444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/28(日) 02:47:29.14 ID:LPYpM6C+
島原の「イギリス」、英国とは無縁 海の産物に今治を懐古
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77704980Z20C14A9EL1P02/
長崎県の東南部に延びる島原半島に「イギリス」という一風変わった名称の郷土料理がある。寒天の原料であるテングサに似た海藻を使って作るかまぼこ状の食べ物だ。
この素朴な庶民料理、江戸時代の島原の乱にさかのぼる歴史が関係しているという。長崎市から電車を乗り継いで1時間半程度の島原の地を訪ねて歩いてみた。
異国情緒豊かな長崎の食べ物だし、ハイカラな名前だから英国と関係があると思いきや全く違っていた。長崎市在住の郷土料理研究家、脇山順子さん(77)が説明してくれ
た。「名前の由来は有明海で採れる『イギス藻』という海藻。干したイギス藻を水でさらして具材を混ぜて作るのがイギリスです」
島原市内で唯一提供している郷土料理店「中屋商店」を訪ねた。小皿で出てきたイギリスは、ベージュ色で表面がつるつるしている。四角い練り物のようだ。
きんぴら風に仕上げた白身魚とニンジンが入っていた。しょうゆに付けて食べると、自然の淡い味覚とともに、磯の香りがほんのり鼻孔に広がった。最初は
「インパクトがどうも薄い」と感じたが、食べ進めるにつれ、塩加減がほどよく効き、飽きがこない味覚だ。
女将の中島ふみえさん(87)は「昔の島原の日常食。最近では自宅で作る家庭が少なくなり冠婚葬祭などの席で食べることが多いですね」と説明してくれた。
「懐かしい」と土産用に買って帰る人も多いという。
島原半島の先端にある南島原市で民宿を営む鬼塚美佐子さん(64)に実際に作ってもらった。まず、うるち米のぬかのとぎ汁で乾燥させたイギス藻を洗い、
えぐみや不純物を除く。水洗いしながら汁を捨て、再びぬかをもみ出した2番汁にイギス藻を鍋いっぱい入れて弱火で煮溶かしていく。
20分ほどで海藻は形を残さないほど溶け、スープ状になった。鬼塚さんは用意した具材(キクラゲ、シイタケ、ニンジン、厚揚げ、アジの魚)をフライパンで手際よくいため、
しょうゆとミリンで味を調えた。これを鍋に入れて煮込むこと10分。熱々の煮汁を金属製の流し箱に移し、冷やして固めれば出来上がりだ。
鬼塚家のイギリスは、しょうゆ味でキクラゲの効果でしっかりした歯応え。イギス藻は毎年5、6月に浜辺に打ち上げられる。「はまのもの(浜で採れる)で
食べられないものはないと祖父母から子供時代に教えられました」(鬼塚さん)
イギリスのルーツとされるのが、愛媛県今治地方に伝わる「いぎす豆腐」だ。イギス藻を原料に使い、生大豆粉を混ぜ、小エビなどを入れて煮固めて作る。
今治地方観光協会の関清剛・事務局長(62)によると、地元の小料理屋で食べられるほか、スーパーや総菜屋でも普通に売っているという。写真を見ると、表面にゴマが
かかり、見た目は高野豆腐のよう。酢味噌などに付けて食べるという。
江戸時代の1637年に起きた島原の乱では、一揆に加わった農民の多くが死亡し、人口が激減した。復興対策として幕府は四国の各藩から強制的に農民を移住させた。
免税特権を与えられ「公儀百姓」と呼ばれた移民が持ち込んだのが、イギス藻を使う瀬戸内の食文化と言われる。島原特産のそうめんも小豆島由来という。
鬼塚家のある南有馬地区は、島原の乱の戦場だった「原城」跡から車で数分の距離。「この辺りは先祖が四国出身という旧家が多く、瀬戸内海沿岸で
よく見かける村落のように、海を見渡せる小高い所に家を構えています」(鬼塚さん)
四国の農民たちは目の前の海でイギス藻が採れるのを発見し、懐かしい古里の料理をまねして作ったのだろうか。だが大豆の利用法までは伝わらなかった。
いぎす豆腐から豆腐が消え、次第にイギリスという呼び名に変わっていったのではないか」と、料理研究家の脇山さんはみる。
