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大阪の陣の頃の流行り色々

2018年07月03日 21:43

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/03(火) 21:31:20.04 ID:XBNxngP4
大阪の陣の頃、数寄屋道具に織部焼と言って、厚手にして青黒い薬をかけた茶碗を用いていた。
上下ともに、その道具にて円座を敷き、茶を点てることが流行した。

その頃、馬道具などは大小名から下々まで、紫、または紅の大房の尻懸が流行っていた。
刀脇差の鞘は、のし付きの金銀、又は朱鞘などが用いられていた

(長澤聞書)

大阪の陣の頃の流行り色々


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見れば明日も生きていけるって思うCMです。

2016年10月30日 20:58

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/30(日) 16:10:43.00 ID:zMfwUGF6
ちょっといい話でも何でもないけど見れば明日も生きていけるって思うCMです。

https://www.youtube.com/watch?v=37Fy8w5aNpI

織部事件

2016年05月16日 15:30

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/15(日) 23:38:21.49 ID:g0H9Yewj
大阪夏の陣が始まろうっとしていた慶長20年(1615)4月28日の昼、京都一条岩神に住む町人の
岡村喜左衛門という具足師が二条の京都所司代へと参り、

「神泉苑の傍に、怪しき者十余人が隠れています。」

との情報を板倉勝重に伝えた。これにより板倉は雑色を先に立て、与力10騎、同心20人を派遣し、
16人ほどを捕縛した。

板倉が彼らを糾明すると、その賊の中の一人で、年寄りの者が白状した。

「我々は、将軍が28日に御出陣と承りました。その時洛中に火を放つべきことを大野と約を定め、
私は十余人ほどを引き連れ京に潜伏しましたが、未だに御出陣の沙汰無く、このため仲間たちは皆々
落ち失せ、今はこの16人だけとなってしまいました。
ここ一両日は食に飢労し、体力も無くなっていたため、動くことも出来ずこのようにやみやみと
縄に懸かってしまったのです。
哀れと思し召され、御慈悲を以って、どうか生命をお助けください。」

これを聞いて板倉は
「下臈の事であるかあら、有体を申すにおいては上に伺い命を助けよう。
しかし、ここ一両日飢えていたというのはよく解らない。なにか買い求めて食おうとしなかったのか?」

「いかにも、代物があれば買い調えたでしょう。しかし一銭の貯えもなかったのです。」

「それは不審な事だ。このような大事を思い立つ者が、どうして用意をしていないのか?」

賊、重ねて言った
「我々も最初は、二十日あまりの計画を立て金銀を用意していましたが、
古田織部正の茶道である宗喜と友人でありますので、彼と合図を定め、城中に狼煙を上げるのを見れば
所々に火をかけると約束し、一両日分だけの糧を貯え置いたのです。
残りの者達は皆、古田織部正に従いました。」

この言葉に板倉は驚愕した
「お前は宗喜と何の由縁があるのか!?」

「博奕の友です。」

「博奕で、初めて出会ったのか?」

「いいえ、十年来の友人です。」

板倉は彼から篤と証言を聞いたうえで宗喜を捕え、双方を監禁し、この旨を言上した。
これによって古田織部正も、その後切腹を仰せ付けられたという。

(新東鑑)



「彼は必ず禍に巻き込まれて死ぬだろう」

2016年01月28日 12:51

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 08:10:08.01 ID:mxjf220e
古田織部正は、古くから伝わる器などが完全に保存されているのを、「あまりに思うところがない」として
好まなかった。されば、書画のような物でも、かしこを切りここを裁ち、普通の茶道具も、多くは破損させ
或いは砕いて、それを再び補修し、継いで用いた。世の人々はこれを興あることと思い真似たため、
世の中から全き物は無くなってしまうようであった。

松平伊豆守信綱の実父である大河内金兵衛久綱は、古田織部について近くの人々に、
「彼は必ず禍に巻き込まれて死ぬだろう」と言っていた。
後年、織部は罪を蒙って誅せられた。
人々は大いに驚き、久綱に聞いた
「あなたはどうして、織部があのようになると知っていたのか?」

「古の宝器と聞こえた物も、世々の乱に多くは紛失し、現在まで残っている物は、皆神仏によって
護持されていたからこそ、このように世に残ったのです。それを、己一人の好みに合わせて破損させると
いうのは、必ず鬼神の憎むべき行為でしょう。ならば、それをしている人もまた、身を全うして終わることを
得られない。そう思って言ったのです。」

これは名言であると、古き人の物語を承った。この事は萬に渡り心得あるべきだろう。

(藩翰譜)



47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 13:10:40.58 ID:WL2rLY7i
言いがかりだなぁ…
たまたま当たったからこうやって記憶にも記録にも残されてるけど
外していたらあっという間に忘れ去られているだろうよ。

安藤さんが本多正純の失脚を言い当てたのも同じようなもんだな。

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 13:15:29.13 ID:WL2rLY7i
織部のやつ怪しからんって思うのは個人の勝手だけど、織部には織部の思うところ(豊臣の存続?)があって

それの実現のために動いた結果、徳川政権と相容れなくなった。つまり結果論だろう。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 13:23:35.17 ID:my13jaj9
DQN眼竜「ほんま名物壊すとかロクでもないな」

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 14:36:46.95 ID:jd9xfX/V
破袋みたいなゴミをありがたがってる織部の審美眼はかなり怪しいw

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 14:59:43.17 ID:nTarwUBU
審美眼は人それぞれだから何とも言えないけどわざわざ壊してまで好みに合わせるってのは凡人にはよく分からんなあ
自然に壊れたものに金継ぎしたり鎹打ったりしたものが味が出て喜ばれるってのなら分かる気もするけど

