岡本大八事件を受けての処罰と処置

2017年03月04日 18:23

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/04(土) 02:29:30.81 ID:CyHrUAAx
3月11日(慶長17年)、小笠原権之丞榊原加兵衛以下、御旗本の輩
5,6人を改易なさった。伴天連の宗門に帰依している族である。

原主水正(胤信)も同罪の者であったが、逐電して行方知れずになった。

この時、大神君(徳川家康)の上意あって、今後旗本の面々は各10人組
とし、相互に吟味を遂げて、もし、その中にかの宗の徒がいれば、言上す
べしとの旨を、仰せ渡しなさったという。

――『関難間記』


岡本大八事件を受けての処罰と処置という話。


スポンサーサイト

主水正捕縛

2016年12月03日 08:59

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/03(土) 01:54:55.08 ID:6W60OM/7
同月13日(慶長19年9月)、囚人の原主水正(胤信)が駿府へ来着した。

天主教の宗門に傾倒し、その災いを恐れて去々年に逐電、東国に隠れて
いたのを、(徳川家康の)御下知によって捜索して搦め捕ったものである。

すなわち町司の彦坂九兵衛(光正)にお命じになり、主水正の額に火印を
当てて両手の指を切り、「この者を挙用する輩は曲事である」との旨の
胸札を掲げさせて、追却しなさった。

ところが、岡越前守貞綱が主水正を介抱したとの旨がお耳に入り、
御糾明になったところ、倅の平内が良友の好みにより、

領地に抱え置いたのだが、越前守は存じていないとの旨を陳謝したので、
同19日に平内は改易なされ、貞綱は無事であった。

また、駿府の耕雲寺に主水正が寄宿したのを訴え出た者がおり、住僧を
放逐なさった。

――『関難間記』