が本能寺の変で自刃に追い込まれると、その旧領を巡って北条家は徳川家康と争ったが、
上野を北条領、甲斐と信濃を徳川領とする事で和睦した。この和睦の証として、家康の娘である督姫を正室に迎えた氏直は
ある日、家康から中国産のミカンを贈られたのだが、北条家の面々はこれをただのミカンと勘違いし、

「徳川領ではそんなにミカンが珍しいのか。ならば山ほど送って驚かせてやる。」

大箱いっぱいのミカンを送り返した。これを受け取った家康は

「氏直はまだ若いから仕方ないが、老臣たちも一緒になってこんな子供じみた真似をするとは、
 北条家も滅亡の運命にあるな。」

と冷笑したという。




110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:18:04.77 ID:G4W9ko1k
>>109
この話っていろいろなバージョンあるよな



111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:18:46.41 ID:cg09ikiR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6485.html
今月頭にも出た

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:26:45.77 ID:PCMdbXAz
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2892.html
こっちの話だとオレンジだね

統合すると、北条に送られた物候補は、オレンジ、九年母、中国ミカンか

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 01:53:12.07 ID:lQVuy8FS
滅亡した大名って言われ放題だよな(´・ω・`)

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 02:39:06.80 ID:KNx+oA6x
しかし判官贔屓されない不思議
日本人は判官贔屓大好きなんじゃねーのかよー

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:17:14.57 ID:c3mdYiEV
>>114
最近、判官贔屓に拒絶反応が出るようになって
やっぱり時代を作った人のほうが凄いやって思うようになったな

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:48:00.62 ID:CDjhDghM
その辺りは時勢と関係しそうだね
信長みたいな武将に今の閉塞した空気を作り替えてもらいたい

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 04:36:38.31 ID:L7BEoLx5
三条大橋たもとで梟首の後、石櫃に納めて展示するだけの簡単なお仕事です。

名胡桃城奪取と北条氏直

2012年06月24日 21:01

115 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 02:52:45.06 ID:XCF0KyZA
話がかぶっていたとは失礼しました。 もう一つ北条の逸話を…

1586年、徳川家康が織田信長の後継者として勢力を伸ばしていた豊臣秀吉に臣従し、北条家も服属を迫られる状況となった。
家中では、当主の氏直ら恭順派と、家中に強い影響力を持つ父の氏政ら交戦派に分かれたが、家康の

「こちらの説得を聞き入れない場合は同盟破棄も辞さない。」

という強い説得を受け、秀吉に使者が送られる事になった。その後、北条家と豊臣配下の真田家との間に会った領土問題に秀吉が
裁定を下し、北条家もこれを受け入れて、氏政が上洛し臣従の意を示すことで話がまとまりかけた。所がそこに、北条家家臣、猪俣邦憲が
真田配下の名胡桃城を奪取するという事件が勃発した。これに激怒した秀吉から

「必ず氏直の首を刎ねてやる!」

と宣言されると、氏直は

「北条家は何も知りません。父の氏政は上洛させますが、そのまま抑留されるなどの噂もありますので、
 かつて家康殿の上洛に際して豊臣家から人質を出した様なご配慮お願いします。」

といった弁明書を送り、家康にもとりなしを頼んだものの、聞き入れられる事は無かったという。




116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 03:05:32.11 ID:G4W9ko1k
>>115
名胡桃城奪取は秀吉の策略だったっていう説もあるよね

秀吉は最初から北条家を潰したかったのかな

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 08:25:15.88 ID:XlXEwLQX
>>116
どういう策略を使ったら北条に真田を攻めさせれるんだ?
その策略が知りたい

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 08:40:01.57 ID:cfWXMFj4
>>120
北条じゃなく猪俣を羽目たんだろ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 09:25:33.31 ID:UaJtz3Jf
攻めるといっても物理的に攻めたわけじゃなく寝返りだからなあ
はめるのは簡単だろう

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 09:52:41.86 ID:F/V7u639
あの時期は北条がどうあがいても豊臣に攻められるのが確実になったから、
猪俣が北条勢の防衛戦のことを考えて名胡桃城を奪取したみたいだよ。
戦術的な判断で、あの城取ると上野の防御の助けになるとか。
また氏康時代から、本城の小田原で侵攻軍を受け止めて、支城で絡め取る戦法が通用してたから、
豊臣勢にも同様に通用すると思ってたらしい。

でも豊臣の攻勢は一拠点で支えられる規模では済まなくて、
四国や九州を攻めたように多方面から大軍を投入してきた上に、補給も完璧だったからご存じのとおり小田原も落ちた。
完全に秀吉の戦略勝ちで、関東の一武将では思いつかないくらいスケールが大きい攻勢だったんだね。