古田織部が茶の湯の宗匠だった時

2014年04月25日 18:45

78 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/24(木) 20:57:18.18 ID:B5vX70uC
せっかくだから茶の湯の話をしようか。

古田織部が茶の湯の宗匠だった時のお話。

織部が気に入っていた大工に喜右衛門という者がいた。
そのころ茶の湯を嗜むものは織部を崇敬していたので、喜右衛門にも懇ろにしていた。

ある人が茶会を催し、谷衛友を上客にし、お相伴のニ三人のうちに喜右衛門を加えた。
その茶会の当日、やってきた谷衛友喜右衛門は露地で出迎えて
「今日はお相伴させて頂きますので、かなり早く来てしまいました。」
と言ったところ、谷衛友の機嫌はみるみる悪くなり
「客の選び方がおかしいだろ」
と帰りそうになったが、お相伴の人たちがいろいろ取りもって、何とか穏便に済ますことができた。

当時はこの出来事について、様々な批判がでたそうだ。





79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 21:06:09.90 ID:c8AoaX8x
そういえば今日へうげもの18巻発売日だったね(宣伝)
ついでにローゼンメイデン最終巻も買ってきたわ

茶入が高値になったのも

2014年04月23日 18:52

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 19:47:01.19 ID:+iMs8WN/
茶入が高値になったのも、ここ近来の事である。この老人(著者)が少年のころは、
世上おしなべて名物というのは、玉堂という茶入と、利休の円座肩衝と言うものだけであった。
しかしこれらも、何程という物でもなかったのに、今では無類の名物のように言われている。

その後ある時、相国寺にあった、名を相国寺という唐焼きの肩衝を、古田織部が黄金1枚で求めた。
これが茶入が高値となった始まりである。しかし程なく加賀の前田家に千五百貫で売った。
これは当時、古田織部が間悪く金が無く、借金の返済をせつかれた為、その借金を支払うために
売ったのである。

道哲親円浄坊が取り次いで、前田家より代金を持ってきた時、この私も織部方に居合わせていた。
黄金60枚と、蓮華王の茶壺をひとつ持って来た。壺は織部の方から所望したものである。

円座肩衝は今は江戸にあるが、明暦の大火の時に消失したそうである。

(老人雑話)




50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 22:38:13.61 ID:oQ50ob0w
戦国期の茶器の名物って、ふ~ん、この程度のもんがね~
といいたくなるような代物ばっかりという印象。

江戸時代とは工芸のレベルが違いすぎるんで、
どうしても稚拙に見えちゃう。

もちろん、戦国期でも明のものすごい陶器・磁器は入っていたんで、
あえてああいうものを名物扱いした面もあるんだろうけどさ…

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 22:51:25.83 ID:lz5MHbul
おいおい、いくらなんでも知ったかぶり過ぎだろ

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 23:18:01.33 ID:QApH+8kg
これは酷い

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 23:35:46.65 ID:USbTqCmw
>>50
工芸品としては曜変天目(特に稲葉天目)が最高峰だろうけが
茶を飲むなら、工芸品としては大した事ない楽の黒茶碗の方が
濃茶の緑が映えておいしいはず

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 23:46:28.39 ID:zVDrE6OV
確か利休の頃までの茶は黄褐色だった様な

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:00:19.02 ID:uTXUlDps
日本では茶器の来歴が一番重要だからね。
大陸ではただの雑器でも、将軍や大名、大商人が
これは良いものだと言い、受け継がれていくと名器に化ける。

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:16:38.86 ID:ruw1rFiG
茶器バブルは信長公の頃頂点に達し、焼き味噌殿が天下取って崩壊

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:22:11.32 ID:dqLsp4XZ
この前の逸話であったように金銀の流通が多くなればそれだけ貴重品の物価も上がるのでは

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:29:17.28 ID:mQzjKopQ
今日、有田の天目が\1000で無造作に積まれてた

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:34:16.85 ID:rBfI8Yi+
気に入ったのを買ってらっしゃい

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 11:47:08.23 ID:tlFClwQp
有田って磁器だよな?
天目って陶器だけど?
もうちょうましな嘘つこうぜ

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 14:25:58.47 ID:3Ecy/FsP
有田陶器市来れば有田焼買い放題だぞ

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 15:47:19.85 ID:eaAIOIIi
織部のほうがいいな。黒は重々しくなってしょうがない

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 00:58:31.06 ID:KGiRFpVz
>>60
有田っていまも陶器だけなの?
じゃあ、有田と嘘ついて売ってるのかな

72 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/24(木) 17:39:05.58 ID:b6x5TlJJ
天目形ってかたちがあるから、
天目形してる茶碗なら磁器だろうがプラスチックだろうが天目茶碗と言っても間違いではない。
使う時は天目台っていう台にのせて、貴人にお茶を出すときや神仏へのお供えに使う。

実家は古い寺だったから色んな天目茶碗があった。
唐物もあったし、瀬戸物も染付のもあった。

[ 続きを読む ]

古田重治は青木一重に向かって話かけた。

2014年04月20日 18:48

827 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2014/04/19(土) 17:53:22.77 ID:4D7S36vy
ある時、古田重治は青木一重に向かって話かけた。

古田「(*゚Д゚*)キミ、越前の真柄を討ち取ったんだって?その時の話を聞かせてくれよ。どうやったんだい?」

青木「いや、真柄って人は凄く強い人でさ、本当なら僕が討ち取れるような相手じゃないんだけど・・・巡り合わせがよくてね。
真柄がケガして疲れ果ててるところに出くわしてさ、たまたま僕が行きがかり上討ち取ったってだけなんだよ。
だから話すことなんて無いんだよね。(´-ω-`;)ゞ」

