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浅野長政の約束

2013年09月07日 20:02

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/07(土) 18:06:04.11 ID:7bpdfZ+l
天正十九年、豊臣秀吉は南部信直の老臣、九戸政実が陸奥国において諸士を集めて
近郷を掠め、土民を悩ましていると知ると、関白秀次を大将として進発させた。

この時、仕置軍の攻撃に城を保ち難く感じた九戸政実は、九月七日の夜、密かに
浅野長政の陣所に行き「信直の本領を安堵してくださるなら速やかに城を退く」と告げた。

長政はこれを許諾し、政実と南部の家臣、櫛引出雲某を許し、その他数百人を焼殺した。
八日、政実と久慈備前某を連れて、秀次の陣営は会津に至るところであった。

その時、秀次は、「長政が我が命を受けずに政実を許したことは無礼である」と怒り、
長政に命じて中途で政実を誅殺した。凱旋の後に南部家の所領に差し障りがなかったのは、
長政が先の政実との約束を違えずに言上したからであった。

――『寛政重修諸家譜』





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南部信直の申し入れ

2013年01月25日 19:50

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:15:45.13 ID:/cMzjHMl
「奥羽津軽一族」に書いてあったのを抜粋。

九戸政実らが投降したことで諸将は各陣所に引き上げていったが、一方で南部信直浅野長政の陣所を尋ねた。

津軽為信は実父高信の仇である。幸いにも為信がこの地に在陣している。まさに天与の機会である。
 この際、為信を攻めて父の仇を討ちたい。是非、貴将の許しをいただきたい。」
と申し入れをした。

これに対し、長政は
「この度の出陣は貴殿に対して謀反を起こした政実を討伐するためであり、
 この機会に津軽為信に対し私怨を晴らさんとすることは認められない」
と拒否した。

この時信直は言葉もなく下がったが、次いで蒲生氏郷の陣所を訪れて同様の願いを述べた。
これに氏郷も同調、ともに長政の陣所を訪れ重ねて願いを繰り返した。

これに対して長政は
「為信は殿下に属し、それに拠って朱印を賜りたる者であり、此度も当地で十分武功を顕し、
天下へ忠勤を示している。
 そのような時に貴殿が私怨を晴らそうとする行為は容認できない。」
と拒否し、津軽為信には不測の事態を避けるために即刻の帰国を勧告し、為信は従って帰国した。


なお、後に名護屋で津軽が馬鹿にされたことで津軽家と浅野家は絶縁しているので
本当にあったやり取りなのかは疑問が残る。


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283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:56:55.38 ID:sfOCPR+u
工場長が同調しちゃうのがちょっと意外

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:59:56.63 ID:voF6uaqJ
津軽と九戸どこで差がついた

時流の読みとしたたかさの違い

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 08:36:14.11 ID:ASx27AZm
>>282
まあ、南部と津軽は相手をディスる為に無茶苦茶な話を書き残してるからなぁ

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 11:47:46.61 ID:uij6e+ed
●∀・「もっと仲良くしようぜ!」

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 14:25:14.84 ID:hDIRbCtu
>>283
工場長の娘か養女だったかが
信直の息子の嫁になってるし、仲は良かったんだろう

九戸政実の乱、処分の顛末

2012年10月30日 19:58

88 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 07:58:19.47 ID:Rgn5Goix
天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥州仕置への大きな反発の一つとして勃発した九戸政実の乱。
要害である九戸城に籠る政実に、浅野長政、蒲生氏郷などを中心とする6万の豊臣軍はこれを攻めあぐね、
戦線は膠着した。
そこで南部信直の献策により、浅野長政は九戸氏の菩提寺である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として
九戸城に送り、書状を以って九戸政実にこの様に申し入れた

『九戸がこのように籠城し、諸人をあい煩わせているのは意味のない行為です。何故なら、天下を敵に受けて
どれだけ防ぎ続けたとしても、どうして本望を達せられるでしょうか。終には城を攻め落とされて、皆々殺戮され、
一門郎党までも滅亡するでしょう。

ただし九戸は元来天下に対して逆意を持っているわけではありません。であれば速やかに降参し、前非を改め、
京に上がって右の趣を弁明すれば、秀吉公もきっとお赦しになるでしょう。その上私を始めとする諸大名があなたを
弁護するので、死罪、流刑ということには決してなりません。

