軍令違反者には御宥恕がなかった

2017年04月13日 11:20

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/12(水) 22:50:47.55 ID:7Xqwitvs
大須賀五郞左衛門康高の甥の弥吉が御軍令にそむき、(高天神城の)勝頼の旗本へ討ち行って高名をなしたところ
(家康は)もってのほかお怒りになった。
弥吉は恐れて本多平八郞忠勝の家に逃げて赦免をお願いしたが、お許しなくついに切腹をおおせつけられた。
(家康は)何事も寛容な方であったが、軍令違反者にはこのように御宥恕がなかった。

「柏崎物語」



733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/12(水) 23:51:14.81 ID:Wv5bFBU9
これで武田の軍門に降る道が断たれたわけですな
スポンサーサイト

それは徳川家康を激怒させることとなり

2012年12月23日 19:11

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 23:43:55.59 ID:egkfmNX5
天正六年三月、武田勝頼が遠州へ出張した折、大須賀康高の甥、
弥吉は軍令に背いて勝頼の本陣へ打ち入り高名をあげた。

しかし、それは徳川家康を激怒させることとなり、弥吉は恐れて
本多忠勝の家に逃げ入って許しを祈ったが、許されず終いには
切腹を仰せ付けられた。

家康は何事にも心が広く情け深い人だったが、軍令に背く者に
対して厳しいことはこの類であった。

――『徳川実紀(柏崎物語)』




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 05:37:33.69 ID:c6PTG4mL
>>865
市松「お宅の赤備えとか言うのが抜け駆けしやがったんでが…(震え声)」

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 07:34:23.99 ID:5pjQbNKT
>>865
勝頼の首が取れてたら帳消しだったのにな。