818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/21(月) 16:52:48.10 ID:LJP+gpoE
酒井修理太夫(忠直)殿の元に、弘文院(林)春斎が参られ、
「今度、日本通鑑(本朝通鑑)の編纂を仰せ付けられたのですが、川中島合戦について、
上杉家に尋ねた所、一冊の記録を提出されました。ところが甲陽軍鑑の内容と、上杉家相伝の
日記とでは、出来事の年号月日が違い、さらに合戦の様子も、非常に異なっています。
通鑑にはどのように書き載せるべきかと、御老中まで伺い申しました。
すると土屋但馬守(数直)殿を始め、御旗本においても信玄家来の由来ある衆が申される事には
「上杉家の記録に任せて通鑑に記せば、現在日本中に流布している甲陽軍鑑の内容が、皆偽に成って
しまうだけでなく、軍法の疵にもなってしまうかもしれない。
甲陽軍鑑を編纂したのは、現在高坂弾正だとされている。その文言までも虚言となってしまえば、
年久しく習い広めた軍学も、徒事になってしまうのだから、甲陽軍鑑が廃ってしまわないように」
との内談に付き、甲陽軍鑑の永禄四年(1561)九月十日の事跡と、上杉家の記録にある、
天文二十三年(1554)八月十八日と、弘治二年(1556)三月二十五日の夜合戦の両度を、
日本通鑑に並べて記しました。」
と、春斎は物語した。
この事は、修理殿の近習であった千賀源右衛門、宮川仁右衛門が物語した内容を、酒井殿家中の
玉置平左衛門が申し越したものである。
(川中島年月考)
史書の編纂は江戸時代でも色々大変だったようで
819 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/06/21(月) 19:24:53.84 ID:YInIDZUS
天海さんが一言述べねばならなかったアレなわけですよ
酒井修理太夫(忠直)殿の元に、弘文院(林)春斎が参られ、
「今度、日本通鑑(本朝通鑑)の編纂を仰せ付けられたのですが、川中島合戦について、
上杉家に尋ねた所、一冊の記録を提出されました。ところが甲陽軍鑑の内容と、上杉家相伝の
日記とでは、出来事の年号月日が違い、さらに合戦の様子も、非常に異なっています。
通鑑にはどのように書き載せるべきかと、御老中まで伺い申しました。
すると土屋但馬守(数直)殿を始め、御旗本においても信玄家来の由来ある衆が申される事には
「上杉家の記録に任せて通鑑に記せば、現在日本中に流布している甲陽軍鑑の内容が、皆偽に成って
しまうだけでなく、軍法の疵にもなってしまうかもしれない。
甲陽軍鑑を編纂したのは、現在高坂弾正だとされている。その文言までも虚言となってしまえば、
年久しく習い広めた軍学も、徒事になってしまうのだから、甲陽軍鑑が廃ってしまわないように」
との内談に付き、甲陽軍鑑の永禄四年(1561)九月十日の事跡と、上杉家の記録にある、
天文二十三年(1554)八月十八日と、弘治二年(1556)三月二十五日の夜合戦の両度を、
日本通鑑に並べて記しました。」
と、春斎は物語した。
この事は、修理殿の近習であった千賀源右衛門、宮川仁右衛門が物語した内容を、酒井殿家中の
玉置平左衛門が申し越したものである。
(川中島年月考)
史書の編纂は江戸時代でも色々大変だったようで
819 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/06/21(月) 19:24:53.84 ID:YInIDZUS
天海さんが一言述べねばならなかったアレなわけですよ
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