外郎事

2015年03月01日 19:58

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/01(日) 01:41:54.70 ID:1YOMHe++
外郎

相州小田原における北条氏綱の政道は、無私にて民を慈しんだので、近国他国の人民は
その恵みに懐き移住し、津々浦々の町人職人が遠隔の西国や北国からも群来した。
そのため小田原の街は、古の鎌倉もどうしてこれ程だろうかと覚えるほどに発展した。

東は一色より板橋に至るまで、その間約一里に商店が密集し、数多の売買を行っていた。
山海の珍物、琴碁、書画や細工に至るまで、無いというものは無かった。
異国の唐物で、未だ目に見たこともなく、まして聞いたこともないような器物が、
幾つと言うことも無いほど積み置かれていた。

このような交易の売買で利潤を得た者は、四条、五条の辻にも溢れ、民のカマドも豊穣と成り、
東西の業も繁盛した。

小泉という人が小田原の町奉行に任命されたが、彼は賞罰が厳重で堪否を知り、理非分明で物の正否を
糺したので、不正に嘆く人もなかった。

そのような中、京都より外郎という町人が来て様々な薬を商った。なかでも透順香という霊薬は、
長生不老の薬であると言って、氏綱にも進上されることと成った。
そこで町奉行の小泉がこの町人を伴って登城した。
氏綱の御前において
「かの薬の効能は測れないほどです。先ず第一に口中の臭気を除き、眠気を取り、命を延ばします。」
と言上した。

そこで外郎が申し上げるには
「この霊薬は、唐においては仙家の秘薬ですが、我が先祖が代々これを伝えていました。
そして鎌倉建長寺の開山大覚禅師が来朝する時、お伴して本朝に渡り、以後この国に居住しております。」

氏綱はこれを聞くと
「誠に珍しい貴物である。今後小田原に居住するように。」
と申し付け、明神の前の町家を与えた。今の小田原の外郎の店はこれの事である。

(相州兵亂記)

北条氏綱の時期の、小田原の繁栄と外郎についての記述である。




679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/01(日) 11:00:14.18 ID:HohDDBDN
ういろうはミステリアスフード
当時のういろうは甘くなくて薬っぽかったんだろうなあ
友人は石けん味の食い物なんぞ食えるかといって嫌ってるw

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/01(日) 11:27:15.98 ID:LdFAmnHA
小田原のういろううまいよな。また城ついでに買いに行きたい

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/01(日) 12:33:49.30 ID:Hf4nG+dx
それ仁丹みたいな丸薬の方のういろうやろ

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/02(月) 13:38:18.36 ID:59L9f9Rt
外郎発祥は小田原なのに、何で名古屋が有名なんだろうか

http://i.imgur.com/4pmjg73.jpg
4pmjg73[1]

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/02(月) 13:53:19.22 ID:qv6GP8+Z
>>685
外郎の発祥は京都。そこから各地に伝わって様々に進化した。
小田原のは外郎の宗家が移住したから小田原発祥というような誤解が伝わっている。
名古屋の外郎が有名になったのは東海道新幹線の開通で車内販売され、おみやげとして有名になったため。

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/02(月) 21:15:24.09 ID:61zzAPJY
字が違うと分かっているのに、つい「げろう」と読んでしまう、外郎に縁が薄い馬鹿が俺

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/03(火) 07:45:28.88 ID:HUBXNlue
下がれ!外郎!

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/03(火) 08:34:26.54 ID:Ug9IlYrZ
前に出ろ。羊羹。

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今の小田原の外郎というのは、これである

2012年11月13日 19:58

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/11(日) 22:26:20.72 ID:7MWZQl4Y
ういろう家が小田原に行ったのはそういう下地があったのか?



384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 21:21:54.52 ID:065CW0wl
>>374では同じく「關侍傳記」から外郎のお話

北条氏綱の時代、相州小田原では政道に私無く、民を慰撫したので、近国・他国の民も
北条氏の徳に懐いて家を移し、津々浦々の町人・職人、西国・北國より群れ来たった。
それにより小田原の街は、昔の鎌倉もどうしてこれほどだっただろうか、と思うほどの
繁栄を示した。

東は一色より板橋に至るまで、その間一里ほどに、棚を設置し数多の売買を行い、
山海の珍物・琴・碁・書・画の細工に至るまで尽く集まっていた。
異国の唐物でも未だ目にしたこともなく、まして聞いたこともないような器物を数知れないほど
積み置いていた、

小田原における交易売買の利潤は、京の四条、五条の辻にも勝っており、民の収入も豊かで、
小田原を支点にした東西交易は大変繁盛していた。

このころ北条氏は小泉という人物を町奉行に置いた。この人は賞罰厳重にして人の堪否を知り、理非分明にして
物の奸直を糺したので、人の嘆きも無かった。

ここに京都より外郎という町人が来て、様々な薬を売る中にも、透頂香という霊薬を売っていた。
これは長生不死の薬として、北条氏綱にも進上される事となり、小泉はこの外郎を連れて登城した。

外郎は氏綱の前でかの薬の効能を上げ、第一には口中の臭いを除き、眠気を消し去り、
命を延ばすのだと言上した。

外郎の言うところには
『この霊薬は唐にて仙人の秘薬でしたが、我々の先祖がこれを伝え、鎌倉の建長寺の開山・大覚禅師
来朝の時、共をして本朝に渡ってより、この地に居住しています。』
とのこと。

氏綱は
「実に珍しい貴物である。おぬしはここに居住せよ」
と申し付け、明神の前に町家を給わり、小田原に住むことになった。
今の小田原の外郎というのは、これである。

(關侍傳記)




385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 21:50:32.00 ID:GRmcnagB
当時の小田原の繁栄振りを見てみたいわ
今の物があって当然って感じの東京とは違う活気がありそう

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 23:10:12.21 ID:1PEFadOE

レスが拾われるとはw
北条の内政チート話はよく聞くなぁ
滅ぼされなかった歴史が見たいもんだ

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 23:52:28.06 ID:AH7QiWE5
小泉という町奉行は、江戸初期に多摩川を開拓した代官の祖先?

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 00:16:19.06 ID:/UEP4ayn
>>387
小泉次大夫は元今川家臣だね

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 18:05:18.32 ID:m/OfymvL
福岡銘菓の「鶏卵素麺(そうめん)」で知られる福岡市博多区の老舗和菓子店「松屋菓子舗」(松江光社長)が
自己破産申請の準備に入ったことが12日、分かった。信用調査会社の帝国データバンク福岡支店によると、
負債総額は約2億5千万円。本店や福岡市内の百貨店で営業している計7店の閉鎖時期などについては不明。

 同社は1673年(延宝元年)創業。福岡市内の和菓子製造会社としては最も古く、
江戸時代に黒田藩に献上したとされる鶏卵素麺を主力商品に、ようかんや最中などを販売していた。
1996年に株式会社に組織変更。99年4月期には約5億2500万円の売上高があったが、
消費者の和菓子離れなどの影響で、2011年4月期は約3億2千万円に落ち込んでいた。
現在は福岡市・天神の岩田屋本店や福岡三越、博多大丸などに直営店を構えている。

 「鶏卵素麺」はほかのメーカーでも同名の商品がある。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/333828

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 19:24:48.74 ID:12gephJg
>>391
鶏卵素麺はあまり旨くはなかったが古いメーカー潰れるのは残念
鶏卵素麺は南蛮の菓子だが、タイにも伝来してるみたい
日タイ交流協会のイベントで紹介されてた