FC2ブログ

子孫に於いて疎略の義は有るまじきと

2020年01月18日 14:51

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 00:33:23.36 ID:YdSzXlXL
高橋紹運公が未だ御若年にて豊後に御在居の時、弥七郎(孫七郎ヵ)と申していた時分、御舎兄の吉弘鎮信公より、
彼を斎藤鎮実の御妹と婚約させたいとの仰入があり、これにより縁談についてはまとまったのだが、その頃豊前表
では中国衆との防戦の最中であり、かれこれと時が移ってしまった所、ある時孫七郎公が斎藤鎮実と対談した。

心静かに挨拶を交わした上で、公は仰せになった
「兄である鎮信より内々に、御妹子を申し請け、私の宿へ迎えることを御契約申し置いていたのに、世上の惣劇の
故に今まで引き延してしまいました。この事について、私は必ず申し請けたいと考えており、その事をお心得に
成って頂きたいと、このように直談いたしました。」

これに斎藤鎮実
「仰せのように内々に鎮信殿と話し合いをし、その通りの首尾となりました。しかしながら、その後妹が
疱瘡を患いまして、見苦しい容姿と成ってしまいました。このままではもご覧に入れる事も難しく、現状として、
この婚姻をすすめるのは叶い難いと思っています。」
このように返答した。これに対し公は仰せになった

「それは近頃、思いもよらぬ御意であります。私は聊かも、好色を求める人間ではありません。
斎藤殿は御先祖以来、豊州家(大友家)において流石の弓取りの名を保っております。であればその血筋を
受ければ、子孫に於いて定めて疎略の義は有るまじきと、頼もしく思い所望したのです。
御辞退の義には及びません。」

これにより、間もなく斎藤鎮実妹との御祝儀があり、この御腹より、統虎公(立花宗茂)、統増公(立花直次)が
御誕生され、御兄弟共に日本国内は言うに及ばず、朝鮮までも隠れなき名将と成られたのは、実に殊勝なる事で
ある。この頃孫七郎公は未だ二十歳にも満たなかったと云うが、その御きざしは衆に異なるものがあったのだろう。
古より申し伝わるように、名人たらん者は幼童より必ず異相著るる者とは、信なのだろう。

高橋紹運記)



538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 00:48:16.10 ID:0JGxBTZh
疱瘡持ちの嫁さん貰うシリーズですか
明智に吉川に高橋紹運と、テンプレートになってますけど何が原典なんでしょうね

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 05:56:14.22 ID:UWi0SAIY
医療が未発達だったからそういう逸話が本当に多かっただけじゃないの

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 06:03:00.48 ID:Zhqw+bSz
>>538
醜女の嫁って、それこそ三国志の孔明の嫁あたりからある話だしなぁ。

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 11:34:13.15 ID:2U4nJWKR
周瑜は美人の嫁さんを貰ったから短命に

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 11:58:49.57 ID:dKp/1rIQ
名家の姫と言えば可憐な美少女をイメージするけど、実際にはそうとは限らないわけで…もちろん大事なのは縁と血ではあっても、醜女が過ぎる場合には疱瘡で顔が崩れたと言い訳してるのかも、あるいはそう言い訳するのが暗黙の了解だったとか

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 13:07:07.59 ID:xSQfNlxX
ほうそういうことですか。
アバターが可愛くても実際はブスというような

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 13:19:04.75 ID:0LkwBpdk
ブスでもないのに相手にされてない姫もいるわけで

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 13:50:27.12 ID:JM3woESP
性格も大事っすよ
あと知性も

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 19:49:41.45 ID:oIA+ZnYN
武家の娘は、口吸いといって精子を飲むことも
嫁入り前に教えられてたらしいな。
春画見て勉強したり。

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/18(土) 20:10:22.07 ID:0JGxBTZh
どうなんだろ、戦国時代以外でも疱瘡持ちの嫁さん貰うって話あるんですかね
いやまぁ貰うのはいいんですけど武家の正室なりが疱瘡って割と風評として最悪な部類な気もするんでわざわざお話にして広めるかなって
スポンサーサイト



大友宗麟の日向出陣に

2016年10月30日 20:58

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/29(土) 20:13:58.54 ID:D/qq4jRl
天正5年(1577)、日向国伊東三位入道(義祐)は、薩摩の島津義久に打ち負け国を追われ、
豊後の大友宗麟を頼った、宗麟はこれを受け入れ、重臣を呼び出し、命じた
「伊東入道のため日向に出陣する。直ぐに国々へ陣触れを出すように。」

