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韮山城、十八町口の戦い

2019年11月04日 17:08

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/04(月) 14:38:25.43 ID:fzeD9f8w
小田原役、豊臣方による韮山城攻め。

寄せ手の明石左近将監(則実)と前野但馬守長康は十八町口へ押し寄せていたが、突然城中より
丹波、富野、根府川、小野、広瀬ら三百余人が門をさっと開くと、どっと大波が押し寄せるように
打って出た。このため明石、前野の勢はたちまち谷底へと落とされ、思わぬ死傷者を出した。

これを見て、同じく寄せ手の福島左衛門太夫正則は、鐘や太鼓を鳴らし鬨の声を上げて横合いより
攻め込ませた。その中から福島丹波守治重、同式部丞、長尾隼人正一勝、村上彦左衛門、
大崎玄蕃允、可児才蔵、林亀之助、以下百人ばかりが抜け出し、城方へ逆襲した。

これに城主の北条美濃守氏規も七百人ばかりで打って出た。氏規はその軍勢を二つに分け、
左右より敵を押し包もうとした。福島正則もこれを見ると六、七百余騎を率いて自ら打って出て、
たちまち乱戦と成った。敵味方入り混じり、火の出るような戦いがしばらく続いたが、ややもすると
上方勢がまくしたてられ危うく見えた。しかしここで寄せ手の控えの勢が一斉に打って出れば、
敵を圧倒し城も落とせるように思われたが、この韮山城攻めの総大将である織田内府信雄の
下知はなく、控えの部隊はただじっとその戦いを見ているだけであった。
そこからやや有って、織田内府の陣よりついに合図の法螺貝が鳴り、寄せ手の総攻撃となった。

しかし北条美濃守は、これを聞くと即座に兵を退いた。その進退の時期を得た絶妙さは敵も味方も
驚くほどであった。それに対し、追い打ちをかけに福島正則の一隊が突き入ってきた。この時
城兵は未だ城内に入る橋を渡り終えていなかったため、美濃守は立ち止まって長刀を振るい、
追手を六人まで堀へなぎ落とした。その勇猛さは阿修羅のごとく凄まじいものであり、不動明王かと
思われるほどの憤怒の形相に敵が怯んだ所へ、城中より再び、横井越前守、小机修理亮、工藤次郎三郎
以下六騎が取って返し、橋詰に並んで敵を防ぎ、その間に城兵尽く城中へと入った。その後より、
美濃守以下六騎が悠々と引き上げたのである。

ここでまさに城門を閉めんとした時、首二つを掲げていた福島正則の家人・可児才蔵吉長が
その首を投げ捨て持っていた鑓をその扉の間にさっと入れた。このため門に隙間ができ、すかさず
才蔵はえいと声をかけその扉を両手で押した。これに城方も内より大勢で支えて押し返した。
寄せ手は才蔵に続き福島丹波守、林亀之助が駆けつけ才蔵に力を貸した。内でも再び押し返す。
負けじと才蔵たちが押している所に味方がどっと駆けつけた。

この時城の堀の上と門脇の狭間より一斉に矢弾が飛んできて、寄手二十人ばかりがたちまち討たれた。
それでも寄手は大崎玄蕃允、福島丹波守の郎党・小林平蔵、岡田新六郎なども加わり扉を押した。
またも狭間より鑓や薙刀が突き出され、小林と岡田が討たれ、可児才蔵と大崎玄蕃允の浅手を負った。

こうして双方がえいえいと押し合っているうちに、才蔵が差し挟んでいた鑓のケラ首が折れて扉は
完全に閉まった。この間にも長尾隼人正は三度まで塀によじ登ったが、二度は内より突き落とされ、
三度目はその口に敵の鑓の穂先が突き刺さって深手を負った。

このように福島正則の部隊はよく粘ったが、城兵もよく戦って防いだので、正則は終に退却の貝を
吹かせ、まだ城門で戦っていた四人を招き返した。才蔵は穂先のなくなった鑓に最前捨てた首を
もう一度拾ってくくりつけ、悠々と引き上げた。