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 11:18:40.76 ID:5M4ODsf0
>>116
ねーよ
小説真に受けんなw

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 11:50:49.76 ID:lQVuy8FS
北条が生き残った場合の豊臣政権ってのも見てみたい

ナンバー2とナンバー3が縁戚でラスボスもあんまり無茶できないだろうな

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:08:26.20 ID:SG+Vq1CY
>>125
実はそうでもなかったりするんだな
豊臣の対北条の饗応役のその後を見るに

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:14:54.83 ID:G4W9ko1k
>>125
小説で出てたのか

何ていう小説?

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:26:35.09 ID:26aRAo2S
秀吉は何かといえば「北條は必ず滅ぼす」「北条攻めの準備をするように」って発言や指令を出すんだよね。
それこそ小牧長久手から小田原合戦までの8年間、ほぼ絶え間なく。
こういう状況があるから北條もうかつに秀吉を信じるわけには行かなかったし、常に警戒を行う必要があった。

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:29:32.06 ID:1Z8Av8D3
よっさん北条に何の恨みがあって…

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:32:25.85 ID:7p6rjKG8
>>126
秀吉的にはそんなめんどくさい状況にしたくないだろうなあ。
ちゅーことはやっぱり北条はどう対応しても潰されたんじゃなかろうか。

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:32:39.69 ID:u4KHU94P
>>128
真田太平記

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:35:07.14 ID:SG+Vq1CY
北条は織田に協力したのも遅かったし、
その上、本能寺の変の直後にすぐさま織田を裏切っていたしなあ

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:40:59.24 ID:cg09ikiR
>>131
家康「北条からミカンが山ほど送られてきた」
秀吉「これほど見事なミカンを産出する国がそばにある。
北条はなんとしても滅ぼさなければならぬ」
加藤清正(大カトー)加藤嘉明(中カトー)加藤光泰(小カトー)
「そうだそうだ」

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 12:44:09.09 ID:G4W9ko1k
>>132
自分はたぶんほかの小説で見かけたと思う

ちょっと無理があるんじゃないかなあと思ったけどw

136 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 16:40:53.77 ID:+k+xMmvQ
>>124
名胡桃城と沼田城って利根川を挟んでだいたい3㎞くらいしか離れていないんだよね。
晴れた日なら見えるくらいの距離だから、そこが敵方のままでは沼田城を活かしきれない。

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 17:08:07.40 ID:2bQdFUfL
やるおでやる真田家みてると真田パパンがはめたように思えてくるけどな。

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 20:26:10.69 ID:vC4ERPjY
上杉や北関東の反北条諸氏の取次やってた石田三成が北条の上洛を嫌がってた節がある
「北条の兄弟衆が上洛したら事態は最悪だぞ」って警告する書状が残ってるみたいだし
石田ごときの讒言に左右はされないだろうけど、秀吉が北条滅ぼす気満々だったのはこの辺も関係するのかな?

対して家康はギリギリまで秀吉と北条を取りなそうとしてたし、戦後も氏直赦免に奔走した
三成と家康の対立って結構早い段階から始ってたのかな

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:22:44.68 ID:c3mdYiEV
そりゃ氏直は家康の娘婿だもの

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:10:35.42 ID:F/V7u639
氏直が関ヶ原まで生きてればとは思う

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:28:21.99 ID:26aRAo2S
北条氏直は北条家家督であると同時に、
今川氏真養子として今川の継承権を、
武田信玄娘黄梅院の子として武田の継承権を所持しており、
さらに徳川家康の娘婿という、東国大名のサラブレッドにも程がある存在だったりするw


142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:40:51.06 ID:NR1LLmj6
氏直は北条を名乗ってないって話は本当なのかね?

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 11:05:46.13 ID:nkKcnEi3
>>134
Hojo delenda est 乙

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 13:35:44.01 ID:yIl1GZjS
>>141
ラスボス「女ならともかく、男にはいかなる興味もありません」

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 16:03:10.84 ID:9NNhsfhs
>>141
むしろ絶対生かしておけないだろ
旧三国同盟の遺臣をすべて統合できる人物なんだから天下人にとって不発弾でしかない

信長は実子を養子として送り込んで家と権威を乗っ取るかもしれない
家康は事実、娘を嫁がせて敵対しないよう懐柔した
しかし、秀吉は上記の手段をとれないため潰すしかなかった

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 17:31:53.64 ID:TO9LxSsc
そんな血縁だけで統合できるわきゃねーよw

