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事が多聞に漏れては大功成りがたし

2018年01月12日 17:31

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/12(金) 16:25:20.74 ID:/jyzK9dg
宮部善祥坊(継潤)は、元々近江国宮部の者であった。この宮部は比叡山領だった所であり、
でおよそ三千石、当時この善祥坊を含め3人が領していた。堀氏もその一人であった。

善祥坊は浅井氏にに仕え、堀などと共に織田信長への押さえとして置かれていたのだが、
心変わりして信長に通じた。

しかし、宮部は前々から浅井より疑われており、信長に通じたことを知られれば、浅井によって
妻子尽く殺される事確実であり、家臣の友田左近右衛門を遣わし、早々に宮部より引き取らせるよう
命じた。

この時友田は「御証文を遣わさねば、ご家族は同心して頂けないでしょう」と申し上げると、
善祥坊「そういう事ならば、かねて合言葉が決めてある。この合言葉を言って聞かせよ」
そう言い付けた。

友田は急ぎ宮部に向い、善祥坊の家族をここより引き取ることを伝えたが、案の定
同心してもらえなかった。そこで合言葉を出すとたちまち同心し、妻子を問題なく引き取った。

この時、友田は父の家の前を通ったのだが、行く時も帰る時も父に告げることはなかった。
行きに告げなかったのは、大事の使いの故であり、帰りには知らせようと思ったのだが
事が多聞に漏れては大功成りがたしと考え直し、知らせることを止めた。

その翌日、小谷より未だ浅井の軍勢の向かわない内に、織田家の軍勢が宮部村を接収したため、
宮部の人々には別状無かったという。

(士談)



580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/12(金) 18:29:27.36 ID:jf5269Wz
>>579
合言葉が気になるじゃねーか!
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於萬様は宮部に養育されていた

2017年07月06日 18:40

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/06(木) 11:00:20.83 ID:shzTRTJ6
 秀吉公の於萬(秀次)様は秀吉公の鳥取陣に供をして当国に来ていて、宮部継潤に養子として預けていた。
宮部の陣所辺山森という要害には、役者も数多く居た。落城後は秀吉公播州へ帰陣して、
於萬様は当城に留まり宮部に養育されていた。
天正十年の春には秀吉公は何を思ったか播州に送り返せと命じられ、
継潤に家老として友田左近右衛門か田中久兵衛(吉政)二人のうち一人を付けろと併せて命じられたので、
田中久兵衛を付けた。
この二人宮部家中では才覚武勇優劣付かない侍で、秀吉公も内々召し抱えたいと考えていて、
特に友田を望んだのだが、継潤が惜しんで出さないと考え両人のうち何れかという形にされた。
案の定友田惜しみ、田中の方を差し出してきた。
後於萬様は播州に帰り、秀吉公は近くに置いて大変可愛がり、次第に成長して元服した。
(因幡民談記)