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小田原城、早川口攻めと豊臣秀吉

2019年11月09日 18:28

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/11/09(土) 12:33:12.19 ID:vMeEitIm
笠懸山に一夜城を築いた豊臣秀吉は、その高台よりつくづくと小田原城を見下ろすと
「北条家五代の間、面々と工夫をこらし修営を加えた名城だけ有って、塁壁高く、
水流は深く掘られ、要害堅固である。」と感心し、これを力攻めすればいかに多くの損害が
出るか、またそれによって敵に利を与える事を悟った。そこで、後はただ長陣を張って
ゆるゆると攻め落とすことだと考えた。

そうして間断なく攻めはするが無理押しをせず、連日鬨の声を上げて敵を脅かし、矢弾を飛ばすことを
一日も怠らなかった。毎日数万の鬨の声と、数千の銃声が山野にこだまして天地を轟かせ、
磯山嵐か沖津風の如く五里十里の間に響いた。それが昼夜を分かたず行われたのである。

しかしながら城中でも、早雲以来累世の恩を被る関東武者四万五千余りが、既に生命を投げ出して
城の要所要所を固め、大筒を仕掛け、盛んに寄せ手に撃ちかけるので、上方勢も城壁に
近づくことが出来なかった。

秀吉は韮山城攻めに加わっていた北畠内大臣(織田)信雄、細川幽斎・忠興父子、福島左衛門太夫(正則)を
呼び戻して小田原城の攻め口に向かわせた。その中より特に細川忠興を呼ぶと

「小田原城の、早川口の松山に敵は砦を築いた。これまで色々と攻撃したがどうにも落ちない。
そなたが計略を以て落とすように。」

と命じた。忠興は「畏まって候」とこれを受け、早速早川口に向かうと、先ず土嚢を用意し、弾除けの
竹束を作って砦へ近づいたが、その夜、たまたま城兵が打って出たのを、忠興の家人がこれを迎え撃って
戦い、敵の首級三つを得た。

翌日、忠興自身が指揮をして。堀際六、七間ほどまで接近した。

その翌日、笠懸山より早川口を見下ろしていた秀吉が、側に在った大谷刑部(吉継)に尋ねた
「遠くの大松の影に夥しい旗が立っている。あれは敵の旗か?」
「いいえ、あれは細川越中殿の旗印でございます。」
「なんと、よくあれほどの近くまで。」
「細川殿はご自身の働きで、今夜にもあの堀を埋めるのだと申されていました。」
「そうか、あれを落とせば今度の城攻めで一番の手柄である。」
秀吉はそう言ってにっこりと笑った。そしてその通り、程なく忠興は早川口の松山砦を落とした。

しかしこのような長陣に成ると必ずこういった事が起こるように、「徳川家康織田信雄はが
敵方に内通して反旗を翻す。」との噂が流れ、これが秀吉の耳にも入った。しかし秀吉は素知らぬ顔を
していた。

そして天正十八年四月十五日のこと、秀吉は突然、先達の案内も立てず近習の侍童五、六人を連れただけで
家康と信雄の陣を訪ねた。当然ながら家康も信雄も秀吉を快く迎え、陣中に酒宴を張った。
鼓、太鼓の音も心地よく、謡も出て、三人は何の拘りもなく歓談し、秀吉は家康、信雄の陣に
夜明けまでのんびりと過ごした。

これ以降、謀反の噂はたちまち霧散し、誰もが安堵に胸をなでおろした。

(関八州古戦録)

秀吉が細川忠興の活躍を促し、また家康信雄謀反の噂を消す、というお話。



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大谷吉継はこのことを聞いて思った

2016年02月06日 15:07

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/05(金) 18:59:38.80 ID:mLQrqOXT
大谷刑部少輔(吉継)は徳川家康に無二の忠節を申し上げ、大事の相談の在った時も、心底に残す所無く
家康の御為を大切にした人物であった。

ところが、宇喜多黄門(秀家)家中において不慮の紛争が起こった時(宇喜多騒動)、大谷はこれを取り持ち
榊原康政も引き加えて紛争を解決しようとしたが失敗、戸川肥前守、宇喜多左京、岡越前守、花房志摩守などは
宇喜多秀家から討ち手を向けられれば打って出る!」と、その時の相印として上下皆坊主にした。

これを家康は聞き及び、康政を叱りつけた
「関東よりお前と交代する平岩主計頭が既に上ってきているのに、式部(康政)はどうして関東に下らず、
要らぬ他家への取り持ちをしているのか?そのように欲にふけり、取り持ちに対する礼物を欲しがるような
者だったとは思わなかった!」

康政はこれを聞くやいなや、どこにも暇乞いすらせず早々と関東に下っていった。

大谷吉継はこのことを聞いて思った
「式部をそのようにお叱りなされたということは、私も同様に思われているということだ。
それにして言い方があるではないか。取り持ちをしたのを礼物目当ての汚らしい心中であると仰せになったことは、
草履で面を踏まれたのも同然だ!」

そう家康を怨み、腹を立てて泣いたという。

(玉露叢)



97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/05(金) 21:06:05.15 ID:dLnsTis+
康政を挑発して帰還させ、宇喜多家の騒動の泥沼化→弱体化させる魂胆ですか?

さらに、大谷吉継に至っては

2016年02月04日 09:22

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 20:57:26.92 ID:SFRxxhq/
慶長4年正月21日、加賀大納言(前田)利家、並びに奉行衆よりの使いとして、
元長老の生駒親正らが徳川家康の屋敷を訪れ、
「太閤御他界以後、数ヶ月も立っていないというのに、各大名と御縁組を行ってっている儀、
我儘である。」
との内容の抗議を申し上げたという。

奉行衆よりは、大崎少将(伊達)政宗、福島正則、蜂須賀家政の3将に使いがあった。
その内容は、各々が奉行衆に相談もなく徳川秀忠と縁組をしたことは、御掟を背き
不届きのことである、という物であった。

伊達政宗はこの返答に
「私は知らないことだ。今井宗薫とかいう堺の町人がこの才覚をしていると聞いている。」
と言うばかりであった。その後奉行衆は、宗薫を呼び出し詮議をした。

福島正則と蜂須賀家政の返答の内、蜂須賀は
「我ら阿波守護家は太閤の御爪の端にも連なる者です。そんな我々が家康公親子と婚姻を取り行えば、
万端その御意を得ていないといっても、これにより家康公が、猶以って秀頼公に御無沙汰することが
無くなると考え、この事は然るべしと判断し、婚姻を申し上げたのです。」
そう答えた。

この事により、諸大名は思い思いの行動をした。
内府公には、池田輝政とその一党、福島正則、黒田如水・長政父子、藤堂高虎、森忠政、
および新庄駿河守その他小身衆が集まり、また有馬法印則頼、金森法印、織田有楽という人々も、
何れも関東方であった。
大小身共に、毎夜内府公の御屋形に詰めていた。

さらに、大谷吉継に至っては
「もし家康公に敵が攻撃してくれば、私がいつでも先手を仕り、奉行共と一合戦いたします!」
そう宣言し、自身の屋敷に人数を集め奉行衆の軍勢を待ち受けていたという。

(玉露叢)



249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:03:53.96 ID:sqK6NI4q
良い時代があったのだな

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:09:51.66 ID:DsX79652
なぜここまであからさまに家康の味方をしていた大谷が関ヶ原では反家康を旗幟鮮明にしたのか
(脇坂みたいにこっそり通じて、秀秋+脇坂朽木赤座小川といっしょに寝返ってもよかったのでは)
そして関ヶ原後、大谷については賞賛こそされ、謗られることがほとんどなかったのか不思議

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:11:49.05 ID:9jmumgSk
前田が嫌いなだけやん

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:14:02.86 ID:DsX79652
なるほど丹羽長重と同じだったと

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 23:37:13.58 ID:9jmumgSk
そう考えればしっくりこないか?

