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「続武家閑談」から「信玄対謙信伝之事」

2023年03月26日 18:52

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/25(土) 22:46:11.27 ID:hu1HyIr1
「続武家閑談」から「信玄対謙信伝之事」

謙信と信玄の取合の時分、謙信軍が境を越えてきた。
このとき信玄は一の手に若武者を、二の手に老功の武者をあて、川を前にして布陣した。
これを見た謙信は合戦にかかろうとはしなかった。
この理由だが、一の手の若武者は「老人の前で逃げ腰でいられようか」といよいよ励むだろうし
二の手の老功の武者は「若武者がこうも頑張っているのに劣っていられようか」と進むため、強兵となるからだという

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/25(土) 23:06:10.78 ID:hu1HyIr1
(続き)
また、信玄が北条と取合の時、北条常陸介の黄八幡の指物を拾ってきた。
(地黄八幡だから北条綱成だろう)
北条の勇猛で有名な常陸介が我が軍の勢いを恐れて指物を捨てて逃げた、と山県昌景をはじめ皆これを笑った。
信玄は「おそらく差し替えの指物を下人が落としたのだろう。
常陸介は隠れなき弓取である。これにあやかって誉を取れ」
とそのさしものを真田隠岐(真田信尹?)に賜った。
真田隠岐は其歳二十三歳であった。
この真意は、敵に怒りを含ませては無理な働きをさせてしまうからである。
常陸介も三千の大将であるので、より必死で戦うようなら難敵となるからだ。
北条家でも指物を落としたことで常陸介が嘲られていることだろうと落胆していたところに、信玄の批評を聞いたのでほっとした。
常陸介もこれを聞きおよび、よろこんで涙を流したという。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-497.html
武田信玄と、北条綱成の地黄八幡の旗・いい話


後の方は一応出ていたけど、真田昌幸に与えられたことになっていた



740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/26(日) 10:53:20.18 ID:AqAmt3K9
まだ真田宝物館に旗があるようだ
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その発する心を奪いたくありません

2019年10月07日 16:17

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/07(月) 10:32:47.96 ID:pgNXkZXb
第二次国府台合戦の時の事

江戸城の遠山丹波守直景、葛西城の富永四郎左衛門政家は、北条氏康配下の剛勇の者と知られており、
大敵が眼前に現れたというのに人の助けを借りては屍の上の恥辱であると、取るものもとりあえず、
ありあわせの人数を率いて、遠山は行徳筋、富永は小松川筋から駆け出したが、氏康の下知も受けずに
先陣を切っては後の聞こえもどうかと思い、福島、松田の陣へ使者を走らせ存念を述べた所、

「いかにも武人の本意黙し難し。その意に任せ、存分に働け。」

と返答された。

しかしながら北条氏政の陣では、氏照、松田父子が不満で「今しばらく考えてから返事をするべきで
あった。」と言った。北条綱成はこれを聞くと笑っていった。

「身、不詳ながら軍勢を指揮する命を受けた以上は私の一存を通します。これまで松田殿や
この綱成が先駆けするのは珍しいことではなく、今後もまた先駆けして手柄も立てることでしょう。
しかし、戦いに臨む最大の目的は勝つことであり、自分の功名手柄はその次の目的です。
まして里見、大田の二将は関東に於いては一、二を争う大敵です。遠山、富永の両名も当家誉れの
大将ですから、互いに眼前の敵を見ては、これを止めることは出来ません。
先陣を望むからには、遠山、富永も生涯をかけての粉骨を決意しているのでしょう。

いやしくもこの綱成、その発する心を奪いたくありません。」

そう諭すと、氏照も松田もその気持ちが解ったのか、重ねての言葉は返さなかった。

(関八州古戦録)



257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/07(月) 20:09:07.74 ID:xQy0MzwH
綱成かっこよすぎる
氏照と松田さんも良いね

一つ提灯

2018年01月24日 18:36

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/24(水) 05:54:22.06 ID:oHBascNf
北条左衛門大夫(綱成)家中に、相州甘縄の住人、三好孫太郎という勇士があり、彼は指物に
提灯七つを付けており、「孫太郎が七つ提灯」と言って、隠れない物であった。