154 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/25(月) 17:37:23.99 ID:11IoEfL6
貴種の血脈は誰かが統合の象徴として利用するには、価値の高い存在だよ。
足利の代々とか、尼子勝久とか
[ 続きを読む ]

黒田如水、北条軍からお礼の品として

2011年04月22日 00:01

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 21:53:34.81 ID:dw5y7kPz
小田原城開城に尽力した事への感謝のしるしとして、北条氏直から黒田官兵衛へ日光一文字、
東鑑、陣貝(北条の白法螺)などが贈られたのは有名な話だが、官兵衛は開城以前にも城から
あるものを受け取っていた・・・

小田原城が包囲され三ヶ月が経った頃、官兵衛は、降伏を勧めながらも敵である籠城軍を称え、
酒と魚を城に送った。
するとその心使いに感じ入った北条軍からお礼の品として、とんでもない物が送られてきた。

なんとそれは「鉛と火薬」

「これを使って、我が城を攻めろ」というのである。
官兵衛が実際にそれを使って城を攻めたかどうかは確かで無いが、戦国の最後に意地を見せた
坂東武者の「敵に塩を送る」ならぬ「敵に鉛と火薬を送る」という話。




81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 00:32:27.54 ID:jzk1FL+4
>>80
直家「差し入れの美酒をどうぞ」

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 00:57:50.19 ID:SN4Zd5cx
>>81

市松「ハイ!喜んでぇ!」

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 01:17:11.58 ID:wVWktayj
敵に情けをかけられる位ならいっそ城と共に華々しく玉砕するぜ!さあこい!ってことか

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 01:57:52.67 ID:+3cSxaUz
城を枕に討ち死にって実例が結構あるんだよな。天正の陣の金子元宅とか
よく命を大事しないのは逃げだとか、虚しいだけとか言われるがそれだけじゃ割り切れないもんがある
命さえ保つことができれば正しいのか、ってのは市松の末路を見ると考えさせられる

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 02:27:11.92 ID:YKRKIGJ2
市松の場合はもう戦の出来なくなった時代だからもうどうしようもない。
まだあれが大坂の人の前だったら。

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 08:16:05.76 ID:mqMtKR8h
弾正さんは、本当に助かる目は有ったのだろうかね

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 12:29:23.21 ID:V9oXlp3h
弾正さんはあそこで本当に助命されてもその後に佐久間みたいに難癖つけられて追放されそう
命を守って注ぐ機会のない市松は哀れといえば哀れだな
全てを捨てて大阪城入ってもどれだけ徳川方に味方をする奴がいるかはもはやわからん時代だけど

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 16:22:04.33 ID:J5Cp6uJ2
真田信繁が大坂の役に参加しないまま早死にしたら
残った家族はどうなってたんだろう?

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 16:34:41.76 ID:V9oXlp3h
伊達にいった姫と討ち死にした嫡男以外知らんのだが信繁の家中って戦後どうなったん?


96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/22(金) 16:37:50.50 ID:+3cSxaUz
>>93
そういう山っ気のある奴もいただろうけど信繁は違うと思うよ
囚人暮らしとはいえ宴会開く余裕もあったし、兄貴からの仕送りで食うだけなら困ってなかった
あのまま黙ってたら信幸の運動で小さい領地くらいはもらえる目算はあったし
さすがに投機精神だけじゃ信繁の大阪入場は語れないっしょ

天正十四年五月の沼田城攻め

2011年01月20日 00:00

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 16:36:51 ID:qraloXDL

>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5046.html
で徳川との同時侵攻も撃退されてしまった北条氏直
こうなったらどうにかして沼田城を落とさなくては面目が立たない。
翌天正十四年五月に、再び沼田城へと押し寄せた。
今回は前回から更に動員数を増やし、実に七万もの兵で上野の片田舎の小城に攻め
寄せたのである。


と、そんな矢先に沼田城の矢沢頼綱から先鋒の北条氏邦宛てにお手紙が届く。

「去年勝てなかったからって、関東中の大名を引き連れてご苦労なこったね。ここ
数年、色々やってたみたいだけど、あいにく俺達はピンピンしてるよ?折角当主が
出馬してるんだし、さっさと攻めて来いよ。相手してやんぜ? 滋野頼綱より」

それに対して氏邦から頼綱へのレス。

「お手紙読んだよ。だって仕方ないじゃん。沼田って山の中で戦いづらいんだもん。
『攻めて来い』ってのは判るけど、俺達もこーゆード田舎って珍しくてさ。まずは
何日か、鷹狩りでもしてゆっくり骨休めしてから行くよ。その間に降参するって言
うなら、いつでも受け付けるよ?まずは落ち着いて考えてね。 平氏邦より」


