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本多三弥は天性腹悪しき人であったが

2022年05月21日 16:03

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/05/21(土) 12:41:01.83 ID:XMgqLLM/
本多三弥(正重)は天性腹悪しき人であったが、また極めて正直な人でもあった。
あり寒夜に、大御所(徳川家康)が御膳を召し上がられ、本多佐渡守(正信)にも給わった。
この時、三弥も参り、人々も御旨を伝えられた事があった。

事終わって後、鶴の羹を召され、正信に向かい給い、
「尋常の羹であれば、今ほどの時間が経てば冷えてしまうだろう。しかしこの羹はまだ温かい。
『大鳥は老人に益あり』と言うが、さもありなん。」
と仰せになった。

佐渡守は箸を納めてこれに答えようとした時、正重が進み出て
「この三弥のような小鳥を羹にしてしまえば、今の間に凍りついたでしょう!」
と言い捨てて御前を罷り出でた、
大御所は大いに呆れられ「如何に佐渡守、汝が弟は心を未だ改めていないのか。あの心では
どうして大名に成れるだろうか。」と仰せになった。

大阪御陣の後に本多三弥は、坂部三十郎久世三四郎に賞が行われたと聞いた。
彼は激怒し「その三四、三十、いかにそれがしに超えた武功が有って賞を行われけんや!」とて、
刀を掲げて城に登った。
その時坂部、久世は帰ろうとして大門を出た所だったが、正重はその方に向かって揉みに揉んで
やって来た。久世等が「怪しい者かな」と見ていると、三弥は橋の半ばに至った時、大声で叫んだ

「御辺達は、いかなる高名して所領を給わったのか!?語れ、聞かん!!」

これに久世三四郎は素早く心得、左の手にて耳の輪(耳たぶ)を取って見せると、三弥も致し様なく
「さこそあらめ。御辺らは耳の輪大きく産まれたり!武功に於いては、何条それがしに及ぶべき!」
と言って、彼らと打ち連れて帰ったという。

新東鑑



478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/05/21(土) 15:40:17.34 ID:KVP3D8+5
耳たぶで納得する意味がよく分からん

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/05/21(土) 19:48:42.82 ID:eLz/yr/C
武功じゃなくて福耳で貰っただけですよ(運が良かっただけですよ)ってことなんだろうが、ジェスチャーを一瞬でよく理解できたなとは思うw
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精進刀

2015年04月04日 16:12

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/03(金) 21:03:20.65 ID:0dA0hrZy
大久保彦左衛門がある時、坂部三十郎と雑談をしている時、坂部は
「座敷にて人を斬るのは二尺(約60センチ)以下の刀が良い。それ以上だと座敷での働きは自由に成らない。」
と言うと、彦左衛門

「昔、堀監物が家中の朋友に意趣を含んで、必ず討ち果たすと結審した時、一尺五寸の脇差を八、九寸にまで
磨上て首尾よく敵を討ち果たしたと、後に監物が話していた。これは突き抜いて仕留める心得である。
見事に切り放そうとすれな多くは仕損ずる。突く心得が有れば仕損じはない。足下が二尺以下というのも
放し討ちの心得というものだろう。

放し討ちというの至極難しいものだ。かつて池田勝入は、大事の敵を仕留めるのは組み留めておいて
突き刺せば、十中八九過ちはないと言われたものだ。
あの朝比奈弥太郎(後の水戸家老臣)は、常に三尺(約90センチ)の大刀を差して歩いているが、
外見は良いがあれでは働きは出来まい。人を斬らぬ刀なら、精進刀というものだ。」
そう笑って話した。

ところが、後で坂部三十郎がこの事を朝比奈に話してしまい、朝比奈は激怒。直に彦左衛門の家に押しかけ

「足下は我が刀を精進刀と言われたそうだ。精進か生物か、一つ試してご覧あるべし!」
そう凄んで大刀の鯉口を広げ、返答次第で抜打ちにするとの剣幕であった。

しかし彦左衛門は少しも騒がず
「成る程、足下の御刀は至極の切れ物と云う評判を聞いたゆえに、そこで精進刀と言ったのである。」

「それはいかなる訳か!?」

「されば、精進というものは仏の命日にするものであるが、これは直ぐ落ちる。精進落ちと言って魚を食う。
それで世俗で精進を落ちるというが、足下の刀に逢っては直ぐ落ちる。首も胴も落ちる。
であるから精進刀といった訳だ。」

そう弁解すると、朝比奈も「それで良く解った。」と機嫌を直した。

すると彦左衛門さらに
「足下が長篠合戦の時、甲州の中備の大将、内藤修理亮(昌豊)を討ち取ってお手柄をなされたが、
あの刀は、只今のお差料であろうか?」

「いかにも。この刀は一刻も身を離さず、少し寸が伸びたが度々手柄を現した道具ゆえ、
磨上もせずこのように常に帯びている。」
そう言って抜いて見せたのは、備前国長一の刀、二尺八寸二分。
そこで彦左衛門は聞いた

