444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:30:34 ID:I9P1dmMH
大坂の陣も終わり、世も太平となった頃の事、
永井善左衛門の所に、
板倉重宗が招かれた。
この時相客は石谷十蔵、横田甚右衛門(尹松)、大久保彦左衛門(忠教)、
今村九郎兵衛、であった。
みなみな戦場生き残りの、老勇者たちである。
この頃今村は槍奉行、大久保彦左衛門は御旗奉行であった。
まず、今村が彦左衛門に食って掛かる
「わしは長久手でもどこの鑓場でも、人が十回かかるほどの働きをやって来たというのに
何のご褒美もなかったわ!彦左、おぬしはどれほど優れた働きをして、その様な結構なお役を
頂いたのだ!?」
これに彦左衛門
「わしは長篠で、鬼神のごとくと言われた岡部丹波を切り落とし、本多主水(彦左衛門の郎党)にその首を
取らせたわ!その他にもちくちくした事は数多あるが、まあ、甲州者などでは逃げたことが高名になるそうだ。」
これを聞いて黙っていられないのがその甲州者、そして高天神落城の際脱出した旧武田家家臣横田甚右衛門である。
「それがしが高天神城にこもったのは、『この籠城は運を開くことは出来ません』と勝頼様に申したのに
同心いたして頂けなかったゆえ、しからば一応勤め、どうしても駄目になれば敵を切り抜け、再び勝頼様に
お目見えいたしますと君臣約束した故である!!」
そう聞いても彦左衛門
「それは狭間潜(さまくぐり:城中から狭間(さま)を潜って逃げる者。転じて、逃亡者、臆病者)というものじゃ!」
「はっ!しかしあの時わしは三河者の頭の上を越えて行ったが、そのわしを指さす者すらおらんかったわ!」
「それはまあいい、ほかに何か無いのか?」
「ふん、そうだな、芦田小屋(芦田城)でも最も骨を折ったのはこのわしであった!」
この言葉に彦左衛門
「ほほう!芦田小屋から横田が逃げたという話は聞いていなかった!」
これには横田たまらず
「皆の衆あれを聞いたか!?三河衆は口が悪いから、人の武辺を言い貶す!全く意地の悪いことだ!
近藤石川といった連中に起請を書かせた上で言わせれば、ありのままに話すのだろうが。」
老勇者たちのいがみ合いヒートアップ。今にも発火せんばかりの空気の中、
ここで
板倉重宗が割って入った
「いやはやいやはや!皆様はもはや老年でもあり、孫や子の事ばかりお話されると思っていたのですが、
武辺争いをなさるとは、近頃奇特なる事で、若き者の後学の為にも良いことです。
さあどうぞどうぞ、いくらでもやってください!さましく御重宝というべきものです!」
…と
この
板倉重宗の言葉に気恥ずかしくなったか逆に白けたか、老勇者たち黙ってしまい、座敷の空気も
静まったそうである。
年寄りの冷や水ならぬ年寄りの武辺争い、と言うお話。
しかしまあこの人達、仲が悪いというより、そう言うコミニュケーションだったんでしょうねw
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:50:41 ID:Q9lZeOBv
>>444
乱世を生きた武人の気質なんだろうな
日露戦争時に薩長出身者が幕末の活躍を話してると、
桑名藩雷神隊だった立見尚文が、
「キミら、オレの隊からは逃げてたよね?」
みたいにチャチャ入れたりしてるしw
449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:06:37 ID:swpyhMCd
しかし重宗もどうかしてるな
あの彦左がのほほんと孫の話なんてするわけがないくらいわかりそうなもんだが
450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:10:14 ID:iRVaeWLn
だからあてつけというかしらばっくれというか、そういう事なんだよと思うよw>重宗
「あんたらもう孫がいるような歳なのに、そう言う子どもみたいな意地の張りあいしてて
それはどうなの?」
って底意で言っているんだよ。
451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 01:40:36 ID:hii+OybT
戦場往来の爺ちゃんたちは我が強すぎるねえw
452 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/28(金) 03:58:35 ID:MhR7EtTZ
どうにも収まりのつかない口喧嘩を全員誉め上げてて収める、
さすがは板倉Jr.という話
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大久保忠教と横田尹松が・いい話
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