昔、坪内と申した者がいたが、

2016年11月12日 15:56

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/12(土) 12:43:04.26 ID:AVrj43lU
豊臣秀吉が庶人の時、秀吉は坪内玄蕃(利定)に、「其の方は利発者である。
それがしが天下を取ったら、其の方を家人に使うぞ」と、言った。

玄蕃はこれを聞いて、「そちは何事を言うのか。そちをこそ、それがしが使う
ことだろうに」と、言った。すると秀吉は、

「あまりそのように申すな。わからないぞ」と、言ったとのことである。

秀吉が天下を取った後、玄蕃は徳川家康のところに来て隠れており、家康は
玄蕃を関東に匿った。その後、秀吉は家康に向かい、

「昔、坪内と申した者がいたが、この頃は見てないな」と言った。家康はこれに
答えて、「それはどうしたことでしょうか。私は存じません」と、言った。

関ヶ原陣の時、玄蕃はすでに亡くなり、子の惣兵衛(家定)の代になっていた。
家康は惣兵衛に、「其の方は美濃者だ。在所へ行って一揆を起こせ」と命じて、
惣兵衛を美濃へ遣したということである。

――『武功雑記』




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『八幡の胸中を突き通さん!』

2016年07月08日 16:35

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/08(金) 02:37:20.31 ID:eK23cygY
坪内惣兵衛(家定)曰く、

「私も人も八幡を守り神とするからには、八幡を頼みにしている
程度では勝ちはない。『八幡の胸中を突き通さん!』と心掛ける
ことこそ、武辺の秘密である」

と、石谷土入老(貞清)に語った。

――『武功雑記』


石谷十蔵貞清は坪内玄蕃(家定)に向かって、

「あなたの度々の功名は世に広く知られている。天晴れな心掛け
があって、功名を遂げられる道理でもあるのならば教えてくだされ」

と、言った。坪内はこれを聞いて、

「よくぞ、お尋ねになった。人々は事に臨んで、神の力を頼み、
“八幡八幡”と言う。私もまた同じように頼んでは、相頼みに
なって、成就しないと思うのだ。

そこで私はいつも、『八幡という神を刺し通さん!』と、一筋に
思ったので、後れを取らなかった」

と、言ったという。

――『常山紀談』