しかしこんな和やかな文通をしている間に天候が急変、なんと三日三晩に渡って雨
と雷とが激しく続いた。
北条軍は本隊と連絡が途絶えるのを恐れ、沼田城を囲んでいた先鋒部隊を片品川の
南側へと引き上げさせる。
そしてその恐れは的中し、増水した河川は氾濫。北条軍がかけた橋を悉く押し流し
てしまったのである。


「先鋒を引き上げさせたのは正解だったな。まさかこんな事になるとは……」
雨が上がって現れたのは、利根川と片品川の氾濫による惨状。
雨がやんでも尚、濁流は渦巻き、渡河する事も橋をかける事も、到底出来そうにな
かった。

そんな北条軍の目の前。片品川を挟んだ対岸に真田兵が大勢、繰り出してきた。
攻撃か!? どうやって川を渡るつもりだ!?
緊張が走る北条軍を尻目に、彼等はのんびりと鳥を撃ったと手を叩き、鹿を撃った
と大喜びをして狩りを楽しんでいた。



300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 16:37:38 ID:qraloXDL


そして数日後、ようやく川の水も治まってきた頃、沼田城から矢文が届く。

「片品川を渡りたいなら自由にどうぞ。邪魔はしないよ。こっちは待ち草臥れて退
屈してるんだ。早く来てくれ」


「ぬぐぐぐぐぐぐ……」
これほど圧倒的な兵力を持っているというのに、ここまで虚仮にされる屈辱。
橋を掛けなおす手間も惜しいと北条軍は川を押し渡り、沼田城に攻め寄せた。
「一気に攻め落とせ!!我等を虚仮にした報いだ。目にものを見せてやれ!!」
怒り狂った北条軍の勢いは凄まじく、防御側が堀にかかる橋を落す暇もなく大手門
を制圧、城内へと押し寄せる。
続いて三の丸へもこの勢いで押し寄せようという時……

ドォォォォン!!

「な、何事だ!?」
背後で起こった轟音に、皆の足が止まる。
「た、大変です!大手門にかかる橋が落とされました!!……真田軍の忍びによって!!」
「なんだとっ!?」
「わ、我々は退路を絶たれ、城内に閉じ込められましたっ!!」

北条軍に動揺が走る中、三の丸からは弓矢、鉄砲、石飛礫までが雨霰と打ち込まれ
る。
更には三の丸の門が開き、七千の真田兵&民兵が北条軍に止めを刺すべく雪崩を打
って走り出す。
パニックを起こした北条軍は阿鼻叫喚の中、抵抗も出来ずに真田軍に討ち取られて
行った。


そして城外。
堀を挟んで繰り広げられる惨劇を、なす術もなく眺めているだけの彼等にとっても、
これは他人事ではなかった。
「かかれぇ!!」
別の城門から出撃した矢沢頼綱の率いる一千が、目の前の大虐殺を呆然と眺める北
条軍に襲い掛かったのだ。

沼田城に突入した先鋒の部隊は壊滅。
それに続く第二陣も頼綱に追い立てられ、討死にする者、川に流される者は数限り
がない、という状態であった。


散々挑発を重ねられた挙句の惨敗という結果に激怒した氏直は、沼田城を皆殺しに
してやる、と息巻いていたのだが、再び降り始めた雨はまたも周辺の川を氾濫させ
た。
参陣した諸豪族の間に漂う厭戦気分を感じた氏直は、歯噛みをしながらも兵を退か
ざるを得ず、小田原に引き返して行ったという。


なんつーか、挑発の手紙に付き合うなよ、北条さんちもさぁ。(^^;
雑兵には口合戦を禁止してなかったっけ?自分たちでやってどうすんのさ。





301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 16:59:13 ID:Noof9hdA
まさしくこれ↓だなw

ねぇねぇ、また負けちゃったけど
今どんな気持ち?
        ∩___∩                     ∩___∩
    ♪   | ノ ⌒  ⌒ヽハッ    __ _,, -ー ,,    ハッ   / ⌒  ⌒ 丶|
        /  (●)  (●)  ハッ   (/   "つ`..,:  ハッ (●)  (●) 丶     今、どんな気持ち?
       |     ( _●_) ミ    :/       :::::i:.   ミ (_●_ )    |        ねぇ、どんな気持ち?
 ___ 彡     |∪| ミ    :i        ─::!,,    ミ、 |∪|    、彡____
 ヽ___       ヽノ、`\     ヽ.....:::::::::  ::::ij(_::●   / ヽノ     ___/
       /       /ヽ <   r "     .r ミノ~.    〉 /\    丶
      /      /    ̄   :|::|    ::::| :::i ゚。     ̄♪   \    丶
     /     /    ♪    :|::|    ::::| :::|:            \   丶
     (_ ⌒丶...        :` |    ::::| :::|_:           /⌒_)
      | /ヽ }.          :.,'    ::(  :::}            } ヘ /
        し  )).         ::i      `.-‐"             J´((
          ソ  トントン                             ソ  トントン


