大将の旗、纏、馬印

2017年10月28日 12:02

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/27(金) 23:28:17.57 ID:QPdRFwSZ
大将の旗、纏、馬印などというものは、高く遠くからも見えることに利がある。
これは相印となり、将の下知がよく届くためである。

豊前の城井一揆の時、その谷口に戦術上良い地形があり、その山を取れば利があり、取られれば
不利になるものであったので、黒田長政はこれを見て取ると、宵より物見をかけ、この山を占拠するとし、
そうして山に備えを段々と上げた。

ここまで城井の兵は全く見えなかったので、さては黒田勢に辟易して退去したかと、各々喜び
緊張が緩んだ。

その時、城井の馬印である赤い吹抜が突然現れた。
黒田の兵はこれに驚き、「唯今足元よ敵が出たり!」と混乱し敗軍した。

この時黒田の機は、行列の時のように長く立ち備えていた。これが進みながら敵と遭遇したため、
旗を立て直すことが出来なかったのである。
先の方からは「旗を立て直せ!」と下知があったが、旗奉行はこの命令を聞き入れなかった。
「その時間が有るからと言って、もし立て直すようなことをすれば、むしろより早く
軍が崩れます」
という理由であった。

賤ヶ岳の戦いで、秀吉の金の纏が出て佐久間玄蕃の兵たちが気を失い、小牧にても家康の扇の纏が出たことで
敵軍気を失い、関ヶ原にても家康の纏が突然現れたことで、石田三成は大いに驚き謀を失ったと言うが、
これらも同一の事例であろう。

(士談)



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豊前城井氏の滅亡

2015年05月24日 13:38

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/23(土) 17:35:33.18 ID:47Lo43ok
中津城において城井鎮房が討たれると、野村太郎兵衛は城内にいる城井の家来たちを「追い払い申さん!」と
表口に走り出た。黒田長政はあらかじめ、「城井を討ち取れば、次の間に控えている者達は早々表へ出て、
侍たちにその事を申し聞かせ、城井の家人たちを打ち殺すべし。」と言いつけてあった。
そのため、城井が討ち取られると同時に、次の間に控えていた侍たちは速やかに玄関に飛び出て呼びかけた。

「只今城井を討ち止められた!彼の郎党たちを追い払え!」

これを聞いて、表に並み居た侍たちは、城井が討たれることを待ち受けていたので、その家人たちを
我先に討たんと駆け出した。

城井の家人たちはその主人が討たれたことを知ると、大勢が中津城の玄関から中に斬り込もうとした。
しかし玄関には戸がさしてあったため、露地口を押し破って侵入しようとしたが、黒田側も
ここを破られてはならぬと、面々命を惜しまず防ぎ戦ったため、城井の家人の内、屈強の者達多く討たれ、
残る兵たちは皆、門外に追い出された。この時野口藤九郎は城井方数人を斬り防いだ。
益田興介は玄関にあった番鑓を取り、大勢をせり付け外に追い出した。黒田宇兵衛も敵を討って手柄を表した。
大野九郎左衛門はかねてより鑓を持って厩の中に隠れていて、城井を討ったと聞くと即座に突いて出て、
敵3人を突き伏せ数人を追い散らした。その他敵を討ったもの多かった。
台所にも敵5,60人が切り込もうとしたが、そこに居合わせた武士数人、並びに中元、小物、台所の下部ら
まで出合い防ぎ戦った。

この口で討ち漏らした敵達は皆門外に追い出し、そして城門を閉ざした。味方の中にも内海甚左衛門らが
討ち死にした。その他負傷したものも多かった。

敵は城外に皆集まっていた。中津城下に住む味方の諸侍は早鐘の音を聞きつけ、何事かと思い速やかに
駆けつけたが、鎧を着る暇もなく、素肌で取るものもとりあえず出てきた者もあり、或いは
素早く鎧を着て出てきた者もあり、鉄砲頭は足軽に鉄砲を持たせて急ぎ駆けてきた。
大手の門を固めて、鉄砲を討たせつつ敵を防いだ。そうしている内に城下の味方も追々に駆けつけ、
城井の家人たちに討って懸かり、逃げる彼らを追い討ちにして数多討ち取った。
その中でも、城井の家老である塩田内記という武功の名のある者をも討ち取った。
残る者達は皆敗北し、澤田の方面へと逃げ帰った。

