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桑山刑部と小少将

2014年08月20日 18:54

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/19(火) 21:27:21.81 ID:CFo03HzL
以下、『諸県の伝説』という宮崎県の地方誌にあったもの


北郷時久の侍女に小少将という飯野郷出身の天性美女があり、城内若武者の憧れであった。
或る年の秋、蹴鞠の会があり、ここで最も見事な技を披露したのが桑山刑部少輔親基であった。
多くの侍女がそれに見蕩れ、小少将も殊の外真剣な目で声援を送った。
双方共に思慕を打ち明ける機会を窺っていたが、侍女と臣下の恋愛は御法度である。

堪りかねた刑部は或る日一首を届けた。
「わが恋は、山下滝つ岩の瀬に、心くだけつ、つまぞ恋しき」
小少将は思い悩んだ挙句、
「わが恋は、山下しげき夏草のまたも憂き身を思ふ君かも」
と返歌、二人はいつしか忍び合う仲となる。
城山の南端に大きな松の老木があり、刑部は夜毎忍んで、小少将が垂らした白い布を伝って
城に入り逢瀬を重ねた。

天正元年8月7日の夜、城の大手門から一人の若武者が供を連れて出て行った。
翌朝、見張りの看守が城門の傍に何やら貼り付けてあるのを見つけた。
「今日出でて、明日は帰らぬ旅の道、いづくの土か、われを待つらん」
との歌であった。小少将が若武者に変装して刑部と共に城を出て行ったのである。

二人は夜道を本野原から狐塚、高牟礼の麓まで行くと道に迷う。
この頃、城では小少将が見えないと騒ぎとなり、時久も知る処となる。
「この城に宿直の者はいないか? 城を出ていく者を取り締まる番人はいないのか?
まだ遠くまで行くまい。一刻も早く天長寺へ行き、和尚に足止めの秘法を頼んで来い」
と、怒気も荒く命じた。天長寺は厳命であるからと秘法を修めた。

その頃、小少将は六石原を出て七折集落の一軒家の農家へ辿り着き、
「我々は福山寺まで行く者で御座る。夜道に迷い難儀しておる。人目につかぬ所で
休ませてもらいたい」と頼み、幾らか所持金を与えた。百姓は二人を匿ったが、
怪しいと思い城へ知らせる。

城中には小杉・川上・中馬・土持らが詰所にいたところへ百姓から報せが入り、
300騎が刑部召し取りに動いた。
天長寺の和尚は秘法が刑部の為のものと知ると、
「しまった、刑部であれば逃してやるところであった」と悔やみ、300騎が向かう後ろから
牛の背に跨り桜の枝を鞭に後を追った。

小少将らは怪しい気配を察し、自害しようと考える。
小少将は既に身籠っており、刑部は「お前は女の身なれば、よもや殺されなどすまい。
どうか無事に生きて、身二つとなり我が児を育て上げてくれ」と言ったが、
小少将は「ここまで連れ立って供をし、なんぞ城へ帰れましょう。
釣れない御言葉とも存じまする。今更、生まれ故郷の飯野に帰っても頼る人とておりませぬ。
さぁ早く殺して下さい」と縋りつく。追手は既に迫っており、二人は共に自害して果てた。
刑部29歳、小少将19歳という。

二人の墓は財部町七村集落の一番高い丘に立つ。




975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/20(水) 09:35:31.63 ID:kJkEoFmT
この小少将はいい小少将

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 07:50:36.24 ID:hPijiYfc
>>974
牛の背にまたがって追いかけた和尚はなんなのw

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 09:20:59.23 ID:Xs688Zd7
あの世に帰るとこだったんだろう

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和田民部の祟りの理由

2013年08月04日 19:16

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/03(土) 20:25:23.05 ID:JzFxxB+f
永禄11年(1568)、伊東義祐島津忠親の守る飫肥城を攻め、これに島津方の援軍として薩摩より来た
北郷時久の軍勢を大破した、小越の戦いでのことである。

この時、伊東家家臣山田次郎三郎は、島津方の和田民部少輔を討ち取ったが、
この和田民部少輔の子である助六、この時18歳が父の討たれたのを見て、駆け入って
山田と刺し違えようとした。

しかし助六の郎党が一人、鎧の袖にすがりついて言った
「どうか命を全うして、亡くなられた父君の遺蹟を立てて下さい!」
そう叫んで制したが、助六は
「今このような事態に直面して、誰が一人逃げるようなことがあるか!」

そして郎党を振り払い山田に切り懸った。
しかしこれを、山田はすかさず取り押さえる。だが、この者が年少であることを察すると、
若年にしてその志が勇なることに感じ入り、これを立たせ、そのまま帰らせた。

ところが、同じ伊東方の長倉次郎右衛門尉がこの様子を見ていて、帰ろうとする助六の後を追い駆け、
情けなくもその首を打落した。

後でこのことを聞いた人々は、山田次郎三郎の情けは、古の熊谷が敦盛を助けたことにも劣らぬ、
と言い、長倉次郎右衛門尉のやったことは、非常に浅ましいことだと批判した。


長倉次郎右衛門尉は、今の長倉喜多郎佑栄の先祖である。
長倉佑栄の家に今も言い伝わる、和田民部の祟りというのは、この話が理由なのである。
(日向纂記)




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/03(土) 22:11:30.14 ID:Ky1FvhDZ
直実が敦盛助けた・・・?
助けようとした、が味方が来てしまったから首を泣く泣くはねた、時の直実の情けの意味か
それとも直実自身が息子の首を代わりにはねて敦盛を逃した説のことを言っているのか
単なる勘違いか

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/03(土) 22:21:57.68 ID:x/8x+kAC
我が子をそんな討ち取り方されたら、
そりゃ祟りたくなっても無理はないという悪い話だなw

ただ、和田民部の祟りってのがどんなのかが気になるな。

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 09:06:46.00 ID:bY2LBvL/
代々の当主の子が斬り死にするとか

和田民部って山田の父を殺してるんだな
自分は首尾よく敵討ちを果たしたけど、お前さんにはまだ早いよってことか