302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:18:21 ID:zZj+aTex
小田さんの不屈の精神が足りない

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:27:12 ID:/Cs2bbU3
まあここまで来ると嘘臭さが強すぎだけどなw

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:33:03 ID:WdQexWzJ
洗練された挑発だな

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:35:40 ID:rzcxgPVr
どうせ江戸時代の創作だろ
真田が徳川を翻弄したのと話を釣り合わせる
ために北条をボコボコにしたって事にしてるだけ

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:03:18 ID:eMU9QMk0
そこまで負けていれば北条の支配体制にだってゆらぎがあるはずだし、
なにより、動員数万なら、上田合戦よりもはるかに規模が大きいのに
大して知られていないというのがねい。

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:14:14 ID:QnRA4Zjr
かませ犬にするには便利な北条家であった

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:18:07 ID:p0NUjSzr
本家は事実上滅んじゃった北条はどんな事書いてもクレームにはならない

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:20:40 ID:nhzlIoLa
まあ軍記物だから仕方が無いが、天正12年に北条が佐竹義重、宇都宮国綱、由良国繁、長尾顕長
などの連合軍と戦い、北関東での北条優位を確立した沼尻の戦いですら北条の動員は多くても
1~2万なので、真田だけを相手に数万の動員とかありえないわなw

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:22:41 ID:EsQpA7G8
小田原役後のどさくさに紛れて猪俣一族を闇に葬るとか
汚いなさすが真田汚い

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:26:39 ID:2LZG+p4J
実際は壊滅した先鋒ってのも上野衆ばかりなんだろうね
八百長八百長

312 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/19(水) 20:28:13 ID:53N6X4ll
大東建託CMの殿様って誰の設定と思う?

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 21:26:00 ID:OzGs+Brm
加沢記は戦国から100年後の家譜やからねぇ。
島津の朝鮮記とかもだがこの時代の脚色は半端内からしょうがない。
やる夫とか同様物語として楽しめば委員ジャマイカ

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 21:39:58 ID:cMMPyNjZ
死人に口はないのだ

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 21:52:47 ID:Uwayo8Mu
氏邦さんちは藩が存続してたのに・・・

316 名前:299[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 00:59:34 ID:+O6WGFJQ
兵数七万ってのもたいがいですが、「関東の兵全てを率いてきた」と記録されており、
参陣した中には宇都宮氏の名前まで入ってます(笑)

あくまで逸話として投下しているので、真偽については私を責めないでね?
でも、家譜ってどれもこんなもんじゃね?(^^;

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 12:01:36 ID:NPM39iI6
どこも似たようなものだ。
ただ続けて無双ばかりだから、みんな胸焼けしてるってとこやね

318 名前:299[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 14:27:24 ID:+O6WGFJQ
>>317
あ~うん……無双無双としつこいかな、とは自分でも思ってました。
『加沢平次左衛門覚書』を読んで、投下出来そうな逸話はこれが最後かな、と思った
ので、間を空けずに投下しちゃいましたが。
やはり書いた本人が感じてたくらいだから、皆それは感じてたか。

申し訳ありませんでした。とりあえずこれで私の手持ちの真田関連ネタは終了ですの
でご安心を。

319 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/20(木) 14:39:33 ID:l/lm738M
>>318
いやいや、おもしろかったです。乙でした。

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 14:41:10 ID:/jDHX1KO
>>318


321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 14:44:41 ID:Zepgz4bb
>>318
胸焼けどころかとても面白かったよ
乙でした

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 15:17:25 ID:xnTztkBy
真田が北条大嫌いなのがとてもよくわかる逸話でよかったよ

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 15:39:08 ID:nDaZk2mr
>>318
や、逸話は面白かったですよ
ノリでツッコミ入れたがるのはここの住民の性分というか・・・いやスマンカッタ

豆を詰めて背負った農夫がやって来た

2010年10月12日 00:00

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 21:59:09 ID:tXJLgH2L
天正13年(1585)9月、北条氏直は家老・松田憲秀らを率い、混乱続く上野国へ攻め入った。
松田の部隊が途中、白井に陣を構えた時、蓑笠をつけ、藁包みに豆を詰めて背負った農夫がやって来た。

