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松永「だから言ったのに…」

2018年09月27日 18:55

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/26(水) 22:51:21.90 ID:iu+zB/OK
永禄三年十二月、十河民部大輔一存と松永久秀はその仲悪しく、常に不快を現していた。
その頃、十河は病を煩い有馬温泉へと湯治に向かったが、この時松永は意見申した
「有馬温泉の権現は葦毛馬を御咎めある神であり、その馬は用いるべきではない。」
しかし十河は松永の申すことを用いず、また松永も十河の言うことを背ける間柄であり、
この時も十河はこれを聞かず、葦毛の馬に乗り湯治のため山を登ったが、案の如く落馬して
たちまち死去したのは不思議な事である。命運尽きるとは言いながら、あえなき事である。

(足利季世記)

松永「だから言ったのに…」



211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/27(木) 13:10:37.85 ID:DY2JVs++
>>206
警告したから暗殺してもばれないな!ってことじゃあるまいなw

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/28(金) 22:29:03.73 ID:pcpbQ0P5
>>206
上杉定正「落馬して命を落とすとは…」
鬼義重「武士の名折れよ」

源義朝・太田道灌「温泉いいよね!」

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/28(金) 23:50:11.14 ID:nWlOr0St
>>227
源頼朝「呼んだ?」
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篠原長房と十河一存の対決の顛末

2015年07月20日 13:17

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/20(月) 02:31:08.71 ID:e5AVgIyj
三好実休が事実上の国主として阿波を治めていた頃のこと。
実休やその弟・十河一存をはじめ多くの家臣が新当流の内藤
太郎兵衛という武士から武芸を習っていたが、篠原孫四郎は上方
からきた式部なる者から指南を受けていた。

ところがあるとき式部が「新当流は実践の役に立たない」と批判したことが
実休の耳に入り、それならばと、それぞれから教えを受ける一存と孫四郎に
立ち会いをさせ、それが事実かどうか確かめようということになった。
試合の結果は、孫四郎があっさりと勝利し面目を施したが、悔しいのは
敗れた一存である。

その後、御番として一存が妙永寺に勤めていた時に式部が見廻りに来た
ときのこと。一存は悔しさから「なんとかならんか」と家臣の十河新左衛門に
ささやいたが、これを聞いた新左衛門は式部を殺すように命じられたものと
合点し、式部を不意打ちして斬り殺してしまった。

武芸の師範を殺された孫四郎は激怒し、「一存を討つ」と息巻いて、2日のうちに
五十騎が孫四郎のもとに参上する事態となった。
この状況に実休は「一存のことについては、長房の納得の行くように処置する
ので、今回のことは堪忍してほしい」と長房をなだめるとともに、彼を惣侍頭に
取り立てて事態の解決をはかった。

すると、一存の配下にあった者達が軒並み一存の元を離れて孫四郎の配下に
なることを望んでしまったため、やむを得ず実休は侍衆を二分し、半分を孫四郎配下に、
もう半分を叔父の三好康長の配下にしたのだった。
なお、この孫四郎こそ、後に三好実休・長治父子のもとで手腕を発揮し、畿内で活躍することに
なる、篠原長房の若き日の姿である。

『昔阿波物語』より、篠原長房十河一存の対決の顛末。それにしても、鬼十河さん、カッコ悪いっす・・・



84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/20(月) 23:21:36.49 ID:adbEZRuN
>>80
なんかこう、何とも言いがたい微妙に悪い話…
鬼十河にはとても悪い話なんだろうけど。

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/21(火) 02:12:14.56 ID:GULIsTHj
さすが篠原さんは若い頃から人望あるな

『鬼十河』と呼ばれた逸話が

2013年01月28日 19:53

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:21:03.26 ID:dVcawtOG
良い話とかと関係ないけど、まあ記録が間違ってたかなんかだろうけど
十河一存の逸話にある寒川氏を攻めた時の
神内左門という侍に左腕を槍で貫かれ傷口に塩すりこんで
そのまま神内左門を討ち取って悠々と帰り『鬼十河』と呼ばれた逸話ね
これ1532年って事になってるけど鬼十河が生まれたのは1532年なんだな
つまり寒川氏を攻めた時の十河一存は0歳児の赤さん
そりゃ人間離れした行動で鬼十河と呼ばれる訳だ。




204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:26:50.12 ID:dVcawtOG
1532年だと三好氏は元長が死んでテンヤワンヤだしまあ単純に年間違えただけだろうけどw
実際は状況的に考えると1550年前後だろうけど

三好長治の治世は混乱を極め

2011年11月07日 22:00

862 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/06(日) 21:46:02.01 ID:CmBgDe5Y
 細川管領体制の領国経営が戦国期に入っても生き残っていた畿内、及び東四国では、
領内の諸豪族が代々受け継ぐ所領が当然の権利として継承される傾向にあった。
 例えば讃岐国の場合、東讃は安富氏が守護代を司り、香西氏や寒川氏、植田氏らを傘下とする。
 一方の西讃は守護代香川氏のもと、奈良氏らを傘下に置く。