そこで城中より、この四人を敵ながら天晴であると、その名を名乗るように言ってきた。
四人は橋の上に留まって、城へ向かって大音声で「福島左衛門太夫正則が家臣誰々」と名乗って
退いた。

この時城内の兵で、隙を狙って彼らを撃とうとする者があったが、美濃守はそれを止めて
「あたら冥加の武士を無碍に誅すれば、てきめん軍神の怒りに触れよう。必ず手出ししてはならない。」
と戒めた。かくて四人は何事もなく自陣へと帰った。

この一戦で、蒲生氏郷の手の者四百三十余人、福島正則の手の者六百八十余人が討たれ、手負いは
数限りなく有ったという。

(関八州古戦録)



313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/04(月) 19:57:42.66 ID:OTSVAPN0
>>312
両方かっこいいなぁ、しかし信雄もいい味出しとるw

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/04(月) 20:09:12.00 ID:lxC86Rew
美濃守ここまで来ると出木杉くんだろ
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可児に好まれて辞し難し

2018年12月24日 15:21

辻小作   
594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/23(日) 23:02:09.52 ID:x2Amun2S
辻小作は福島正則に仕えており、同僚の可児才蔵と親友で、共に世に聞こえた者であった。

中黒道随は石田三成の家臣で、三成が賓客のように待遇した者であったが、関ヶ原の敗軍の際、
石田軍の中で中黒は唯一人踏みとどまり、散々に戦っていたのを辻が見て、「いざ、討ち取らねば!」
と言った所。可児才蔵は「情けないことを言うなよ、助けてやれ」と言い出した。
これに辻「つまり生け捕れということか。可児にそう言われては断れないなあ。」
(可児なさけなき事をいふもの哉、たすけばやと云、辻さては生けどれとや、可児に好まれて辞し難し)

そう言い捨てると馳せ行く所に、中黒は馬を深田に踏み入れてしまい、身動きができなくなっていた。
辻は彼に言葉をかけた「日頃の好により助ける!早くこれに取り付け!」と鑓の石突を差し出したが、
中黒は「このような時に命を助けてどうするつもりか!?」と既に自害を成そうとしたのを、辻は
「どうして謀るだろうか、神明にかけて偽りは無い!」と約束したため、中黒は鑓の石突に取り付いたのを
辻は主従でこれを引き上げ陣所へと送った。可児はこれを見て大いに喜んだ。

さて、辻は中黒を引き上げると、物の具を脱いで仰向けに寝転がって、たった今まで敵であった中黒を
物とも思わず物語した。この態度に中黒は「あまりに侮りたる事よ」と心中怒りを覚えたが、命を助けてもらった
恩を思って我慢したのだと、後にこの事を笑いながら語ったという。

中黒は後に井伊直孝が招き、二千石を与えられた。

(常山紀談)



597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/24(月) 15:11:18.32 ID:CtIeQJYp
>>594
>物の具を脱いで仰向けに寝転がって、たった今まで敵であった中黒を
>物とも思わず物語した。
昔の不良漫画のノリを戦場でやるなwていうかこういうのが元ネタなんだろうな

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/25(火) 10:14:28.13 ID:tQK9BjNv
主君の命令で旧知の者が殺し合う世界
その主君が逃げたとあっては殺し合う義務はないでしょ

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/25(火) 19:24:47.96 ID:uIU2gABD
>>594
田中吉政の部下である辻勘兵衛重勝が関ヶ原の戦いで
ともに天下三勘兵衛と呼ばれた石田三成の家臣の杉江勘兵衛を討ち取った話を思い出した
(残りの1人は渡辺勘兵衛)

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/25(火) 19:30:48.26 ID:uIU2gABD
ついでに渡辺勘兵衛はその常山紀談の辻と中黒の逸話の最後に
丹羽山城、谷出羽、笹野才蔵、稲葉内匠、中黒道随、辻小作とともに兄弟の約束をして天下七兄弟と呼ばれたとかある