「え~、豆~、豆~。馬のエサに豆はいらんかね~。」
「なんじゃ、おまえ。この土地の者か?」
「へ・・・へぇ。この辺で馬飼いをやってやすが、良い馬が手持ちに無いもんで、余った豆を売りに来やした。
一升あたり十文で、いかがでしょう?」

(いい事思いついた。“あの”馬を連れて来い。)(わかった、“アレ”じゃな?お主もワルよのぅ、ウヒヒ・・・)
「のぅ、農夫よ。おまえ、馬飼いなら当然、馬には乗れような?」「へぇ、もちろん。」
「それは良かった。見よ!あの馬を。」北条兵は、見事な黒馬に金覆輪の鞍を乗せ、引いて来た。

「こんな田舎で、あのような良い馬や鞍は見たこともあるまい。」
「へ、へぇっ!確かに見たことも聞いたこともねぇだ!」
「どうじゃ、少し乗ってみるか?」「い、いいんかい?それじゃあ、ちょっとだけ・・・」
農夫が馬にまたがった瞬間、
「それ、行けっ!!」北条兵は、馬に思い切りムチをくれ、馬は思い切り暴れ出した。

「ひ、ひいいぃぃぃいいい~~~~~!!!」
「あっはっはっはっ!そいつは並の者には乗りこなせぬ悍馬じゃ、しっかりやれよ~www」

農夫は必死で馬にしがみついているように見えた。が、陣の入口まで来ると、意外に達者な乗りこなしで、
馬を鎮めてみせた。すると農夫は、背負っていた藁包みからなんと太刀を取り出し、蓑笠を脱ぎ捨てた。
蓑の下に着るは鎖かたびら、笠を脱いだ頭には懐から鎖頭巾を取り出し、改めて被った。

どう見ても、影の世界の人である。

「真田昌幸家臣・割田重勝、推参!良き馬と鞍を頂戴したこと、誠に有難し。この礼は明日からの戦で、
矢弾を進呈いたすゆえ、松田殿によーくお伝えくだされや。では、さらば!」

あまりの事に固まっていた北条兵が、あわてて追いかけた時には既に遅く、割田は陣を遠く離れ、
片品川を渡っていた。のちに割田は、馬は昌幸に、鞍は矢沢頼綱に献上し、
『古今稀なる大胆なヤツ、あるいは痴れ者』と、敵味方双方から恐れられたという。


>>587で忍者の評判が地に落ちてるので、忍者の最盛期の、仕事してる人の話を。




635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 22:14:46 ID:AN9VeYtb
てっきり豆に毒ってオチかと思ったら

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 22:27:29 ID:8TKbdwlz
これ豆知識な

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 22:50:05 ID:sTbWEKz6
馬と鞍を別々に献上するとは、マメなヤツだな

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 23:01:46 ID:KfRjcz5a
ちょっと格好いい

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 23:19:25 ID:0JygZ3hb
ウマい事をする

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 23:26:45 ID:LPeVKaRw
馬を乗りこなしたことで忍びの者とばれてばっさりやられるのかと思った

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 23:29:23 ID:KXCRjTFH
仕事してる…?
どういう仕事なんだこれ

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/10(日) 23:43:28 ID:1ExIhoML
本来は偵察任務だったらしい。

ちなみにこの割田さんはどうも手癖の悪い人だったらしく
1618年に盗みを理由に討たれている。幸隆の代からの人なんだけどね…

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 00:05:03 ID:K+rI7dj3
幸隆の代から仕えてこの逸話、更に33年後に・・・するってぇと!?
もう手癖悪いってLvじゃねぇぞwww

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 00:11:11 ID:0g27W5jL
盗癖っていうのはアル中とかギャンブル中毒とか覚醒剤中毒と一緒で一種の行為依存症。
基本的に死ぬまで治らん。
脳に「盗む=快楽」っていう回路ができちまうんだな。

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 00:43:41 ID:W1e26Rzu

>>645
幸隆の岩櫃城攻め(1561)からの人というから半世紀以上仕えていた事になる。
そんな古参中の古参の最期が…何か裏があったんじゃと思えてくる。

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 00:55:10 ID:QfFqngBE
ついつい馬を盗んじゃう
→キレた北条が攻めてくる
→お兄ちゃんが出陣してまた寿命が縮む
(以上のようなことが何回もあって)
→これ以上寿命を縮めないように、と家臣が気をきかせて殺す

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 02:10:46 ID:hMnC59TB
>>634
「古今稀なる大胆なヤツ、あるいは痴れ物」

なんかツボにはまったwww

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 03:59:26 ID:WfZCbWaa
>>647
>そんな古参中の古参の最期が…何か裏があったんじゃと思えてくる。

本格的にボケたんじゃね?