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/04(木) 00:57:58.65 ID:u32bMwyM
家康は上杉征伐の直前あたりでも景勝に縁談持ちかけたりして
(子供いないのに上杉家の誰に縁談したのか謎)
輝元が怒ったりしてるから

大谷刑部の異見

2015年07月28日 13:05

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/27(月) 21:14:05.27 ID:5zjdTLTt
石田三成は己の才知を誇り、常に人を見下していたが、大谷刑部(吉継)とは親しみ深く、
彼からは異見であっても聞いた。

大谷刑部は元より知謀深き者ゆえ、太閤秀吉にも取立てられ五奉行の列にも加わった。
そんな吉継がある時、三成にこのように言った

「貴殿は常に金銀を貴く思い、人に対しても、金銀を与えさえすれば何事も成るかのように思い、
自分の家人たちに対しても、そのようにしているように見える。
だが、それは心得違いである。

もちろん、金銀は世の宝の第一である。だが、用い方が悪ければ害にもなり、特に家来には
別して実意を以って接しなければ、心服することはない。実意によって服していなければ、大切の時の
用には立たない。であれば、人は使いようによるものなのだ。

主人が貧しい時は、利を与えることが出来ないため、おのずから家来に対しても礼儀が厚くなる。
そのため、家来も主人への思い入れが深くなる。

主人が富んでおり、禄も多く与え、その他の物も快く与える家では、家人も悪い顔はせず、主人も
それを見て心から仕えていると考えてしまうが、家人の方は仕えている以上この位のことはするものだと、
その待遇が過分などとは思わず、君臣共に実義薄くなり、初めはその家を望んで来た者でも、後には
見劣りするようになり、貧しき主人の礼儀厚き者ほどには、思い入れてもらえないものなのだ。

だが、一概にそう言えるわけではない。
貧しくて礼儀なければ心離れ、少しの困難でも家が滅びてしまう者も多い。
貧しくても、常に甘苦を分かち、家来の風雨寒暑をも自身が受けるように思う、志深き将であれば、
困窮の中にあっても、命を惜しまず主の先途を見届ける者も有る。
源義経の漂泊に従った者達の諸行を考えてみるべきであろう。

金銀で人を使おうと思うのは、人心の離れる元だ。何事であっても、実意には帰服するものなのだ。」

三成はこの吉継の異見を忝く思い、その誠意に起伏し心から謝礼した。

(明良洪範)




453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 02:17:32.49 ID:elWaZyez
>>449
世間知らずな宗茂とかも浪々の折はみんなよく尽くしてくれてたもんなあ

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 09:08:35.06 ID:IHKs+A9Y
宗茂「おっと、雨が落ちてきたか、干し飯を取り込まんと…いや、いかん、いかん、そんなことをしたらかえって家来共が悲しむ」

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 09:50:16.81 ID:8FKcYLz6
高粱飯うめー

大谷吉継から真田昌幸に宛てた書状

2014年09月29日 18:51

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 23:01:04.84 ID:Fkn7+NjH
真田家文書より、大谷吉継から真田昌幸に宛てた書状を二通紹介。


眞房州様 白以

貴札快然の至りに候、然る処久しく御意を得ず、御床しさにて候、御茶法御手前相極め候哉、
拙者式漸く相済み候条、御隙に於いては一夕おぼしめし□□(不明)候はば、本望たるべく候、
積欝御事、面上を以て申し承るべく候間、書中具にせず候、恐々謹言、

十二月九日 (花押)

(お手紙をいただき快然の至りです。このところ長い間お会いせず、お懐かしい気持ちです。
お茶の作法、お手前を極められたのでしょうか。私の用事はようやく済みましたから、
お暇な時には一晩思し召して□□くだされば本望です。
御心配のことはお会いして承りますので、手紙では詳しく書きません。)


眞房州様 白以

明朝、成らるべき旨忝く存じ候、尤も参を以て御礼申し入るべく候へども、
却って御六ヶ敷(むつかしく)思し召さるべくと其の儀なく候、常之御食時分に御出で成らるべく候、
何さま是より御左右申し入るべく候、恐々謹言、

十一月朔日 (花押)

(明朝、お出でになる旨嬉しく思います。もっともこちらが伺ってお礼を言うべきなのですが、
かえってわずらわしく思し召すと思いそれは致しません。いつものお食事時にお出でください。
いずれにせよこれよりこのお知らせを(注:家の者に?)伝えるつもりです。)


舅同士けっこう交流していたようだ。




901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 01:02:59.02 ID:ex4PbjiF
真房州ってかっこいいな

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 01:09:09.07 ID:24dHlvKC
>御心配のことはお会いして承りますので、手紙では詳しく書きません。
手紙は史料としての価値は高いけどこれが困る、後々の人の為にもっと詳しく書いて。

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 01:13:09.64 ID:RWi86YPV
吉継も兄ちゃんも短命だったのが惜しまれる

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 01:18:44.02 ID:vH8Rg91z
兄ちゃん充分長生きしただろ!

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 01:19:38.65 ID:hxlk00UX
兄ちゃんは色々ストレス抱えてたから仕方がないな

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 02:24:59.53 ID:dJvQXJbK
さる御仁曰く、人間の寿命は125歳らしいからな
93歳じゃ天寿を全うしたとは言えん

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 05:15:53.01 ID:hwXjMjDR
信之の母方の従兄弟の石田重家も103歳で死んだから
徳川に抗った親を持つと短命で死んでしまうんだな

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 15:32:39.08 ID:DQjemt6O
守光居士・成沢道忠「まだまだ若いのぉ」

さてさて、律儀なる若者である

2013年11月20日 19:02

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/20(水) 06:58:35.49 ID:KSi/G5u7
関ヶ原も既に大勢は決まり、東軍による追撃戦に入った、申の刻(午後4時頃)過ぎの事である。
藤堂家の藤堂仁右衛門(高刑)は、あまりに戦い続けたため息切れし、谷水を探し山の間に入った。

すると一町ばかり先に、武者が一人うずくまっていた。怪しく思い近づくと、それは
大谷吉継の重臣、湯浅五助ではないか。
仁右衛門はこれ幸いと、彼に向かって声をかけ氏名を名乗った
「湯浅殿!鑓合わせ致そう!」

湯浅五助は名誉の大剛とは雖も、今朝からの合戦に、負傷もし疲弊していた。
そのためか、槍を構えても下鑓になり、そこに仁右衛門は、右の高股を突くと、五助は
尻から倒れた。しかし倒れながらも咄嗟に仁右衛門の鑓を切り折った。

そこで仁右衛門は太刀を抜いて飛び掛ったが、そこで五助は声を上げた
「申し上げたいことがある!待ち候へ!」

仁右衛門が動きを止めると、このように言った

「只今山際に埋めたのは、我が主君、刑部少輔の首である。
癩病にて、その面貌甚だ見苦しく、そのためこれを隠し埋めたのだ。
そなた以外にこれを知るものは居ない。どうか必ず、人に漏らさぬよう頼み申す!」

これを聞いて仁右衛門は感心した
「さてさて、なんと忠臣であろうか。成る程、武士たるもの、誰もそのようでありたいものよ。
承知した。軍神にかけて他言すまじぞ!」

五助は大いに喜んだ
「さすがは藤堂の甥であるぞ!さらば、我が首参らせん!」

立ち上がり一鑓合わせて、そして討ち取られた。

それから仁右衛門は、湯浅五助の首を主君高虎の実検に入れた。
高虎は大いに喜び、仁右衛門を徳川家康の本陣まで召し連れて
「私の甥が、名にしおう湯浅五助を仕留めました」

そう家康に申し上げた。家康も大いに喜び、
「仁右衛門、若年ながら比類なき手柄である。ではあるが…」

家康は仁右衛門に尋ねた
「湯浅五助は其の方に、容易に打ち取れるような武将ではない。どのようにして仕留めたのか?」

仁右衛門は彼を討取った様子を申し上げた。すると家康は
「五助ほどの者が、主人である刑部の先途を見届けずに討取られるような事はあるまい。
刑部が切腹したことは解っているが、その首の行方は現在まで捜索しても未だ知れず、不審に思っている。
もし刑部の始末を五助が取り扱ったのであれば、五助は何か心にかかることを、そなたに言わなかったか?」

仁右衛門は言った
「なるほど、刑部少輔の首については知らないわけではありません。ですがその事について私は、
絶対に言わないと五助と約束いたし、その上で鑓を合わせ仕留めたのです。
只今の上意が重いものであるからといってこれを話せば、私は武士を欠いてしまいます。
この上は、不届きであると私に刑罰を申し付け下さい。」