飾らない青木の態度に、古田や聞いていた者は皆感じ入ったという。





監物は目が悪いので

2014年02月01日 19:00

千利休   
455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/01(土) 13:18:40.83 ID:hkj9H/FP
 千利休の弟子の芝山監物は大坂座敷の床柱にふさわしいものを探していた。
大工の藤五郎と相談して、炭の担い棒を千利休に見せて、床柱にふさわしいか
どうか尋ねた。すると利休は「一段と数寄が上がりましたね。見事です」と褒めた。
その後、芝山監物が部屋から出て勝手の方へ行ってしまうと、同席していた
古田織部が「本当にそれでよろしいのですか」と利休に尋ねた。
 利休は「監物は目が悪いのでこのようなゆがんだ細い柱を床柱に選んでしまった
のでしょう」と答えた。
 床柱がゆがんでいると掛物もゆがんで見えてしまう。ただし、内側に少し
ゆがんでいるものは良いとのことである。(茶道長問織答集)




456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/01(土) 13:33:10.67 ID:yppaf1PD
どうやら夕佳亭の床柱なんかもお気に召さない模様

織部も泉下にて喜んでいることでしょう

2013年07月20日 19:57

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 21:24:08.37 ID:ALqSd73d
前田利常の元に小堀遠州が御出でになり、四方山の話をしていた時に、利常がふと

古田織部の焼かれた茶入の中でも良い物で、なおかつ織部自身の茶の湯に出した
茶入というものは、あるのでしょうか?」

遠州は答えた
「ええ、御座います。その茶入は、餓鬼の腹によく似ているからと、『餓鬼はら』と名付けられた
茶入です。実に、一段見事な茶入です。」

これを聞いてその茶入を手に入れたく思った利常は、遠州の語った内容を書き付け、
京都でこれを尋ねよと高田弥右衛門らに命じた。

高田達が探し尋ねると、その茶入はとある町方のものが所有していることがわかった。
その町人に、譲ってもらうよう頼み、代金のことについて尋ねると、
高田が買取の値段を言い出す前に町人は

「何と言っても御大名様がお尋ねになった事ですから、金五百枚と申し上げてください。」

と、金五百枚を要求した。そこで高田弥右衛門もこれを利常に報告した。
そうした所で利常は小堀遠州に京へ言ってもらい、その茶入を確認してもらった所、
「成程なるほど、間違いなくこの茶入です。」
とお墨付きを得たため、利常は高田に金五百枚を遣わし、町人より茶入を買い取った。

その後、小堀遠州がまた利常の元に参った時、利常はこの『餓鬼はら』の茶入で茶の湯をされた。
茶の湯が終わると小堀遠州が尋ねた

「この茶入を買い入れるのに、代金はいかほど必要だったのでしょうか?」

「持ち主が金五百枚と申しましたので、その通りに遣わしました。」

これを聞くと小堀遠州、手を叩いて痛快そうに
「実にご尤もなことです!御大名がそのようにしていただいてこそ、織部の焼き物に
価値が付くというものです!織部も泉下にて喜んでいることでしょう!」

そう申し上げ、帰っていったそうである。
これは今枝伊兵衛の話に承った事である。
(微妙公夜話)




733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 00:06:01.37 ID:MNPFUEiv
糞ガキの元ネタか

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 11:32:29.75 ID:S2B+QJIP
みんなで価値を釣り上げるのか

あれこれ考えましたが、色々お望みされても

2013年07月08日 19:53

千利休   
631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 00:04:04.75 ID:GuwzKjER
  この暁に三人様がお越しくださってありがたく思います。
  あれこれ考えましたが、色々お望みされても、樂茶碗を皆様には準備できません。
  私の手元の「大黒(おおぐろ)」は紹安(利休実子の道安)へ譲りたいと思っています。
  「早舟」は松賀嶋殿(蒲生氏郷)にお届けしたく思います。
  茶碗を早く欲しがっている越中様(細川三斎)もその事はご了解頂けないと困ります。
  「大黒」を紹安に、「早舟」を松賀嶋殿に与えるという事を古織様(古田織部)とご相談頂き、今日中に済ませてください。
  明日には松殿(氏郷)は伊勢松ヶ嶋に戻られます。
 「早舟」については仕方ありませんし、お届けする事は難しいです。
  越中様もご理解くださいまして、
  右の通りに「早舟」は氏郷殿に、「大黒」は紹安に与える事に致します。
  申し訳ないですが、そのように致します。
 
天正十五年頃、利休が作らせた黒茶碗という名物に
利休の弟子の三人(三斎、織部、他一名不明)が強く魅入られ
唐物とは別の新しい茶の湯の形が出来上がっていく当時の事情が伺える書状である




632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 00:25:08.53 ID:dyP9ywVX
>>631
茶の湯批判した武士の言葉も残ってるがなんかわかるな
いらぬ争いや、いらぬ浪費になる部分が茶の湯にはあるかもね

徳川家康・出陣延期のこと

2013年03月08日 20:12

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/08(金) 00:59:49.12 ID:uUdFZGBb
大阪冬の陣の講和もつかの間、慶長20年(1615)4月26日、幕府と豊臣家は再び手切れと成った。
27日、伏見城の将軍・徳川秀忠は二条城に有った家康と会談し、大阪攻めのため秀忠は
翌4月28日に出陣、家康は5月1日に出陣することと決め、秀忠はその準備のため伏見へと帰った。

