590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/01/29(日) 16:22:59.59 ID:zGUfX6EG
悪いスレで名前にだしたので
「大友興廃記」から「生の松原合戦の事」
筑前国高祖(たかす)から三里離れたところに生(いき)の松原という場所がある。
先年(天正二年、1574年)、原田親種が高祖城で謀反のため誅されたが、原田親秀は高祖城で秋月種実と内通し、大友からの離反を企んだ。
それを知った立花道雪は小野和泉守(小野鎮幸)、由布雪可(由布雪下、由布惟信)を先陣の大将として三千騎余で城下に放火しつつ、高祖城に迫った。
これに対して原田親秀は林慶に六千余騎を率いさせた。
林慶は多勢の力で立花軍を二里半ばかり追い、生の松原に陣取った。
立花道雪は引き返さず、海を背にして陣取った。
原田の軍兵は「こちらは多勢で勢いもあるので今すぐ攻めましょう」と諌めたが
林慶は「今は満潮であり、こちらが攻めると向こうは背水の陣で死に物狂いで戦うであろう。潮がひくのを待つべきだ」と言った。
一方、小野和泉守も立花道雪に対し
「今は満潮でありますが、潮がひいて干潟となれば兵どもにも臆病の心が生じましょう。
こちらは小勢とはいえ、今攻めるべきです。」と諌めた。
立花道雪は「原田勢が攻めてこないのもおそらくそう考えているからであろう。
敵も思慮深い者であるから、しばらく人馬を休めたのちに、こちらから押し寄せよ。」と言った。
そののち小野、由布それぞれ五百騎を率い原田の先陣に撃ちかかり、立花道雪も追撃した。
原田軍は高祖の城下までいったん退却したが、林慶は大剛の者なので、逆に小野和泉守を一、二町追い返した。
そこへ由布が横槍を入れて林慶を取り囲み、ついに小野和泉守の手で林慶を討ち取った。
立花道雪率いる後陣もその勢いに乗り、高祖城の二の丸、三の丸まで攻め込み、焼き立て、勝鬨を上げて帰還した。
この戦で原田勢の手負・死人は千二百余。
それに対し立花勢は手負三十人、死人十人だったという。
潮の干満を兵の剛臆に関連づける分別は、林慶も小野和泉守も同じように持っていた。
しかし立花道雪ほどの人を二里半も追い立てて、そのまま城に引き取っていたならば大勝利と言えただろうに、討たれてしまったとは、林慶の軍配が外れたというべきであろう。
悪いスレで名前にだしたので
「大友興廃記」から「生の松原合戦の事」
筑前国高祖(たかす)から三里離れたところに生(いき)の松原という場所がある。
先年(天正二年、1574年)、原田親種が高祖城で謀反のため誅されたが、原田親秀は高祖城で秋月種実と内通し、大友からの離反を企んだ。
それを知った立花道雪は小野和泉守(小野鎮幸)、由布雪可(由布雪下、由布惟信)を先陣の大将として三千騎余で城下に放火しつつ、高祖城に迫った。
これに対して原田親秀は林慶に六千余騎を率いさせた。
林慶は多勢の力で立花軍を二里半ばかり追い、生の松原に陣取った。
立花道雪は引き返さず、海を背にして陣取った。
原田の軍兵は「こちらは多勢で勢いもあるので今すぐ攻めましょう」と諌めたが
林慶は「今は満潮であり、こちらが攻めると向こうは背水の陣で死に物狂いで戦うであろう。潮がひくのを待つべきだ」と言った。
一方、小野和泉守も立花道雪に対し
「今は満潮でありますが、潮がひいて干潟となれば兵どもにも臆病の心が生じましょう。
こちらは小勢とはいえ、今攻めるべきです。」と諌めた。
立花道雪は「原田勢が攻めてこないのもおそらくそう考えているからであろう。
敵も思慮深い者であるから、しばらく人馬を休めたのちに、こちらから押し寄せよ。」と言った。
そののち小野、由布それぞれ五百騎を率い原田の先陣に撃ちかかり、立花道雪も追撃した。
原田軍は高祖の城下までいったん退却したが、林慶は大剛の者なので、逆に小野和泉守を一、二町追い返した。
そこへ由布が横槍を入れて林慶を取り囲み、ついに小野和泉守の手で林慶を討ち取った。
立花道雪率いる後陣もその勢いに乗り、高祖城の二の丸、三の丸まで攻め込み、焼き立て、勝鬨を上げて帰還した。
この戦で原田勢の手負・死人は千二百余。
それに対し立花勢は手負三十人、死人十人だったという。
潮の干満を兵の剛臆に関連づける分別は、林慶も小野和泉守も同じように持っていた。
しかし立花道雪ほどの人を二里半も追い立てて、そのまま城に引き取っていたならば大勝利と言えただろうに、討たれてしまったとは、林慶の軍配が外れたというべきであろう。
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