そのころ松山肥後守寄騎に山下民部左衛門尉という者がいたが、彼の指物は六つの提灯であった。

天正十三年の秋、北条氏直佐竹義宣が下野において対陣を張り戦ったが、この時、
三好孫太郎山下民部の六提灯の指物を見て馬を寄せ、尋ねた

「其方の指物に、何か仔細はあるのか?」

「提灯に何の仔細があるものか。我の好みだ。」

これを聞くと孫太郎は憤った
「武功を積まずして六ッ提灯は指して良いものではない!あれは天文十五年頃、上杉と
北条氏康公が武州において合戦した時、私は一番槍の誉れあり、氏康公より褒美の感状があり、
その時私は、一つ提灯を指物として頂いた。その後また忠ありて、二つ提灯を指す。三度功ありて
三つ、四度五度六度七度忠勤を抜きん出て、重ね重ねの功により、この七つ提灯を授かったのだ。
故に、孫太郎が七つ提灯と名が付けられ、関八州に隠れないものとなったのだ!」

馬上にてこのような問答となった。

その日の競り合い戦に、佐竹方に大石八郎という者、釣り鐘の指物を指すていたが、彼は名乗りを
上げると

「諸人に先立ち、我と思わん者あらば組んで腰部を決せよ!」

そう言って長刀にて斬って回る所に、山下民部馳せ合わせ、馬上から組んで双方落馬した。
民部は大力であったので、八郎を組み伏せ首を取った。

この時、ふと気が付き、自らの指物のうち、提灯五つを切り捨て、一つ提灯にして指した。
人々はこれを見て、「民部左衛門は問答してから時を移さず誉れを顕し、一つ提灯を指すこと、
かつて聞いた孫太郎の武勇にも劣らない!」
そう賞賛したという

(北條五代記)



592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/24(水) 23:37:21.30 ID:ztqaLHlA
ちょっとカッコいい話だな

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/25(木) 00:34:38.71 ID:kYpqHmCq
山下(あっこれ面倒くさい人だ、次にアピールしとかないとなあ)

賞賛してるのが人々で、三好さんの評価が無いのも気になる

河越夜戦の事

2015年05月07日 18:49

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 21:17:42.95 ID:6Q3hoisF
永禄6年(1563)、北条と武田の松山城攻めの時のこと。
武田信玄北条氏康に、かつての河越夜戦の様子を聞きたいと所望した。
しかし氏康は「信玄殿のような戦巧者に話すのはお恥ずかしい」などと遠慮したが、信玄は

「私は氏康殿より6つも歳劣っております。学問として、お話を承りたい。また嫡男である義信にも
聞かせてやりたいのです。」と、しきりに所望したので、ついに氏康も語り始めた

「川越の夜戦は天分7年7月の一五夜(原文ママ。天文15年(1546)4月20日の間違い)であったと記憶している。

敵は山内・扇谷の両上杉。その人数は8万6千ほど。一方の我々は、、伊豆・相模の両国を領有していたものの、
1万の人数を駿河・甲州との国境に置き、安房の里見への警戒のため三浦にも人数を置いたため、
残った8千の人数を引き連れ、入間川まで進軍すると、敵3万ばかりがこちらに向かって来るのを見て、
早々に小田原に引き退いた。

この時、諜報の者共を出して調べさせると、敵は『氏康は逃げた』と笑い事に沙汰していると聞こえた。
良き沙汰であると思った。
5,6日してまた出陣した。そして前と同じように、敵が向かってくると早々に小田原に撤退した。
敵の沙汰を調べさせると、「氏政はもう出てこないだろう。仮にまた出てきたとしても、いつもの様に
逃げ出すだろう。」と取り沙汰している事が解った。

ここで私は、彼らの沙汰が両上杉による謀略であるという疑いを解き、入間川の端まで出撃し、
人を出して様子を調べさせると、「氏康はどうせまた逃げるだろう。構わずそのまま置いておけ。」と、
敵方は申していることが解った。

そこで私は、8千の人数に白い紙で作った胴肩衣を着せ、
「敵の首を取ってなならない。斬捨てにせよ!そして敵であったとしても、白いものを着た者は
斬ってはならない。また、敵を斬りかけていたとしても、後ろから貝の音が聞こえたら、そこに
集合するように。」と、三カ条を申し含めた。

夜の子の刻(0時頃)、両上杉の旗本が駐屯していたかしわ原という所に斬り込んだ。そして
八つ過ぎ(午前3時頃)まで敵を討ったが、味方の死傷者は100人も居なかった。
後で調べさせると、上杉家の者達は、雑兵合わせて1万6千ほど討ち死にし、1万あまりが負傷して敗軍した。
逃走する両上杉は我らが軍を警戒するあまり我先にと逃げ落ちたため、合戦はこの氏康の利運と成った。

しかし、これは氏康の手柄ではない。この勝利は北条上総介(綱成)と、”ため”という者が剛強であった
故なのだ。

私が中武蔵にて少しばかり切り取ったところを、上総介に与えた所、彼はその所領を自分の欲のために使わず、
それを使って上杉家を背いた侍達500人ばかりを抱え、良き人質を取り小田原に指し寄越し、
川越の城を強靭に持ちこたえた。

