太刀「瀬上がり」

2017年01月04日 21:03

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/03(火) 18:06:49.71 ID:ri5zkNb1
太刀「瀬上がり」

永禄12年(1569年)正月、本圀寺の変の際、
相馬家の堀内俊胤は三好義継の軍勢に加わり、
三好長慶、松永久秀、岩成友通らと戦い敗死した。

家来が俊胤の首を抱えて桂川を渡る際に、
俊胤の佩刀が流れてきたために「瀬上がり」と名付けられた。

堀内俊胤の跡は、奥州三春城主の田村氏の一族である中津川大膳が堀内氏の養子となり、
名跡を継いでいたが後に離縁されて国元へ帰る際、この「瀬上がり」を持って帰ってしまう。
ところが国元で凶事が起こったため、この「瀬上がり」を堀内氏へ返して寄越した。

その後伊達家に近い藤田四郎宗知が堀内氏を継いでいたのだが、
離縁され国元へ帰る際に「瀬上がり」を持って帰るが、
これも同様に奇怪なことが起こったために、
やはり「瀬上がり」を堀内家へ返して寄越したという。

その後は堀内家に伝来した。



※管理人注:史実的に見るとかなり無茶な内容ですが、この伝承は確かに存在します。
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堀内家娘の事

2016年12月15日 14:57

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/15(木) 02:05:42.36 ID:Da97V1+q
相馬家の分家、相馬堀内氏の当主・左衛門には娘が一人だけで、嗣子無く、このため
娘に、相馬一族である藤田齊庵の弟、掛田兵庫という人物を迎え、堀内家を継がせようとした。
ところがこの娘が兵庫を嫌ったため、兵庫は堀内家から去り、その後柏寄村に居住して生涯を終えた。

兵庫が去った後、次に中津川家の二男、大膳亮を娘の婿として迎えたのだが、彼もまた嫌われたため、
仙道へと帰った。

ある夜、男二人が顔を隠し、誰ともわからぬようにして堀内の屋敷に忍び入った。
時間は宵の口で、召し使われている女房たちは自分の仕事をしており、堀内の娘は屏風の陰から
何とも無く外を見ていた。

するとそこに、先の男のうち一人が不意に走りより、この娘を一太刀切って逃げた。
召し使う女房の中には、この事態を見て一人、この暴漢に飛びかかり組み留めようとしたが、
男たちは二人で右や左に蹴り転ばした。女の事とて力なく、彼女はそこから逃げた。

この二人の男たちが誰だったのか、後までわからなかった。
娘は耳の下から頬にかけて傷が残ったという。
彼女は後に、二本松安房守義秀の嫡子、右馬頭国秀の妻となった。
しかしこの国秀は、叔父の義国に討たれた。
この時妊娠していた彼女は、相馬に帰って出産をしたという。

(奧相茶話記)

誰が彼女を襲撃したんですかねえ。



412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/15(木) 02:41:51.33 ID:Sv/EWd5r
犯人はヤス