それ故弾が力なく

2017年08月12日 18:18

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/12(土) 18:15:34.81 ID:P5a+mbW7
関ヶ原の時、大道寺(直次か?)は黒田家の陣にいた。9月15日に先に出て様子を見ていた所、
西軍の陣より鉄砲がひたひたと打ちかけられ、これにより討ち死にも多く出た。
このような所に黒兜の武車が出て、敵方の様子をじっくりと観察していた。
彼は馬に手綱をゆらゆらと打ち掛け、いかにも心静かに周りを見ていた。
その様子が大変見事であったので、大道寺は彼のそばに寄って居た。

すると彼は、「只今戦は始まった」と独り言を言った。
大道寺はこれを聞いて「何ゆえに左様に見られるか?」と尋ねた。
武者は

「鉄砲の弾が足元に落ちたが、その落ちようが、力なくころころとしていた。
これは敵との間合いが近くなり、急ぐ事で筒の中に弾薬がろくに入らないまま発射し、
それ故弾が力なく落ちるのだ。」

そう説明した。

ある話によると、この武者は斥候に出た井伊直政であるとの事である。

(士談)


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老武士が男泣きに泣いた話

2012年01月25日 21:58

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 00:54:58.87 ID:8iRVnDgO
大道寺直次は元亀2(1571)年生まれ
御厨の合戦では18の首級を挙げ、小田原の役では300の兵を従えて北条氏直に従し
その後徳川家康に拝謁して呉服羽織等を下賜されたという。
以後黒田如水、豊臣秀次、福島正則に仕え関ヶ原の合戦では岐阜城攻めで三か所に負うなど奮戦
正則の改易後は蟄居し、寛永11(1634)年5月に徳川家光に1000石で召しだされ12月には御先弓頭となった。

そんな戦国生き残りであった直次はある日坂下番所に近藤貞用を訪ねた。
この時直次は貞用にこのように語った。
「今指しているこの刀、片手で100度は打ちつけることが出来たものだが年老いた今では3打も出来ぬ。」
そして無念であると声をあげて泣きだしたという。

老武士が男泣きに泣いた話。





853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 08:22:09.29 ID:BMEfX9D/
黒田如水、豊臣秀次、福島正則、徳川家光に仕えるとはビッグネームばかりw

>年老いた今では3打も出来ぬ。
武辺者の時代の終わりを示してるようで寂しいねぇ

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 13:12:56.82 ID:HYvPr3kU
そりゃ政繁の息子だから引く手あまただったろうね


855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 13:16:34.42 ID:HRvmd4Ig
打つ場がないと言って嘆くなら時代の移り変りかもしれんが、
個人の老いの嘆きとしかオレが感じなかったのはそれぞれの感受性の違いかw

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 18:39:00.03 ID:ZH/+zZn2
いつまでも同じ刀差してないでもっと軽い刀に換えなよ(´・ω・`)

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 21:39:19.04 ID:EiFFBlZo
忠勝のように刀を短くするとか