260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/05(金) 23:51:00.79 ID:wt4PFcb/
文禄4年、関白秀次に謀反の聞こえあった時、
伊達政宗もこれに与しているとの説があった。
豊臣秀吉は怒り、政宗の領地を伊予に移すとした。
政宗は伊達上野、他一名を以て
徳川家康の元に遣わし、「このように仰せ付けられ、伊達家の浮沈は
この時に極まりました。もはや家康公の賢慮を仰ぎ奉るより他ありません」と訴えた。
家康はこれを聞いて、両使に茶飯などを与えた。暫くして彼等は「政宗はさぞ待ち遠しく思っているでしょう。
早く帰り、ご返事を申し聞かせたいのです。」と申し上げると、家康は大声で言った
「各々が主の越前(政宗)という男は、当たりは強いように見えるが腰の抜けた男であり、後ろの弱きゆえに
そのように狼狽え付くのだ。四国に行って魚の餌になるがましか、ここにて死にたるがましか、よく分別
あるべしと言え!」
そして重ねて、秀吉より催促の有る時の返事のやり方を、細々と教え、両使は罷り出た。
間もなく、家康は秀吉の所に至った。また秀吉より政宗に使いがあり、
「昨日の要請についてどうなっているのか、早々に予州へ下るべし」と伝えに来た。
この使いが政宗の宿所に来てみると、門前には弓鉄砲、長刀を帯びた者達がひしと居並んで、今にも
打ち出しそうな有様であった。御使有ると聞いて、政宗は無刀にて出迎え、座に招いて御使の旨を聞くと、
涙をはらはらと流して申した
「上様の御威勢ほど、世に有難き事はありません。人間の不幸の中に、上の御勘気を蒙るほどの不幸は
無いと、今日こそ思い知っております。私に於いては、たとえ今回の事で御不審を蒙り首を刎ねられても
異議は申しません。況や国郡を下し賜って所を変えるとの事に、何の不満があるでしょうか。
されども我が譜代の家僕たちは、何れも訴えてくるのです。『どうして数十代の御領を離れて他国に流浪する事が
有るべきか、速やかにここにて腹を斬られ、我々も一人も生きて所を去り渡すような所存はありません』と
言い切って、ひたすらに自害を勧めるのです。私は色々と義を尽して申し聞かせましたが、家臣たちは一向に
同心せず、あなた方もご覧の通りの、狼藉の至りの有様です。
つまり、偏に現在私が御勘当の身に罷り成っている故に、数十代の家人さえ我が下知を用いず、恣にしており、
是非に及びません。」
このように述べ、使いは帰ってこの旨を報告すると、秀吉の傍に在った家康も申し上げた
「いかにも左様に、私も承っております。政宗一人の事であれば、上意を違背し旧領を去り渡し奉らざるに
於いては、私に仰せ付けられれば、即座にかの旅宿へ押し寄せ踏み潰すことに、何ほどの事があるでしょうか。
しかし、今度こちらに供を仕った、政宗の千に足らざる小勢にてさえ、家臣共が左様に思い切っているのであれば、
旧領に残り留まっている郎従達は、国を退くとは何としても言わないでしょう。
政宗の郎従等を追い払うべき賢慮がお有りでしたら、政宗については、どうぞ私にお申し付けになって下さい。
ではありますが、累代の所領を没収することで、彼の郎従たちが愁訴する事も、不憫に思います。
ですので、枉げて今回は、ご赦免も有るべきではないかと。」
このように申し上げると、秀吉は「兎にも角にも家康の計らわれることに若くはあるまじ」として、
国替えのこと沙汰無くなりその事止み、その後勘当も免されたという。
(
名将言行録)
261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/06(土) 00:10:30.36 ID:QjiO30i5
まるで道化だな
263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/06/06(土) 00:28:15.16 ID:orWYLZXD
>>260
伊達上野って留守政景か
後半の訳が力尽きてることも併せて
スレを盛り上げようとする意気は素晴らしいけど
無理に全文貼る事もないと思うよ