「今治の夏の定番食が遠く離れた場所で大事にされてきたことに感銘を覚えます」と、今治地方観光協会の関さん。イギリスは四国からはるばる連れてこられた
名もなき民たちと、島原の豊かな自然がはぐくんだソウルフードだった。
島原の乱で空白地帯となったところに入植した今治からの入植者が、瀬戸内海の文化を有明に伝える
445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/28(日) 03:36:57.90 ID:HMtlJK38
>>444
シベリアとかトルコライスみたいなモンか
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/28(日) 05:12:40.75 ID:RZTU37Dw
この間の移民政策の結果か
449 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/12/28(日) 23:20:50.61 ID:TQRT08Wv
>>444
イギリスのウェールズの郷土料理「ラバーブレッド」に関係ないのか?
ラバーブレッドは、岩海苔のこと
海苔の佃煮みたいなもので、それをパンに塗ったり、ハンバーグや
グラタンに入れて食べる
世界でも海苔を食うのは、日本人とイギリス(ウェールズ)人ぐらいだ
453 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2014/12/29(月) 09:53:41.92 ID:q0v+HLUl
>>440,444
島原と宗茂でふと思い出してまとめを読み返してみたんだけど、
島原の乱では細川忠興・真田信之・立花宗茂・水野勝成など戦国の生き残りが、
自ら戦場に出たり、戦場未経験の若手らに助言をしたりしてたんだよね。
政宗も本当にもう少しだけ長生きしてたら、家光や信綱に助言とかしてたかな?
さすがに自ら軍を率いたいとは言わない……よね?
島原の「イギリス」、英国とは無縁 海の産物に今治を懐古
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77704980Z20C14A9EL1P02/
長崎県の東南部に延びる島原半島に「イギリス」という一風変わった名称の郷土料理がある。寒天の原料であるテングサに似た海藻を使って作るかまぼこ状の食べ物だ。
この素朴な庶民料理、江戸時代の島原の乱にさかのぼる歴史が関係しているという。長崎市から電車を乗り継いで1時間半程度の島原の地を訪ねて歩いてみた。
異国情緒豊かな長崎の食べ物だし、ハイカラな名前だから英国と関係があると思いきや全く違っていた。長崎市在住の郷土料理研究家、脇山順子さん(77)が説明してくれ
た。「名前の由来は有明海で採れる『イギス藻』という海藻。干したイギス藻を水でさらして具材を混ぜて作るのがイギリスです」
島原市内で唯一提供している郷土料理店「中屋商店」を訪ねた。小皿で出てきたイギリスは、ベージュ色で表面がつるつるしている。四角い練り物のようだ。
きんぴら風に仕上げた白身魚とニンジンが入っていた。しょうゆに付けて食べると、自然の淡い味覚とともに、磯の香りがほんのり鼻孔に広がった。最初は
「インパクトがどうも薄い」と感じたが、食べ進めるにつれ、塩加減がほどよく効き、飽きがこない味覚だ。
女将の中島ふみえさん(87)は「昔の島原の日常食。最近では自宅で作る家庭が少なくなり冠婚葬祭などの席で食べることが多いですね」と説明してくれた。
「懐かしい」と土産用に買って帰る人も多いという。
島原半島の先端にある南島原市で民宿を営む鬼塚美佐子さん(64)に実際に作ってもらった。まず、うるち米のぬかのとぎ汁で乾燥させたイギス藻を洗い、
えぐみや不純物を除く。水洗いしながら汁を捨て、再びぬかをもみ出した2番汁にイギス藻を鍋いっぱい入れて弱火で煮溶かしていく。