が、その夜、秀忠は翌日の出陣のため早くに寝所に入っていたが、亥の刻(午後11時頃)家康より
秋元但馬守が使者として訪れ、

『明朝の出陣は中止するように』

との命を伝えた。

秀忠はこれに大いに驚いた
「大御所様は一体どういうおつもりなのか!?既に出陣が決定しているのに、俄に繰延するとは
その御心計りがたい!
既に先手として、井伊掃部頭、藤堂和泉守、榊原遠江守、本多美濃守、松平下総守が、
平潟橋本まで進出しているのだ!まったく心得難い!」

そうりた本多佐渡守(正信)を呼び出して相談したが、正信からは「ともかく家康公にお任せになるべきです」
と言われ、そのため家康の命を了承した旨を伝え、秋元を返した。

しかしそれでも秀忠は、この命令変更の理由を知りたいと思い、安藤対馬守を二条城に派遣した。
このようであったが、出陣の延期は変わること無く、秀忠は5月1日出陣、家康は同3日に出陣と決まる。
が、これもまた延期され、最終的に秀忠は5月3日に、家康は同5日に出陣となった。

この時家康は大阪路を取って大阪城へ向かう事とし、諸軍勢に対し3日分の腰兵糧を持っていくよう
触れをだした。荷駄馬を使うのも無益とし、家康自身、糧米5升、味噌2升、塩3升、塩鯛2枚、
鰹節10、というごく軽い支度であり

「今度の合戦、勝ったとしても負けたとしても、3日目には京に帰る」

と言っていたという。

ところで家康が出陣を延期したのは、このような理由があった。
古田織部少の家来に木村宗喜という茶坊主が有ったが、これが大阪城からの謀略に従い、
家康秀忠が大阪に向かって出陣した後、京伏見を焼き払う計画があったのである。

この計画は、大阪城内のものが幕府方に返り忠をして知らせたため発覚した。
知らせたのが何者なのかははっきりしていないが、人々は大隅与左衛門であると
言っている。

然して5月3日の晩、木村宗喜は捕縛され翌日斬首と成り、また古田織部少も
板倉伊賀守に身柄を拘束された。

こういった事態のため、家康は出陣を引き延ばしていたのである。
(村越道伴物語留書)




852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 09:26:28.19 ID:8+NklLJ6
>>851
家康の支度が激しく謎だな。

三日分で糧米5升、塩鯛2枚は納得するけど
味噌2升、塩3升、鰹節10は一年分かよって量だ。

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 11:07:05.05 ID:5GTWu+47
合戦で汗かくと塩分消耗激しいからかな?
味噌と塩は携帯できる調味料の主だろうし
鰹節も持ち運びやすい保存食

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 13:35:17.49 ID:8+NklLJ6
>>853
いやいや一日「一升」の塩を採るのは不可能だろ。
一日の摂取量はせいぜい「勺」単位だと思う。


古田織部など昔は下手の部類であった

2012年06月18日 21:00

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 18:26:01.67 ID:ki6yvYI/
古田織部など昔は下手の部類であった
上手の茶人たちが皆この世を去ったがゆえ織部が上手に見えてもてはやされておる。

だがな・・・当世の茶人どもはその織部にも遠く及ばぬ者ばかりなのじゃ(´・ω・`)フゥ…

三斎様の近頃の若い者はなお話




21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 19:13:47.71 ID:LF71Jdc7
遠回しに俺スゲーしてる三歳さんマジ三歳

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 20:35:52.08 ID:CijZPTMV
有楽斎様がニヨニヨしながら見ておられまする

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 20:50:46.98 ID:FeA03xLK
いかん
いつまでたっても精神年齢三歳のままだ

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 22:45:13.82 ID:rNepJm1z
>>20
生き証人が少ないと好き勝手言えるんだよなw

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 09:39:06.81 ID:JQwGnOdV
忠興が好き放題言っても織部も有楽も青筋立てて反論なんかしないだろうしなぁw

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 09:53:25.22 ID:nvGXQihq
この発言の時他の利休七哲ってもうほとんど亡くなってるのかな

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 10:37:43.22 ID:jKBBDagP
細川忠興 当人
古田織部 言われた人
織田有楽 存命
高山右近 存命だが金沢

蒲生氏郷、物故
芝山監物 不明
瀬田掃部 処刑済
牧村兵部 朝鮮で没
荒木村重 物故

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 17:36:43.72 ID:TOaqXHhj
七哲だから九人いるんだな

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 17:57:52.02 ID:W9oqS2v7
有馬豊氏入れて十人じゃなかった?

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 18:18:47.53 ID:9FnLyRed
四天王と同じで適当に入れ替わるし、織部も七哲に入らない事もある

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 20:26:58.32 ID:QNxDRloj
>>24
後世の評価では三斎様より織部の方が圧倒的に評価高いからなあ
創意工夫を続けた織部と利休の作法を墨守した三斎様では前者の評価が高くなるのは仕方ない


32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 20:36:01.49 ID:eC8waPxB
三斎様は茶道以外の面で評価を落としすぎw

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 22:26:33.04 ID:cRSyYLnC
織部の場合は戦国武将としての評価を落とす時も
何をする時も茶の湯絡みだからな
しかもそれで茶の湯馬鹿としての評価はうなぎ登りになるというw

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 23:23:14.37 ID:a6mb/eG4
パラメーターを文化にふりすぎたんだな

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 13:51:30.90 ID:67m/wHHr
>>30
それは無い

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 17:42:03.90 ID:EmjsoCwq
>>27
あらためて見ると利休の高弟って
頭のネジがちょっと飛び気味な人が多い気がする
良くも悪くも南蛮かぶれ率高いし

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 18:11:27.71 ID:+D51LTxj
利休も色々アレだしな。

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 20:17:58.02 ID:JH30sZNb
『千』なんていう中二臭い苗字名乗ってるからな
普通に田中利休でいいだろうに

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 20:28:09.77 ID:omQLERFP
千って自分で名乗り出したの?