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/11(月) 07:07:08 ID:K8Ku1fqH
幽閉された姫の心を…
…いや、なんでもない

北条氏直と梶原景宗

2010年10月07日 00:01

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 09:32:24 ID:ylzRGq2Q
北条水軍に梶原景宗という将が居た

元は紀伊国出身の海賊と言われるので高尚な血筋でも剣豪の親戚でもない
近年では単なる水軍指揮官ではなく海運流通を取り仕切っていたのではないかとの説もある

秀吉の関東征伐において梶原景宗は九鬼、面倒な本多を中核とした豊臣水軍に敗れた
そりゃあもう、数日の内に伊豆から小田原にかけての水軍の拠点を悉く失うくらいに負けた
一部史書では死んだ事にすらされた

が、どっこい彼は生きていた
小田原の役で敗れ流された北条氏直に従って紀伊高野山に入っていた事が確認できる
譜代の臣下でもない彼が氏直に従った理由は不明
当時の氏直の生活は苦しく年賀の品を揃えるのに借金すらしていた
梶原景宗はそんな主君の年賀に彩りを添えようと走り回った
その成果は氏直近侍の山角直繁のテンションを上げるに充分であった

直繁「殿~!」
氏直「何だ、騒々しい」
直繁「海苔が、海苔が!」
氏直「はぁ?」

江戸時代に養殖技術が確立するまでの海苔とは天然物の生海苔の事
沿岸出身の北条勢にとっては慣れぬ山間部での生活で光る宝石の様に思えたのかも知れない
ちょっと逸れるが海苔は温暖な海域を好む
当時は気象学的に地球全体が寒冷期であり、しかも季節は冬である
本当にどこから入手したのやら
ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた

若葉の生い茂る頃、北条氏直は高野山での謹慎を解かれ大阪の旧織田信雄邸に館を移した
もちろん梶原景宗も主君の近所に移り住んだ
当初は所領を持った訳でもないので氏直や近従も懐は依然寂しいまま
この頃の借用書、返済計画書も現存している
そんな困窮下でも梶原景宗は主君に祝を送った

直繁「殿、梶原殿より転居祝いが」
氏直「ほう。で、何か」
直繁「目録。贈、鯖五十」
氏直「な…んだと…?」
直繁「ですから鯖五十匹」
氏直「この真夏にか?」
直繁「はい」
氏直「冷蔵庫に…」
直繁「殿、左様なオーパーツは。せめて氷室と…」

贈答書状は現存するがこの鯖が如何に食されたかは不明

半年後
僅かながら所領を与えられ妻の督姫も呼び戻し本格的に御家再興が叶わんとする直前に氏直は病に倒れた
死因は疱瘡とされる
鯖にあたった…訳ではなかろうがとにかく養子で叔父氏規の子氏盛が北条宗家を継ぐ事となった
氏盛は氏規死後にその遺領を相続し本格的に大阪狭山藩主として後北条家再興を果たすのである
しかし、狭山に梶原景宗の姿はなかった
彼は出身地の紀伊に帰り、帰農したとされている




527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:01:31 ID:NJCtQKg3
>>523
> 直繁「ですから鯖五十匹」
> 氏直「この真夏にか?」
> 直繁「はい」

わらたw
まあ保存用に干したものなんだろうけどw

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:05:29 ID:YUN4hJqp
大阪なら新鮮なサバでもおかしくない

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:07:30 ID:/sPbZNFN
真夏だぜ?
腐っちゃうよw

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:07:56 ID:tli2yO8o
サバの生き腐れという言葉があってだな

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:14:16 ID:YUN4hJqp
半日程度じゃ腐らないよ

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:25:48 ID:o3TVgZCu
こんにちは私アニー、氏直さんの胃と腸に旅しに来ました

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 11:11:22 ID:LK5owhGY
>>532

つ 炎炎炎

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 11:15:00 ID:Fg0rOEKz
紀伊の人なら、馴れ寿司用の発酵させた鯖じゃないかな

>>532
旅行と称して居座る不法滞在外国人のようだw

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 13:45:18 ID:LzGBAUyf
>>523
>ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた
安心の北条クオリティだなw

伊豆海賊衆と言うと怪力の清水康英さんやいろんな物を禁止するきっかけになってしまう
富永山随さんが思い浮かぶけど、実は梶原さんも相当なポジションだよね。

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 18:49:16 ID:NJCtQKg3
>>535
> 安心の北条クオリティだなw