よしなき謀反人となって一門が滅亡するよりも、戦をやめ降人となってどうか城より出てください。
しかし、もしこれに同心無いのであれば、致し方なく攻め果たすでしょう。』

これに九戸政実は動揺した
「その通り、私は元来天下に対して逆心があるわけではない。弾正殿(長政)さえ納得しているのなら、降伏したものを
死罪や流罪にまですることはないだろう。
それに、私自身の身の上はどうなっても構わない。だが心に懸かるのは11歳になるわが子亀千代のことである。
あの子が生き延び、どこの野の末、山の奥であっても健やかに生活していけるのなら、私はこの首を斬られても
少しも厭わない。」

これに対し政実の舎弟・彦九郎実親は
「殿の仰ることは尤もだと思います。ですが上方の習いとして、弓矢で以って敵を討つ事はせず、ただ謀略ばかりによって
骨折りすること無く人を倒すといいます。去年北条殿も、そのように謀られたために、小田原の城は落ちてしまったのです。
その上、仮に弾正殿が赦したとしても、私達が直接反旗を翻した南部信直が私達を許すでしょうか!?
侍というものは、死すべき場所で死なねば必ず後悔するものです。

今、この城を枕に潔く討ち死にすれば、名は後代に残り滅亡したあとも人々はその薫香を感じてくれるでしょう。
殿はこれをどうお考えか!?」

そう、はばからず発言し、これに九戸家中は、さもありなんと押し黙った。
しかし使者の薩天和尚はこれに

「彦九郎様の仰ることも一理あります。しかし弾正殿ほどの侍が、出家であるこの私に対し偽るとは思えません。
それに降参すれば命を助けると仰った以上、南部信直も自我を押し通して殺害するようなことはしないでしょう。
とにかく天下を敵に請けて、万が一にも遁れられません。一人の覚悟のためだけに万人を殺すというのは、仏神の
咎も深いものです。一旦敵に下り、身命を全うし子孫の後の繁栄を図るのは、これもまた孝行の道ではないでしょうか。
どうか恨みの心を止めて、これをお請けなさるべきです。」

この言葉に九戸政実は遂に、降伏を決めた。


当然、長政の嘘である


九戸城の本丸は蒲生氏郷が接収し、籠城衆はみな二の丸、三の丸に移された。九戸政実は重臣たちとともに
九戸城を出て浅野長政の陣に出頭した。
ところがここで彼らは「降人の作法である」と武器を剥ぎ取られ、囚人のように一ヶ所に監禁された。

「騙された!」

もう遅かった。

89 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 08:00:23.27 ID:Rgn5Goix
蒲生氏郷は「九戸の者で城から落ちようとするものがあれば、すべて殺せ!」と命じた。
政実の舎弟・彦九郎実親は降人に出ず、一人であってもこの城を守って自害しようと思い定めていたが、
浅野長政から様々に『命においては問題ありません。どうか下城してください』としきりに勧められたため、
疑いつつも本丸を降りて二の丸に至ったところで、蒲生氏郷の軍勢が本丸より銃撃し、撃ち殺された。
そして殺戮が始まる。

哀れを極めたのは九戸政実の北の方と子息・亀千代である。
城内に敵が乱入したため途方に暮れ、北の方は亀千代の手を取り落人に紛れ城の外に出た所を、蒲生軍に捕らえられた。
そして氏郷の陣に引き連れられると、氏郷は外池甚五左衛門に命じた。
「首を刎ねよ」

母子を後方の森に引き出し、甚五左衛門が太刀を取り後に回ると、北の方は

「少し待ってください。心静かに最期の十念をしてそれから討たれたいのです。」

そう言うと泣きながら亀千代の側まで近づき

「どうか、未練に見えないようにしなさい。西に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えていれば、必ず浄土に
迎え取られますよ。」と教えると、亀千代はおとなしく合掌し、念仏を唱えながら言った。
「早く討たれよ」

そう言われて外池甚五左衛門は彼の後ろに回ったが、誠に容顔美麗な子供が、細い手をあわせて畏まって居るのを見ると
さすがに哀れだと感じ、暫く討つことが出来なかった。
この姿を見た者達、涙を流さぬものはいなかったという。

北の方は言った
「私から斬られるのが順というものでしょう。ですが、幼い者が母を討たれるのを見れば、きっと驚いてしまうでしょう。
先ず、その子を早く斬ってください。」

