小西行長捕縛

2015年07月30日 11:39

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/29(水) 21:11:58.51 ID:ZmPhxVvV
城和泉守(昌茂)が物語った事である

「私が先年、関ヶ原に一泊した時、旅籠の亭主を呼んで『昔ここで、大合戦があった時のことは覚えているか?』
と尋ねると、この亭主は老人で、詳しく物語した。私が『小西行長をここの者が捕らえて草津に差し出したと
言うが、それを知っているか?』と問うと、この亭主『小西をとらえたのは私です』という。そこで私は、
この事色々と質問し、ついに事実であると理解した。亭主が言うには

『あの時、おびただしい落人が日夜ここを通っていたため、在所の者共は申し合わせ、武具はもちろん
衣類まで剥ぎ取っていました。しかし我々はそれを制し、そのような事は致しませんでした。
これは仔細のあることでした。

そのような中、近くの山において、我々に呼びかけてくる落人がありました。
私が「いらぬことを話しかけるより、何方へでも、早々にお忍びなさい。」と申しましたが、
「是非是非ここに来てほしい。頼みたいことがあるのだ。」と申します故、行ってみると
「私は小西摂津守である。徳川家に連れて行って褒美を取れ。」と言うではありませんか。

私は驚き「考えもできない、勿体無いことです。どうか少しでも早く落ち延びてください。」と
申し上げましたが、「いや、私が自害するのは容易いが、切支丹なれば自害も出来ぬ。」などと
様々に申されたため、是非なく我々がお供申し上げました。

そこから御本陣に向かいましたが、途中でもし人に奪われてはと心許なく思い、
竹中丹後守の衆を呼んで色々と話し合い、小西殿を馬に乗せ、竹中丹後守御家来が同道にて草津の
御本陣へ参り、村越茂助殿の宿舎にこの事を申し入れますと、我々を宿舎の中に通され、その後、
小西殿に縄をかけられました。
私達は途中も心やすく考えてお供していたので、縄のかかることになるとは考えもしていませんでした。

それから、私達にはご褒美として黄金10枚が下されました。竹中丹後守殿にも、何か下されたと
記憶しています。その後は特に何のご沙汰もありません。』

世の中では、林蔵主と申す飛騨出身の出家が、これが大力であったため小西を生け捕った、などと
諸書にもあるが、それは偽りである。」

(明良洪範)

小西行長捕縛についての逸話である。






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