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/25(火) 19:39:22.20 ID:uIU2gABD
今しらべたら6047
『天下七兄弟』、辻小作と中黒道随

で義兄弟の話も辻が中黒をうたなかった話も常山紀談出典で既出だった、お目汚しすまん

可児才蔵、宝蔵院に槍法を学しこと

2017年03月04日 18:25

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/03(金) 23:57:05.68 ID:QfILq++Y
可児才蔵、宝蔵院に槍法を学しこと 付宝蔵院槍を持せ 併十文字を月剣と呼ぶこと


 宗耕の話である。
ある時、可児才蔵が宝蔵院に言った。

「我は元来槍法を知らない。槍はいかにして勝を得るのだろうか」

院は答えた。

「上段、下段、相、かぶり、の外になし。」

しかし才蔵は解らなかった。
主人の福島左衛門大夫(正則)へこの術を習おうと報告した。
福島は許し、可児はすぐに奈良に行き数日院からこの術を習った。
帰って戦場へ赴いたが、かえって怯心が起きて進むのが難しくなった。
よってまた奈良へ行き、このことを嘘偽りなく告げた。
院は言った。

「まだ半分しか知っていないな。」

可児はさらに数ヶ月学んで、術を得て帰った。
これより後では敵の槍道を観ること明らかとなり、まさしく我が勝路を得たとか。

 この宝蔵院は今、代替わりのときには関東に下って拝礼をする。
この時僧の供に槍を持たせるとか。

 宝蔵院は退隠したら観音院と号す。
この院では、十文字と称さず、月剣と呼ぶ。
これは元祖宝蔵院は、もとは直槍であったが、あるとき、
八日の月影が水面に映るのを視て、

「あわれ、直槍にこのように横手を加えたいものだ」

と思ったとか。そこで十文字の形を作って、月剣の名があるという。

(甲子夜話三篇)

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2528.html
これの別varかな?


『蜻蛉不留(とんぼとまらず)』

2015年03月20日 18:41

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/19(木) 21:48:56.97 ID:Xlo9luNo
『蜻蛉不留(とんぼとまらず)』

中村一氏の家臣に、飯田新右衛門正国という剛勇の侍があった。
この人の父は越後守正義といい、父子共に一氏に仕えて度々の戦功を現した。

一氏は長男が誕生した時、この飯田正国を命名親として、幼名を一角とつけさせたほど、
正国を信任していた。

その頃、豊臣秀吉は正宗作の鑓を秘蔵し、これを「蜻蛉不留」と名づけた。
それは、ある時この槍の先に蜻蛉が止まると、たちまち二つに断たれ地に落ちたという事から、
天晴天下の名器なりと名付けられたものであった。
そして紀州根来退治の時、一氏の軍功に、秀吉より「わが秘蔵の鑓であるが汝に与える」と
下賜したのである。

一氏の嫡男一角が元服して一忠と名乗った時、この槍も一氏より譲られた。
しかし一忠は
「飯田新右衛門は、私が幼少の頃より武芸の指南をし。万事忠勤を尽くしています。
ですのでこの蜻蛉不留の鑓は、新右衛門に与えたいと思います。」と言った。

一氏も尤もだと思ったが、秀吉に一度伺いを立ててからでないと後日の咎もも測りがたいと思い、
その旨お伺いを立てると
「あの新右衛門か!彼は先年小田原討ち入りの時、二子山にて数ヶ所の敵の篝火を消した男だ。
その時の働き比類なかった。あの鑓は天下に二つ無きものだが、あの男が持つ事に
少しも仔細はない。

ただし、あれは鹿の腹籠の革で鞘を作っているのだが、他に同じものがあっては新右衛門の面目にも
係るであろう。であれば、今後天下に触れて、鹿の腹籠の革で鑓の鞘を作ることを禁止する!」