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 20:36:09.96 ID:bVwEYcPh
抛筅斎でええやおまへんか

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 21:11:44.83 ID:LTS7DLig
>>38-39
千性を名乗り始めたのは利休の親父じゃね?

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 21:34:18.42 ID:omQLERFP
>>41
うむ。そうらしいな。

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/20(水) 00:13:05.50 ID:PJfY082c
日本史の茶道だとメインストリームしかやらない

村田珠光 侘び茶の開祖
武野紹鴎 侘び茶を継承
千利休 侘び茶を大成
古田織部 大名茶
小堀遠州 綺麗さび

三歳様....(´・ω・`)

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/20(水) 00:27:18.76 ID:3mwhdrwn
忠興「侘びる前に刀の錆」

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/20(水) 00:34:29.56 ID:60T+aq8c
>46
メインストリームだけだと省略されがちだけど、茶人の逸話系の本だと頻出になったりもする三斎様

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/20(水) 00:53:09.11 ID:3mwhdrwn
岡倉天心の「茶の本」に三斎・小堀遠州はよく出てきてたな、そういや

この様子を笑って見ていたという有楽斎は

2011年12月12日 22:00

343 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/12(月) 03:35:48.58 ID:3doaVf8q
ある時、織田有楽斎は千利休亡き後に茶の第一人者となっていた古田織部と共に、
秀吉の遺児である秀頼のいた大阪城での茶の湯に招かれた。茶会では、豊臣家重臣であった
加藤清正が秀吉に献上した茶器が使われ、出席者は秀吉や清正に敬意を表すようにこの茶器を押し頂くのが
決まり事になっていたのだが、織部はそれに従わなかった。この様子を笑って見ていたという有楽斎は
茶会が終わった後、織部に

「くつろぎなされ。」

と枕を差し出して二人で座敷に寝転がり、側仕えの者に点てさせた茶を寝ながらに飲むという
無礼講を行ったという。 以上、微妙ですけど織部を注意しなかった有楽斎の悪い話。




344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 09:26:42.72 ID:z2fdKoS5
有楽さんは信長の弟だからな
秀吉が生きてた頃はともかく、秀吉死後なら「秀吉や清正に敬意を表すようにこの茶器を押し頂く」とかアホらしかったんだろ

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 11:52:42.60 ID:W2D1de8V
誰が主催したのか知らんけど、主人に対して失礼な話だな
織部の弟子の誰かによるものだったのかな。
有楽斎が招いた茶会というのなら笑い話だけど

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 12:37:24.13 ID:JLg7dFG3
織部だけだと「あいつマジ感じわりーわー(怒)」ってなるけど
「そのあと有楽さんも一緒に寝転んでお茶飲んだんだってさ」ってなると
「ほんとマジあの二人子供だわーやんちゃで困るわー(笑)」ってなるじゃん?
ちょっとトンガリすぎた織部をフォローした有楽さんナイスじゃん?

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 14:05:58.79 ID:W2D1de8V
でも招いたほうの主人は救われてないよね?w


348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 14:35:51.90 ID:HZh4fW9F
だから悪い話なんだろうなw

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 15:01:05.75 ID:Tb798F9g
そもそも、織部が家康・秀忠に切腹させられた理由は何?

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 16:10:37.32 ID:HZh4fW9F
秀頼の子、かくまったから?

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 19:06:19.58 ID:UwRNiIUM
織部の豊臣家に対する心情的には別に他にならえで構わんかった気がするんだよな。
単純に、茶にそういう無粋を持ち込むなよってことだったのだろうか?
間違いなく奇人変人に分類される人だけにやる事が意味分からん。

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 22:25:05.00 ID:a1kIEFNx
>>343
この逸話は何年に起きたものという事になってるのかね?
関が原前なのか後なのかで見方が違ってくる気がする

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 22:34:33.69 ID:eBOElI7u
>>353
関が原後

というかガイシュツの話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4303.html

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 23:05:40.32 ID:nKoG+jpl
ちょっと話の流れが違うと思うんだが。
出典が違うのかね?

まとめに在る方だと織部がパニクってどんがらした話だし、
今度のはわざと秀吉や清正に敬意を払わなかった話だよね?

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/12(月) 23:14:28.64 ID:a1kIEFNx
>>354
thx、1607年の事か

つったらもう(表向きは秀頼が主君だが)徳川の天下状態
それもこれも自分も含めた皆が東軍についた結果
今更「秀吉の忠臣清正の~」とか何か薄ら寒くね?
とか感じた結果だったりとか

まぁ勝手な想像だが

細川家「古田織部は…」

2011年10月20日 22:00

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 11:05:38.81 ID:59//tCDO
いい話か微妙だが

天正7年(1579)9月、雲林院式部大輔を主将とする三千が篭る丹波鬼ヶ嶽城を攻めていた明智光秀のもとに、
細川忠興が重臣・松井康之等の手勢を率いて駆けつけた。光秀は、婿の加勢を喜んだ。

「では忠興殿、大手門(表口)を攻め候え!」
「手柄の機会を回していただけるか、かたじけない。」

だが、光秀の命に従わない者もいた。

「ふっ、馬鹿正直に大手から攻めていては、いつ落とせるか分からぬわ。」
細川家臣の古田左助は、城の裏山から搦手門(裏口)を打ち破って攻める事を企て、山の間道へ押し入った。

左助は途中、城方の物見と遭遇し、一騎討ちの末これを下したり、木の根、岩の角に取り付いたりしながら
やっとの思いで城の裏山によじ登る事に成功すると、一息に坂を駆け下り、搦手をこじ開けて大音声を発した。