この言葉に外池は太刀を振るうと、亀千代の頸は前に落ちた。それを見た北の方は守り刀を取り出し自害した。
外池は母子2つの首を取って氏郷のお目に懸け、氏郷から弔うようにと、菩提寺である長光寺に送られた。

九戸城の二の丸に押し込められた九戸一族郎党は、四方より火をかけられ、猛火の中逃げでてくる者達は
弓・鉄砲・槍・長刀にて討ち取られ、刃を恐れ逃げる者達は、焔に巻かれ焼け死んだ。
老若男女の泣き叫ぶ声は天に響き、目も当てられぬ有様であった。
数代にわたって繁栄した九戸も、忽ちに一時の灰塵となって失せたのである。
(天正南部軍記)

九戸政実の乱、処分の顛末である。




90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:09:18.07 ID:11RoK+SS
九戸政実の乱と肥後国人一揆については、ちょっと悪い話どころじゃないよな。

91 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/30(火) 10:31:23.51 ID:WmDBGrPA
時勢を読めなかったってことなんだろうなー

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:42:16.15 ID:UPwYGmX+
名門でも無い雑魚大名は皆殺しがデフォだな
秋月が赦されたのが例外中の例外
楢柴パワーのおかげ

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 11:22:11.60 ID:kiwqNgSz
秋月は平家方に味方して大宰府現地長官の地位を追われた人の末裔

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:54:35.38 ID:1CCIsB62
ああ、すごく悪い話だな

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:58:45.76 ID:rA8w7bE1
汚いなさすが南部きたない

遅かった話 南部信直・北信愛編

2012年08月11日 20:56

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 23:44:58.10 ID:CU/QAYC2
遅かった話 南部信直北信愛編

すったもんだの末に南部家25代当主として家督を相続した南部信直は、北信愛をそばに呼びこう語った。
「天下に名高き武将は多いが、今皆がその名を知り四海に武威を振るっているのは、織田信長様だ。
諸国諸士はこぞってよしみを結んでいると聞く。
私も参上こそ叶わないが、土産を持たせて使者を送りたい。だが、この遠い糠部の地、なかなか
思うようにはいかない。
それに、信長様に我が家の由緒を示したいが、代々の由緒を記した巻物(系図書)も火災によって
失ってしまっていてなぁ……」

天文18年(8年とも)に、当時の居城であった本三戸城は、晴政に妻を奪われた
家臣の赤沼備中によって放火され、
南部家相伝の証文・系図・家宝などはことごとく燃えてしまっていた。

信直はどうしたものかと思案していたが、そこへ北信愛が
「御屋形様、これを……」
と、差し出した。それはまさに焼けて無くなった筈の系図書だった。
「どうしたのだこれは?!」
「はい、御城炎上ののちに、晴政様は家中に自家の系図を提出させ、その時集まった
30巻余りをつき合わせて抜きだし、
御前で清書しました。私の父は文筆の心得があったので、その手伝いを任されました。
その下書きを、晴政様は私の父に賜り、その後父はこれを私に譲ったのです」

そして信愛はそれから延々系譜の内容について詳しく説明した(長いので割愛)
「――ということで、そのほかにも筆にも及ばぬ言い伝えは数多ありますが、それは
追々話すとして、あらましはこのようなものでした」
信直の喜びはひととおりではなかった。
「よし、こうとなればさっそく信長公へ使者を登らせよう! 誰が良いと思う?」
「このたびの使者は御家の一大事のことです、私が行きましょう。
良い伝えを持って帰りますので、安心して待っていてください」
と、信愛は御家の由緒を荒々と書き抜いて、献上するための馬三頭・大鷹五羽を持って糠部を出立した。

時に“天正10年 6月中旬”のことだった。

北信愛は順調に進み、日本海側に抜けて下越後へ着いた。が、そこで、信長公が京都で
逆臣のために果てたことを風聞に聞いた。
不安に思った信愛はしばらくその所に逗留して情報を集めていたが、風聞が真実だと知ると、
今は上洛しても詮無しと、力を失い帰国したという。




924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 01:53:21.67 ID:TZJ+STfh
本能寺の変への各大名の反応とか調べたいな

色んな情報が錯綜してそうで面白そう


931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:46:39.73 ID:/qNjNtQX
ん?6月中旬ってことは実際は越後は天正壬午の乱中だったんだろうが
信長が死んだことを知らないのになんで越後側に抜けたんだ
まさか上杉が織田と戦ってたことすら知らなかったのか?