そうすると黒田長政は、「城井の邸宅のある澤田に押し寄せ、残る者達を尽く討ち果たすべし!」と
自ら出馬した。澤田に残っていた城井の家人たちはあまりに突然のことなので混乱し、出撃して防ぎ戦ったが、
黒田方はこれを物ともせず、鉄砲で撃ちすくめ攻め入った。搦手に回った黒田の兵たちは、城井の館近くの
民家に火をかけると、やがて館に延焼して、男女尽くあちらこちらに逃げ惑った。

城井の家人はあるいは討ち取られ、あるいは逃げ散った。
城井の館は瞬く間に攻め破られ、城井の妻子も皆捕虜とされ、たちまちの内に彼の地は平定された。
城井鎮房の父である長甫は、豊後を目指して落ちようとしたが、途中で追手にからめ捕られ殺された。

長政はその日の内に中津城に帰った。城井の父子一族13人、中津にて磔に掛けられた。
城井を討ったことは長政より孝高(官兵衛)に注進され、城井の嫡子・弥三郎も肥後にて誅せられた。

おおよそ、この城井中務(鎮房)は勇猛さを誇り、その上城井谷は極めて良い要害であったので、
他所から侵し攻めてくる事がなく、その切所を頼んで、ますます近隣を侵略したが、彼は時勢を知らず、
小を以って大に仕えるという理をわきまえなかった。そのため、公の命に従わず叛逆をなし、ついに
先祖より久しき家を滅ぼし、その身も滅ぼしたのだ。愚かな事である。

(黒田家譜)

城井氏滅亡に関しての、黒田家譜の記事である。



841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/23(土) 23:01:15.64 ID:ts/FSc7D
騙し討する奴がよく言うぜ

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/23(土) 23:02:50.05 ID:42ZDHsJt
家譜だからな

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/23(土) 23:22:00.15 ID:v7JEP0jI
最後の一節はまあ事実というか

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/24(日) 11:17:14.24 ID:jncOzvIq
じじつというよりは、まりでしょ。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/24(日) 21:22:44.21 ID:T/Voltrr


846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/24(日) 22:04:23.98 ID:Zt4BT1+C
黒田は家は残したが汚い名前を残したのは事実
死のうは一定なんとやら

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/25(月) 00:04:57.55 ID:uSD+J2WA
家譜は既に身分の上下が固まってきた時代に書かれた書物だから仕方ない
とは言え読んだらカチンとくるのも事実

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/25(月) 00:53:32.38 ID:bH4oaLsP
誅殺の影響か
鎮房の怨念で黒田家の男系血筋も絶えたし
フィフティーフィフティーさ

城井鎮房誅殺

2015年05月22日 13:03

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/21(木) 20:24:22.54 ID:3lySmnB7
城井中務(鎮房)は中津城に登城して、黒田長政の前に出た。長政は床の間の方に座していた。
城井は二間ほど隔てて、腰障子の側に着座していた。

城井中務は優れて大力の剛の者で、六尺あまりの大男であった。
二尺あまりの打刀を腰に挿し、二尺八寸ある重代の刀を後ろに立ちかけていた。
彼の表情からは野心が表れていて、長政を敬い慎む礼式もなく、いささかも降参した者の法ではなかった。
長政はこれに甚だしく憤ったが、色を和らげ挨拶し、「酒を出すように」と言うと、吉田又助が酌に立った。

長政は先に酒を飲んで、その盃を城井に与えた。城井は長政、又助の方に油断なく目を配りながら、
盃を取って頂き、左の手にて酒を受け、右の手は脇差の柄の上に置いていた。

又助は酒を酌する時、わざと盃に余るほど酒を注いでこぼした。そして長政が刀を取り良いようにと思い、
城井より上座に立ち退き、長政と城井の間に立ちふさがり、城井の方に近い形で座して、銚子を下に置いた。

