912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/30(木) 13:58:13.14 ID:vgUkxAIX
(第一次国府台合戦の時。足利義明の討死後)
義明はさしもの大将なれども、運尽き果てむざむざと討たれ給う。
佐々木四郎、逸見八郎、佐野藤三、町野十郎以下、御馬廻は深入りして戦ったが、大将の御討死と聞いて、
今や誰がために戦をするというのかと各々馬を乗り放し、大将の死骸を枕として自害する他はないと各々馳せ行った。
そこへ逸見山城入道(忠次入道祥仙。小弓公方家の重臣)が馳せて来た。山城守は右臂を斬られ、
草摺に立つ矢は少々折掛け、彼らに理を尽くして申すには、
「皆々が自害なさるのは武士の本望である。しかしながら、小弓に残し置いた若公達を誰が隠せるというのか。
定めてむざむざと生け捕られて、名将の御一跡を匹夫の蹄にかけては口惜しいことであろう。嘆いても余りある。
此度の命を全うし君達を落とす謀をなし、時節を見合わせ先君の恨みを死後に報じなされば、君も嬉しく思し召すであろう」
だが彼らは一同に申し「口惜しきことを宣うものかな!ここを逃れて再び誰に面を合わせられようか、自害せん!」と留まる。
山城守は重ねて申して「これは各々の誤りなり!“死を一途に定むるは近うして安し。謀を万代に残すは遠くして難し”という。
ただ早く早く!」と勧められ、彼らは伴って小弓へ帰り若君に御伴して御宝物を取り、御殿に火をかけ房州へ落ちて行った。
山城守主従2騎は義明の御骸の辺りで馬から飛び下りて扇を挙げ、
「これはこの日頃、鬼神のように申しつる鎮東の将軍、源の義明と聞こえさせ給いし御内の侍にて逸見山城守という者なり!
小田原方に我と思う者あらば、押し寄せて首を取れ!」と扇を挙げて招けば、
小田原の住人、山中修理亮が名乗り近々と寄って来た。
山城守は馳せ寄り「御辺は氏綱(北条氏綱)の家人某と見えるな。我が首を取って高名にせよ!」
と打って掛かる。山城守の郎等が主を討死させまいと馳せ並ぶところに、修理亮の郎等が数多馳せ来て取り籠めば、
ついに山城守は修理亮に首を取られたのであった。
かの義明朝臣は久しく両総州に逆威を振るい、諸人は龍蛇の毒を恐れ、万民は虎狼の害を嘆いたのだが、
たちまち滅ぼされて跡は長く絶えたために、氏綱の武功の程を感じぬ人はいなかったのである。
――『異本小田原記』
逸見祥仙は義明の還俗以前から仕え奉行人も務めた筆頭家臣だったが国府台合戦で主君と運命を共にした
918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/31(金) 12:28:31.64 ID:QFDIs+Zb
>>912
さすが祥仙
最期はかっこいいな
919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/31(金) 13:09:49.98 ID:xqwcfrJj
甲斐守護になれなかった末裔さん
920 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/01/01(土) 03:45:35.97 ID:dsmJJ+f6
謹賀新年。
>>912
この敗兵の動向によって小弓義明の血は喜連川公方まで繋がって行く
--の、ではあるが、
関東の王を夢見て古河晴氏と雌雄を決せんとした義明は、鉢植えの花となった末裔を泉下からどう見ていたか。
(第一次国府台合戦の時。足利義明の討死後)
義明はさしもの大将なれども、運尽き果てむざむざと討たれ給う。
佐々木四郎、逸見八郎、佐野藤三、町野十郎以下、御馬廻は深入りして戦ったが、大将の御討死と聞いて、
今や誰がために戦をするというのかと各々馬を乗り放し、大将の死骸を枕として自害する他はないと各々馳せ行った。
そこへ逸見山城入道(忠次入道祥仙。小弓公方家の重臣)が馳せて来た。山城守は右臂を斬られ、
草摺に立つ矢は少々折掛け、彼らに理を尽くして申すには、
「皆々が自害なさるのは武士の本望である。しかしながら、小弓に残し置いた若公達を誰が隠せるというのか。
定めてむざむざと生け捕られて、名将の御一跡を匹夫の蹄にかけては口惜しいことであろう。嘆いても余りある。
此度の命を全うし君達を落とす謀をなし、時節を見合わせ先君の恨みを死後に報じなされば、君も嬉しく思し召すであろう」
だが彼らは一同に申し「口惜しきことを宣うものかな!ここを逃れて再び誰に面を合わせられようか、自害せん!」と留まる。
山城守は重ねて申して「これは各々の誤りなり!“死を一途に定むるは近うして安し。謀を万代に残すは遠くして難し”という。
ただ早く早く!」と勧められ、彼らは伴って小弓へ帰り若君に御伴して御宝物を取り、御殿に火をかけ房州へ落ちて行った。
山城守主従2騎は義明の御骸の辺りで馬から飛び下りて扇を挙げ、
「これはこの日頃、鬼神のように申しつる鎮東の将軍、源の義明と聞こえさせ給いし御内の侍にて逸見山城守という者なり!
小田原方に我と思う者あらば、押し寄せて首を取れ!」と扇を挙げて招けば、
小田原の住人、山中修理亮が名乗り近々と寄って来た。
山城守は馳せ寄り「御辺は氏綱(北条氏綱)の家人某と見えるな。我が首を取って高名にせよ!」
と打って掛かる。山城守の郎等が主を討死させまいと馳せ並ぶところに、修理亮の郎等が数多馳せ来て取り籠めば、
ついに山城守は修理亮に首を取られたのであった。
かの義明朝臣は久しく両総州に逆威を振るい、諸人は龍蛇の毒を恐れ、万民は虎狼の害を嘆いたのだが、
たちまち滅ぼされて跡は長く絶えたために、氏綱の武功の程を感じぬ人はいなかったのである。
――『異本小田原記』
逸見祥仙は義明の還俗以前から仕え奉行人も務めた筆頭家臣だったが国府台合戦で主君と運命を共にした
918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/31(金) 12:28:31.64 ID:QFDIs+Zb
>>912
さすが祥仙
最期はかっこいいな
919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/31(金) 13:09:49.98 ID:xqwcfrJj
甲斐守護になれなかった末裔さん
920 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/01/01(土) 03:45:35.97 ID:dsmJJ+f6
謹賀新年。
>>912
この敗兵の動向によって小弓義明の血は喜連川公方まで繋がって行く
--の、ではあるが、
関東の王を夢見て古河晴氏と雌雄を決せんとした義明は、鉢植えの花となった末裔を泉下からどう見ていたか。
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