また”ため”は河越夜戦の時、50人の足軽を引き回し、私の脇に寄り身構え、夜が明けてもこの氏康を
守護した。そしてこの松山の城に退き籠もった。

上杉家の侍大将たちは弓矢巧者の衆であるから、一旦退いたといえども、氏康の軍勢の人数を見積もり、
疲労したところに掛かって氏康を討とうと戦場に再び押し寄せたが、氏康は既に松山城に堅固に籠もったと
聞いて、流石の侍大将達といえども、上杉敗軍して総大将が居ない状況であったので、どのようにするかと
いう議論がが紛糾した所に、上総介は川越城から出撃し、上杉勢を追い崩し、直ぐに松山城に入って
私を守護し、このあたりの仕置を行った。
その後、川越の城には大同時を置き、上総介は玉縄城で安房を警戒し、氏康のため良くしてくれている。」

この話を聞いた信玄は、自分の陣屋に戻ると、馬場民部(信春)を呼んで言った
北条氏康の弓矢、手立て、だいたい解った。」

(甲陽軍鑑)
北条氏康、信玄に河越夜戦について語る、というお話。




942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 21:22:24.79 ID:UDS3Nmt/
>「北条氏康の弓矢、手立て、だいたい解った。」

最後でお茶吹いたわw

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/06(水) 22:07:38.77 ID:dHplT8NS
えらく長いなと思ったけど、最後まで読んで
ちょっと悪い話として秀逸と思った。

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 02:51:42.66 ID:EwhgJU5F
これで分かるわけないんだよなあ

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 03:10:35.47 ID:W26AB9aq
で、ため って人は誰に当たるの?
風魔か

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 03:30:39.63 ID:sa/Ml6Bk
ためは多目だろ

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 04:01:13.54 ID:GDeBRSsV
多目元忠だろうね。北条五色備の一人で黒備。
北条綱成と双璧を為した武将で、氏康の軍師だったとも。

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 05:48:28.41 ID:ObHfsY57
安心の軍鑑w
信玄を持ち上げてるつもりで書いたんだろうが、単なる小知恵者にしか思えないよw

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 09:57:41.61 ID:NzRwIDv/
>>942
馬鹿にしてるようでワロタw

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/07(木) 15:43:37.44 ID:ow36jQfs
永禄6年だと馬場民部じゃなくて美濃なんじゃ?とか細かいとこが気になった

『綱成の必勝法』

2012年08月10日 21:41

978 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/10(金) 01:12:18.75 ID:OQ3zvEtU
『綱成の必勝法』

北条家の関八州制覇に大きく貢献し、北条姓を与えられる程の武勇を持つ北条綱成には野戦で必ず使う必勝法があった。

綱成は大将であるのにも係わらず先頭になって常に「勝った!勝った!」とおらびながら突撃した。
これには味方も奮い立ち、敵方はいつも総崩れになった。
この辺りは蒲生氏郷に似てなくもない。

常勝を誇る綱成の地黄八幡の旗を見ただけで敵は戦慄して意気消沈したという。
(名将言行録)




979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 04:07:17.63 ID:q3WwlswE
「ヒャッハ~!ヒャッハ~!」

…こうですか?

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 07:10:33.88 ID:8e3KaaCg
>>959
節子、それ橘ちゃう、橙や
橘みたいな格好の良いもんちゃう

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 07:59:19.24 ID:Ryr+cPBW
>>981


984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 08:00:26.40 ID:QiRCOUcY
>>979
「うぬら、ワシに続けぇい!!」

内海賢二さんの声で脳内再生してください

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 08:40:34.89 ID:bTTFcxLi
綱成って北条姓を与えられたんだっけ?
与えられたみたいな話あったっけ?

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 08:58:39.05 ID:DglvCBsT
使えるやつだから一門にしようってことじゃなかったっけ?

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 08:59:54.52 ID:ZCX9dULq
>978
黒田さん家も先頭に立って戦ってたのにこの評価の差はいったい

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 09:41:24.08 ID:w7Q4AuU3
綱成ってもしかしたら北条家3代目当主になってたかもしれないんだよな。

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 09:47:43.14 ID:hzrsj5qo
>>985
たしか、氏康さんの妹婿じゃなかったかな?