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:54:23.60 ID:yi+zMmTj
下越後から船で上杉領スルーするとか?

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 17:32:29.71 ID:HF/OB6T/
>>931
下越後だと新発田重家の領内だろうから、そこから船にするか
関東方面へ出るつもりだったのかも。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 17:34:21.45 ID:UyImDaMx
>>922
この時秀吉に従ってれば、津軽は安堵されたのに(´・ω・`)

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 19:30:48.90 ID:9jyoXUZh
>天下に名高き武将は多いが、今皆がその名を知り四海に武威を振るっているのは、織田信長様だ。
>諸国諸士はこぞってよしみを結んでいると聞く

この程度の把握では信長急逝後の後継者見込みを立てられなかったんじゃないかな

おぢおののき申し候て、有やうを申す人なく候

2012年05月08日 21:04

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 20:38:23.84 ID:cIlYgPCA
おぢおののき申し候て、有やうを申す人なく候

文禄2年、朝鮮での戦局が転換を向かえ、明軍の講和使節が名護屋にやってきた頃、
在陣中の南部信直は留守居の八戸政栄宛てに手紙を出した。

『十郎がこちらに下ってきたので、文を送ります。
5月15日に唐の官人二人(謝用梓・徐一貫のこと)が名護屋に来ました。
(秀吉は)早々に兵を高麗へ入れるべしと申してましたので、
連れてきた者を集めておくようにと仰いましたが、赤キ国(全羅道)を占領せよと命ぜられたので、
8月までの御在陣を仰せられました。
そして近日、佐竹義宣・堀秀治・丹羽長重・織田信包など、五人を渡海させよと指示されました。
なにはさておき、詳しくは十郎がお伝えします。』

『高麗八州四ヵ国は日本に割譲されるとのことで、これは一国が九州ほどで、使者は多くの人々を引いてきて
年貢を送ると詫び言があったそうです。唐の大王も貢物を送ってくるそうです。
これ以上ない条件だと上も下も言っていますが、高麗四か国に
日本の侍を置かなければ平和は無いだろうと太閤様はいろいろな御難題を仰られる。
そういうわけで、北金の都より大将としてやってきた遊撃将軍(李如松のこと)が釜山海に居るので、
太閤様が仰られた通りの事をこの人へと伝えたそうです。』

『高麗に在陣している大名達はさんざんに疲れ果てて、何の役にも立たない様子です。
だがその有り様を秀吉の御前で話しては、即刻処分されるので、皆怖がり恐れて、この有り様を申す人はいません。
この状況をわかってほしい。』

『日本では大身者であろうと小身者であろうと、御前で物を申す者はいません。
日本国内では一切の争いも許されません。ですが、武具などは油断なく準備し、九郎(南部利直)に奉公してほしい。』

『高麗の年貢は年々印子金1万2千ずつだそうです。印子金一つは100目(匁)で、これというほどのものではありません。
弾正殿(小西行長)は釜山海に居ます。
こちらで重ねて何かあったら、おいおい人を下して連絡します。以上

(文禄二年)五月廿五日  信直
 八戸殿』


当時の情勢や秀吉の独裁者振りが垣間見える南部信直の書状。
『高麗に在陣している大名達は~』のくだりを読んだ時、秀吉って本当に独裁者だったんだなぁ、としみじみ思った。
誤訳あったらゴメン。




66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 20:45:37.12 ID:B3YaATvq
もう早く帰りたいと書きたかったけど八戸さんや北爺を
心配させまいと我慢した信直くん

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 05:44:52.47 ID:bN+9LY1b
>>65といい
太平洋戦争といい
原発事故といい…
日本人の気質は400年以上変わってないなw

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 09:57:37.00 ID:yzMucEDe
>>72
大切なのは耳に痛い進言を許す上なのだけどね

そう考えると徳川家は本当に異様だな

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 10:00:16.87 ID:i8fNsTvc
MSNGさん再評価の流れですね

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 10:09:51.62 ID:vyd3V7yM
>>76
進言を取り入れる度量?進言をほとんど必要とさせないほどの智謀あっての度量だろ、jkとの声が届いています

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 11:20:28.26 ID:6+bzqfZS
信長も信玄も、文書上は自分に悪いところがあったら遠慮なく言え、としているね。

……ただ、リアルに考えると怖くて諌言できねえよw

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 14:20:32.32 ID:aMpjFMa+
>>76
三好政長?

