元就と隆元の近習頭の友情

2016年12月03日 20:56

371 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/03(土) 09:23:58.64 ID:etEgTkDh
元就と隆元の近習頭の友情


坂新五左衛門と粟屋弥七郎は、具足祝の座敷で座配のことについて口論に及んで以来、
戦場では度々先を争うようになっていた。
あるとき、坂がたった一人でとある城の搦手へ回り、
敵と遭ったら一騎打ちするしかないような細道をすらすらと上って、
言葉戦から鑓戦にもつれ込もうとしたことがあった。
そのとき粟屋弥七郎は「なんてことだ。坂に出し抜かれた」と思ってすぐに追いかけて行き、
坂の鑓の石突を捉えて六・七間ほど引き摺り下ろし、自分はさっさと上っていく。
そこに坂がまた粟屋の鑓の石突をつかんで引き摺り下ろし、刺し違えようとしたのだが、
そばにいた者たちがしがみついて仲裁したので、どうにか事なきを得た。

それからというもの、いよいよ互いに憤りが収まらずに、負けじ劣らじと争っていたが、
槌山攻めの際、粟屋は吉川元春配下の新庄勢に紛れて共に抜け駆けし、鑓を合わせて坂にはそれができなかったのには理由があった。
坂は隆元の近習頭だったので、隆元の旗本を離れることができず、
また隆元より全軍に抜け駆け禁止の制法が固く出されていたので、
その軍法を諸士に対して触れ回る身として、坂がその掟を破ることはできなかった。
粟屋は元就の近習頭だったので、隆元の本陣から少し離れたところにいたこともあって、
槌山の切岸まで忍んで近づくことができた。

さて、坂新五左衛門は大樽を家臣たちに担がせると粟屋の陣所へと向かい、
抜け駆けの際に手負いとなり、療養のため寝込んでいる粟屋のところへと案内も通さずに乗り込んでいった。そして
「これまでは戦場において先を争ってまいりましたが、私は今回、
ご下知を守っていたのであなたに負けてしまいました。
これまでも、若い粟屋殿に対して、私の方が年長なのに争っていたのは情けなかったと思います。
今後はこれまでの遺恨を捨て、刎頚の交わりをしたく思います」と言って、
坂は自分の陣にも帰らず、粟屋の看病をした。
坂はこれまで何度も武名を上げてきたつわものなのだから、
たとえ今回は粟屋に遅れたといっても、その武名が傷つくことなどありえない。
坂の振る舞いに、「自分もこのように立派にありたいものだ」と感心しない者はいなかった。




372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/03(土) 20:11:42.18 ID:vFOgTN/w
と言って傷口に塩を塗り込む強かさも兼ね備えていた

373 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/03(土) 20:46:51.14 ID:cNzBp7tS
この坂新五左衛門は父親が元就の弟の相合元綱の謀反に加担した坂広秀なんだね
後には雷神立花さんとも戦ったりしてるのな

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