長政は、かねて決めていたとおり「肴を!」と呼んだが、長政の声が次の間に聞こえなかったのか、何も返事がない。
少しして再び「太郎兵衛、肴を!」と声高に叫んだ。

その時、野村太郎兵衛「あっ!」と答えて肴を持ち出し、直に城井の前に出て、三方を投げつけると、
つっと寄って一太刀、打った。

城井は左の額から目の下まで斬り付けられた。城井は「心得たり!」と盃を捨てて脇差を半分抜きかけ、
立ち上がろうとした、そこに長政が側においていた刀を抜いて即座に打ち付けた。
利剣によって強く斬られたため、左の肩から胸部の真ん中を割り、後ろの大骨にかけて、左の横腹まで
斬り付けられた。

このため、さしもの猛き城井中務も、たちまちうつ伏せに倒れた。

この時、次の間に控えていた黒田家の侍達が一度に来た。野村太郎兵衛は刀を横たえ、片手をついて長政に
「日頃の御本望にて候。いま一太刀を遊ばせ候へ。」と申し上げると、長政立ち上がり、声をかけて斬りつけると、
後ろから胴と腰を両断した。

(黒田家譜)


城井鎮房誅殺の模様である。




820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/21(木) 23:06:00.73 ID:+/y6zspf
城井は本領に固執さえしなければ
勝ち組で終われたかもしれないのにな

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/21(木) 23:08:41.51 ID:OC5yiJ3B
後藤太郎助ってこの城井鎮房謀殺事件の時の失敗で小姓を罷免されてんだな

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/21(木) 23:13:53.55 ID:b+gF+i9v
家宝の色紙取り上げようとしたんだと思ってた

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 01:30:44.72 ID:OBBjjFeo
胴と腰両断ってすごくね?

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 11:17:30.32 ID:EzunKgln
伊予の宇都宮が没落してたから城井が移って宇都宮姓に戻ればよかったのにねえ

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 11:31:21.72 ID:Ah1heSJm
>>826
シロイチンボウさんはそれをお断りして…

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 12:41:57.02 ID:nWgigd4P
「軍師官兵衛」の城井鎮房さんは人間味溢れる様に表現されてたのかしらん?過去の大河でスルーに近かったモブ九戸さんよりは出番があったみたいだけど

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 14:36:26.61 ID:qMZR4l5S
>>828殺される回しか見てないがこんな感じ
猪武者の長政を見え見えの罠に引っ掛けたはいいが、結局そのあと孤立してしまい
官兵衛が出した鶴姫の輿入れ案で和議を受諾
「官兵衛のおかげで命拾いした」
とかのほほんしてたら長政に宴会に呼ばれる
実は和議に怒った秀吉が城井を殺せと長政に命じ
渋る長政に清正正則が謀殺案を出して宴会に呼んだのだ
明らかに挙動がおかしい長政を見て酒に毒でも入ってるんじゃないかといぶかしんでると
長政「さ、酒に毒は入っておらぬ」
直後に刀が抜かれいろいろあって謀殺される

やっぱり官兵衛のせいにはできなかったか

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 14:48:15.37 ID:nWgigd4P
綺麗な大河にしようとすると、どうしても齟齬が出て来るという訳ですか

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 15:25:26.66 ID:9T6wPBzH
>>830
長政の演技よかった。途中で家臣が酒をこぼして村田さんがやべえって顔するところも。このぐらいのクオリティ欲しいよ。

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 15:28:03.92 ID:9T6wPBzH
>>831
そのあと、官兵衛は城井息子を首のあたりをひとつきして血を流さず暗殺したよ。恐るべし手練れだった。

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 16:06:38.65 ID:ougRKbZY
>>834
生涯で二人しか斬ってないのに随分手慣れてるのな

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 19:17:45.20 ID:ogXNSOgp
そりゃあ殿は若年のころ武では蒙武を超えてましたからね