「古田左助、一番乗りして敵を討ち取ったるぞ!!」

「ちッ!左助に出し抜かれたか!」
これを見た忠興が発奮し、相手をしていた騎馬武者を突き伏せ首を取ってみせると、それが合図としたように
全軍一同に城へ攻めかかった結果、城主の雲林院こそ逃がしたものの、城を落として二百余を討ち取り、
城方の救援に駆けつけた、名だたる赤井悪右衛門直正を撃退する大戦果を上げた。


褒美として五百石を与えられた左助は、その後も戦功を重ねて信長の直参に取り立てられて織部正を名乗り、
千利休に弟子入りして茶道の達人となった。すなわち、古田織部である。

“(当家の記録はこうなので)信長公記等で織部を最初から信長直参とするのは疑問が残る”(綿考輯録)


工エエェェ(´д`)ェェエエ工




179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:28:15.04 ID:SntYkKwA
その記録の方がよほど疑問に残るw

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:53:16.92 ID:RT4ksHeo
織部が細川家家臣だったなんて面白いw

181 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/20(木) 13:12:24.61 ID:wLqoC7B4
なんと言う猪武者…織部


だめだ、イメージがわかない

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:26:34.54 ID:vAdDsRZl
ありえない

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:31:55.87 ID:72Gec9Ki
これはあり得んだろうとは思うが
実際、古織さんはどれくらいの強さだったんだろう

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 16:20:05.64 ID:cyAcRuAk
まあ一応信長直参の侍だしそれ相応の強さだったんじゃないか?

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:05:50.41 ID:tLFlhn2W
確か、細川元首相がへうげ作者との対談で言ってたなあ、これ
ソースは綿考輯録だったのか

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:29:00.88 ID:xy+6/ktN
細川元首相って今は茶人、陶芸家をしてるらしいが
作品が結構な値で取引されてるみたいだな
ネームバリューでの評価が高いんだとは思うが現代にも数奇者が多いのかね

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 18:49:17.72 ID:AOq2ILgY
永青文庫ってお宝あったっけ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:42:47.05 ID:uWBq4EYU
永青文庫はお宝の山です。
仕事で関わる度にゲヒヒしたくてたまりませんよ!

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:47:43.84 ID:3GhbbP3C
へうげもので細川ガラシャの死がむちゃくちゃに書かれていた、ときいて
細川元首相の心象を害さなかったんだろうか、と思ったが、細川ガラシャ系の子孫ではなかったんだな

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:53:38.84 ID:Rj5aTVKA
>>187
金象嵌銘 光忠光徳っていう刀とか時雨螺鈿鞍、金銀錯狩猟文鏡は国宝だよ。
宮本武蔵が描いた掛け軸とかは重文だったかな。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 21:49:00.31 ID:Q1KysmMC
特別展覧会 「細川家の至宝―珠玉の永青文庫コレクション―」
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/111008/index.html
 三斎様の偏屈そうな肖像画と忠利の人のよさそうな肖像画の対比が印象的でした。

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 02:14:15.42 ID:nNPXazme
>>189
つか幽斎様だし>細川護煕(職業:陶芸家)

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 03:06:35.09 ID:r7txd6tf
>>189
無茶苦茶といえば無茶苦茶だけど、
大変格好いい死に様でしたよ

12連斉射銃を持ちだして石田勢をなぎ倒すとか、
さすが鬼の嫁は蛇と自称するだけのことはある

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 09:55:06.34 ID:Hb/COBz3
>>191
「美の世界では天下人」とかいうやつだなw

古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得た後日談

2011年09月03日 22:03

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 13:40:36.56 ID:zAQjJHSq
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5420.html
このお話で佐竹陣でハゲ頭のおかげで負傷した古田織部さん。その後日談


慶長19年(1614)11月27日、古田織部は将軍徳川秀忠の元を訪れ

「いやはや!先日佐竹義宣の陣に訪れた時、堤の陰より放たれた銃弾が左の眼の辺りに当たりました!」

と語ったが、秀忠はそれに感心のない様子で、すぐに別の話題を始めた。
後で秀忠の近習たちがこの事について語ったことには

「自分の陣所で傷を負うなら忠節というものだろうが、軍令に背いて他人の陣所に行って流れ弾にあたって
負傷するなど、不覚なだけではないか。」
と笑いあったという。

しかし先の逸話で
> 「ああ、この初めての手傷を自分の担当する仕寄で負ったなら、少しは御感に入ることも出来ただろうに、
> よりにもよって他所の仕寄で負うとは、これでは丸損ではないか。」

って自分で言ってるのに、それでも一応、ものは試しに言いに行ってみたんですね、織部さんw
(難波戦記)





671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 14:57:44.79 ID:2qeS4u7Z
何となくなんだけど、権現様と織部の関係って太閤さんと利休の関係と被るんだよね。
茶の湯ってそこまで凄いものだったのかねぇ。

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 15:07:20.62 ID:6RFc39b6
その織部も大坂の陣後秀忠に切腹させられてるからな
茶人の末路はせつない

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 15:08:17.25 ID:IugRXrva
今の日本文化は茶の湯が作ったという人もいるからな

茶しばくだけじゃなくて、礼儀作法全般から、
書、絵、陶器などの美術品から、建築や作庭、装束まで網羅するとも言える
今みたいなただの趣味とは意味合いが異なる

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 16:02:05.00 ID:akHi88yC
そういえば秀忠の茶の湯のブレーンは、山本道句といい金森可重といい、古田織部の弟子なんだなあ。
何故かその中に、あの佐久間信盛の嫡男で、信長から例の折檻状で「茶の湯やりすぎ!」って叱られた
佐久間信栄が、茶人として混じってたりするがw

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 18:19:52.62 ID:vfoDCM4N
なんか古田織部は反抗のための反抗って感じで、利休と違ってあんまり同情できないんだよな
茶道のために筋を通したんならともかく他人の嫌がる様をみて喜んで、挙句の果てに大阪方に内通
いつか誰かに殺されてもしょうがない生き方だったと思うよ

まあ>>670の織部は、書き方もあってユーモラスに見えるけどw

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 18:37:43.88 ID:ghZpOZWt
実際の古田織部がどうして内通したかは分からんが
へうげものの古田織部だと茶器を大阪城から盗む為に息子と共謀してたんじゃね?と思えてくる
不思議!

