365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/21(月) 19:48:57.17 ID:ZDFCkngZ
ついでに柳田國男は「山島民譚集」で葦毛の馬の章をもうけていて
葦毛の馬の糞が金創(刃物の傷)の妙薬になるということが、「甲陽軍鑑」の松代攻めの箇所に書かれているとしているが、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3655.html
ここでうんこの話だよ。うんこうんこー!
この逸話の元になっている、「甲陽軍鑑」第三十二の
第四次川中島合戦の時に甘利左衛門尉の同心頭である米倉丹後守惣領子彦二郎が撃たれて肺出血を起こし死にかけた時に
「葦毛馬の糞水、煮立てて飲み候えば血をくだす」と言われ、
彦次郎は拒否をしていたものの、甘利が信玄公のお役に立つ方が重要であろう!と自ら飲んで見せたため
彦二郎も飲んだところ、血を吐いて快癒した話を指していると思われる。
大河ドラマ「風林火山」でも主人公の山本勘助が鉄砲にやられた時に馬糞を溶かした水を飲んで治っているので有名なネタかもしれない。
傷薬の処方にに詳しい河童が葦毛馬を持って行こうとしたのもこのためだろうか(馬が溺死したら馬糞も何もあったもんじゃないけど)。
ついでに柳田國男は葦毛の馬(白馬も含めて)が日本各地で不吉な存在として扱われていると書いているが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-223.html
この、とある三好家の忠臣が十河一存に対して「有馬権現は葦毛の馬を嫌うから、有馬温泉に行くときは乗らない方がいいでしょう」
と忠告したのに十河がそれを聞かずに行って神罰を蒙って病死した話も載っけていた。
366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/21(月) 20:08:08.43 ID:ZDFCkngZ
訂正、柳田國男が十河一存の話の出典として挙げてる当代記の該当箇所を読むと行くのを止めたのは松永久秀じゃなかった
修理大夫(三好長慶)の弟、十川は松永との間柄が常に悪かった。
この十川が唐瘡をわずらっていたため、養生のために摂州有馬へ、永禄九丙寅年に湯治に行くことにした。
温泉神は葦毛馬が登山することを嫌いたまう、と人皆この旨を十川に告げたけれども、押して葦毛馬に乗って登山をした。
やがて神罰を蒙り、帰国後ほどなくして病死した。
前に出ていた逸話通り、松永久秀が止めたパターンもあるのだろうか
367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/21(月) 20:19:13.35 ID:ZDFCkngZ
たびたび失礼、すぐ松永久秀が忠告したパターンが見つかった、申し訳ない
足利季世記「十川一存逝去の事」
永禄三年十二月十川民部大夫一存と松永との中あしく、常に不快を現しける。
そのころ十川殿、瘡を煩に有馬の温泉へ湯治ありける。
松永意見申しけるは「有馬温泉権現はあしげ馬を御とがめある神なり。
この御馬御無用と申す。しかれども十川殿、松永が申すことを用いたまわず。
松永もまた十川殿の宣うことを背ける事なれば十川殿是を聞きたまわず。
葦毛馬に乗り湯治して登山ありけるが、案の如く落馬ありて忽ち死去ありけるこそ不思議なれ。
運命尽くすとな言いながらあえなき事どもなり。
ついでに柳田國男は「山島民譚集」で葦毛の馬の章をもうけていて
葦毛の馬の糞が金創(刃物の傷)の妙薬になるということが、「甲陽軍鑑」の松代攻めの箇所に書かれているとしているが、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3655.html
ここでうんこの話だよ。うんこうんこー!
この逸話の元になっている、「甲陽軍鑑」第三十二の
第四次川中島合戦の時に甘利左衛門尉の同心頭である米倉丹後守惣領子彦二郎が撃たれて肺出血を起こし死にかけた時に
「葦毛馬の糞水、煮立てて飲み候えば血をくだす」と言われ、
彦次郎は拒否をしていたものの、甘利が信玄公のお役に立つ方が重要であろう!と自ら飲んで見せたため
彦二郎も飲んだところ、血を吐いて快癒した話を指していると思われる。
大河ドラマ「風林火山」でも主人公の山本勘助が鉄砲にやられた時に馬糞を溶かした水を飲んで治っているので有名なネタかもしれない。
傷薬の処方にに詳しい河童が葦毛馬を持って行こうとしたのもこのためだろうか(馬が溺死したら馬糞も何もあったもんじゃないけど)。
ついでに柳田國男は葦毛の馬(白馬も含めて)が日本各地で不吉な存在として扱われていると書いているが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-223.html
この、とある三好家の忠臣が十河一存に対して「有馬権現は葦毛の馬を嫌うから、有馬温泉に行くときは乗らない方がいいでしょう」
と忠告したのに十河がそれを聞かずに行って神罰を蒙って病死した話も載っけていた。
366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/21(月) 20:08:08.43 ID:ZDFCkngZ
訂正、柳田國男が十河一存の話の出典として挙げてる当代記の該当箇所を読むと行くのを止めたのは松永久秀じゃなかった
修理大夫(三好長慶)の弟、十川は松永との間柄が常に悪かった。
この十川が唐瘡をわずらっていたため、養生のために摂州有馬へ、永禄九丙寅年に湯治に行くことにした。
温泉神は葦毛馬が登山することを嫌いたまう、と人皆この旨を十川に告げたけれども、押して葦毛馬に乗って登山をした。
やがて神罰を蒙り、帰国後ほどなくして病死した。
前に出ていた逸話通り、松永久秀が止めたパターンもあるのだろうか
367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/21(月) 20:19:13.35 ID:ZDFCkngZ
たびたび失礼、すぐ松永久秀が忠告したパターンが見つかった、申し訳ない
足利季世記「十川一存逝去の事」
永禄三年十二月十川民部大夫一存と松永との中あしく、常に不快を現しける。
そのころ十川殿、瘡を煩に有馬の温泉へ湯治ありける。
松永意見申しけるは「有馬温泉権現はあしげ馬を御とがめある神なり。
この御馬御無用と申す。しかれども十川殿、松永が申すことを用いたまわず。
松永もまた十川殿の宣うことを背ける事なれば十川殿是を聞きたまわず。
葦毛馬に乗り湯治して登山ありけるが、案の如く落馬ありて忽ち死去ありけるこそ不思議なれ。
運命尽くすとな言いながらあえなき事どもなり。
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