そう言って飯田新右衛門に与えることを許可した。この事は彼の評判を更に輝かせた。

時に、福島正則の家臣に可児才蔵という者があった、彼も名高き鑓の名人であったのだが、
飯田新右衛門が天下無双の鑓を賜ったと聞くと激しく怒り
「この才蔵を差し置いて新右衛門に天下の鑓を与えるというのは心得がたい!一度新右衛門と
鑓の試合をなし、何れが優れているか世の人に知らせ、かの鑓は私が奪い取る!」
そう人々に吹聴していた。

そしてある時、箱根の山中で偶然にもこの二人が鉢合わせと成った。
可児才蔵は言った「良い折りだ、私と試合をして腕前を試そう!よろしいか?私が勝てばその鑓申し受ける!」
これに飯田新右衛門「言うに及ばず!」と両人鑓を取って突き合う。
一時ばかりの間に、才蔵は三ヶ所、新右衛門は四ヶ所を負傷したが、勝負はついに決せず、
互いに再開を約し物別れと成った。
この事も、正国の名をさらに高くしたという。

(刀剣談)



756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 02:26:54.07 ID:CQ3hmjb2
また蜻蛉が切られてしまったのか

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 09:20:24.00 ID:tR6y122d
可児才蔵って何で自信過剰だったんだろう
主君から干されまくってるのに

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 09:27:42.27 ID:3QC19a9C
試合形式だと宝蔵院の方が強そう

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 09:56:35.68 ID:bS4Zoia5
日本号の時は何もしてないのにな

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/20(金) 15:12:52.01 ID:2aJzZiA7
正宗の時代に槍・・・あ(察し)

可児才蔵の味噌合戦

2014年05月07日 18:45

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/07(水) 00:01:51.97 ID:3uBS/IGE
可児才蔵の味噌合戦 笹の才蔵異聞 広島県大辞典より

いまからおよそ400年前安芸国城主・福島正則の家来に可児才蔵という槍の名人がいました。
ある夏洪水で堤が切れ、川水が城の濠に溢れ、城の石垣をだいぶ壊しました。ほってはおけないので正則は、
すぐさま石垣の修理にかかりました。
ところが幕府の許しを得ていなかったので正則は幕府に咎められ、安芸国から追われることになりました。
しかし、幕府の処置を恨みに思った可児才蔵ほか六十人の侍は、矢賀の小さな城に立て篭もったまま動こうとはしませんでした。
それを知った新しい城主・浅野長晟は家来に命じ矢賀の城を攻めさせました。
その兵が城の石垣を登りはじめると才蔵たちは石垣の上からグラグラと煮えたぎったみそ汁をぶっかけました。
そのため兵たちをヤケドさせられました。
そこで、浅野の殿様は今度は兵糧攻めにしようと、幾日も城をとりまきました。段々と貯えを失ってきた時、
才蔵はひとつの思案を立てました。
それは、城山のお地蔵さまに笹の葉を供えそれに味噌と米をのせておけば、どんな願い事も叶えられるという噂を
近郷近在に流すことだったのです。
城の者はかわるがわる忍び出て、その噂をふりまいて歩きました。その噂は噂をよび、城山のお地蔵さまには次々と
味噌や米が供えられました。●ヽ(゚∀゚)ノ● ウヒョー ! ミソイタダキマース
こうして、才蔵たちは長い間、城を支えることができ、篭城の侍たちは、何処へともなく落ちのびることができました。

地元の人たちは、やがて可児才蔵を真言寺に祀りそのお寺を才蔵寺と名付け、お地蔵さまはそのお寺の境内に移し「みそ地蔵」、
可児才蔵を「笹才蔵」と呼ぶようになったそうです。
このみそ地蔵には、いまは多くの受験生がお参りし、みそ玉をお地蔵さまの肩に供えています。「ミソをつける」肩代わりをしてもらったり、
お地蔵さまの脳みそを借りたりするためなのだそうです。

福島正則改易は一応可児才蔵死後の話ではございますが・・・彼も修羅道に堕ちた武田光和同様、主君の災難に迷って出たのでしょうか?w




899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/07(水) 10:02:36.34 ID:genzl/yF
>>896
味噌合戦というから相手は権現様かと思ったら

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/07(水) 10:58:13.63 ID:OSlMwJ06
権現様は八丁専用だから

901 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/05/07(水) 11:39:18.33 ID:ACb3rfpI
家康「お前ら味噌って言うと俺出しやがって… どんだけ味噌好きなんだよ…」

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/07(水) 23:29:14.39 ID:F6Zsr9SH
>>901
味噌=権現様でしょ?