これを聞いた家康は、機嫌よく高笑いした。そして
「さてさて、律儀なる若者である。有り体に言えば、和泉(高虎)からも抜群の褒美を与えられただろうに…」

と、彼を御前近くまで呼び寄せ、手ずから刀を与えた。そして
「仁右衛門の鑓は切り折られたそうだな。これを遣わせ。」
と、側に立ててあった鑓もまた与えた。
これらは今も、仁右衛門の家に残されている。

(平尾留書)






五奉行異聞

2013年08月29日 19:52

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/29(木) 17:39:23.25 ID:rt3oW6BU
別記によると、今年、前田玄以、増田長盛、石田三成、長束正家、大谷吉継が五奉行と定められた。

しかし、大谷は癩病を煩って後年には病が眼中に入り、盲目となったので奉行職を辞退したが、
大谷は朝日御方の甥で政所の従弟であるうえに、才智があって節操があり、篤実な者なので、

豊臣秀吉は深く惜しんでしばらくはその願いを受け入れなかったが、病気は良くならず、
奉行職が欠けてしまったので、浅野長政を加えたのだという。

――『新東鑑』




243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/29(木) 18:14:07.55 ID:uERcNAWU
朝日姫の甥で北政所の従弟ってことなのだろうか
だとしたら世代があわないような
大政所の甥で朝日姫の従弟ならありえるけど

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/29(木) 18:48:02.57 ID:rt3oW6BU
>>243
たぶん北政所の母親の方ですね。
(大谷は政所殿の御母、朝日御方の甥にて、政所殿とは従弟といひ、)

『千人斬り』顛末

2013年07月08日 19:52

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 20:03:44.16 ID:xk/RjgvK
天正14年(1586)正月二十一日、この頃『千人斬り』と号して、大坂の町人の内、人夫風情の者を
数多討ち殺すという事について様々な風聞があった。

その内容は、大谷紀之介(吉継)という関白殿(秀吉)の小姓衆の一人が、悪瘡を気に病み、
千人殺してその血を舐ればその病は平癒する、と信じているため、そのような事をやっているのだと
云々されていた。これは全く、世上の風説である。

今日二十一日、この事が関白殿のお耳に入り、

「このような風説が広まっているのに、それを報告しなかったのは曲事である!
町奉行の者たちは殺すべきであるが、今回は、命だけは助けてやる。」

と、大坂の町奉行の3人を、追籠(自宅に閉じ籠めて謹慎させること)とした。
関白殿はこのことを仰せ付けになって、今日御上洛された。そして、

 盗人事 人ヲ切事 博奕事 酔狂事 徒者事

の五ヶ条を禁制とし、それを高札2枚にして掲げた。
この時高札には一つにつき金10枚が打ち付けられた。2枚の高札に、金20枚である。

そのような中、先の千人斬りの容疑者と思われる者が、大量に捕らえられたと
噂された。二月の二十七、八日にはこの真犯人とされるものが顕れ、
三月四日ごろに処刑された。
この者は、宇喜多次郎九郎という人物であったという。

この宇喜多次郎九郎が処刑されるまで、あれは大谷紀之介の所業であるという風聞は
一円に語られていた。
(宇野主水記)

本願寺顕如の右筆、宇野主水の記録した、大谷吉継の千人斬りの風聞についての顛末である。




21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 20:21:14.07 ID:eehFXxPU
既出だけど、犯人が捕まった部分は新しいな

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 20:31:24.27 ID:ujqMYHcb
犯人逮捕への圧力が冤罪を産むのです

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 21:41:20.78 ID:m9lyyG8z
「大量に捕らえられた」と言う容疑者はどうなったのだろうか
ちょっと心配になる展開

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/07(日) 21:43:40.00 ID:m9lyyG8z
>>21
既出のも捕まってた。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5392.html


幽斎忠興不和の事

2013年06月25日 19:57

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 20:09:44.41 ID:RYB1E3S1
慶長5年(1600)、この年の奥州会津の城主・長尾景勝討伐の時、
細川越中守忠興は徳川家康の味方として宮津より出陣された。
細川幽斎は隠居の身であったため田辺城に留守をされ、忠興のみが
景勝討伐に出た。

こうして細川忠興は、雑兵たちを含めて三千の人数にて6月11日、宮津城を出馬され、
御暇乞いを申すためとして、父幽斎の在る田辺城に立ち寄り、その夜は田辺に宿陣した。
幽斎は天守に登り、軍勢の行列を見物された。

さて、忠興は若狭を通って近江路へ出ようと、丹後・若狭の国境である吉坂まで
進んだのだが、若狭の熊川にはその頃関所が有り、しかもそれを、敦賀の城主である
大谷刑部少輔(吉継)が命じて、非常に堅固なものにしたため、そこを往来することは
容易くないとの情報を得た。

ここで忠興は
「若州より近江路へ出ようと考えていたが、存ずる仔細が有るので、丹波路を進むこととする。」
として吉坂から取り返し、丹波路を山家へ進んで、伏見へと出た

この事を幽斎は聞いて、激怒した
「形部少輔に何か謀があったとしても、忠興の通行を妨害するような理由はない!
この頃は世間物騒の時節であれば、とにかく関所まで進み、逆に形部少輔の様子を見届けて
通るべきだったのに、吉坂まで進んでいた陣を取って返して丹波路へ出るなど、これは
不覚悟の至である!

忠興がもし生き残り、帰陣してきたとしても、私はあいつと対面しない!」
そう、奥歯を噛み締めて怒った。

一方の忠興は、西軍の小野木重次らが田辺城を攻めた田辺城の戦いにおいて、
幽斎が勅命とは言いながら、いま少し耐えようともせず城を渡して京都に上ったことを、
大変不本意なことだと考えた。

これにより、父子の間には互いに隔心が出来、段々と不和になっていき、
その悪感情は次第につのり、ある時など父子それぞれの侍たちが、1日の間に
2度まで槍を合わせたことが在ったそうである。
(丹州三家物語)

幽斎忠興不和の事、というお話





937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 20:26:09.68 ID:pQ9LQrMi
そこはホラ、お玉様が間を取り持ってだね…あっ…

家康・前田利家対立の時の大谷吉継

2013年04月27日 19:50

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 09:51:14.26 ID:UjUwTEYi
良い話でも悪い話でもないが

秀吉死後の所謂家康の婚姻問題において、諸侯は家康派と前田利家派の2派に別れ一触即発の状態となった。

徳川家康には、池田輝政、福島正則、黒田如水・長政親子、藤堂高虎、森忠政、そして新庄駿河守などの小身衆、
また有馬法印、金森法印、織田有楽らが味方した。
大身小身共に、毎夜家康の屋敷に詰めていた。

中でも大谷刑部少輔吉継は、

「もし家康公に向かって敵が攻めてくれば、何時であっても先手を仕り、奉行衆共と一戦いたす!」
(若し家康公へ敵取かけ候はば、何時も先手を仕り、奉行共と一戦仕るべき)

と申され、自身の屋敷に人数を集め敵を待ち受けられていたそうである。
(玉露叢)

大谷吉継の、家康派としての活動が特筆されている記録である




424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 10:54:21.46 ID:3I0DzSas
その大谷吉継が最後の最後に家康を裏切ったという悪い話か
まあでもこの前発売された歴史街道では吉継の子孫が
「最後に武将として大きな存在である家康に挑みたかったのだろう」(ちょっとうろ覚え)とか言ってたね
子孫が親藩である越前松平家に仕えられたのも吉継が家康の信頼を得ていたからだとも

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 11:17:08.90 ID:Lo4acF+I
越前松平ってどちらかと言うとお上に睨まれていた人が集まっている感じだが

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 11:27:44.35 ID:2yI8hEp+
そうした人材の受け皿としてはよかったんだろうね>越前松平家

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 12:28:53.41 ID:KmFhVaoa
北陸関ケ原はちょっと前まで敵だった、前田が味方で、
味方だった大谷と丹羽が敵になってて面白い。

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 12:29:06.45 ID:Tfoo7lvo
制外というのを上手く使って放置しとくと徳川にとって危険だが使わないのも惜しいような連中を集めてた感はある