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 14:22:54.10 ID:i8fNsTvc
うん、素で間違えた

82 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/08(火) 23:34:30.38 ID:Kamt77nI
>>78
佐々成政

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/09(水) 00:17:22.67 ID:VJ72z96+
>>78
不平分子を炙り出す罠だから......

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/09(水) 02:27:44.62 ID:m0I6GJ3n
>>78
武井夕庵さん忘れちゃ駄目だろ

中野修理康実の怪力

2012年02月06日 21:50

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/05(日) 19:49:34.48 ID:S031iv0F
中野修理康実は九戸政実の実弟だが、九戸の乱の際は南部信直に味方し、その家を存続させた。
だがやはり兄弟を討たれたことに思うことはあったのだろう、信直を恨む様子が折々に見え、そんな吉兵衛に
信直も警戒していた。

さて、この中野修理は大男で怪力の持ち主だった。彼は唐竹の中に鉄棒を仕込んだ五寸回りの狩り杖を
つねに持ち歩いており
三戸城の石垣を組む時、三十人でも引けないような大きな石が落ちてくるのを
その狩り杖で押さえたという逸話があった。

ある冬の事、信直が三戸にて冬雪の上にて追鳥をして気晴らしをしていた。
信直はかんじきを履いて雪の上を自由に歩いていたが、大男だった中野は雪を踏つぶし、
歩くのも難儀しているようだった。
その様子に信直は
「御身はいつも鬼のようだが、こう雪が深くては我には駆けつけられないだろう?」
この言葉に中野は言い返した。

「さてさておかしな事をおっしゃる。御前を手取りにするのは、わが心のままですぞ」
「ほほう、さればわれに追い付いてみよ!」
駆け出す信直、中野は自慢の狩り杖を持ち直し、それを信直のかんじきに当てた。
雪の中にこける信直。中野は
「堪忍せぬぞ!」
とトドメを――刺さなかった。理由は分からない(書いてない)

こうしてこの場は何事もなく終わったが、信直はさらに中野を警戒するようになり、
いつか討ってやろうと折を窺っていたが
結局機会が来ることはなかったという。





時代の変化

2011年10月08日 22:06

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 18:18:04.77 ID:V4BUjsDV
時代の変化

名護屋在陣中の南部信直が、娘婿の八戸直栄宛てに手紙を出し、こう語った。

『ここ最近は上方の者達と付き合って、すっかり心境が変わってしまった。帰国したらわかってもらえると思うが
そのことを整理して帰りたいと思う。

昔の苦労に心を痛めて、昔はこうであったなどと言う者があったならば、すぐに追い棄てられてしまっても仕方ないであろう。
上方では、身分の低い者であっても主人に一生懸命に奉公すれば、すぐ取り立てられて侍になれる。
それを見た者は自分も負けていられないと一生懸命奉公する、こういう”からくり”なのだ。
貴方の所ではまず昔からの身分や家柄を調べて一族の中に組み込んでいく。私らも以前はそうだったが、後悔している。

(だから)上方衆は我々遠国者をとかくなぶる気持ちをもっている。
なので筑前(前田利家)のもとへ、月に一度ご機嫌伺いをする以外はどこにも出ないようにしている。
『日本の付き合い』に恥をかくようなことがあったら、家名を汚すことになる。
もしなにか問題を起こすようなことがあったら、その解決に大変な苦労が必要となる。
朝夕、寝ても覚めても気遣いすることばかりで、その苦労を察してほしい。

津軽右京亮などは筑前殿を訪ねて、くりかえししつこく自分の考えを申し述べたので、
奥村主計からやり込められ、恥をかいたという。その後は筑前殿を訪ねていけなくなってしまった。
大事な人付き合いなので、気遣いすることばかりである。

いまは新しい時代である。さらに重要なことだ。
もし不相応なことを申しつけられても、不満に思うことはあってはならない。
上手く対応できなければたちまち財産や身分はなくなってしまう。以前のような大名の心ではいけないのだ。
全てに念を入れ、何事が起きても、息子の九郎の身上が絶えないように、併せて、しっかり働く事が大切だ。

何度も申し上げるが、八戸はただ古い習慣があるからとばかり言っていて、心許ない。
古い分だけ新しい家風を積むように奉公なさるべきである。
返す返すも、昔を引きずった九戸の一族が、主人の政実をひき倒してしまった事情を考え、
物事の判断をしてもらいたい。
秋には帰るつもりである。よくよく上方のことを語り聞かせたいと思う。