福島正則が知行割を申し付けた時

2013年05月27日 19:51

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 05:37:39.95 ID:PqjcO/n8
福島正則が家中の侍たちに知行割を申し付けた時、可児才蔵に対して、このように言った

「才蔵は普請役をするのなら、2千石取らせるのだが、しかし役無しを望むのなら、千石を遣わす。」

家に才蔵はこれを聞くと

「私には今まで、鋤鍬で取った知行などありません。ですので千石、無役で頂きたく思います。」

と、千石の方を取ったという。

また、彼が本丸の番をしていた時、才蔵の有名な十文字槍が番所に置いてあったのを、
福島正則が見つけこれを抜いてみると、

「なんだこれは、才蔵にも似合わぬサビ鑓ではないか。」

と、錆びついた彼の鑓について指摘した。これを聞いた才蔵は

「槍の先を、よくご覧ください。」

と申し上げた。先を見た正則は笑い出し

「なるほど、先に錆はないな」

と言った。可児才蔵は槍の先の部分は、戸に当てて置いていたそうである。
(福島太夫殿御事)




711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 13:25:39.64 ID:MBNkYTlj
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1084.html
槍の話は既出だが、こっちでは市松がかっこわるいことに

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 22:59:34.57 ID:Huq/jFiY
>>710
屁理屈にしか聞こえんな

可児吉長の家臣に竹内久右衛門という者がいた

2012年12月21日 19:50

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 23:55:28.55 ID:C4w1xGjF
可児吉長の家臣に竹内久右衛門という者がいた。覚の士であり、吉長は
いつでも知行の半分を分かち与えていた。

長久手の役で羽柴秀次が敗軍したところ、秀吉は怒って吉長を咎めた。
このために吉長は日蔭者になっていたのだが、福島正則が七百石で召抱えた。

そこで吉長はすぐに三百五十石を分けて久右衛門に与えた。

――『名将言行録』




832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 10:50:29.26 ID:191HpPKJ
>>830
なんかズレてる

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 10:57:55.58 ID:jBjRZkrw
>>830
なんかアンパンマン思い出した

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 11:08:05.07 ID:5JGushqd
三成に 過ぎたるものの…

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 11:08:05.28 ID:1dAM2XsE
三成・左近の縮小版だな。

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 13:23:23.79 ID:3v211z+y
>>833
可児パンマンの誕生だw

才蔵、戻れ!

2012年10月21日 19:30

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 14:12:00.29 ID:RRdnsyyH

長久手の戦いの折、羽柴秀次は味方が敗れたと聞いて急いで旗本を進めた。
この時、可児吉長は秀次の近習であったが、秀次よりも遥かに先にいた。

ところが吉長が馬を乗り返して来るので、その様子を見た秀次は、
「才蔵、いつもの口振りと違うぞ、戻れ!」と命じた。

これに吉長は「この敵は槍のできる連中です。御馬を返してください」
と言ったが、秀次は構わずに三度まで戻れと言うので吉長は続けて、

「勝てば勝つほど備えは固まり、段々と後ろの勢が続いて来ます。
これでは槍を合わせるような状況ではない」と忠告した。

しかし、それでも秀次は言うことを聞かないので吉長は腹を立てて、
「糞でも喰いなされ!」と罵って引き退いた。

果たしてその言葉の通りに秀次の勢は一溜りもなく敗軍し、
池田恒興を始めとした戦死者を出した。

――『名将言行録』

こっから「馬貸して!」に続くのかな?