>>987
「一人しかいない跡取り」と「能力を買われた入り婿」じゃ、その地位に求められる行動はおのずと違ってくるわな~
って、マジレスしてみるわ

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 11:30:22.86 ID:q3WwlswE
氏郷さん、あなたには求められていませんよ…

991 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/10(金) 12:16:33.85 ID:OQ3zvEtU
北条氏綱の娘を娶っているね。
後に名将になる氏康は幼少時は才気乏しく氏綱を擁立しようとする声もあったらしい。

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 12:55:45.86 ID:WLFh4AEK
親父とされる福島正成の福島をくしまと読むと知った時は驚いたな

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 18:08:56.08 ID:bTTFcxLi
綱成って入り婿でよかったんだ
いつか氏綱の娘を娶ったが一門ではないみたいのを見たから普通に福島から北条へ改姓しただけだと思ってた

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 18:08:56.08 ID:bTTFcxLi
綱成って入り婿でよかったんだ
いつか氏綱の娘を娶ったが一門ではないみたいのを見たから普通に福島から北条へ改姓しただけだと思ってた

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 21:05:14.60 ID:ZH26C3W8
福島正成と言えば2度死んだ(※死亡年が2説ある)人だな

999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 22:31:50.24 ID:j/7Ns+y2
綱成も伊勢氏出身説あるからなぁ

1000 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 22:51:05.88 ID:ZfC0qa9S
北條研究界隈だと、伊勢宗瑞の一門である伊勢氏出身説が有力だね>綱成

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 23:50:04.36 ID:nbYqh1lO
前スレ988
それは北条為昌のことで、綱成ってのは勘違いらしいよ

中田與三さん、管理人を任されて

2011年03月08日 00:00

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/07(月) 17:23:42.44 ID:S0PMf4f/
黄八幡・北条綱成の家臣に、中田與三という人がいた。
この中田さん、綱成麾下でも武功の士として知られた男だったのだが、北条家の没落後牢人した。
しかし新しく関東に入ってきた徳川家康の旗本、石谷十蔵と知り合いであったらしく、石谷が新たに与えられた
200石の所領に、その管理人として住むこととなった。

さて、時に石谷の所領というのは、元々600石の土地だったものを三つに分け、その一つを与えられたものであった。
石谷はそこを中田に任せっぱなしにしていたのだが、ある時初めてその土地の見廻りに行った。

…と、そこで石谷は大いに驚いた。三つに分割されたその土地のうち、隣などはよく整備され松山なども出来ているのに、
自分のところは恐ろしく荒れ果てているのだ。
さすがにあきれ果てた石谷は

「與三さん、これじゃああんたに預けた意味が無いじゃないか!せめて植林や接木くらいはして置いてくれれば…」

と愚痴ると中田

「いやいや、そう言うことではないぞ!
貴殿は今の今まで、自分がもらった所領がこんな腐りきったところだとは思いもよらなかったであろう?
それなのにわしがこの土地を立派に改良してしまえば、最初からこうだったと思われわしの手柄に
ならんではないか!よってそんな事に力をいれるわけにはイカンと、このままにしておいたのだよ。ガハハハハ!」

この中田與三、綱成麾下だったということはこの頃にはもう、相当のお年寄りだったと思われる。
しかし歳はとっても身に染み付いた武功思考にゆらぎ無し!まことに元気な老勇士であった。

そんな、武功を讃えられた武士の思考パターンがなんとなく見えてくるおはなし。




151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/07(月) 17:50:21.39 ID:LbO6fmEM
やなやつに預けたな。w

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/07(月) 18:04:52.62 ID:B4LfAIDe
>貴殿は今の今まで、自分がもらった所領がこんな腐りきったところだとは思いもよらなかったであろう?

これ完全に仮定で話進めてるけど大丈夫か?w

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/07(月) 19:52:59.82 ID:i6D57Jhl
武士は注目されてなんぼの商売だからなw

北条の秘密兵器

2009年11月01日 02:40

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/31(土) 16:06:20 ID:xt/c9pwZ
男の娘か、まかせろ

天文15年、扇谷上杉・山内上杉・古川公方らを中心とする関東諸侯連合軍は
北条家の主力が今川と河東で争っている隙をついて北条領に進軍
北条屈指の猛将、北条綱成が守る河越城を落とさんと八万を超えると言われる大軍で攻めていた
ところが河越城、なかなか堅牢であり、そうやすやすとは落とせぬまま半年が過ぎようとしていた