京や田舎、古本(古いしきたり)はもう廃りものなのだから、それにこだわらず、才覚を巡らせて家督を続けてほしい

(文禄二年)五月二七日』

以上書状より抜粋。
既出の部分もあるけどあえて載せてみた。




8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:36:20.04 ID:yWSHIyRl
胸に迫るものがあるなあ

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:40:40.64 ID:Bzdw2q3c
胃に穴あきそうだ・・・

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:49:54.45 ID:bKo91DdR
戦国武将の手紙は、どれもこれも切実なものを感じる
その時その時の時代に対応しなければ、生きていけないのは昔から変わらないんだな

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:22:21.44 ID:XqMtQqt3
>>7
>津軽右京亮などは筑前殿を訪ねて、くりかえししつこく自分の考えを申し述べたので、
>奥村主計からやり込められ、恥をかいたという。その後は筑前殿を訪ねていけなくなってしまった。
>大事な人付き合いなので、気遣いすることばかりである。

本来ならスカッとしたぜと言いたいはずだろうに
憎い髭野郎にすらも同類として哀れむ信直の姿がいっそう涙を誘いますな

南部信直と九戸旧臣・工藤業綱

2011年06月18日 00:03

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:33:30.20 ID:ToXtkX3b
九戸政実の乱の際、九戸党に味方した者の中に工藤業綱という者が居た。
彼は銃の名手であり、九戸没落ののちは一旦津軽へ逃亡したが、南部信直への恨みから
信直の居城となった福岡へ潜伏し、これを討たんとその機会を窺っていた。

天正20(1592)年の正月12日のこと、正月の賀儀を終えた南部信直
その日の夜半、わずかな供を連れて窟の観音(岩屋観音堂)に詣でることとなった。
それを知った業綱は銃を持って待ち伏せる。

燈灯を持った間盗役(忍者)の唐式部を先頭として、信直が供の葛巻覚左衛門・大光寺左衛門らと下堂する時、
そばを流れる白鳥川の対岸から大声で信直を呼ばわる声がする。業綱だ。
「我は九戸左近政実を頼りし工藤右馬助業綱と言う者なり。それなるは信直公と見えたてまつる。
 ただ今九戸が仇を報ずる間、お覚悟めしませ!」

供の者達が矢先に立ちふさがり「燈灯を消せ!」と狼狽する中
唐式部は冷静に、囮となって飛び出し「大丈夫だ、君はここにおられる!」と燈灯を振り回して大声で護衛に呼びかける
業綱は銃を持ち直して放つ。弾は燈灯に当たってこれを撃ち落としたが、
信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。

その日はあいにく雪が降っていたが、捕縛の為に数百人が集まり、遂に業綱は生け捕られた。
信直の前に引き出された業綱は
「九戸の仇を討つ為に君を狙いたてまつること既に十余度、天運も既に乾いてこの次第となりました。
 早く命をお召しください」と請うた。

信直はこの優れた武士を殺すのが惜しいと思ったか、
「旧怨を捨てて我に使える意があるなら、すみやかに命を許し相伝の家人に列し、長く恩顧を与えよう」
と言い、業綱を許して二〇〇石・三十人の足軽の頭として取り立てた。
家臣達はこの厚遇に「お屋形様のご思慮とはいえ、いかなることか」と怪しんだが、
帰服した業綱はその後君臣の礼を守り、忠義を尽くしたという。




203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:39:33.99 ID:d1NdsFiW
>>202
九戸政実の乱のエピソードを聴くたびに、余程慕われた男なんだろうなぁと思う。
その遺臣達を懐柔する南部信直の器量の広さも大したもんだな。

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:11:43.88 ID:bEEWcw+u
>>202
信直さんはこれで殺されかけたの何度目だよ…

それにしても、九戸の乱のとき伊達政宗に「俺が仲立ちするから九戸と和睦すれば?」と言われて全力で拒否っていた信直が、
乱後津軽に逃げたり各地で潜伏したりしてた九戸の残党をまとめて再雇用してるんだよなー
けっこう治安が問題になってたらしい


206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:14:48.77 ID:CLfHF30R
>>205
土佐入りしたカズさんだってそうしてるべ
結局そうしないと治まんないのさ

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:17:43.99 ID:g+sWdfZR
>>202
騙し討ちで、5000人皆殺しのはずが、生き残りがいたのか

