410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/22(水) 01:30:15.54 ID:bZEQKy47
天正十四年十月、徳川家康公が御上洛された。この時「もし上洛出来ないのであれば、秀吉の妹(朝日姫)を
返した上で、干戈に及ぶ。」と一途に宣わり、殊に秀吉公は御袋(大政所)を岡崎まで下向されたため、
疑心無く上洛され、秀吉との関係はいよいよ入魂となった。これによって、家康公北の方(朝日姫)は
浜松より岡崎にお出でになり、御袋と対面し、悦ばれた。秀吉公も家康公の上洛を快悦され、刀脇差、
並びに数寄道具(何れも値千金の物也)を進ぜられたと云う。
家康公が下向されると、大政所も帰洛された。
秀吉家康が入魂した事に、小田原の北条氏政父子は心底不快であったと云われる。
『当代記』
天正十四年十月、徳川家康公が御上洛された。この時「もし上洛出来ないのであれば、秀吉の妹(朝日姫)を
返した上で、干戈に及ぶ。」と一途に宣わり、殊に秀吉公は御袋(大政所)を岡崎まで下向されたため、
疑心無く上洛され、秀吉との関係はいよいよ入魂となった。これによって、家康公北の方(朝日姫)は
浜松より岡崎にお出でになり、御袋と対面し、悦ばれた。秀吉公も家康公の上洛を快悦され、刀脇差、
並びに数寄道具(何れも値千金の物也)を進ぜられたと云う。
家康公が下向されると、大政所も帰洛された。
秀吉家康が入魂した事に、小田原の北条氏政父子は心底不快であったと云われる。
『当代記』
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