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 12:38:57.55 ID:gRbdHG7j
つくづく徳川パネェ

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 15:57:17.01 ID:NA5LBGAu
>416、タヌキさんの場合道理が通ってれば文句言ってもいきなり斬られることはないだろうし。平八郎に折檻されるか友に冷笑されるかはともかくとして。
これが末期のラスボスとかだと首がポーンしかねない

雑談・大谷吉継が親家康であったことについて

2013年03月22日 19:51

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 01:45:16.84 ID:xEkXs6hH
大谷さんは家康と利家が対立して諸将が二分されたときも、家康側についてるんだよね
この辺三成とはまったく政治的立場が違う
じゃあ何で西軍について奮戦したのさ?ってのが個人的には凄い不思議

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 06:06:14.36 ID:7g/vM0CI
>>799
その話自体がかなり誇張と創作が入ってて、公家の日記などでは
対立はあったものの、あっさり解決してる様子がうかがえる。

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 07:27:23.05 ID:VPUEcKcT
>>799
最近発表された論文では三成襲撃事件の時も輝元に三成へ援軍を出すなといい
武断派側の立場に立っていたよなんだよな
土壇場で西軍についた大谷も家康からみると裏切者になるのかね
母親から頼まれたというのが最も考えられるようだけど
案外、大坂の陣での幸村的考えで
病が進んで先のないことを悟って最後に華々しく散って武士としての本懐を遂げようとしたのかも

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 08:02:36.67 ID:7g/vM0CI
>>801
論文って「関ヶ原前夜における権力闘争(2007年)」かな?
あれなら「関ヶ原前夜 西軍大名たちの戦い」で一般書籍として出版されてるよ

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 11:43:15.15 ID:8e22FhqE
>>801
三成襲撃事件の時の吉継は調停に入ってるけど、スタンスはやや奉行寄りだと思うよ。
輝元もそういう認識だし。

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 11:44:56.18 ID:oWkwhgop
宇喜多騒動を大谷と榊原で解決しようとしたら榊原は家康に叱責されて召還
はしご外された形の大谷が家康に反発する契機になったのではと書いてたな

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 12:01:28.53 ID:8e22FhqE
宇喜多騒動は、各史料で相違が大きすぎて正体不明すぎる事件だな

原因や事件の経緯も不明点が多いが、調停の結果等も不明点が多すぎて
何が何やら。

確実なのって事件が起こった日と最終的に家康が調停に入ったこと、
戸川達安が比較的早い時期に宇喜多家から退散したくらいじゃなかろうか

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 12:40:53.06 ID:oQuRrj8S
日蓮とヤソとの宗教争いか

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 13:02:31.69 ID:8e22FhqE
宗教争いという説は、浮田左京亮がキリシタンと言うことで
既に否定されてたかと。

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:02:15.59 ID:SQQ2/5LA
>>802
『関ヶ原前夜』の間違て指摘した昨年の日本歴史9月号の論文だと

>>803
上の論文だと三成銃撃事件の時に毛利家文書では
三成に援軍を出すな、徳川に味方しろという書状を輝元に送ってる

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:42:55.46 ID:ATGhb18D
>>808
それって書状自体は関ヶ原前夜で紹介されてた
「厚狭毛利家文書」じゃないかな?

あれは毛利らしい主語や表現があいまいな書状だったから
違う解釈を出した研究者が出てきたんだろう。

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:56:44.34 ID:ibaYaBZg
まあ毛利さえ動かなきゃ蹶起は防げると考えれば
徳川寄りだった場合でも三成に勝算無しとみて止めようとしてた場合でもそこに工作するよなぁ

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 14:58:13.13 ID:ss+x3tS+
>>809
そのあたりを考証した石畑匡基氏の論文「秀吉死後の政局と大谷吉継の豊臣政権復帰」でも、やっぱり吉継は
ギリギリまで家康への味方を毛利に進めるなど親家康として行動していた、としているな

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 15:28:02.41 ID:XhjjwlmE
となるとなんで西軍についたのかが気になるな

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 15:34:27.68 ID:ATGhb18D
先に三成-恵瓊-輝元のラインが完成してたとか? 謎だな。

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/22(金) 23:33:23.66 ID:xEkXs6hH
三成が挙兵する7月前後の三成の動きってのがイマイチはっきりしてないのもネックだよね
三成と恵瓊が連絡取り合っていたのは間違いないんだろうけど…
6月20日付けの兼続宛て三成書状についても真贋論争あるし、謀略の類はなんとも

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/23(土) 00:03:19.49 ID:bv2YE936
利家死後、家康が前田征伐しようとした段階では意外にも家康支持の立場取ったりしたんだっけ?

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/23(土) 07:31:48.76 ID:028GQTpY
>>814
兼続は、内府ちがひの条々が出まわってから、急に公儀がうんたらとか
書状に書いて元気になってるから事前通謀はなかったろうね。

吉継もそうだけど恵瓊、三奉行、輝元、秀家が加担したタイミングも謎なんだよなぁ

笠井満秀の討死

2013年03月21日 19:52

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 21:12:43.55 ID:AuFUMXeM
武田勝頼が設楽原の戦場を逃れて寒狭川の橋詰にさしかかった時
疲労のためか勝頼の馬が動かなくなってしまった。
敵軍が迫り来る中でこの様子を目にした家臣の笠井肥後守満秀は
急いでやって来くると馬から飛び降り、これに乗るように勝頼に勧めた。

「それでは其の方の身が危なくなるではないか」と勝頼が述べると

「命は義によって軽く、一死を以って君恩に答えて奉らんのみ。
私には倅がおります。事が済んで平らかになったらどうぞ御取り立てください。」

笠井はこう言うと、自分の馬に勝頼を乗せ川を渡らせ、自らは勝頼の疲れた馬に乗り叫んだ。

「我こそは武田四郎勝頼なり!」

それを信じた徳川方の滝川源左衛門助義と戦って討死した。
笠井肥後守満秀の名は、後世に語り継がれることとなった。

その肥後守の子、孫右衛門慶秀は、大谷刑部少輔吉継に仕えた。
大谷吉継を訪ねて井伊兵部直政が度々邸にやって来た。
その際に慶秀が座敷に出てもてなすため、笠井肥後守の子が大谷家へ仕えていることを知った。
あるとき直政は慶秀に肥後守の最期について語り、慶秀は涙を流してそれを聞いていた。

その後、関ヶ原にて大谷吉継は討死すると、慶秀は直政の話を思いだし井伊家を訪ねた。
直政は肥後守満秀の忠節を思って、慶秀に禄を与えて家臣にした。
今、井伊家に仕えし笠井利左衛門がその子孫である。

(『長篠軍記』、『日本戦史 長篠役』-「長篠合戦余話」収録)




788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 22:46:25.52 ID:ZfnG2jfG
関ヶ原で大谷隊は壊滅状態だったらしいけど大将以外は戦場から離脱しやすいのかな?

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/20(水) 23:51:18.81 ID:zQiD1ZBf
すぐにどこの兵か分かるように旗指し物があるんだからな。
とりあえず旗指し物を捨てて明後日の方向に逃げれば追ってくる酔狂はまずいない。
旗持って無くて味方かどうかも判別不能な奴は相手にしない
(もちろん襲ってくるようなら返り討ちにするだろうけど)

大将はそれに見合う格好してるから、兵が見れば「こいつが大将だ」と思うだろう。
派手な格好に見せて実は大将を逃がす為の囮でした、とかは、良く使われる手だし。

問題は離脱してから、落ち武者狩りにどう対処するか。

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/21(木) 06:11:38.45 ID:7/NKWet3
>>788
壊滅と言っても兵が逃げ散って部隊として機能しなくなるだけで
戦で討たれたり負傷するのは半数にも満たないからね。

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/21(木) 06:56:27.68 ID:ZIBZBoec
>>787
これ読んでも大谷は親徳川だった事が伺えるんだよな

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/21(木) 07:28:18.82 ID:5SQx+tAz
大谷はかなり親徳川だけど関ヶ原のせいで無視される
創作だとそこらへんを書きづらいんだろうな

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/21(木) 21:19:27.35 ID:4T4cgY/x
案外、関ケ原で井伊隊に紛れ込んでいたりとかじゃないの
笠井さん。

