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日頃よりたばこを用いていた故に

2020年08月16日 17:59

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/15(土) 20:18:12.16 ID:jjtTjOVp
慶長十三年、
ここ二、三ヶ年以前より、たばこと云うもの、南蛮船によって来朝して、日本の上下これを専らとし、
諸病気もこれによって平癒すると云われた。

しかしながらこれを喫する者で、悶絶して頓死する者が多かった。また南蛮より医師が来朝して曰く、
このたばこを吸う者は発病しても、薬を与えるべきではないと云われた。
たばこのことは医書に書かれておらずこのように云われた、我が朝の医師も同じであった。

(中略)

土方河内守(雄久)が江戸に於いて病死した。日頃よりたばこを用いていた故に、喉が破れ相果てたと云われる。
彼は尾州内府(織田)信雄(信長公二男)無双の臣下であった。

当代記



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たばこというものが我が国へもたらされ

2016年08月05日 19:43

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 03:09:20.23 ID:UldHySRU
・この年(慶長13年)の2,3年前から、たばこというものが南蛮船により
我が国へもたらされ、日本の上下の身分とももっぱらこれを使った。

諸病がこれのために治るという。ところが、この頃はこれのために病んだ
者が悶絶して急死することが多かった。

また、南蛮から日本へ来た医師曰く、「このたばこを吸う者に発病する者
がいるのだが、薬を与えようにもどうしていいものか分からない」という。

たばこのことについて、医書には書かれていないから、このように言った
のである。我が国の医者もこれと同じであった。

・(同年11月、)土方河内守(雄久)が江戸で病死した。日頃、たばこを
使っていたので、喉が破れて相果てたという。

この人は、もともと尾州内府信雄(織田信雄)の無双の臣下である。当時、
江戸の将軍(徳川秀忠)の進士(御伽衆か)だった。

――『当代記』




938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 07:09:17.03 ID:rk97Jy4V
病んだ者が悶絶して急死

ってひでえな。タバコ。喉が破れるまで吸うなよ

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 16:05:36.77 ID:7vxlFaRG
そんな時代にタバコの害がわかってたのに
なんで昭和まで気にされなかったんだろう…。

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 18:50:02.21 ID:UDHootWr
>>939
江戸時代に何度も禁止令が出てるじゃないか

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 21:14:45.70 ID:Qz2iXZq6
毒草でも炙ってたんじゃねーの?

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/05(金) 23:36:52.22 ID:a2qxPZNm
白い粉か

この時、土方雄久は12歳である

2015年11月28日 17:20

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/27(金) 20:27:56.49 ID:vkP+opzm
ある記録によると、土方雄久が若いころ、美濃国守護であった斎藤龍興に頼まれて、
斎藤山城守(道三)の子二人を、同じ枕に切り伏せ、北畠の家臣である岡田長門守を
誅する時も、雄久が武勇を顕したという。

しかし、岡田長門守を誅殺したのはともかく、斎藤龍興のために山城守の子供を
討ったという話はいかがだろうか?
斎藤龍興が滅んだのは永禄7年8月のことだが、この時、土方雄久は12歳である。
龍興がどうして、幼い者を頼むだろうか。

また、龍興が弟を殺したという話は聞いたことがないが、山城守の嫡子である斎藤義龍は、
二人の弟の喜平次、孫四郎を討った事があった。
おそらく、この事が誤って伝えられたのだろう。
そもそも土方家の系譜にも、この話は見えない。

世の中に誤って伝えられている事は、この類のものが甚だ多いのである。

(藩翰譜)

新井白石先生による俗説批判である。



689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/27(金) 21:29:49.66 ID:/VdiPR30
ドカタなら幼くても有り得る話だろ

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/28(土) 15:34:44.95 ID:TSVgMSbe
藩翰譜は稲葉山陥落永禄7年説なのか

織田信雄、三老臣を成敗する

2012年12月27日 19:50

899 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 21:06:18.43 ID:1lrPS9Ok
織田信雄、三老臣を成敗する


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の仲が険悪となると、秀吉と通じたとして
信雄が三老臣(岡田重善津川義冬浅井多宮丸)を誅殺するのではないかという
風聞が流れていた。

3月3日、上巳の祝いのために鷹狩で獲った雁を与えると
三老臣へ使いがあったので、皆出仕した。
各々が饗膳の席に着いたころ、信雄は南蛮張の大筒を出して、
これは父祖より譲られたものであると言ったので、岡田・津川は謹んでそれを拝見した。

信雄はさらに岡田に対し、その大筒を持ってみよと言い、
岡田が畏まって大筒を取り手に持った所、土方雄久が飛び掛って抱きつき、
片手に短刀を持ち岡田を突いた。岡田は突かれながらも土方を引っ立て脇差を抜いた。
信雄は大左文字の刀を抜き、岡田を斬ってくれようと、
「雄久放せ!」と命じたが、
土方は、
「大事の役目なので放すわけにはいきませぬ、早く某もろとも斬りなされ!」と答えた。

902 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 21:14:31.99 ID:1lrPS9Ok
しかし、信雄がしつこく放せと命じるので、短刀でもう二突きした上で放した。
すると信雄はすぐさま岡田を斬り、止めを刺した。

この有様を見た津川、
「そ、某をも誅されるおつもりか?」

信雄答えて、
「汝もどうして赦せようか?」

津川はこれに対して、
「なんと薄情な! 某の心底がお分かりにならないのか!?」

と言ったが、その時かねて討手と決められていた飯田半兵衛らが襲い掛って一太刀斬りつけ、
そこに信雄また続いて津川を仕留めた。

残りの一人、浅井多宮丸は未だ17歳にもならぬ若者だったので、
森勘解由が承って難なく斬り伏せた。
こうして三老臣を誅殺したので、残党を掃討するため岡田の星崎、津川の松ヶ島、浅井の刈安賀と、
三人の居城へそれぞれ討手を差し向けたのであった。

(伊勢国司記略)




903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 22:26:21.74 ID:3tvf34An
この話を読む限り、津川は岡田が斬られるのを抵抗もせず見ていたんだよな
仮に翻意があればさっさと刀抜いてそうなものだが

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/26(水) 23:13:09.40 ID:Jb6y8Dqs
うむ。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 01:34:46.48 ID:uwGaSoc4
17才にもならぬ老臣…

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 01:38:58.51 ID:+pVjqYKa
若年寄?

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 05:52:58.78 ID:7TE8nu7A
信長の野望とかでよくあったね、三歳髭面とか

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 10:35:43.04 ID:MdLaw1F3
老臣やら大人とかは、老中とか若年寄とかと同じ役職みたいな感じで使われることが多いよね

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 11:02:50.04 ID:bu3fi/5y
元老院も老人の集まりだと思われがちだが、20代の若者もいる

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 12:47:09.31 ID:7VcFyRgh
世襲議員だな、小泉進次郎みたいな奴

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 13:32:55.98 ID:LruDLFiG
身の程をわきまえてる奴なら別にいいんじゃね?
問題は口先だけで実行しない鳩山小沢の類で

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/27(木) 15:13:02.10 ID:6jii2X/e
オクタウィアヌスが20歳だったか
叔父のカエサルも30代だよな