20分ほどで海藻は形を残さないほど溶け、スープ状になった。鬼塚さんは用意した具材(キクラゲ、シイタケ、ニンジン、厚揚げ、アジの魚)をフライパンで手際よくいため、
しょうゆとミリンで味を調えた。これを鍋に入れて煮込むこと10分。熱々の煮汁を金属製の流し箱に移し、冷やして固めれば出来上がりだ。
鬼塚家のイギリスは、しょうゆ味でキクラゲの効果でしっかりした歯応え。イギス藻は毎年5、6月に浜辺に打ち上げられる。「はまのもの(浜で採れる)で
食べられないものはないと祖父母から子供時代に教えられました」(鬼塚さん)
イギリスのルーツとされるのが、愛媛県今治地方に伝わる「いぎす豆腐」だ。イギス藻を原料に使い、生大豆粉を混ぜ、小エビなどを入れて煮固めて作る。
今治地方観光協会の関清剛・事務局長(62)によると、地元の小料理屋で食べられるほか、スーパーや総菜屋でも普通に売っているという。写真を見ると、表面にゴマが
かかり、見た目は高野豆腐のよう。酢味噌などに付けて食べるという。
江戸時代の1637年に起きた島原の乱では、一揆に加わった農民の多くが死亡し、人口が激減した。復興対策として幕府は四国の各藩から強制的に農民を移住させた。
免税特権を与えられ「公儀百姓」と呼ばれた移民が持ち込んだのが、イギス藻を使う瀬戸内の食文化と言われる。島原特産のそうめんも小豆島由来という。
鬼塚家のある南有馬地区は、島原の乱の戦場だった「原城」跡から車で数分の距離。「この辺りは先祖が四国出身という旧家が多く、瀬戸内海沿岸で
よく見かける村落のように、海を見渡せる小高い所に家を構えています」(鬼塚さん)
四国の農民たちは目の前の海でイギス藻が採れるのを発見し、懐かしい古里の料理をまねして作ったのだろうか。だが大豆の利用法までは伝わらなかった。
いぎす豆腐から豆腐が消え、次第にイギリスという呼び名に変わっていったのではないか」と、料理研究家の脇山さんはみる。
「今治の夏の定番食が遠く離れた場所で大事にされてきたことに感銘を覚えます」と、今治地方観光協会の関さん。イギリスは四国からはるばる連れてこられた
名もなき民たちと、島原の豊かな自然がはぐくんだソウルフードだった。
島原の乱で空白地帯となったところに入植した今治からの入植者が、瀬戸内海の文化を有明に伝える
445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/28(日) 03:36:57.90 ID:HMtlJK38
>>444
シベリアとかトルコライスみたいなモンか
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/28(日) 05:12:40.75 ID:RZTU37Dw
この間の移民政策の結果か
449 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/12/28(日) 23:20:50.61 ID:TQRT08Wv
>>444
イギリスのウェールズの郷土料理「ラバーブレッド」に関係ないのか?
ラバーブレッドは、岩海苔のこと
海苔の佃煮みたいなもので、それをパンに塗ったり、ハンバーグや
グラタンに入れて食べる
世界でも海苔を食うのは、日本人とイギリス(ウェールズ)人ぐらいだ
453 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2014/12/29(月) 09:53:41.92 ID:q0v+HLUl
>>440,444
島原と宗茂でふと思い出してまとめを読み返してみたんだけど、
島原の乱では細川忠興・真田信之・立花宗茂・水野勝成など戦国の生き残りが、
自ら戦場に出たり、戦場未経験の若手らに助言をしたりしてたんだよね。
政宗も本当にもう少しだけ長生きしてたら、家光や信綱に助言とかしてたかな?
さすがに自ら軍を率いたいとは言わない……よね?
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