憲政「そうは言っても北条の主力は動けないとわかりきってるので気楽なもんです」

まあ大体ダラダラやってりゃ勝てそうな状況に兵士達の士気もやや下がり気味な関東連合軍
そんなある日のことである。

パッカラパッカラパッカラパッカラ

兵士A「あれ?なにこの勇ましい馬の足音」
兵士B「まさか敵襲?……ってそれはないかぁ」

徐々に近づいてくる馬蹄の音。兵士たちがそこで見たものは……

兵士A「女の子だー!」
兵士B「ものすんごい美少女だー!」

長い黒髪と打ち掛けをはためかせ、艶やかな化粧をした美しい少女が、
馬に乗って関東連合軍のど真ん中を突っ切っていったのである

兵士A「( ゚Д゚)ポカーン」
兵士B「( ゚Д゚)ポカーン」
なんだったの今の

あまりの少女の美しさに、誰もが身動き一つ出来ずに彼女を見送ることしかできなかった


その頃河越城内では

綱成「なに?御本城様の援軍がすぐ近くまで来ているだと!」
美少女「はい、機が参りましたら奇襲をかけるとのことです」
綱成「そうかわかった。ありがたいことだ。
   これでいい気になって城を囲む連中の鼻をあかせるというものよ。
   しかし弁千代、お主よくぞ、この包囲網の中こうして城内に参ったものぞ。
   さすがは儂の弟じゃ」

実はこの美少女、正体は“地黄八幡”北条綱成の実弟、福島弁千代であった
彼は兄の窮地を救うため、氏康に願い出てこの危険な伝令任務を受け持った
美少年として知られていた弁千代は、己の大変な美貌を武器したのだった

この後、関東連合軍は氏康率いる奇襲部隊と綱成率いる河越守備隊に散々に蹴散らされ、
関東管領の権威は完全に失墜することになる
氏康の武名を轟かせた河越夜戦で活躍した
北条の秘密兵器のお話




32 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/31(土) 16:15:42 ID:AI8oV5DA
やらないか

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/31(土) 16:27:41 ID:ScVLhpzN
万が一、捕らえられたらと思うとアッー!

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/31(土) 16:37:54 ID:ZQUPcZtB
>>31
ラスボス「所で君、姉や妹はいるのかね?」

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/31(土) 17:33:53 ID:8+HkA/0C
S田N之:うちの嫁が鎧姿の美少女といえば私じゃないのかとアップを始めました。

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/31(土) 17:37:12 ID:CdmvK8Dm
「こんな可愛い子が女の子なはずないじゃないか」なんて言い出して襲ってくる奴がいなくて良かったなw
衆道が広まってりから一人ぐらいいそうだが関東はそうでもない?

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/31(土) 18:04:47 ID:xt/c9pwZ
>>34
綱成「うちは残念だが全員男の兄弟ばかりだ」

>>36
関東はかなり盛んだと思う
まとめの鈴木大学とか参照な
ていうか福島弁千代は氏康の小姓なんで多分氏康とはそういう関係だったと思う

38 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/31(土) 18:05:26 ID:AI8oV5DA
すでに氏綱さまと氏康さまに掘られましたが何か?

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/31(土) 18:18:23 ID:21xnXJ89
某スレで氏康はょぅι゙ょ萌だと思い込んでいたのでショック・・・




関連
武田信玄と、北条綱成の地黄八幡の旗・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-497.html

武田信玄と、北条綱成の地黄八幡の旗・いい話

2008年11月11日 00:01

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 19:26:13 ID:Mr/UK3Pz
西武の渡辺監督が信玄ファンだそうなので、日本一記念信玄のお話

元亀二年(1571)、駿河で武田と北条が戦った折の事。
北条の猛将、北条綱成が、戦場に軍機を捨てたまま撤退した。
朽葉色の絹に八幡の二文字を染め抜いた、有名な「地黄八幡」の旗である。
この旗を拾った武田の武士達は「なんと言う様だ」と、それをあざ笑った。

が、それを聞いた信玄は
「あの戦を見ていたところ、綱成は慌てふためいてはいなかった。撤退も次の戦を考えての
事であったのだろう。それに、旗を捨てたのは旗を持っていた物の罪であり、北条綱成の事を
笑うべきではない。」

と、言った。
この言葉は広まり、やがて綱成の耳にも入った。彼は

「信玄の言葉で救われた。恥辱を受けずにすんだ。」
そう、敵将ながら、その心遣いに深く感謝した。

ちなみにその地黄八幡の旗は、「綱就の武勇にあやかるように」と、彼の配下、真田幸隆の
末子に与えられた。

後の、真田昌幸である。



330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 02:37:39 ID:iwi0DaDR
>256
誰も突っ込みいれずにスルーされてたので。
昌幸は末子じゃなくて五子の中の三男。
地味だからって信伊と金井高勝を忘れないでください。
信伊は信之側の人物として重要だと思うsage

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 02:41:07 ID:SFXnTGwv
>>330
「当時」末子だった、って事じゃ無いかな?とも思った。




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