さすが礼法の伊勢氏らしいよねw

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 22:53:05 ID:UFreW+e3
>>532
氏直のお腹の中で「トゥモロー、トゥモロー♪」って歌い出すのかw

悪代官のお話。

2010年09月23日 00:00

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 15:04:24 ID:8zSTHjst
悪代官のお話。

天正十四年の春頃といえば、北条氏直は沼田近辺の攻略に躍起になっていた時期である。
そんな折、武蔵国品川で百姓の逃散が発生した。
夜逃げの類ではなく、組織的なストライキで、声明文もきちんと発表している。
いわく、

・税金の滞納分は減免しろ
・相談もなく勝手に伝馬役を徴発するな
・年貢の納入に際して、代官が余分な付加米を強要している
・年貢米を計量する時、ムシロにこぼした米を代官が着服している。百姓に返還しろ
・代官が私的に人足徴発をしている

とまあ、絵に描いたような悪代官を告発している。
北条家は「氏直様が帰ってくるまでに田畑に戻ること!でないと死刑だからね!」
と脅しをきかせているが、代官の非法は処分せねばならなかった。

北条家、この手の「代官の非分を訴える!」系の訴訟が結構あるが、
それだけ行政制度が発達していたということか。




212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 18:16:41 ID:hqcohMXd
>>210
北条家は善政を敷いていたみたいだね
記録に残っていないけどこの後入った徳川は苦労しただろう

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 18:19:12 ID:0vJgEmij
>>210
流石に北条領は百姓の発言力が強いな。

でもこれは代官がかわいそうな気がする。

代官がかけた付加米は欠米、口米に当たるものなんだろうし、
この手の付加税は地租改正までは全国で一般的に徴収されているもの。
莚にこぼれた米が役人の取り分になるのは江戸時代でも一般的だった慣習だしなあ。
伝馬役や人夫徴発はよくわからないけど税金減免要求は代官の非によるものじゃないし。

結局、代官はどういう処分されたんだろうか。

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 18:35:21 ID:/HDFxvcV
旅の僧「前来た時より条文が増えてる、北条オワタ」

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 23:07:09 ID:q3fui8mL
>>212
氏康の頃に、身分に関係なく裁判が行える制度を作っている。
それだけ先進的ということ。

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 23:32:22 ID:Qam7hPH4
虎印判のない徴発や租税は厳禁だから訴えろよ
てなお触れがあったような

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 04:28:13 ID:e20CxR05
北条氏は他国に比べて安い税率からわかるように、肥沃な国土と河川・海運を用いた流通で相当豊かだったんでしょうね。
それだけに飢饉の度に謙信や信玄による略奪遠征が開催されるわけですけども

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 08:12:04 ID:SYuyIJCM
絶対「豊か」じゃないと思うぞ。
家康や秀吉との外交で送った贈り物の目録がかなりショボいし、
しかもその程度の贈り物のために領内に臨時増税かけてるしな。

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 08:51:56 ID:xQeGZTHo
北条さんは、結構ギリギリの取分でやってるからキッチリ収めてくれないと困るってなんかで読んだなぁ~


221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 10:19:06 ID:fgjrLBJy
北条さんは税率やら公共料金が他国に比べてとにかく安くて、必然的に異常に効率的な
組織運営を必要とし、それがプレ近世大名と言われるほどの体制を作り出した。

どのくらい安かったかというと、例えば>>216の言ってる司法制度改革の時に
裁判費用も、下手すると他国の100分の1くらいの、超低額に引き下げて、庶民でも普通に
負担できるレベルにまでした。
おかげで北条領民はみんな裁判するので、戦国大名としては異例な
膨大な裁判関係の資料が現代に残されたw

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 11:03:55 ID:QlzegUgz
北条家はある意味戦国自体のアメリカ合衆国(19世紀後半の)だなあ
「戦争はとりあえず数」
「裁判大好き」
「畿内=旧大陸の利権争いに知らん顔」
「当時最大の日本国内フロンティア(未開拓平地)保有大名」
 


223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 12:32:10 ID:zrDA22uz
租税安いと人口も増えるし戦の時も予め士気が高くなるな。

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 16:17:03 ID:obPbjp1l
徳川が統治に苦労した逸話とかある?

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 18:10:58 ID:+Ltvfr9e
>>221-222
そのあたりを包括的に格好良く纏めると、良い本ができそうだ

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/23(木) 18:29:12 ID:PoGcZU60
>>225
「百姓から見た戦国大名」ってのがあるね。北条家の農政や訴訟制度なんかも触れてたり
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