大谷吉継・石田三成恋人説:原文

2012年09月07日 20:38

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 18:51:28.13 ID:LYC4+IFH
近デジの武功雑記読んでたら

大谷吉継石田三成恋人説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5215.html

これのおそらく原文見つけたので、短いので書いてみる

・石田治部少輔を度々大谷刑部少輔しかり、又は頭をはり候。
 石田大谷に恋慕して、知音になり候。
 それより頭をはらるるも、忝と云うやうにもてなし候。
(武功雑記 巻十二)

なんだかホントに異様な関係性だなw



関連
大谷吉継石田三成恋人説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5215.html


357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 18:56:10.05 ID:qAOThYD4
頭をはる、て
漫画の風雲児たちの大谷吉継がハリセンで三成どついているのって、
元ネタあったのか

359 名前:357[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 20:33:53.85 ID:g4K+jpQy
てリンクのまとめサイトのこの話のコメントみたら
風雲児たちネタがいくつかあった

大谷吉継計策

2012年07月28日 20:58

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 07:53:52.33 ID:1QLSuGI0
関ヶ原戦役の時のこと

中川宗伴(光重)は故前田利家の娘婿であり、当時上方にあったため、上方よりの情報を金沢の前田家に送った

『今度上方一面に蜂起して、内府(家康)の味方する輩を討ち果たすべき為に国々へ手遣いあり。
殊更丹波・丹後・若狭の軍勢数千人御領内宮腰へ兵船を進め、大谷刑部少輔(吉継)、諸将を帥いて、此の口より
加州へ発向の用意夥し。御用心あるべし。』

そのうちに金沢の安否をおぼつかなく思い、直接加賀まで向かったが、越前の今庄まできたところで大谷吉継によって
捕まってしまった。

吉継は宗伴に
「其の方、何の用があって加賀に下るのか?」
と尋ねると宗伴は、『あなた方に気をつけるよう警告するためだ』とは言えず

「は、はい。今回(前田)利長が、内府の味方をするという風聞があります。私ごときが言うのもどうかとは思いますが、
御幼君(秀頼)を見放される様でいかがなものかと思い、さればその考えを覆し、上方(西軍)の要求に従うべきだと、
強く諫言するために加賀に下ろうとしたのです!」

吉継、これを聞いて頷き
「いかにも御辺の言うとおり、利長卿がもし父の遺言に背いて御幼君の秀頼公を見捨てられるのなら、彼の行末、
どう考えても目出度い事にはならないだろう。願わくば先非を改められ、宇喜多秀家・毛利輝元と同じように、天下の
御為を成して頂きたいものだ。

もし御老母(まつ)を江戸においているため、一筋に御忠節を行うことが難しいというのなら、せめて金沢から
動かず天下が治まるのを待っていても、前田の御家は恙無いだろう。
それなのに利長卿は軍勢を率いて小松・大聖寺の城を攻め落とし、そこから当国に乱入するという声も聞こえてくる。
もし風聞のとおりなら、偏に前田家の滅亡を招くものとなるだろう。
例えその方があちらに行って、言葉を尽くして諫言しても、おそらくその甲斐はないだろう。
…そこで、だ」

吉継、声色を変えて
「其の方、ここで私のいう通りにはかりごとの書を書き、利長卿の陣所に送れば、彼が軍勢を金沢に
軍勢を引き返す事、疑いない。
その上で加賀に人を遣わし、其の方の誤り無き趣、又は御亡父の志を継ぎ御幼君を守り立つべしと
理を尽くして申し送れば、どうして承諾しないことがあるだろうか?これほど解りやすい理屈を、お主、
もしこの書を書くのを辞退するというのなら、最前に言ったことは我々を欺くためのものだと判断する!
そうでないのならさあ、今ここで筆を取れ!!」

そう言って硯と料紙を出した。そんな状況で宗伴も断ることが出来ず、吉継の言うままに書をしたため、
それを利長に送った。

前田利長はその書を見て驚いた。間違いなく宗伴の筆跡であり、また彼は利長を謀るような人間ではない。
それがどうしてこの様な内容の書状を送ってくるのか?
利長は判断がつかず、弟の能登守、その他老臣達を集めて評議をさせた。
そして、吉田保馬一人は反対したが、その他は全員、金沢に御帰陣あるべしと諌めたため、
利長もそれを受け入れその日、軍勢を大聖寺へと後退させた。

大谷吉継計策、という逸話である
(関原軍記大成)




760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 08:27:51.12 ID:0eHGz4i8
さすが吉継、利長じゃこの程度だろうな

小早川隆景のどこまでもそつのないお話し

2012年06月02日 21:01

547 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/02(土) 10:46:59.01 ID:fttVw7e4
明軍との戦いの際、ほかの部隊よりも出足の遅かった小早川隆景は、戦後に大谷吉継からその理由を尋ねられた。
隆景曰く、

「本当なら自分もすぐに攻めかかりたい気持ちであったが、敵がこちらの攻撃に備えている所を攻めても 
 優位は得られぬであろうし、
 急いで隊列を乱せば甚大な被害を出しただろう。逆に少し間を置けば、敵は油断し、また
 隊列を整えて進軍する事で相手に心理的な
 圧力を加えられると考えた。」

と返答した。これを聞いた吉継から、

「その思慮深さが勝利をもたらしたのでしょう。」

と称賛されたが、

「いやいや、秀吉公に天のご加護があり、目に見えない力が働いたのだ。」

と謙遜したという。 小早川隆景のどこまでもそつのないお話し。




549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 11:48:58.09 ID:dAsJ+YkY
なんか隆景って秀吉ヨイショしまくる逸話多いように思えて、
社内での態度と社外への態度が全く違う営業マンのような印象
いつも威張ってる上司が仕事先でヘラヘラ笑う様子を見た時のなんとも言えない気持ちと言ったら…

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 11:52:36.68 ID:5MGCn4yW
隆景威張ってもいなくね。
ああ、甥御さんですか・・・

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 12:12:54.33 ID:qrkbmjlz
ヨイショしないと我が身が危ないじゃないか、ラスボス相手だもんw
それにラスボスのお陰、としておけば負けた場合は……。

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 14:13:39.67 ID:idfsyFEB
加藤と小西以外にとっちゃ初めての異国の軍隊との戦、それも大明
いかに戦国時代の武士といっても緊張して当然だろう

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 14:45:40.44 ID:g4bm7aX/
>>549
毛利家中に対して威張ってる逸話なんてみたことないんだが?
アンチの妄想を真に受けたらいけないよ。

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 14:53:06.02 ID:bqD9BZM8
爺ちゃん、父ちゃん、叔父さんたちがチートすぎて目立てない輝元

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 14:54:38.49 ID:v8+oZMbi
悪いほうには目立っているじゃないか。人妻強奪とかw

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 14:57:12.50 ID:SSSANXhK
元就よりは低いけど、関が原で総大将だったから
知名度は隆元、元春、隆景よりあるかもしれない

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 15:05:47.73 ID:li/ViJbS
>>557
でも叔父さんの養子には・・・

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 15:22:50.03 ID:QpMFDHKz
>>557
関ヶ原駅に行ったことあるかい?
あそこにある看板には
西軍総大将の名前は無いんだぜ・・・

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 15:23:47.37 ID:z1bFs3jZ
まあ、現場にいないし・・・

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 15:29:58.11 ID:EZKnMWOB
なぜに行かなかったんだ・・・。

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 15:30:32.18 ID:AdJPmG9n
総大将だから

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 16:13:47.60 ID:5hI6Ld1I
人妻スキーの前に熟れた未亡人
こうなったらテコでも動かないだろ
叔父さんに殴られでもしなきゃ

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 16:17:47.10 ID:+400689x
秀忠「行きたくても行けない子だっているんだぞ!」

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 16:20:30.76 ID:425mIMAo
宗茂「まったくだ」

566 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/02(土) 17:03:26.62 ID:U1wRzPJY
輝元「激務の自宅警備やってました。家康さんも江戸城で自宅警備やっていた仲間だったのに」

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 17:35:32.80 ID:DA2ZGLH8
輝元が真に覚醒するのは関ヶ原以降だしなあ

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 17:54:52.78 ID:oMnkiWMl
>>567
関が原の失態の原因になった家中バラバラを解消するためにも、
家中の大粛清行ったこと?

