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そのため異邦人は大内家を日本国王と

2021年10月23日 16:23

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/23(土) 15:29:28.02 ID:Ejmsdc+U
伊予国の海表に能島、来島、院島という3つの大島があり、その他小島が10余
ある。予州河野氏の部類にして、周防山口の府に隣するため、大内家に交接する。
能島と院島は村上源氏である。来島と興居島は河野氏である。

(中略)

大内政弘より以来、大明朝鮮の勘合をもって商船を渡し給う故に、島家を保つ輩
は大内家の陰に倚らずということ無し。

大内義興は九州の戦に勝ち、兵威を盛大にして諸国を帰服せしめ、周防、長門、
石見、安芸、豊前、筑前6ヶ国を領し、伊予讃岐を来服せしめ、大明朝鮮の勘合
をもって商船を渡した。そのため異邦人は大内家を日本国王と思っていた。

そうして永正17年(1520)、村上兵部大輔より使者を通して大内義興の命
を達する。讃州塩飽島は村上鎗之助が来て、宮本佐渡守の宅より香西に達した。

その言に曰く「今年、朝鮮国へ兵船を渡海させるところである。公儀軍用の余分
をもって兵船を仕立て差し遣わしたい者は、その員数を記して注進せよ。その趣
によって禄物の差別があるべし」と、すなわち塩飽より香西氏に達する。

香西氏は議定して注文を調えこれを送り、乃生縫殿助、池水太郎兵衛、本津右近
を船長として兵船3艘を遣わした。

塩飽島より宮本佐渡とその子助左衛門、吉田彦左衛門、妹尾、渡辺が加わり用意
をなした。直島に高原左衛門尉、児島日比の戸に四宮隠岐守が共に用意し、引田
小豆島は寒川丹後守の所有なので引田浦に船が揃った。

讃州諸浦の船どもは能島隼人佐の手組に約し、深く交わりを結んで朝鮮の役を勤
めた。浦々は繁昌して、諸方これを羨まずということ無し。

さて朝鮮の役は先年に大内政弘が大軍を催して朝鮮に発向し、朝鮮王はすなわち
政弘に和を乞うて全羅道の貢物を大内家に入貢した。これより続いて義興も全羅
道を入貢せしむ。

この年、朝鮮国に大軍を遣わして全羅道の境を巡察した。これは大内家の兵威を
敵に振るうためであろうか。義興が年来管領としてその費用を繕ったのも、朝鮮
の入貢、大明の勘合の利用があったからである。

――『南海通記

実際の出来事かは分からないが大内氏の貿易の様子を伝えるものだろうか



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