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十の内八は大賢人、残る二つは大悪人

2020年02月07日 17:30

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/07(金) 14:31:37.94 ID:zDEfqtYs
上州佐保と申す侍の娘、若年の女性であったのを、上杉謙信公が近年召され、常に寝殿より離さなかった。

その彼女がある時、故郷の見廻りのためとして御暇を申し上げ罷り帰った。この時謙信公は取次の
女房に、「三月二十日の前後、日限を違わず故郷より戻り出仕すること。」と、堅く申し聞かせた。
彼女はいつも故郷を懐かしみ、また謙信の申し付けを聞かない事があったという。取次の女房はこれを承ると、
くどくどしいほど申し付けた上で帰郷させた。
しかし、三月二十日が過ぎてもこの娘は出仕せず、四月上旬になっても故郷に逗留していた。取次の女房は
気遣いの余り飛脚を仕立て指し寄こし、彼女を呼び出した。

四、五日経て後、謙信公は彼女が戻ったことをお聞きに成ると、御不斷所に召し出し「人や候」と
仰せに成ると、御小々姓の荒尾助九郎という者が罷り出た。謙信公は彼にこう仰せになった

「この女、去る仔細あり。只今ここで成敗仕れ。女なる故に私が直にはせぬ。」

荒尾はこれを承ると『少しでも遅々仕るにおいては、我が身が全う出来ない。』と思い、御声が下されたと
同時に脇差を抜き、彼女が小首を傾ける前に討ち落とした。

総じて謙信公御家中にては、死罪の者は他を十とすると二、三のみであった。
ただし死罪に及んだ者は、事によって侍であれば、半分は御前に召し出され、御坪の内などにて
三十五人衆(謙信に仕えた主な武将の総称)に仰せ付けて処刑させ、稀には自身で遊ばされた。

太田三楽はこの事を後日承ると、北條丹後にこのように語った
「貴方の主人である謙信公は、御武勇の義はさて置き、それ以外の御気質を総じて見奉る所、
十の内八は大賢人、残る二つは大悪人であろう。つまり生まれつき、怒りやすくその感情のまま
致す事が多いという癖がある。それ以外は、或いは猛く勇み、無欲清浄にて器量大きく、廉直にして
隠すことはなく、明敏にして下を察し士を憐憫して慈しみ、忠諫を好んで容れられる。
このように、末世の現代に於いて有難き名将であり、故に八つは賢人と訓し申したのだ。」
そう談笑して去った。

松隣夜話

女色を絶ったと言われる上杉謙信にも、こんな側女(?)についての逸話があるのですね。



838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/07(金) 16:05:08.31 ID:hMqyTt4h
前半を読みながら、ああこの女性だけでなく取り次ぎの女房まで斬られちゃうんだなあ…と思ったけどさすがにそこまで鬼畜ではなかった

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/07(金) 16:22:35.91 ID:ho3rY9kO
他の家中のが死罪のひと多かったって書いてあるってことでええんよね?これ
あと謙信の場合は侍相手なら召しだしてからそれなりにえらいやつとか自分で切るって書いてあるけど
他の家中だとこれも異質ってことかね?

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/07(金) 20:19:23.39 ID:mdwM2iW9
謙信以外で近くにいた人皆殺しかとガクブルした
取次の女房さん、荒尾さん、良かったね

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/07(金) 20:29:32.95 ID:G1IjvwLA
俺が取り次ぎの立場だったら故郷に帰す時に人を付けるか、期日の2週間前に呼びに行かすけどな

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/07(金) 21:34:34.53 ID:b2xkCiqJ
ご自身で遊ぶというパワータイプ

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/07(金) 22:25:01.87 ID:gCvMx7Sm
>>837
これ、他所はもっと悪いと書いてあるけどほんとかな
ちょっと信じられないけど