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 18:11:55.68 ID:fgtbmXqf
外敵には弱いが、内部の身内には容赦なし!
まさに平和な時代の人だよ。逆なら幕府に潰されている。

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 18:32:08.71 ID:pG5mphBQ
偉大な祖父はちゃんと見抜いていたんだな

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 19:46:15.79 ID:uhqgIVYi
鬼島津が前を通りますよ、と。

572 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/02(土) 19:54:37.30 ID:U1wRzPJY
家久「ちっ 親父が帰ってきたか」

573 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/02(土) 20:19:18.61 ID:U1wRzPJY
秀忠と輝元だったら、どっちの方が優秀?

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 20:20:41.75 ID:fgtbmXqf
そりゃ秀忠だろう。同じように戦でポカやって内治で力発揮した人材だが、秀忠のほうは当時の日本全土レベルで制度整えたりしているわけで。

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 20:21:07.97 ID:ZSDxCwfy
>>549
むしろ、ラスボスが隆景を好きすぐるエピが多いと思う

大谷吉継、改名の理由

2011年12月28日 22:00

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 18:30:27.45 ID:7PLXXa/q
慶長五年のことである。
東軍の動きに呼応して関ヶ原へと布陣した大谷吉継は、
迫る決戦の時を控えてある事を決意した。

「者ども、わしは今日この時より名を改め、吉隆を新たに名乗ろうと思う」
「はっ! しかし、それはまた急な仰せ。いかなる 御存念でしょう?」
「うむ。考えてもみよ、我が名の読み『よしつぐ』は、家を滅ぼした三好左京大夫に通じて如何にも縁起が悪い。
これより天下分け目の戦に乗り出すにあたって、悪縁を絶って措きたいのよ」






大崎義隆「えっ」
畠山義隆「えっ」
大内義隆「なにそれこわい」




515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 18:33:53.39 ID:P4z4jHLv
黒田孝高
九鬼嘉隆
遠藤慶隆
えーとほかには

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 18:54:38.48 ID:n8Qylz4F
畠山義継「成る程しくじったのは名前のせいであったか」

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 19:12:34.03 ID:mfFVSHu9
富田長繁を殺した小林吉隆がいたり
富田長繁に滅ぼされた前波吉継がいたり

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 19:58:59.09 ID:pkxiY3iV
>>514
た…確かに。

大内義隆はまだ家を滅ぼしてないし、畠山義隆は
諱自体が本当にそうだったのか微妙だけど
大崎義隆はなぁ…。

大谷は奥州仕置にも関わってるから、大崎義隆は
モロに知ってる筈だよなぁ…。


519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 21:35:39.72 ID:G5ztUR24
もう長政になっちゃいなよYou

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 21:39:08.47 ID:PAxZjI91
長政まだ増やすのかw

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 21:48:50.90 ID:pkxiY3iV
>>520
48人くらいになったら怖いな。

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 21:55:22.62 ID:Y0IylJqu
NGMS48

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/29(木) 01:08:34.84 ID:D6MTJaHM
I hate you ~♪
I kill you ~♪

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/29(木) 01:23:21.74 ID:twUzW5Wu
浅井、浅野、黒田、早川、山田で長政四天王だっけ

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/29(木) 01:51:21.28 ID:WJdcp+jP
ナガマサ追放令

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/29(木) 12:11:23.47 ID:i1fgSAjI
浅野長政と浅井長政はもはや誤植レベル

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/29(木) 12:20:53.77 ID:ARqZPDfc
大内とかまで持ち出さなくても身近に木下吉隆がいるだろ

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/29(木) 16:25:18.51 ID:P40EF0Z+
織田有楽の四男に、織田長政ってのも居てだな

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/29(木) 16:57:38.05 ID:51ZYrfic
天下の迷惑男、木沢長政様をお忘れです

大谷吉継、石田三成に対し

2011年07月29日 23:01

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 20:35:16.08 ID:CRDb1V4L
いい話とちょっと違うかもしれないが、本に載ってて気になったので。
大谷吉継石田三成に対して言った言葉

「必ず金銀にて人を使はんと思はるるは、人心の離るる本なり」
(金で人を動かすのを習慣化させると、だんだん金銀だけの繋がりになってしまい、
かえって人の心が離れていく原因になるから気をつけろよ)

関ヶ原のときも「お前は人望がないから裏方になれ」とか注意してたけど
これはいつどんな状況で言ったのか気になる。




911 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/29(金) 23:23:11.12 ID:B0lO/CyE
>>910
どういう文脈なのかわからないけど、お金で精算しちゃうと相手ももう済んだことってなるかもね
逆に僅かな金ならおごりにしちゃって恩着せたほうがかえって得な場面は今でもあるよね


912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 23:28:49.83 ID:fGBQb4vB
「人を使はん」なんだから部下の扱い方の話でしょ

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:18:40.86 ID:wYYxCefJ
寄せ集めの石田勢が善戦したことを考えると部下への人望はあったのかな

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:24:07.55 ID:a15vGj++
寄せ集めではあるが島左近に舞兵庫にと諸家が羨む超一流だから。
そういう人材を集められる三成は相当の人物だったのだろう。

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:29:45.47 ID:AXS+99fY
部下の扱い方の話なのはわかるんだけど、
いつ頃のやりとりなのかなあと。
左近スカウトする前にこういうやりとりしてるんだったら面白いなと思ってさ。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:33:21.87 ID:xn3MJGMk
>>910
島左近を2万石で雇ったことに対する話ではなかったっけ?
高給で雇ったって、人間関係がうまくいかなかったら元も子もない、みたいな。

勘違いだったらごめん。

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:33:33.30 ID:TVuk6+na
秀吉批判?

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:43:53.59 ID:Zjf9EnAm
左近と兵庫が有能な人物なのは納得だけど、他の大名が欲しがったなんて話ある?

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:23:38.66 ID:SdbJLH6S
高名な士を向かえたいというのは誰でも思う事だろうし、羨む者もいたんじゃないか。
話としてはとくにないと思うけれど。

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:25:31.23 ID:KWackV3J
上司と部下に好かれてるのに同僚に悉く嫌われるってなかなか無いパターンだよな

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:48:02.85 ID:j9t9/O/A
>>921
鬼武蔵とかはどうでしょう?

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 10:53:12.80 ID:e+zN1sJw
>>922
部下は慕ってたんだろうか・・・?

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 11:32:45.89 ID:r+VBTW+J
逸話見る限りでは面倒見は意外といい

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 12:34:37.15 ID:izvS3ht+
鬼武蔵は基本自分の前に誰か(信長以外)が対面しているのが嫌なんであって後ろに付き従う人に優しい気がする

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 14:15:38.84 ID:Dly3sodQ
>>921
まさに俺

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 18:02:04.04 ID:xn3MJGMk
>>921
関羽とか?