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 21:26:08.44 ID:2qeS4u7Z
動機って点じゃめちゃくちゃ不自然な事件だとは思う。
既に勝負が見えてからの、真田信繁、後藤基次、塙直之。
当時の武将が何考えていたのか、損得だけで動機考えるのって無理があるかな。
ただね、織部が切腹した後の家康の反応がこれまた不自然。
それこそ長安事件と同じ匂いがするんだよね。


678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 21:33:07.51 ID:XW0Eps16
師匠の利休とはまた違う意味で、謎の多い死を遂げたのか織部

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 21:42:38.20 ID:akHi88yC
しかし織部は大坂の陣の段階でも大物ってほどでもなく、利休のように政権に深く食い込んでいたわけでもなく、
コネクションがあると言ってもそれが即幕府の脅威になるようなものではなく、
やっぱり単純に、息子が何らかの形で豊臣と通じていたのが発覚して、責任とって連座で切腹、
ってことだと思うよ?

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 22:15:00.38 ID:uz/LElpf
茶道筆頭でしょ? 当時の茶の湯の政治的重要性から考えると十分に重要人物だと思うが。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 22:17:36.25 ID:81XZEsGI
まぁそう思うだけなら故人の自由ですから

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 22:28:20.51 ID:1e7JzRzD
まあ、マジで内通してたなら切腹じゃなくて斬首ものだよな。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 00:16:22.80 ID:SGh8Mp4H
へうげものや、上のリンクの逸話を知る前の古田織部のイメージ
・千利休の追放の際、細川忠興と二人で堂々と見送った剛の者
・歪な道具を好んだ粋な茶人
・武士としても活躍

あれ


684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 06:22:18.12 ID:a7ThJi9u
茶の湯の文化だけじゃなく、安土桃山の政治史への重要な関わりを知れば知るほど
韓国茶道ってばかみたいと思うの

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 07:55:39.83 ID:J40O4g6A
織部切腹は、徳川家以外に権威があっては好ましくないから始末されたのだと推測

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 10:30:02.51 ID:BZvGkTZF
織部の権勢なんて徳川からみたら屁みたいなもんだろ

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 10:43:33.72 ID:pMlIvP4l
邪魔だから排除した、じゃなくていらないから捨てたってイメージ

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 12:50:33.00 ID:lgImhBFC
切腹まで含めて織部の芸術なんだという気もする

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 12:53:54.74 ID:UuF0Kzeq
へうげなら、最後はさぞ凄い顔芸して終わってくれるだろう

ある時、浅野幸長が古田織部から

2011年07月27日 23:09

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 18:15:12.99 ID:EeG8E2xt
古田織部「五金時殿くらいで」



175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 21:44:40.24 ID:/pLjZPZs
>>173
ある時、浅野幸長古田織部から、狭い茶室での道具の置き方・所作の仕方等の稽古を受けた。

「よいですかな浅野殿、客も炉も自分の右側にある時はこうする。客が右、炉が左の時はこう。」
「ふむふむ。」
「客も炉も左の時はこう、客が左、炉が右の時は…って、この辺は前の稽古の時どう教えましたかな?」
「………済まぬ、忘れたようです。」


そこで二人は、前回の稽古で同席した上田宗箇を呼んで、この件について問いただした。

「………申し訳ござらぬ、それがし、師の教えを失念いたし申した!!」
「(え~)………」
「………?」
「……………」

「…と、とにかく、こういうものはその場その場でやってみなけりゃワカランものにござるよ。」
(織部候云、兎角その座敷にて置合てみねば、たしかならず)

「なるほど、そういうものですか。」
「うむ、そういうものです。」


織部のおかげで一つ勉強になった
…わけもなく、こーゆーお人に「白黒つけろ」とか㍉にゴザルよ。




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 09:56:45.63 ID:K5IF7UPx
>>175
みんな忘れたのかよwwww

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:02:15.87 ID:IUg9pvcb
>>175
織部も忘れてる?www

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:10:52.93 ID:O5JhFgs2
消防のころ先生が答え忘れてみんなに聞いてもわからなかったこと思い出した

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:30:13.96 ID:WBUAFs8e
小学校の問題の解答くらいは、その場で考えられるだろ・・・と思うけど、焦るとそれすらも分からなくなるんだよね

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:38:13.40 ID:Gb/IrSc2
これ、小学校の問題と解答とかそういう話じゃなかろ。
マニュアルも正答もない、どうやったら非礼にならずに人をもてなせるかという話なんだから。
当然正解なんてないよ

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:46:37.99 ID:O5JhFgs2
前の稽古の時教えたことあるんだから正解はあるだろ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:57:05.26 ID:Gb/IrSc2
「教えたことある」なんて文中に書いてないけどねw

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:03:41.54 ID:O5JhFgs2
読解力が乏しいのか、単に引っ込みがつかなくなっちゃったという
ちょっと悪い話

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:43:32.16 ID:YemAPnjX
ひどいオチだw

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 21:32:09.63 ID:r2+J8sfP
ひどいお茶でもある