940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 14:47:23.13 ID:ceSPNQsX
殺生関白の芽生えである

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/21(日) 15:06:27.40 ID:HCXGIXET
うっきー「一人で切れる人などたかが知れているぞ。サルじゃなくて太閤殿下のほうかのほうが殺しておるでしょうに」

『笹の才蔵』

2012年09月05日 20:41

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 22:37:04.87 ID:ABcqqwS2

有名な話だけどまとめにはなかったので。

可児才蔵吉長が森長一(長可)に仕えていた時のこと。

長一は諏訪山の城及び大森上恵らの城塞を攻め、梶田に駐屯して
首実検を行ったところ、長一の軍は460程の首級を得ていた。

この時、才蔵は首3つをひっさげて来て「16級獲りました」と言った。
しかし申告と首の数が合っていないので長一がその理由を問うと、
才蔵は「多く獲りすぎたので捨てました」と言った。

そこで長一が「460余りすべて獲り主がおるぞ。お前が獲ったという
証拠はあるのか」と尋ねると、才蔵は「それがしが獲った首には笹の葉を
含ませてあります」と答えたので、

長一が命じて確認させると確かに笹の葉を含んだ首が13級あった。
こうした出来事により吉長は世に『笹の才蔵』と称されるようになった。

――『名将言行録』

自分が首を獲ったと嘘の申告をした人たちはどうなったんでしょうね。
鬼武蔵的に考えて(´・ω・`)




357 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/04(火) 23:17:09.50 ID:vCHaTzWD
名将言行緑は教科書だす
葉隠の生々しさがない
江戸初期と明治初期の違いと言えばそれまでだが

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/05(水) 00:04:47.76 ID:LHDOh62O
可児才蔵って笹の葉を持ち歩いていたんだろうか・・・

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/05(水) 00:26:34.06 ID:P+M1M5Q6
>>358
笹を指物にしてたんじゃなかったっけ?
そんでそれをぎって・・・

361 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/05(水) 12:35:43.82 ID:8NRM+OPl
>>358
戦場でとった首を自分が討った証拠として口の中に笹を詰めてたから笹の才蔵と呼ばれた。

「何か芸はあるのか」

2012年09月03日 20:51

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 19:40:12.60 ID:97xvV+IQ

笹の才蔵こと可児吉長が福島家に呼び出された時のこと。
福島正則が才蔵に「何か芸はあるのか」と尋ねると、

これに才蔵は慎んで「自分の髪を結ったり髭を剃ることに関しては
年月をかけて手練致しましたので、それが上手になりました」と答えた。

近臣の者はこれを聞いて「まったく才蔵はうつけ者か捻くれ者だ」と
囁いたが、正則は「いやいや、後ろに眼がなければそのようなことは
中々修練できぬものだぞ。

それが上手ということは目に見えないことさえできるということ
なのだから、すなわち目の前のことは何でも簡単にこなせるという
ことだ」と言った。

果たして才蔵は武功比類なき者だったので「正則の目利きは流石に
たくみだ」と言われたということだ。

――『名将言行録』




328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 19:47:07.71 ID:4j6t0bwt
市松の酒はもはや芸の領域

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 20:05:53.90 ID:y7y5CLrr
シラフの時は知恵が回ってるのに・・・

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/02(日) 20:21:21.43 ID:5SQsn3k0
市松さんは、酒が抜けてるときの方が珍しいんかね~

『天下七兄弟』、辻小作と中黒道随

2011年12月10日 22:00

辻小作   
965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 18:17:54.50 ID:zanXQKqT
谷出羽(衛友)、稲葉内匠(正成)、池田輝政の重臣・丹羽山城(助兵衛)、増田長盛の家臣・渡辺勘兵衛、
福島正則の家臣・可児才蔵と辻小作、そして石田三成の客将・中黒道随は、身分や年齢を超えて交際しており、
互いに武勇に励むことを誓い、『天下七兄弟』と称した。

