坌銭と頸銭

2017年11月12日 16:29

392 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 22:56:26.21 ID:+P/PnjQW
坌銭と頸銭

羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めにした時の事。
城将、吉川経言(家)と主立った将士数名が切腹する事と引き換えに城兵や住民の助命が決まり、和議が成った。これにより鳥取城の出城であった丸山城も経言の助命嘆願の甲斐なく奈佐日本助、佐々木三郎左衛門、塩冶周防守らが切腹の上開城する事となった。
その丸山城開城の折の事である。丸山の諸卒が城を出る時、寄せ手の羽柴勢の者らが木戸をふさぐと

「城を明け渡した側は、坌銭(ほこりせん)と言って一人銀五分ずつ出す決まりだ。これは京都流の戦争のやり方だ。もしこれに背く奴らは、一人残らず切り殺すぞ」

と、脅しをかけた。「これはいったいどうしたことか」と皆々は顔色を変えたが、境与三郎右衛門と言う男は一人平然と笑って

「美濃・尾張や五畿内の腰抜けたちが、命の惜しいあまりに、武士の法を知らず、そんなものを出すのだろう。中国筋ではそれを頸銭(くびせんという。
いやしくも、武士たるものが、頸銭を出すということがあるものか。こんな恥辱を受けて命ながらえてもいたし方ないこと、城中の者どもよ。おれと一緒に切り死にしよう」

と言って、鎗を提げてすっくと立ち上がると、羽柴勢を睨め付けた。その有様はどんな鬼神でも敵とならば、ど真ん中を突き抜くべき面構えなので、気をのまれた寄せ手は

「こちらのしきたりを申しただけのことです。どうぞ通って下さい」

と言ったので、境は真っ先に立って場外に去った。

393 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 22:56:57.56 ID:+P/PnjQW
(陰徳太平記)



394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/11(土) 23:58:54.14 ID:OkFOnrZc
>>392
格好いい

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/12(日) 00:51:38.85 ID:sY2WlIKM
>>392
津本陽作品の雰囲気
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鳥取籠城のこと

2017年07月06日 18:37

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/06(木) 11:00:41.67 ID:shzTRTJ6
 鳥取の城は六月下旬頃から固く取り囲まれ外への出入りはできない状態で籠城し、
頼みの西国の後詰を待っているけれどその気配さえなく徒に日数を過ごしていた。
夏も過ぎ秋も暮れ行く十月の声を聞く頃になると、城中上下関係無く、気遣い窮屈で精魂疲れ果て弱り果てていた。
第一に諸人兵糧に乏しいので生気がない。下々の者は、山中をうろつき食べられる木草蔦等の葉をむしり、
皮を剥ぎ、根を掘っていた。諸人毎日こうやって咽を潤し辛い毎日に命を長らえたが、
早々食べられる草木は無くなり。飢えるばかりなので、口に入るものは、犬、猫、狐、狼、虫けらまで掘り出して食べた
最後には、死人の遺体の肉をすき取って食べれば、味が良かったのだろう、これを見て我も我もと食べたので死体が出ると肉を
切って食べれば骨だけが残る。
(中略)
十月下旬になると城中の兵糧尽き果て餓死する者も続出、身分に関係なく、今は飢死する者も続出、
身分に関係なく、今は餓死するのを待つだけの状態になった。
城の大将吉川式部少輔(吉川経家)は、芸州より後詰有ると待っていたが今日までその沙汰はなく、
城は固く取り囲まれて兵糧もなくなった。頼む者は他になく、今はただ死を待つ状態になってしまったが、
命のあるうちに降参して、自分の命と引き換えに、憐憫を得て今まで苦労困窮させた城内の諸人の命を
助け城を出そうと、心に決め、そのことを城中諸卒にも言い聞かせた。
(因幡民談記)


吉川経家、わが子への書状・いい話

2008年10月16日 10:12

482 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/07/12(土) 17:34:24 ID:iKrK589Q
秀吉の鳥取城攻めの相手として有名な吉川経家。彼が、城兵たちの命と引き換えにいよいよ明日、切腹すると言う日
自分の、幼い4人の子供たちにあてた手紙

『鳥取城は、昼夜あわせて200日も耐えてきました。しかし、兵糧も尽いたので、
父は一人腹を切り、城兵を助け、吉川一門の名を上げたのです。

その、幸せな物語をどうか、皆から聞いてください。」