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/08(土) 12:10:07.73 ID:BWjBwiP7
>>842
ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」
によれば上杉謙信は経済的争いではなく剣を持って戦うという、遊びへの規律に忠実な人間だとか
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青沼新九郎の事

2020年02月05日 17:06

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 02:36:08.02 ID:NZ2w9/rT
永禄八年七月、上杉謙信配下の柿崎和泉、北條丹後は上州下分にて働き毛作を刈り取り、そこから和田へ
取り詰め巡見をした所、武田衆が堅く守っていたため早々に引き取った。この時、青沼新九郎という
上杉謙信寵愛の小姓が遠筒(鉄砲の流れ弾か)に当たって疵を蒙り、翌日前橋に於いて死去した。
この青沼新九郎は、北條丹後の与力・青沼勘兵衛の三男で、久しく越後へ相詰め、休暇として六月より
父の在所に在った。

謙信公は佐渡より御帰城なされ、この新九郎の死を知らされると、彼が御暇を申さず忍んで父の在所へ
罷り帰り、剰え多日逗留した事は是非にも及ばぬと激怒された。そして既に掘り埋めてあった彼の屍を
引き出させ、これの首を斬り獄門にかけ、父子兄弟悉く追放された。

また、いかなる密事をお聞きに成ったのか、北條丹後の甥である伊豆守の末の弟・水右衛門という者、
その年二十二、三歳の、若く清気なる侍であったが、彼を飛脚を以て召し出した。
そして普段過ごされる部屋に彼を呼んで御言葉をかけ、例の國吉二尺九寸の刀にて袈裟斬りに斬り捨てられた。

松隣夜話

残虐な逸話の残っている武将というのは多く在るけれども、自身で人を手にかけるという描写がこんなに
多いのは謙信くらいでしょうね。



794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 03:53:57.45 ID:IgwN6hfh
わけのわからないところで激怒するのが本当に怖いな…

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 07:47:21.68 ID:CBM3uDpN
酒を飲んだら人が変わる

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 07:51:23.83 ID:IcG/PCM6
>>793
なんで斬ったのかだれか解説してくれ

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 08:06:05.81 ID:LXVG1nRp
青沼新九郎
 越後に詰めていなければならないのに、無断で実家に帰って、
 戦死するまで3ヶ月も自分の役目に戻らなかった
 一族も新九郎を役目に戻るように計らわなかったので追放

北条高広の甥・水右衛門
 何かしらの密謀に関わってた(と謙信が判断した)ためお手討ち

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 09:08:46.43 ID:JdBizlSl
さすが謙信台風
落馬しかけたときに助けようとした家臣を怒鳴りつけて殺した逸話があるらしいけど、松隣夜話が出典かな?

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 10:24:14.44 ID:InAPMqiN
謙信公の名を貶めるようなことばかり書くとはまるで中韓アレルギーのネトウヨが如き作者ですね

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 11:17:49.48 ID:5OMCCWI9
そういえば信長も無断外出した女房達を処罰してたな

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 11:49:01.96 ID:JdBizlSl
信長って安土に移った頃ですら馬廻りや弓衆に命令を聞かない連中がいて処罰してるよね

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:02:25.48 ID:1+5PdDNQ
信長の言う事聞かない家臣結構多いですよね
秀吉も手取川前だかに無断で帰ってるし

勝家宛だかの書状でも陰口叩くなよワシの方に足向けるなよみたいな内容出してる辺り
陰口叩いたり足向けるような連中である事認識してたわけだし

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:08:21.59 ID:OD3qETlT
火事があって引っ越してないのがバレてさらに燃やされたんだっけ?