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 21:14:19.22 ID:O+9uCVxO
>>933
げぇっ

936 名前:*[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 22:21:47.50 ID:MsxqXSXH
>>933

麋芳・士仁 「正直、呉に降ってホッとしてます」

劉元徳 「見殺しにしたのは内緒だぜ」

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/31(日) 00:38:30.97 ID:EPi5f3lu
>>921
戦国大名の部下なんて大部分がそんな奴ばっかだろ
織田家で見ても、羽柴秀吉・柴田勝家・明智光秀のいずれも上司部下からの信頼は厚いが同僚同士では
ライバル心むき出し
三成だって孤立してたって言うけど実際は派閥を形成してたわけで珍しくもないな

938 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/31(日) 13:16:02.34 ID:rJT2nFqY
好きでもライバル心くらい持つだろw

朝鮮陣にて鉄砲談義

2011年05月20日 00:00

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 02:37:41.99 ID:g7ZGOgGW
そーいや2chで「鉄砲は反動も少なくて簡単だから女子供の武器」って見て
腑に落ちた逸話があるんだけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2622.html
↑この逸話の詳細が違うバージョン

とりあえず逸話の本筋から書いて行く

立齋舊聞記より
碧蹄館の戦いの後の事、総大将秀家の主催で慰労会が開かれることになり
諸将が秀家の陣営に集まった。
食事が終わって物語りしていると、黒田長政が言い出した。
「鉄砲ってマジ最高だよね。昔は百歩も離れた敵は討てなかったらしいけど
鉄砲使ったら何百歩離れててもあてられるじゃん
まして的が近かったら絶対外さないし」
他の将も同意する。
加藤光泰「本当に、希代の重宝と言うべきだな。今度の戦で勝てたのもまた、
       鉄砲のよさが発揮されたからだ」
大谷吉隆「ていうか鉄砲最強じゃね?俺もう他の武器買わないわ」

余談だが、思うにここで大谷が極端な事を言うのが話をややこしくしていると思う。
良くも悪くも「思った事は絶対言う」人なのだ。
それで失敗しても、反省も後悔もしてなさそうなのが変に爽やかだが。

とにかく、これを聞き咎めた小早川隆景が口をはさんだ。
「防ぐには鉄砲がいいと思うけど、例えば破るには弓だな。鉄砲だけとか言いなさんな」
立花宗茂もこれを聞いていて
「武器は臨機応変に使い分けないとな。
鉄砲しか持ってなかったら雨の日と闇夜は戦できねえ」と続いた。

焦ったのは長政で、「俺は別に鉄砲だけで戦するとか言ってないし」と訂正したあと、
こう続けた。
「たださー弓を貴んで鉄砲が否定されるのは違うと思うわけ」
↑↑↑
 ここ

これずっと「今誰もそんな話してないんじゃ?
長政のいつもの被害妄想にしても唐突すぎる」と違和感あったんだけど、
鉄砲に「誰でも扱える、あまり男らしくもかっこよくもない武器」というイメージがあったとすると
本人も鉄砲の名手で鉄砲大好きだった黒田長政からしたら
普段から「鉄砲を擁護したい」とか「こいつも鉄砲の悪口言うつもりか」って気持ちがあっての
この発言なのかもしれないなー、と、なんとなく疑問がとけた気がした。

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 02:38:59.14 ID:g7ZGOgGW
で、せっかくここまで書いたんでその後の顛末も書くと

長政がナイーブになっているところに、宗茂が
「でもさー近接で鋒とかで切りあってる時でも切り損じる時ってあるだろ?
鉄砲はあたるあたるって言うけど、火薬で玉飛ばすような武器
そこまであてにできない気がするんだよね俺は
別に鉄砲がダメって言うんじゃないけど、そればっかり好きでもしょうがないと思う」
などと言ってしまい、微妙な雰囲気になっていると、
秀家が「話は聞かせてもらった!」と現れた。
「これはあれだ、甲州(黒田)が鉄砲、立花が弓使って勝負すればいいんじゃないかな!
的を用意して皆で見物しようぜ!」
この御曹司ノリノリである。

長政と宗茂からしたら、別にそこまでの騒ぎにしたいわけでもなかったのだろう。
辞退しようとしたが、隆景が仲裁に入った。
「まあまあ、勝ち負けとかじゃなくてさ、
立花は弓の名人って評判だし、甲州は飛ぶ鳥も落とす鉄砲の上手だろ。
実際撃ってるところを、是非見てみたいなあ」
そうまで言われては、強いて拒む方がおとなげない。
二人は十五間離れた場所に立てた笄を撃ちあうことになった。
大谷と加藤が「勝った方が負けた方の道具もらっちゃえよ」と囃す。
こいつらも悪ノリしている。

長政の秘蔵の鉄砲から、笄に見事に命中、これを打ち折った。
次に、宗茂は普通よりも大きな塗籠の弓を使っていたが、
これで放った雁股の矢が笄の真ん中を射切った。
周りはやんやの喝采を送る。
両方があててしまったので、もう一度。
ところが二度目の射撃で長政の狙いが反れ、笄の端を削っただけに終わった。
宗茂はといえば、最初に射た矢と同じ場所を、少しも過たず射切って見せた。
立花宗茂聞きしに勝る射手であると人々は大いに誉めた。
約束は約束なので、長政の大事な鉄砲は宗茂の手に渡った。

秀家「あっ、じゃあ立花の弓は俺にちょうだい」

なにがじゃあなのかわからないが、宗茂の強弓は秀家の手に渡った。



…まあなんていうか、戦勝祝いで行き違いがあった悪い話ではあるんだけど、
出席者は盛り上がって帰ったみたいだから、終わりよければすべてよし?
戯言から発展して変な喧嘩にならなくてすんで幸いだった。

隆景からは場をなごませしこりを残すまいという気遣いが感じられる。
秀家はちょっとよくわからない。天然かもしれない。




255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 03:12:39.55 ID:vLE0dyFo
天然だろうな
主催者権限のつもりか知らんがちゃっかり立花の弓貰っても
事が穏便に済んでるのを見ると結構大物かもしれない

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 03:40:38.59 ID:0fx7IhwC
秀家はそういう徳と格があったのかね
バージョン違いの逸話も面白い

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 06:07:30.90 ID:wyYkYslW
秀家さんは真っ黒い父上と従兄弟に恵まれて、家が栄えたけど
本人は天真爛漫だよね。秀秋と比べて屈折したところがないし
秀吉にかわいがられたんだろうね

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 06:32:17.76 ID:ViFf/6zq
秀家さんかわいいです

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 07:33:36.73 ID:8Sis/NMS
ところで、銃弾を当てるのと、でっかい雁股の矢を当てるのでは難易度が全然違うと思うのだが、どうだろう?

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 07:46:29.50 ID:onIdjmnX
秀家は天然に見えるが、GJでは?
長政の鉄砲だけ取られると遺恨が残りそうだから、自分が宗茂の弓をいただいて「おあいこ」と

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 07:53:29.36 ID:piIGlA4J
>>259
槍投げならもっと楽だと思うか?
弓と鉄砲の性能の差、
ないしは当人たちの実力の差の方がはるかに影響が大きいんだから
その辺は問題じゃないんじゃね

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 09:35:19.02 ID:qwJ6DckA
>>259
ぜんぜん違うねw
まあ長政が不利な勝負をあえて受けたのだから、結果は仕方ないのかも

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 10:00:24.40 ID:SF3UlNgW
15間って27メートルくらいだぞ
ほぼ今の弓道場と同じだ。
鉄砲で外した長政がミスしただけだろ

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 10:14:21.99 ID:umDt/y00
あやうく死ぬような目にあった後の
猛者の話、各人の個性が出て面白いね。

この場にもし小西、清正がいたら何て言ったかな・・

265 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/19(木) 10:24:31.42 ID:7JbMHhIy
確か、秀秋は自分名義で貰った宗茂の弓を、改めて長政に贈ったんですよね。

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 11:06:15.96 ID:CFl8Rx3G
「小早川 加藤小西が 世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ」

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 11:57:02.59 ID:23zzbH/N
思いっきり遅レス>>229
そういや、こういう銃で狙われている前でのパフォーマンスという話になれば
たいてい南北戦争のセジウィック将軍の逸話ネタがあった気がするが
まああれは戦国とは関係ないか

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:25:51.16 ID:4eXx1OQ9
>>265
おい、秀家と秀秋と間違ってるぞ
天真爛漫な貴公子はともかく、屈折した貴公子って友達いたのかなあ?
関が原の後、江戸城では諸大名や旗本からバカにされ、無視された様子が
大河ドラマの葵三代にあったよなあ。そこいらも本当のところはどうだったんだろうね

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:37:21.25 ID:U/T/JL0N
あのシーンは大坂城だろ?そのご井伊直政が出てきてこれで大坂城も見納めだと言ってたから

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:55:53.76 ID:4eXx1OQ9
>>269
訂正トン

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 13:35:48.05 ID:ObwOxLwF
秀秋「小十郎たんとお友達になりたいお!」

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 15:28:58.01 ID:8m9kDxAo
>>254
最後、宗茂の弓を貰ったのは秀秋だと思ったけど。
この逸話、いくつかバージョンあるのかな?

