青鞍の淵

2015年10月30日 09:04

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 16:07:35.64 ID:ZBewfPso
青鞍の淵

庄内潅漑用水堰の完成を目前にして、北館利長は更なる困難に悩まされた

清川と最上川の境の大淵辺りに差し掛かると、迫り来る崖と急斜面に掘った堰道は土砂崩れで頻繁に埋まり、その先の大淵は急流のために杭や土のうは流され、工事の進捗は完全に停滞してしまった

利長は「これは土地と川の神が身を弄(いじ)られる工事を喜ばないからだ。なんとか神の怒りを慰めよう」と
狩川城の兵装を揃えた功を主君に褒められ義光から褒美に頂いた家宝の螺鈿の馬の鞍を、最上川の大淵の渦巻く流れに投げ入れた
するとにたちまちに流れが静まった

利長は「土地の神は気を鎮めたり」と人足に作業を進めさせ、最後の難所工事を切り抜け
「庄内末代までの至宝」と呼ばれる大潅漑用水堰の本水道が完成した

「庄内の昔話」



904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 23:42:07.22 ID:uMnG671W
ちょっと馬の鞍探してくる

スポンサーサイト

北館利長と殉役十六夫

2015年10月29日 13:48

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 04:08:11.43 ID:ZBewfPso
北館利長と殉役十六夫

慶長の頃、狩川の水馬鹿北館利長は最上義光の後ろ盾を得て月山から狩川への潅漑用水堰を掘削していた

残す工事もわずかとなったが難所がいくつか残り、山地の迫る急傾斜地の清川御諸皇子神社付近で事故が起きた

掘削地が地滑りを起こし、工事に携わっていた16人の人夫が生き埋めとなった

利長「ここまで死者を出さずに済んでいた工事に、神も気を許し目を離されたか…」

利長は死者を弔い、16人の役目に殉じた人夫の数にちなみ、この先16代に渡り北館家内で大々的な祭事は慎む旨を神前に誓ったと言われる

「庄内の昔話」




556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 06:39:07.30 ID:uMnG671W
16代だとまだやってるんじゃなかろうか。

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 07:25:52.94 ID:yawErPFg
松江は盆踊りがないそうな…

ヒストリアでやってた

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 08:23:36.76 ID:dj4WxJtv
ヒストリアで仏の茂助の仏っぽさが伝わってきたよ

構想10年、工期数ヶ月

2014年04月25日 18:45

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 15:36:10.10 ID:xNX1/ysK
構想10年、工期数ヶ月

慶長6(1601)年、最上義光が酒田攻めで庄内を上杉軍から奪還すると、北館利長には田河狩川城と3000石が
与えられた。

しかし利長が新領に赴くと、目の前には痩せた土地と広大な葦の生い茂る原野しかなかった。

利長は土地の者に尋ねた。「近くに川もあれば人も居るのに、この荒れ様にはなにか理由があるのか?」
農民「水が足り無いのでござえます」
利長「川ならあちらに流れているではないか?」
農民「お侍さまちょっとええだか?一緒に川まで来てくんろ」

利長は農民らと川へと向かった

農民「見てわかんべ」
利長「…川が田畑より一・二間(数メートル)も低い処を流れているのか…」
農民「そんだけじゃなく、ここいらは台地(河岸段丘の上)だし、土もすぐに水を吸うてしまって水が
   全然足りんのでごぜえます」

利長は水をどうにか出来ないものかと
毎日毎日領地のあちこちを朝から晩まで歩き回った
道で見掛けた農民に「水は無いか?なにか良い知恵は無いか?」と聞き込む事から
領民らは「おい、また水馬鹿の殿さまが来たぞ」と陰口を叩いた

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 15:55:08.83 ID:xNX1/ysK
利長「水は高い処から低きに流れる。狩川よりも高い処に豊富な川や水はないか…」

利長「お山(月山)なら雪溶け水や川はあるが、十里(数十キロメートル)以上離れておる…」

利長「途中には沢や丘陵もある…どうしたらいいんじゃ…」

利長は櫃に絵図を描いては閉まい、閉まいは出しては描き直し検討を繰り返した

同時期に山形から庄内までを手中に収めた義光は最上川の水運の向上を図るために川底の掘削や
難所の整備を進めていた

利長「最上川治水工事の一環として、大殿(最上義光)のお力を借りられれば…」

慶長16(1611)年、北館利長は櫃に狩川の絵図と工事の見積書を詰め、義光に月山山麓から数十キロに渡る
農業用水の潅漑工事計画を願い出た

最上義光「これだけの細かな資料を集め、さぞ大変であったろう」
利長「水さえあれば庄内は更に豊かになります。何卒工事の許可を頂けませんでしょうか?」
義光「みな(万石取りの最上重臣)を集めて議題とする。そち(利長)も席には参加せよ」

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 16:23:33.55 ID:xNX1/ysK
義光「…という訳で、利長から治水と潅漑工事の計画が出されておる。みなはどう思う?遠慮はいらん。
申してみよ」

志村光安「仮にやるとしても莫大な予算が必要となりますが、それに見合うだけの結果は出せるのでしょうか?」
下吉忠「最上川の整備ですら数年に渡る工事を継続中です。戦災で荒れた寺社の復興も残っておりますし、
今やる必要があるのでしょうか?」
楯岡満茂「人手の確保も簡単ではありますまい」

難工事が予想されたため反対意見も多かったが、義光の側近の新関久正が利長の労苦を汲み反対派を説得し、
翌慶長17(1612)年3月、月山立谷川治水工事の命令が発動。

工事監督に北館利長、相談役と奉行に志村光安と新関久正が付けられた。

沢には水路の部分だけ盛り土をした土橋が引かれ、丘陵は掘削されたりトンネルが設けられた

同年7月、4ヶ月の期間と10000人以上の人足を注ぎ込み、40キロにも渡る潅漑用水工事が完成。

「現場の河風は身に凍みるだろう」と義光から贈られた黄色い綿帽子をかぶり、杖をついて工事を指揮した
北館利長の念願が叶い、狩川3000石は十年ほどで石高が30000石にも飛躍した

今でも綿帽子をかぶった北館の像が大堰と米処庄内を見守っている

※北「楯」の名字は酒井氏が庄内に移封してから後のもの
本来は北「館」が正しい

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 16:46:40.12 ID:xNX1/ysK
最上義光北館利長に「庄内末世の重宝を致し置き候」と治水工事を絶賛し、今後この疏水を利用して
開拓される新田が何万石に達しようと、全て利長の知行として取らせるという証書を下した美談は
そこそこ知られているものの、
工事の規模や詳細がほとんど知られていないのと、当初は最上家中では工事消極・反対派が多かった
といった点では悪い話?

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 16:54:44.28 ID:xNX1/ysK
まとめの最上義光と北楯大学利長「米どころ庄内ビギンズ」・いい話
最上義光、北楯大学と埋蔵金・いい話
義光67歳の手紙
と大分かぶってますた…少し潜ります…