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/22(金) 22:47:19.93 ID:XKOnRrdR
>>830
つる姫は別に輿入れはしてなくて、
侍女たちと一緒に人質として黒田の奥勤めをしてただけじゃなかったっけ?
『黒田家譜』でも「別に長政の側室とかにしたわけじゃないから(震え声」
みたいな言い訳がましい記述があったようなw 
ま、鶴姫関係は実際どうだったかはようわからんがw

>>826
伊予の宇都宮って結局どうなったんだっけか

838 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/05/22(金) 23:31:06.81 ID:aMlSHOBk
そういや、鶴瓶に乾杯に長政役やった役者が出てたんだけど、
城井家皆殺しとかやったせいか、子どもに怖がられてたのには笑ったw

今日の酌に

2015年05月21日 18:24

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/20(水) 20:41:53.01 ID:n4nOaZ3m
天正16年正月20日、黒田孝高(官兵衛)は、豊臣秀吉より浅野長政、加藤清正、小西行長ら2万の兵と共に、
肥後国人一揆に苦しむ佐々成政の元へ援軍として向かうことを命ぜられ、2月に肥後へと向かった。

この時、城井中務(鎮房)は、最前まで敵となっており、その上所々に放火し、乱暴狼藉をした存在で
あったため、そのままに差し置き難い存在であった。
彼は一旦の難を逃れるために降参したと言っても、城井谷の城から澤田の邸宅まで、猶も要害を構え
野心を秘めているとの噂も聞こえていた。必ず国の仇と成るべき者であった。
黒田孝高は出陣にあたり、城井に対して必ず油断無いよう言い置いて出発した。

ところが、孝高が出発したあと、城井中務は案内もなく、手勢200ばかり連れて、黒田長政への一礼の為と
言って、不意に中津城へとやって来たのである。

長政はこれを聞いて「誠に一礼のためなら、父子同じく在城の時、日限をうかがった上で、
小勢にて参上すべきであるのに、案内もなく俄に押しかけ来ること、ますます無礼の至である!

もし見目の時に至って、猶も無礼の体であれば即座に誅殺すべし!」そう決定した。

その時、中津城内に居合わせていたのは、武士17人、足軽中元もようやく100人程度であった。

さて、この日の城井への酌をするのに、吉田又助が出ることを命ぜられた。
「いよいよ城井を誅する時は、盃をさした時、肴を乞う。その時に、後藤太郎助(後藤又兵衛長男)が
肴を持ち出て、一の太刀を打つ。私(長政)は二の太刀を打つ」と定められた。

吉田又助はこの時17歳であったが、長政に申し上げた
「今日の酌を仰せ付けられたこと、誠に身の面目と存じます。しかし私は今年、日向での合戦の折
左の膝口を斬られ、命はようやく助かりましたが、陣中でもあったので血を止める暇もなく、
多量に出血したため、体力が弱ってしまいました。

いまは少々歩行が出来るほどに回復しましたが、なおも足腰弱く、手の力も未だに戻っていません。
大事のご奉公を辞退するのは残念ですが、もし御用に立たなければ御為悪しき事になります。
ですので、体の達者なものに仰せ付けられるのが然るべきかと存じます。」

長政はこれを聞いたが
「お前が未だ、体力が戻っていないこと、良くわかっている。しかし今日の酌に、手足のつよきことは
さほど要らぬ。ただ、冷静で動揺しないことが必要なのだ。
酌はお前がするように。」

そう仰せ下したため、又助も重ねて辞退には及ばなかった。
(黒田家譜)


黒田長政による、城井鎮房謀殺に至るまでの記事である。



813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/20(水) 21:24:42.94 ID:3cTIxd0j
史記の「刺客列伝」中の専諸と荊軻の話の対比を思わせるな
決行の時まで平常通り冷静で居た専諸は暗殺に成功したけど
介添え人が動揺して不審がられた荊軻は暗殺に失敗したんだよね

怪我をした人を採用したのも相手を油断させるためなのかも

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/20(水) 22:46:44.53 ID:IH69DQB2
荊軻は相棒が高漸離とかだったら結果も変わったかねぇ