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地獄へなりとも極楽へなりとも

2016年01月12日 18:25

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/11(月) 16:04:57.83 ID:ec3QsGx4
天正17年(1589)天草国人一揆のこと。加藤清正は木山弾正(正親)を大将とする軍と戦いとなったが、
これに出勢の時、清正は道の端にて押し行く軍兵たちの様子を見ていたが、南部無右衛門という者が、
真っ先に進むのを見て声をかけた

「無右衛門、今日の合戦は大事なるぞ!一入精を出せ!」
南部、これに

「別儀あるまじく候。ただ死ぬる迄よ!」

そう言い捨て通って行った。この言葉を聞いた人々は、あまりに大きな高言であると思った。
ところがこの合戦は、言葉にも似ず木山弾正の勢に追い立てられ、清正の軍は旗本まで敗れ逃げた。

その後、諸勢によって軍議があったが、南部無右衛門もその場にいるのを見た清正は聞いた
「そこにいるのは何者か?」」
南部無右衛門なり。」

「いやいや、無右衛門は今ここに来るはずがない。もし無右衛門ならば、きっとそれは幽霊であるだろう。
清正の家中に、死人が幽霊となったのを抱え置くというのは忌々しいことだ。
さっさとここから、地獄へなりとも極楽へなりとも、行ってしまえ!」

そう言ってその場から彼を追い払った。

(續撰清正記)



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加藤清正のあたご山攻めにて、南部無右衛門

2011年02月20日 00:00

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/18(金) 23:46:52 ID:AZivvAOO
天正十七年(1589)、肥後の国人天草、志木氏らによる小西行長への反乱の時のこと。

加藤清正は小西に援軍を出し、あたご山という場所に陣した敵軍を攻める。
この時清正軍の先手、南部無右衛門、山岡道阿弥、鵤(いかるが)平次らはあたご山のすぐ側に
備を立てた。これに清正の本陣より使いが来る。その内容は

『その様に山に近い場所に備を立てては、敵が山から落とし掛かってきた場合突き崩されてしまう。
山から離れた場所に備を立て直せ』

というものであった。しかしこの使いに対応した南部無右衛門は

「私が先手に居る以上、そのような心配ご無用でござる!」

と傲然と顔を上げて言い放った。


さて、敵は清正が心配したとおり、山から駆け下り、
これまた清正が心配したとおり、清正軍の先手を圧倒。
先手の備は一支えもできず本陣へ崩れかかり、清正自身が敵の将木山弾正と
槍を合わせるほどの乱戦となった。

さてこの合戦の後、清正は南部無右衛門を呼びつけ怒鳴りつけた

「先手が崩れたのは、お前が誤った判断をしたためだ!!」

ところが無右衛門、これにうなだれるどころかさらに傲然とした表情でこう言い放った

「先手は崩れてはおりませんでした!私は備を立て直そうとして一旦下がらせただけなのです。
ところが山岡道阿弥が何もせず逃げたため、散々に崩れたのです。
叱るのなら山岡を重ねて叱りつけるべきです!」

清正これを聞いて
「その言い方、気に入った!(そのやうに申さるるこそよけれ)」
と、無右衛門の言い訳に納得してしまったそうである。


加藤清正、南部無右衛門の言い分を認める、と言うお話
(武功雑記)




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 00:50:11 ID:dahkB4+s
山岡道阿弥って瀬田の山岡兄弟の山岡道阿弥?
清正に仕えてたの?

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 00:56:44 ID:Z4eyAzS1
>>866
この頃道阿弥は秀吉から清正にお預けになっていたらしい。

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/19(土) 09:56:33 ID:YizMEq5x
無右衛門っつーとのちに二代目五郎左のトコでも迷惑かけてんな↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4033.html

どこに行ってもジャイアニズムで押し通すのか・・・