「足下は、あなたが討った内藤修理亮殿の命日には精進をしていると聞いたが、そうであろうか?」

「いかにも。修理亮殿の命日には、精進をいたし念仏を唱える。」

彦左衛門、我が意を得たりとばかり
「それではやはり精進刀ではないか!精進をするほどの大将を斬った刀なればこそ、足下の武名
天下に聞こえたのである。精進刀と言われて何故に立腹するのか?」

そう口に任せて説立てられると、朝比奈も大いに喜んで帰っていったと、「春村筆話」にある。

(刀剣談)




636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/03(金) 21:08:32.71 ID:qxruWlrD
どっかのガイキチな浅野さんは切ったから爺殺すのに失敗したわけだな。袴踏んで転ばしてからブスリとやればいいと
しかし三河武士は面倒くさいなw

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/04(土) 09:51:08.32 ID:d0LMNVy2
弥太郎が単純なのか、彦左の口が達者なのか

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/04(土) 09:51:23.02 ID:tV78Te7F
弥八郎並みの口八丁じゃないですかやだー

江戸ゆとりvs戦国ジジィ

2011年06月16日 00:07

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 15:09:41.73 ID:jw7sBZ5a
江戸ゆとりvs戦国ジジィ

京二条城にて、久世三四郎坂部三十郎の二人が知行の加増にあずかった。
この話を聞いた大久保彦左衛門はすぐに登城して、二人を出待ちし二人を見つけ尋ねた。
「其の方両人登城とは、何事か?」
勘の鋭い久世は、彦左衛門がいまにも斬りかかってきそうな勢いなので、坂部をつねって目配せし、
「思いがけず加増していただきました。特筆すべき武功を立てたわけではございません。強いて言えば
耳たぶの事を評価してもらったのだと思います」と答え、耳たぶをつまんで見せた。

(つまり久世・坂部両人は様々な情報を『耳たぶ』で集めた事を評価されたと主張し、戦場での活躍だけが
武功だと思ってる彦左衛門を遠回しにバカにしてる)

これを見た彦左衛門は笑いだし、
「さようか耳たぶの評価か、武功以外で貰う知行などはクソだ。そんなクソ知行ほしくはないわw」(さては
たぶにて罷成候成哉。能合点にて候。さ様のくされ知行は不入候)
と皮肉をいって帰っていった。
(鳩巣小説)

既出の逸話ですが解釈が違うと思ったので書きました。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5240.html




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 18:12:31.95 ID:8Vatt0t1
曲淵庄左衛門「彦左衛門殿とは旨い酒が飲める気がする」

本多正重「いかにこの正重に超えたる武功があって!」

2011年03月22日 00:00

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 03:02:12.91 ID:1Ly9naeR
お詫びにもう一つ本多正重話、こっちは出てないはず。

大坂の陣も終わった後のこと、旗本の坂部三十郎久世三四郎に大阪での働きが賞され、
加増されることになった。

と、これを聞いて怒り狂ったのが本多三弥左衛門正重である。

「あの三四三十、いかにこの正重に超えたる武功があって賞を与えられるというのだ!?
許さんぞ!」

側にあった刀をひっつかみすぐさま登城した。無論場合によっては二人をたたき殺す気満々である。
ちなみにこの頃本多正重は70歳を超えている。呆れるほど枯れない爺さんである。

さて、そのころ坂部・久世の両名、ちょうど城から帰る所で、大手の門を出たところであった。
正重この姿を見つけ

「わしの方に向かって、加増をもらって足取り軽く向かってくるわ!なんとけしからん奴らだ!」

と(一方的な思い込みで)憤り怒り心頭。彼らが橋の半ばに至ったとき、大音声を上げて怒鳴りつけた!

「お前たちはいかなる高名をして所領を賜ったのか!?語れ聞かせろ!!」

これを聞いた久世三四郎、すぐさま全てを察した!そして左手で自分の耳たぶを取って見せた。

「こ、これのおかげかな…?」

久世も坂部も耳たぶがとても大きかったのだ。それを見ると正重、大いに納得し

「うははははそうかそうか、生まれながらの幸運のおかげであるか!お前たちは耳たぶが
大きく生まれ幸運が付いているのだろうが、武功においては何条正重には及ぶべきか!」

などとつぶやきすっかり機嫌を直し、坂部久世と連れ立って(二人にはいい迷惑だったであろう)
仲良く帰っていったという。

武功で加増なら許さないが運で加増ならオッケー、という、本多正重の解るような解らないような
価値基準のお話である。


関連
江戸ゆとりvs戦国ジジィ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5503.html




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 09:17:34.72 ID:vylA11jo
すげー僻み屋だなw

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 12:29:06.90 ID:RYsF2p9H
>>325
ワロタw

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 12:58:06.77 ID:RXxwj/fk
家康「耳たぶの大きな奴は何か他人と思えんのじゃ。」

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 13:18:53.54 ID:bEUnfmy+
>>325
めんどくせえジジイだw

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 15:13:34.65 ID:mE42iHWI
ノリ突っ込みの流れで双方ボケ倒したまま…だと…

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 16:36:10.85 ID:Tz0Sa+Eg
久世と坂部もなかなか機転が聞くけど、なんか三河者っぽくないな
普通の三河者なら文句あんのかジジイ!→口論→抜刀→切腹がセオリーなのに