慶長5年(1600)9月、関が原の戦いにおいて、道随は石田隊として槍を振るったが、深田に馬を踏み入れてしまった。
「もはやこれまで」と覚悟を決めた道随は、味方が次々と落ち行く中、ただ一人踏み止まり、押し寄せる雑兵を
さんざんに蹴散らしまくった。

福島隊にあってこれを見ていた辻小作は、可児才蔵に呼びかけた。

「おい、才蔵よ。道随ならば良い手柄となろう。やるぞ!」
「薄情な事を言うな!我らの仲ではないか。助けてやれい。」
「むう。生け捕りにせんと思うたが、お主がそう言うなら・・・おーい、道随よ!日頃のよしみじゃ、助けるぞ。
これにつかまれ!」

道随のもとに馬を寄せた小作は、槍の柄を道随に突き出した。

「小作よ、何のマネじゃ。この期に及んで助かろうとは思わん。自害するゆえ、見届けよ。」
「なんじゃ。だまし討ちにするとでも思っとるのか?我らの間で、何をたばかる事があろうか。天地神明にかけて
お主を助けるぞ!」

ここまで言われて道随も槍の柄をつかみ、それを小作主従が引っ張り上げ、二人は連れ立って福島陣に戻った。
先に戻っていた才蔵は、道随の顔を見て喜んだ。
「やあ、良く生きとったな!」
「何とか引っ張り上げて来たぞ。やれやれ、骨が折れたわい。」小作は、具足を全て脱ぎ捨て大の字になった。


「・・・『武装も解いておらぬ先刻までの敵を前に、何という侮ったる振る舞いか!』
腹が煮えくり返ったワシは、槍を構えかけたが、命を救ってもろうた恩を思い、見逃してやったわ。」

のちに井伊家に仕えた道随は、若者たちを前に関が原のことを振り返り、そう言って笑ったという。
(常山紀談より)





966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 19:03:15.77 ID:bCgBfl6W
井伊家って旧石田家臣結構いるのかな

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 19:36:35.23 ID:U5XJc8Mf
>「おい、才蔵よ。道随ならば良い手柄となろう。やるぞ!」



>「なんじゃ。だまし討ちにするとでも思っとるのか?我らの間で、何をたばかる事があろうか。天地神明にかけてお主を助けるぞ!」



小作気持ちの切り替え早すぎだろww

広辞苑に「笹の才蔵」が載ってて感動してたら

2011年11月30日 22:11

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 23:50:23.17 ID:728iAUFI
広辞苑に「笹の才蔵」が載ってて感動してたら全然別物だったでござる

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 23:56:09.43 ID:mlI8h7Vp
笹の才蔵
福岡県博多・宮崎県佐土原で作る土偶、猿が上下に袴をはいた姿。
壱岐には同じ姿を描いた札があり、いずれも疱瘡除(ほうそうよけ)という。

カニさんが猿になっちゃった




才蔵が正しい。

2011年09月17日 22:08

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 18:08:43.11 ID:n9D4MUWj
関が原の戦いの後、芸・備四十九万八千石の大大名となった福島正則は、家中随一の武辺者・可児才蔵吉長に
二千石の知行を与えて普請役を命じた。が、才蔵は
「オレは槍で禄を取ってるんで、スキやクワで禄を取る気はありません。普請役が無ければ、少禄でも結構。」
と言い放った。

仕方なく正則は、才蔵の知行を元のまま千石に留め置き、代わりに広島城本丸御門の番を命じた。
しかし、齢五十を超える才蔵は体力的にキツいのか、不寝番の際の明け方には、例の先だけはキラリと光る槍を
石垣に立てかけると袴を脱ぎ捨て、横になっていたという。


そんなある日、正則の側小姓が、今日も今日とて寝転がる才蔵のもとに、ウズラを持って来た。
「可児どの、これは殿が鷹狩りで獲ったものです。『才蔵に与えよ』との御意により、お持ちしました。
どうぞ、お受けくだされ。」