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:31:38.24 ID:ISRMMvsl
けっこう脱出できた人間は多かったみたいよ
津軽あたりには九戸の乱で逃れた者が家臣として雇われているし、政実の末裔を名乗るひともいるそうで

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:37:51.34 ID:UuaFzrRx
皆殺しといっても「沢山死者が出た」程度のニュアンスで
実際のところ一城一人残らず全滅、ってケースは日本だとなかなか無いよね

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:02:01.62 ID:58WiPK7p
島原の乱で原城に立てこもった奴はほぼ皆殺し


213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:06:13.56 ID:Ag/wtQST
>>212
つーか原城にこもった連中はむしろ自分から殉死を望んでいた面が強い。
こう言っちゃ何だが、アレは一種の集団自殺だな。

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:21:30.96 ID:a+E9kFqc
>信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。

俺が無知だったらごめん。なんで東北なのに福岡?

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:24:37.97 ID:7W0dkHN1
改名した元・九戸城のことっしょ
筑前福岡じゃないよ

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:30:19.30 ID:ZjbzSMm6
筑前福岡も備前福岡から名前をとって命名されてるし、改名するのは珍しくはないよね

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 20:12:25.00 ID:NXsH5+NQ
>>202
一時的に恭順しても恨みを忘れず、後に本望を遂げた、もしくは失敗して
処刑された奴もいるんだろうな。

津軽為信、年貢米の輸送命令に

2011年05月30日 00:00

830 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/29(日) 20:51:18.75 ID:0HosEl2F
ある年の事である。春から長雨が続いて凶作になった上に、病が流行して多数の
死者がでた為、津軽為信は米や援助金に加え、薬や守り札まで与えて領民の救済に努めていた。
しかし、そこに南部信直から、年貢米を信直の居城である三戸城に送るようにとの命令が伝えられたのである。
他の南部配下の者はこれに従ったが、為信は

「むしろ援助があるのが当然ではないか。」と逆に陳情。

一方、自身は節約を心がけて妻子にも粗末な服を着せるようにしており、
これを知った領民からますます尊敬されたという。

「南部史要」より、民の為に命令違反を犯した津軽為信の良いお話。





831 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/29(日) 22:17:37.78 ID:tR/usN5G
>>830
なんというか・・・色々黒いものを感じてしまう

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:25:14.89 ID:3WKECmfO
結局、南部と津軽って明治維新までに和解出来たの?

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:38:30.65 ID:bVRiF51C
出来てないんじゃないの

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:41:05.76 ID:QvrovA4l
>>830
宇喜多とか津軽とかこういう話があるからこそ
騙し討ち生活でも生き残れるんだろうなあ

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 22:55:05.28 ID:3wXxC4Mg
個人的には津軽さんの場合にはむしろ、南部さんの被害者面がちょっと気に食わない感もある。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 23:39:52.86 ID:7aDeNCS8
>>830
独立前のエピソードかな
髭殿が大名として独立してからは南部に食糧援助したって話聞いた事ある

南部裏切って独立したとかよく書かれるけど
戦国時代的には別に珍しいことじゃないような・・・

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 23:44:22.98 ID:pRL+UOkx
池田・・・じゃなくて相馬大作事件というのがあってだな

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/29(日) 23:53:50.55 ID:p804O9dF
公明党のものですが……?

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 00:06:20.92 ID:7hJyY6vR
津軽は独立時にエグい話があるからなあ

未亡人をものにしようとして断られると攻め殺してもいるし、打算を感じられる

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/30(月) 00:17:51.37 ID:sL8Nvbum
相馬大作事件って逆恨みで発生したようなもんなのにやたら美化されてるよな

戦国時代の二つの南部

2010年12月18日 00:02

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 01:11:44 ID:WD6cwNo9
悪い話で南部さんの盟友?がちょっと出ていたので

戦国時代の二つの南部


天正18年(1590)、南部軍の大将として津軽氏と戦っていた八戸政栄は、
三戸の南部信直の呼び出しを受け急遽帰国した。
二人はそれぞれ三戸南部氏・八戸南部氏の二大巨頭ではあるが、
家中で立場の弱い信直になにかと親身になってくれたのが政栄だった。