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:32:39.88 ID:LXVG1nRp
>>797
6月に家に帰って7月に戦死だから
3ヶ月→1ヶ月(しかも最長で)
だった、赤っ恥

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:41:09.38 ID:ytodUhRl
>>800
天正9年の桑実寺事件は同時代的にも異様なものだったらしく、
毛利へ「信長が取り乱している」と報告されてるな(石見吉川家文書)

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 13:27:34.45 ID:/N2UOQXO
信長居ない時のフリーダム感すげえだろうなっては思う

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 13:28:04.42 ID:ClW7PRNL
馬廻りは家族ごと安土に引っ越せって言われてたんだけど
家族を岐阜に置いてきてた人の家から火事が出て調べたら同じような奴がたくさんいて
岐阜の家を焼いて家族を強制引っ越し
罰として道路工事もさせた

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 16:57:49.65 ID:yuA3pMt6
そう考えると織田ですら大名集権化にかなり手間取ってたんだなーって、というか出来てないからド油断したのを抜け目なくやられたと言うべきか
大名はあくまでも権利の保証者であって一挙手一投足まで指図される謂れもないわって考えもありそうだし
戦国大名から近世大名化失敗しまくる大名が星の数程いたのもむべなるかな

謙信は10のうち…

2012年07月04日 20:59

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/04(水) 06:43:08.74 ID:4MRpO2lH
問題の上杉謙信言行録より

上杉謙信の近くに仕える女に土州佐保と言うものがあった。
永禄8年春、両親と会うため故郷に帰省したいという願いを申し出た。謙信は取次の女房を呼び、
3月20日前後を日限としてこちらに帰ってくるようにと伝えて休暇を与えた。ところがその日限になっても女は
帰って来なかった。取次の女房はしきりに気をもみ、書状を出して呼び返した。
ある日、謙信はその女を不断所に召し出し、その不都合を攻めた上、小姓の荒尾助九郎をして頸をはねさせた。

後に太田三楽(資正)はこの話を聞いて北条丹後(高広)に言うには

「貴殿の主人謙信公は、武勇については別問題として、その御気性を見るに、10のうち8つは大賢人、
2つは大悪人という割合になるな。生まれながらに勇猛だが、とにかく怒気激しい癖がある。

けれども善い事には清浄潔白で、曲がったこともなければ何かを隠すようなこともなく、下々の情勢を察し
士民を憐れみ、好んで忠諫を納れられるなどは、末代ありがたき名将だと思う。

だからまあ、少々の非難はあっても贖って余りがあるので、8つは賢人と申して良かろう。」

そう言って破顔大笑した。




335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/04(水) 10:05:21.07 ID:OARM/5Ao
>>331
取次ぎが殺されたのかと思ったw

北条高広の降伏

2010年10月01日 00:00

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 18:30:41 ID:uhy7sY8i
上杉家の関東最前線に配されながら、情勢次第の行動をとった北条高広

謙信死後の御館の乱で景虎=北条派に属したものの、
景虎が自害すると武田勝頼に臣従し、織田がくれば滝川一益に従った。
ところが本能寺の変で織田までがいなくなると、
後北条と徳川の同盟が成立、後北条の北関東侵略にさらされるようになる。

天正十一年。
後北条氏は真田領を奪取すべく、高広にも出兵を命じた。
明らかな踏み絵だが、高広はこれを拒否し、抗戦の道を選ぶ。

そして、援軍を頼んだ先は、上杉景勝

真田昌幸がどうこう言われるが、こいつも相当なタマだ。
どうせ北関東死守のために景勝は動かざるをえないし、
そうすれば佐竹や宇都宮ら、反北条勢も動くだろうとたかをくくっていたらしい。

ところが、領内すら不安定な景勝の動きは鈍く、数ヶ月たっても牽制すらしてくれない。
焦った高広は、直江兼続らに長々と書状を送って援軍を懇望したが、たいした効果はなかった。

高広は半年以上も孤立した戦いを繰り広げ、ついに降伏した。
その後の彼の人生については、よくわかっていない。




356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/30(木) 18:39:54 ID:izVheoeP
北条側につかなかったところまでは正解だったが・・・・
今までの行動が仇になってしまったなー