 この体制は時に大内や毛利の干渉を受けつつも不変であり、
諸家は互いに争いつつも概ねの所領は父祖代々の範囲を維持しつつ戦国後期を迎えつつあった。

 さて、先に上げた讃岐諸氏の内、東讃守護代たる安富氏は些か不本意な立場にある。
 というのも守護代の地位にありながら安富氏の本領は雨滝城を中心とした三木郡一郡のみであり、
西讃守護代香川氏の三郡支配に及ばないどころか、東讃内で四郡を支配する香西氏にも大きく水を空けられていた。
 この為、安富盛方は細川家の混乱が募るとはじめ大内義隆に属して寒川氏と争うが、
これは阿波守護細川持隆の命を受けた三好義賢・十河一存兄弟の援兵もあって失敗、再び細川家に帰参する。
 しかしその持隆が義賢に殺害されると盛方は三好家に接近、特にその重臣篠原長房の娘を嫡子盛定の妻に迎え、
元亀元年に三好長治の後ろ盾を得て寒川元隣を恫喝、大内郡を接収することに成功した。
 これは三好氏に忠実であった安富氏を中心に讃岐支配を立て直すことと、特に篠原長房の所領と安富氏の領地を
直接連結するために大内郡が必要であったからだともされている。

          === ここまで前史 ===

 さて、こうした三好氏の慣例を無視した動きを、当然讃岐の諸氏は快くは思わなかった。
 特に激しく反発したのが、もともと細川京兆家の与党であり三好一門とは度々干戈を交えた香川元景である。
 さらに十河一存、存保に忠実であった香西佳清も呼応した。
 ちょうどこの頃、三好長治の治世は混乱を極めている。
 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5441.htmlのような事件を讃岐国内で発生させたばかりか、
元亀四年(天正元年)には良くも悪くも三好氏の柱石であった篠原長房が長治の不興を買って故なく誅殺された。
 この前後には反信長包囲網の一翼として摂津や備後の織田方への攻撃と敗北が重なるなど、軍事的失敗も重なった。
 方向性定まらず、暴虐の度を深める長治の治世に讃岐の人心はますます三好氏から離れて行き、
 ついに元景、佳清両名は同二年に長治の実弟十河存保に最後通告を叩き付けるのである。

863 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/11/06(日) 21:46:49.62 ID:CmBgDe5Y
「存保くんへ。
 阿波と讃岐は細川公の支配からずっとなんだかんだいってみんな仲良く共存してきたよね?
 でも去年、こないだくたばった篠原の野郎が安富のボケと吊るんで寒川くんから伝来の領土奪ったじゃん。馬鹿なの?死ぬの?
 あのね、そんなことやってると阿讃の諸将は三好さんから離れてくよ? 篠原ぬっ殺したなら大内郡は寒川くんに返してあげてよ。
 別に僕らは三好さんに異心はないけど、今後を思って忠告だけはしておくから。忠告だけは、ね」

 この書状を受け取った存保は事態の深刻化を大いに憂え、すぐさま使者を立てて長治の非道な振る舞いを諌めようとした。
 それを受けての長治の反応。

長治「そうか、よし、殺す」

 ごらんの有様だよ!
 長治は早速六千の兵を仕立て、三好越後守に香西氏を、矢野駿河守に香川氏をそれぞれ攻めさせた。
 存保や彼の配下の讃岐諸将の名前がこの攻撃に一切出てこないあたり、どうやら長治の単独行動だったようである。
 そして派手に負けた。割とどうしょうもない。
 かくしてこの時より讃岐の西半分が三好方より離反し(東讃の香西佳清はのち十河氏に帰参)、三好家の軍事力は激減した。
 十河存保は讃岐での巻き返しに躍起となりつつ、長治の暴政に諫言を続けていくのだが、
その甲斐もなく分国領民へ法華宗への改宗を強要するなど迷走の末に異母兄細川真之に長治が討たれるのはこの四年後のことである。

うっかりageちまったすまん




864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/07(月) 00:03:51.72 ID:peYfAzZ2
もうなんつーか…。
これは酷いとしか言い様が無いな。

十河一存と鴨部兄弟・いい話

2008年10月15日 14:40

175 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/02/25(月) 07:17:02 ID:sCEZDaA0
十河一存が寒川氏の居城池内城を攻めた際、鴨部兄弟の兄が十河側、弟が寒川側にいた。
一存は兄弟が争うものではないと兄を城に送り出した。鴨部兄はいたく感激し、「今度会うときは戦場ぞ」と誓いあった。
そして鴨部兄弟は戦場で一存と戦い傷を負わしたが兄弟共々、一存みずからの手により討ちとられた。