1567年(永禄10年)、豊後の王よりの書簡

2017年03月20日 12:43

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/19(日) 19:39:01.77 ID:ZMAWX+2P
1567年(永禄10年)、豊後の王(大友宗麟)より支那滞在中のニセア司教ドン・ベルショー・カルネイロに送りし書簡

『最も尊敬すべき君

我らは貴方が本年、当地に来られることを大いに期待している。そして貴方の渡海を妨げる原因が小さくないことを
憂いているが、近く相まみえる事の希望を失っていない。

私が常に耶蘇教を庇護したいと欲していることは、既に貴方の耳に達していると信ずる。
私が山口の王(毛利氏)に対して勝利を望むのは、第一に彼の地にパードレ等を帰住せしめ、彼らが受けていたよりも
大いなる庇護を与える為である。
そして、我が希望を実現するため貴方の援助を必要とするのは、日本に硝石の来ることを一切禁止し、
ただ我が領国防御のため、カピタン・モール(官船の司令官)をして毎年品質良好な硝石ニ百斤をもたらす事である。

私はこれに対し百タイス(銀一貫目)、又は貴方の命ずるところの額を支払うであろう。
この方法によれば、山口の暴君は領国を失い、私の元にある正当なる領主(大内輝弘)がその国に入ること
可能になるだろう。私は貴方の手に接吻しよう。

本日陰暦第九月の十五日』

(異国叢書)

大友宗麟が、宣教師に硝石の禁輸を持ちかけていた書状である。



683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/20(月) 01:39:50.91 ID:dH4ZvUEi
>>682
この頃から毛利の九州への再侵攻に備えて輝弘を山口に送る計画してたんだな
対毛利戦の時はほんと色んな手を打ってて有能なんだけどな宗麟
スポンサーサイト