小姓の口上を聞いた才蔵は、すぐに跳ね起き、あわてて袴を履き直すと、天守に向かって正座して、
「殿。御礼の儀は、直ちに伺って申し上げまする。」と言って、ウズラを押し頂いた。

立ち上がった才蔵は、憤怒の形相を小姓に向けた。
「おのれ、若輩なればとて、何たるうつけ者か!殿の御意ならば、なぜ最初にそれをオレに言わぬ?!
よくもこの才蔵に、殿の御意を寝ながら聞かせおったな!ガキで無ければ、タダでは置かぬところじゃ!!」

肝を潰して逃げ帰った小姓は、この件を同輩に話したが、やがて一件は正則の耳にも達し、呼び出された小姓は
才蔵に怒られた顛末を正則に打ち明けた。

「才蔵が正しい。それはお前の不調法というものだ。芸・備両州の侍ども、残らず才蔵のごとくありたいものよ。
さすれば、わしに怖いものなどあるまいに。」(武道初心集より)




644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 18:29:04.06 ID:fHFsc2Z4
うーん、あの下とか書いた封筒用意すればいいの?

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 18:45:47.16 ID:MIwLEsn9
>>644
御意ゆえ畏まって聞くようにと最初に言って
聞く側に身だしなみを整える余裕をもたせろってことだろ。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 19:01:29.17 ID:+4T7mbGT
才蔵は市松のところでやりたい放題でイキイキしてんなw
過去の主替えが無駄にならなかったようで、何より

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 19:32:04.76 ID:HClEs3c3
団右衛門も市松の元では肌が合ったのか楽しそうだったのに
旧主の口出しで長く居られなくなったのが悔やまれる

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 20:08:58.93 ID:+kj6IoRw
>>647
市松のとこなら又兵衛も気持ちよく働けたかもしれないなw


651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 20:24:39.57 ID:nhliwxMN
>650
又兵衛は正則に禄ふっかけて断られた逸話あるだろ
だから多分無理

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 20:30:34.03 ID:bEV2lLZR
これで酒さえ飲まなけりゃなぁ

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 20:34:09.31 ID:+5LVXMQx
結構好き勝手してはいても
こういう時はちゃんとするんだなあ

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 22:34:29.59 ID:g0AErNOf
>>652
でも酒で失敗しない市松とかただの名君じゃねーか

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 22:50:31.83 ID:3HNZaz0Z
一度でいいから見てみたい
飲めぬ市松、よき殿よ
歌丸です

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 23:26:33.17 ID:yk14zRps
タイムトラベル出来るなら正則に抗酒剤を暫く飲ませたいw

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/17(土) 23:37:14.76 ID:+5LVXMQx
>>656
その前に、どんだけヤバくなるのか一度見てみたい

可児才蔵の試合・いい話

2008年10月16日 00:41

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/05(土) 12:09:12 ID:MSxhTdI6
関が原の合戦の後しばらく戦の無い年月が過ぎたころ、
ある若者が可児才蔵の武勇を知り、試合を申し込んだ。
当日現れた才蔵は、甲冑に旗指物という姿、さらに銃を構えた配下を一人連れていた。
驚いた若者が「1対1のはずだが?」と言うと、
「わしの試合とは全てこのような実戦である」と答えた。




423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/05(土) 12:17:22 ID:2oIztn+T
>>422
家康の、「橋の前で馬を降りる」と、本質的には同じ話だな。

424 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/07/08(火) 14:17:52 ID:iF2xuY9a
可児って猪突猛進の典型な気がしてたんだが違ったのか

425 名前:☆中山鹿之助☆ ◆.Ooo.qq.q. [] 投稿日:2008/07/08(火) 17:18:57 ID:jFqDvhLU
>>422
カッコイイハナシダナー・゚・(ノ∀')・゚・。

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/08(火) 17:28:45 ID:pnB6AJ3l
>>424
俺はむしろ、司馬遼の「おれは権現」での臆病な才蔵のイメージがあったから、この逸話
はしっくりくるなw