このとき信直は人生最大のピンチを迎えていた。彼は思い詰めた末、政栄にこう切り出した。

信直「八戸殿は小田原に行かれるおつもりですか?」

政栄「…………」

信直「いま関東の大小名はこぞって太閤様のもとに参陣し、御沙汰を待っています。
   我らも一刻も早く小田原へ行かねば後々よろしからぬことになるでしょう。
   しかし参陣したくとも、津軽は騒ぐし九戸も不穏だし、領地を留守にはできない。
   だからといって参礼をしないわけにも行かない。

   …あなたは他の末家と違い、朝廷公家に直参するお家ですから、
   一緒に小田原に行き、本領安堵されたいと思っています。
   しかし我ら二人が領土を空けるわけにはゆかないのです。
   
   だから、どうかこの地に残り、南部の土地を守っていただけないでしょうか。
   御朱印を拝領する名代として、ご子息の直栄殿をお連れします。
   当主のあなたが直接参陣できない理由は私から利家様に必ずご説明します。
   
   当家の存亡はあなた一人の思慮に懸かっております!お願いいたします!!」


政栄は少し考えこんでから、静かに語り出した。


政栄「おっしゃる通り、八戸は三戸から一度も禄を受けたことはありません。
   ですが、先祖代々不幸のあるときは互いに助け合い、家を存続させてきました。
   いま九戸政実と津軽為信の反逆によって、ご領内は三つに分裂してしまっています。
   こんなとき私まで太閤様に参礼したら、嫡家の威勢はさらに弱まり、滅亡してしまうでしょう。
   南部の大事に自分の家の都合のことなど申してはおられません。
   
   私が自領とあなたの領地をお守りします。
   あなたはお気遣いなく、すぐに小田原へ行きなさい。
   息子は参陣させますが、八戸の所領安堵はご領内が落ち着いてから後日願い出るつもりです」


信直はうなだれて政栄の話を聞いていたが、話が終わるとワーッと泣き崩れた。
「八戸殿、かたじけない…。ご親切は決して忘れません」


こうして信直は領内に八戸政栄を残し、ようやく小田原に参陣できたという。
結局八戸は大名になれなかったんだけど、
信直が八戸家を立てたので彼の生前はまあ良好な関係だったそうな




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 01:39:06 ID:f1LztK/7
政栄死後の八戸家に対する南部の扱いがなけりゃいい話で終わるんだがな・・・

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 07:29:04 ID:yGpFqwuY
八戸さんはもうちょっと評価されても良いと思う。

信直はいいんだが、利直がなあ…。ただでさえ外様豪族の力が強い南部で
権力を確立する為には外様潰しが必須だったとはいえ。

南部さんの憂鬱な8月

2010年12月16日 00:00

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/15(水) 19:05:45 ID:dgl2CJIl
小ネタだが。

奥州仕置後の朝鮮出兵時、南部信直安東実季は、対立していた両者の和解の証として
安東実泰と南部信直の義娘(北信愛の娘)の結婚を取り決めた。
この婚姻は前田利家を仲介として進められ、文禄4(1595)年8月に二人は結婚することになっていた
のだが、この年、安東実季と比内郡の豪族浅利頼平との間で紛争が起きた。
両者は断続的に交戦を繰り返し、この紛争は中央も巻き込んだ大きな騒動となったのだが、
二人の結婚はこの騒動の影響をもろに受けた。


南部信直が8月に娘千代子に出した書状より
「お前の妹の結婚についてなんだけど、実季と頼平の争いのせいで、比内―檜山間はひとの行き来も
ないそうだ。おかげで連絡なんか来やしねえ、今月は難しそうだ、困ったわ(;´Д`)ハア」

「秋田側から結婚について22日に執り行いと連絡してきた。いや無理だろ(* ̄ ̄)/☆」

「津軽の奴が後押ししたせいで比内がその気になっちまったっぽい。比内勢が秋田方の稲を刈り
取りやがった。近日中に戦争はじまりそうだ・・・orz」

「結婚のことなんだけど、秋田の情勢が悪くなってるからとりあえず待てと人をやった(;´д`)トホホ…」

「秋田への輿入れのことだけど、もう連絡もなにも途絶えちまった。もう先に延ばすしかないわ。
しかも秋田の進退がやばいらしい(;´Д`)マジカンベン」


しかもこの8月には、盟友八戸政栄の息子で長女千代子の夫でもある八戸直栄が病死している。
隣国では戦争が始まるわ、おかげで娘の嫁ぎ先家自体が危なそうだわ、大事な娘婿は亡くなるわ、
どうにも良いことがない南部さんの憂鬱な8月。