273 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/19(木) 23:29:53.76 ID:Jcwz0sod
>>253, 265, 272
立花家資料館では弓は長政に渡ったと書いてあるね。
ttp://www.muneshige.com/column/03.html
残っていれば黒田家ゆかりのものが多い福岡市博物館にでもあるかも。
279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 05:21:11.83 ID:vOh19/0L
>>273
件の立花さんは、何か他に表沙汰に出来ない理由(家中のゴタゴタとか)があって、
タテマエに禿げ問題を挙げたんじゃないかと思ったが……勘繰りすぎか?
政治の為に、変なタテマエかかげるのって定番だからさ。

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 09:58:03.36 ID:hXqwW/rG
仮に建前だとしてもその建前が受け入れられる素地があったということで。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 10:32:31.22 ID:sgNQqCzk
>>262
弓道かじった者としては、この勝負、長政は不利どころか有利だと思えます。
照星のおかげで的に狙いを付けやすく、指一本動かせばある距離までなら火薬の威力でほぼ直線に撃ち出される鉄砲
(火薬炸裂時の衝撃やら重い銃身を支えるなどの大変さももちろんありますが)
一方、弓には照星のようなここで狙えばいいという装置がないので、
弓手に隠れて透けて見える視界の中で的に当たりをつけるしかない。
弓自体も竹や木、麻などの植物で出来てるので僅かな湿気や気温の変化で弓のコンディションが変わる。
しかも自らの弦引きの強さ次第で威力が変動するという不安定さ。

笄なんていう小さく細いものを的にして2度も笄のど真ん中にあてるのはすごい。
昭和の弓聖・阿波研造は目をつぶって射ても同じ場所に当てる
(一本目の矢尻に2本目が突き刺さる)ことが出来たそうですが、
宗茂は恐らくそれ以上の技量の持ち主だったのではないでしょうか。

しかし腕前勝負とは別に、上記のように弓は習熟・取り扱いが非常に難しいので
大量動員可能な遠距離兵器という軍隊における鉄砲の利点にはやはりかなわないという、
当初の論点wに関しては長政の言うとおりですが、なんでこんなオチになってしまったのやらw

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 11:33:44.28 ID:xi7NsWIk
>>281
うん、最初に大谷吉継が「鉄砲以外いらない」とか極端な事言っちゃったせいで
鉄砲の有用さを主張したい黒田長政
鉄砲のみに頼る事に反論したい立花宗茂との間で議論が噛み合ってないよねw
そこに、とりあえずイベントにしようという秀家が乱入してうやむやになってるけど

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:02:55.76 ID:LEMCF2+n
>>281
弓の方が技術的には難しいという所には同意しつつ
残念ながら、極めても生じてしまう仕方ない誤差がありまして
そっちは多分鉄砲の方が大きい

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:12:17.47 ID:Zd2Wrnlo
そもそも立花さんちは鉄砲隊の運用では一目置かれてた存在だもんなあ。

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 20:45:27.51 ID:M5/nOUUW
>>290
そうなんだよね、立花鉄砲隊は「早合」(弾薬カートリッジ)を使ってて他隊の三倍の速さで
連射できたらしいし。良く聞くのは、蛍大名の大津籠城戦で立花隊に面した銃眼だけ
閉め切られてた(=銃眼から撃とうとすると三倍返しされる)とか。

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 21:09:00.77 ID:M5/nOUUW
しかし長政の鉄砲に付けられた「墨縄」(=直線を引くもの、定規)という名前、
これって「百姓でもまっすぐ飛ばせるこの道具で外した長政(笑)」っていう皮肉だったら
宗茂の悪い話にできるんだがw 碧蹄館の英雄、そのぐらい傲ってほしいものである。

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 21:26:31.54 ID:c7CCic90
どっかの鷹匠じゃあるまいし、宗茂さんはそこまで根性悪じゃないぜ

大谷吉継「運命の矢は」

2011年02月08日 00:00

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 19:00:31 ID:0c1F5dkv
朝鮮陣の時のこと

ある城攻めにおいて、大谷吉継の部隊が仕寄り(城攻めのための足場)を構築していたときのこと。
この妨害のために城方から大いに攻撃を受けた。

吉継はそんな中でも前線で指揮をしており、これを心配した家臣のある者が、このように申し上げた

「ここは矢弾がたくさん来る場所です。どうか後方に退いてください。」

吉継はそれを聞くと、その場で立ち上がりこの者に言った

「運命の矢は、いつも一本だけだ」 (運の矢は一本のものよと被申候由)

そして、決して後方に下がろうとはしなかったと言う。


なんとなく大谷吉継の死生観が見えてくるようなお話。




633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 22:56:41 ID:bQxQ1j6d
>「運命の矢は、いつも一本だけだ」

        ___
       /     \     
.     / _ノ   ヽ、_\  
    /  (● ) (● ) \  え・・・いきなりそんなこと言われても・・・////
    | //////(__人__)/// | 
     \           /
     /           \
    |      ,― 、,―、   |
    \   ̄ ̄ (⌒⌒)  ̄/
        ̄ ̄\\//

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 22:58:16 ID:y0jDoS8c
切り捨てよ

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/08(火) 01:16:32 ID:38LElsq7
御意

天正15年、安芸の宮島水精寺歌会

2011年01月29日 00:01

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:34:20 ID:+Dhh+RyE
1587年(天正15年)島津征伐に向かう途中、安芸の宮島の水精寺で歌会を開いた秀吉たちが詠んだ歌
豊臣秀吉
ききしより 眺めにあかぬ 厳島 見せばやと思う雲の上人

長束正家
宮島の 春の景色は 君が代の 風ふかぬとや花もしるらむ

増田長盛
ゆく舟も 君がみゆきの 折をえて 浪もしづけき春の宮島

石田三成
春ごとの 頃しもたえぬ 山桜 よも霧島の心ちこそすれ

大谷吉継
都人に 眺められつつ しま山の 花のいろ香も名こそたかけれ

ここで長束と増田のいう「君」=秀吉だよね。
あと大谷の「しま山」は島津とかけている、と思う
資料に歌の意味とか背景の解説がないんでなんとなくしか分からない…
詳しい人がいたらお願いします




547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 22:55:03 ID:pwnIT3PV
大谷吉継の和歌を
「この宮島の景色は全国で有名なのは、都人が評価しているからなのだ(自分の目にはそうでもない)
同じように「島なんとか」とかも有名だが、実際はたいしたことないだろう」
と解釈してしまった
いや、三成でもあるまいし、そんな空気を読めないことは言わないか

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 23:15:46 ID:I9P1dmMH
>>546
大谷さんのは素直に
『(秀吉などの)都から来た人々に眺められているためか、厳島の山に咲く山桜の色や香りも、
より一層引き立っているようである』

でいいと思うよ。

あと順に
秀吉『聞いていたよりもずっと眺めていて飽きない厳島の風景である。
    京の宮中の人々にも見せてやりたいものだ』

長塚『宮島のこの春の景色の中に、確かに君(秀吉の)の世の風が吹いているとは
   花も知らないであろう』

増田『海を行船も、君(秀吉)の行幸という素晴らしい時期を得たため、静かな波の中を
    進んでいく春の宮島の風景である』

石田『春のたびの、とりわけて花の盛んな時期の山桜である。
    その花の盛んな様は既に、ずっと南にある霧島にいるような心地がする』

こんな感じかと

550 名前:546[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 23:55:00 ID:+Dhh+RyE
>>549ありがとうございます
ひらがなで「しま」って書いてあるから掛け言葉だと思いこんでた。
霧島って今噴火してるところだけど桜の名所なのか



551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/27(木) 23:59:17 ID:mvYmcyAc
ttp://www.city-kirishima.jp/modules/page059/index.php?id=18

桜特集するサイト市がつくっとるね
まぁ当時どうだったかは分らんけど適してはいたんじゃないか

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 00:05:34 ID:gANGkQga
長束と増田は諂ってて好きになれんないかにもって感じだ

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 00:10:29 ID:ug6x0t/F
秀吉は辞世も名歌だが、何気にこの歌もいいな。

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/28(金) 00:52:35 ID:swpyhMCd
秀吉の歌は変に捻ってないシンプルな構成だから俺も好きだわ

555 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/28(金) 05:43:55 ID:MhR7EtTZ
俺には大谷の歌は>>547の意味に思える。
ていうかこれ悪い話なのか?