これを聞いた重臣の一人、斎藤重実は即座に申し上げた
「御出陣なされるという事は御尤もに思います。ですが、一旦下がって愚案を巡らして見るに、
これまで毛利陸奥守(元就)が度々我らに軍勢を差し寄越しましたが、遂に一度も利を得られず、
これについて子息(原文ママ)の右馬頭輝元は骨髄に思い入り、当家の盛衰に常に注目しています。

そのような中で島津義久と取り合いが起こり、御合戦で他に対処できない状況になれば、輝元が
豊前筑前に対し手を出すこと、疑いありません。そもそもこの両国は一度元就に内通した前例が
あるのです。輝元が旗を出せば、前々と同じようにするでしょう。

龍造寺隆信に関しても、彼は手の裏を簡単に返す、表裏者なのですから、我らが輝元、義久と
戦う状況になれば、彼も手を出してくること疑いありません。隆信一人でも、3万余りの軍勢を
有しているのですから、簡単に崩すことは出来ません。

それといいこれといい、今度の御合戦、大友家が直接関与すべき事ではありません。
ともかく、先ずは時をお待ちに成るべきです。」

そう出陣に反対したが、宗麟は承知無く、「急ぎ国々に触れを出し、各々支度をさせるように。」と
命じたため、斎藤も畏まり、御前を罷り立った。
その後、大友家老中である吉弘鎮信の元へ立ち寄り、終日日向出陣の事について相談し、様々に物語
した中で、吉弘鎮信はこう言った

「誠に、私ごときでは申しにくい事では有るが、今度の御弓箭は御大事な事だと考えます。
近年、大友家の御仕置は一つとして良き事がなく、御領分の六ヶ国の諸人は疲弊しています。それなのに、
何の好で一命を捨てて戦かおうとするでしょうか。

宗麟公は田原紹忍という大佞人を尊敬し、国家の仕置を彼に仰せ付けたため、御加恩は諸人を越え、
己が威勢のみを楽しみ、宗麟公に誤りがあっても、御異見など申し上げては御意に背き身のために
成らないことを痛み、とにかく御意をさえ取り請けていれば我が身長久であると心得、上にへつらい
下を掠め、あまつさえ宗麟公をたぶらかし、切支丹の敵であると、国々の大社伽藍を焼き払い、
或いは打ち崩し、咎なき出家、社人を殺されたこと、昔も悪行の例は多いと言えども、このような事は
終に承った事がありません。

今度の御陣は、仏神を破却された天罰に寄っても、お負けになってしまうでしょう。もし立花道雪が
旗本に居れば、そのように悪しきことばかりはないのでしょうが、現在毛利の押さえのために、境である
筑前に遣わされています。この事についても、宗麟公の御内意を知らない人は、当然の人事であると
考えているようです。ですが武勇に関して、道雪に劣らぬ人は、斎藤鎮実を始めとして、他の者を
遣わしても不足はありません、あれは道雪が近くにいることを、宗麟公が嫌がったため遣わしたのです。

吉岡宗観、臼杵越中が生きている間はお仕置きも良かったのに、両人が死んだ後は田原紹忍に仕置を仰せ付け、
国家は無道に成り、当家滅却の時期到来かと考えています。

島津中務(家久)が籠もる高城を攻めている間は、諸軍は戦うふりもするでしょうが、城中難儀に及べば、
義久の大軍によって後詰めがあることでしょう。その時、当家六ヶ国の諸軍の旗色は心もとないものです。
あなた方や私は、ただ身の恥を悲しみ討ち死にするより他ないでしょう。」

これを聞いて斎藤は
「仰せの通り、今度の出陣は、義統公を始めとして当然相談のあるべき内容ですから、様々に申し上げたのだが
ご承知無く、誠にご運の末であるのかも知れない。こんな事を言えば、島津に怖気づいているように思われるかも
しれないが、弓矢の道において島津に負けるとは夢々思わない。さりながら宗麟公が天理に背いて居る。
その咎から逃れることが出来るだろうか。
その家が滅ぶべき前兆として、様々な事が乱れるものなのだな。」
そう、涙を流して悔やんだという。

(大友記)

大友宗麟の日向出陣に対しての、大友家重臣たちの反応である。