織部盃

2011年07月03日 23:36

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/03(日) 20:31:27.78 ID:mheKI5DY
古田織部の作る品は、茶道の趣味がある無いにかかわらず世間がもてはやし、
食事の時酒を呑むため出す杯にも、織部盃と言うものが現れ、これが大流行した。

ところで京に三八という男があった。これが織部の流行があまりに著しいため、
盃の事を織部と言うのだと思い込んでしまった。ある時のこと、三八が赤い顔をして
良い機嫌でいるのをみて、知り合いのものが

「そちはひどく酔っているようだな?」

というと、三八

「当たり前だ!今朝の振舞に汁の椀の織部で続けざまに三杯飲んだからな!」

と答えたそうだ。

織部風の流行を垣間見せてくれるお話である。
(醒睡笑)




864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:23:33.10 ID:yVkKAlpu
醒酔笑はすっげえくだらない話ばかりなんだけど
読むと止まらなくなくなるくだらなさが好きだ

古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得る

2011年05月18日 00:02

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 01:05:58.20 ID:VuWajU97
もう一つ。大阪冬の陣の折のことである。

その頃、古田織部といえば天下の数奇者の宗匠と呼ばれていた。
大阪城攻めの合戦騒ぎの中でも、織部は「数寄の友だから」とわざわざ佐竹義宣の陣に
訪ねて行った。

が、その時佐竹義宣はちょうど城攻めのための仕寄に付いていたが、しばらくして矢弾避けの
竹束の内に入り、そこで織部と対面、義宣は兜を脱いで織部とつもる話をし、またそこで風呂を炊かせ
もてなし、その後茶を飲むなどしていたところ、織部は突然、竹束の方をキッと見て

「この竹束の中に、茶杓になるべき竹がある!!」

と、竹束の側まで寄って顔を打ち傾けながら熱心に見始めた

時にこの頃古田織部は僧形であり、頭は当然だが、見事にそり上げていた。
あまりに熱心に竹を見ていたため、ついうっかり頭を竹束の影から出してしまった。
その頭に日光が当たる。ピカーッ!彼の禿頭は日光を反射しキラキラと輝いた!

これを見た大阪方
「佐竹陣の竹束のところから、なにやら光り輝くものが現れました!」
「何だと怪しい、怪しすぎる!撃て、撃てー!!!」

大阪方の放った銃弾は、あやまたず織部のハゲ頭に命中した!
…が、運が良かったのか、頭から血は流れていたもののかすった程度で済んだらしい。
しかし織部はすっかり肝を潰し頭を抱え

「我、手負いたり!」

と叫び、その場に居た茶坊主が茶巾袱紗などでその血をぬぐった。
これをその場に居た人々「数奇者に似合いのぬぐい物である」と囁いたとか。

そして織部は
「ああ、この初めての手傷を自分の担当する仕寄で負ったなら、少しは御感に入ることも出来ただろうに、
よりにもよって他所の仕寄で負うとは、これでは丸損ではないか。」
と嘆いたという。

この後、自分の陣屋に帰ると家臣たちに
「武士が付けておくべきは兜である!今後わしは数寄屋においても兜をつけるぞ!」
と宣言したそうだ。

以上、古田織部が微妙に間違った教訓を得た話である(大阪物語)


関連
古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得た後日談
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5746.html
古田織部と上田宗箇IN大阪の陣「・・・・・・あ、アルェ━━━━━━??!」・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1297.html


220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 04:49:03.56 ID:sYhf+P8e
・・・いやいやいや
微妙にってか、豪快に間違ってないかな、その教訓・・・

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 06:19:54.52 ID:0QcYz3Ew
手遅れにならんように鎧も着けとけ
結局切腹するわけで兜は役に立たないわけだが

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 09:04:41.44 ID:/P7+tcMI
光った頭を見て発砲

なんだこのコント

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 14:49:25.68 ID:ZBHgIIeB
茶杓→竹→光ると読み上げて、光る竹が出てきて竹取物語かよ、と思ったら、
禿げ頭が光ってうおまぶしっ!ってなんてコントだよ。
最初の茶杓がどうとかもう放り投げっぱなしだよ。

所でそのあと、ゲヒさんはお目当ての竹を見つけ出せたの?
それとも見つけられないままハラキリ直行?

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 19:34:14.02 ID:pUod8rVZ
全部、漫画の絵で想像できる。リアルが漫画と変わらねえよ、古田織部

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 21:09:44.12 ID:iHKEneIC
つくづくへうげものって凄い漫画だな。

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 21:22:45.37 ID:rZMLgl78
完全にフィクションだけどな

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 21:39:53.37 ID:SjxQU2JR
フィクションを楽しむのは全然アリだけどごっちゃにするのはダメ、絶対
と、バサラ見てるとつくづく思う

古田織部茶の事始・いい話

2008年10月16日 10:53

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/17(日) 21:45:44 ID:lREbt1cO
茶の湯の大嫌いな若侍がいた。
あんなものは武士の嗜む物ではない、と、いつも高言していた。
それを聞いた悪友の一人が、「しかし、お前の義兄は茶の湯好きとして有名ではないか」
と、ケチをつける。痛いところを突かれた若侍、「軟弱な義兄を懲らしめねばならぬ」と、義兄、中川清兵衛の屋敷に
忍び込み、彼自慢の茶の湯釜を盗み出した。
せっかく盗んだ茶の湯釜である、これで一つ茶の湯の真似事でもしてみよう、と、悪友たちに囃され、彼も
一通りやってみた。

「これは…以外に面白いものではないか?」

真似事をしているうちにふと、若侍の中に、そんな感情がわいてきた。


この若侍、後に天下一茶の湯宗匠、古田織部と呼ばれることになる。