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陣佐右衛門一揆の長四郎が首を取る事

2018年06月23日 18:42

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/06/22(金) 17:15:43.68 ID:K53k58Oq
陣佐右衛門一揆の長四郎が首を取る事

一揆の長、四郎が首を細川家の足軽陣佐右衛門取りけり。二の丸にて鉄砲に中り、倒れし
者の首を斬りしに、忠利前髪有る首を選り出させ、鞭にて彼首を指し、四郎が首とも覚し
きに、誰か見知りたる、と問う。須佐見権之允、四年以前に四郎を召使いし事の候。紛い
無き四郎なり。左の耳の下に瘤の候。是其証なり、とて生捕りたる四郎が母に見すれば、
吾子なり、とて泣倒れしかば、忠利使を立てて首を石谷十蔵の方に送られけり。後陣に千
石の禄を与えらる。

(常山紀談)

 誰か分かって取ったわけではないのだな。二の丸で銃弾に当たって倒れていたというの
が不審。吉村豊雄『天草四郎の正体」によれば、量産型天草四郎が一杯いたそうだが。

 千石の俸禄を得ているにしては、その後、細川家の家臣団に陣氏って見かけないような。
どうなったんだろう。


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芸州寂静寺デイウス画像の事

2016年11月10日 17:15

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/10(木) 11:25:31.29 ID:K23paop2
芸州寂静寺デイウス画像の事

 寛政己酉(1789年)、予は東勤のとき、安芸の怒田本郷駅に宿泊した。
この所に寂静という親鸞宗の寺がある。
予の医者がここに宿泊したときに、その住職が語った話である。

 寛永の肥前天草一揆騒乱のときにあたり、ある僧がどこからとなくこの所に来て説法講談した。
聴者の群集は日ごと多くなった。
ある時にその僧はついに耶蘇の法をすすめ、信じる者が多くなったので、
領主からかの僧を捕らえ、東武へ連れて行ったそうだ。

 かの僧が置いていったデヰウスの画像が今も本郷禅宗の寺にあるという。
この事を語った僧も見たそうだ。
その像は阿弥陀のようで威霊があったと。
奇聞である。

 天草に凶徒蜂起のとき、安芸にこのような事があったとは
世人に知らないことである。
(甲子夜話)

デウス像見たいなあ




嶋原の賊矢文

2016年10月25日 21:22

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/25(火) 05:15:08.44 ID:dsNNs2EC
嶋原の賊矢文


薩州の支、佐土原侯〔島津筑後守〕の臣の某が持ち伝えている、
寛永中の耶蘇一揆のときに、原の城中から寄せ手に射遺した矢文として、
伝写したものを見た。
本書は今なおかの臣の家にあるという。
その文は憎むべきものだ。
これがまさに彼らが賊徒であるゆえんである。


「矢文


『一、当城之土民、宗門ノ為メニ尸ヲ山ニ捨て、名ヲ後代ニ留メント欲ス。
之ニ加ルニ忝モ上使板倉内膳正ヲ討チ奉リ、生前死後之本望、之ニ過グベカラズ候。
冀クハ近日一戦遂、万死ヲ顧ズ、尽ク相果ン。
且又余慢有ルニ依テ、狂歌ヲ綴リ軍中ニ放ツ者乎。一笑セヨ。』


一戦功成テ古城ヲ鎖ス、 三軍ガ死ヲ望テ責レドモ成シ難シ、
九州ノ大勢十余万、   一冬立チ尽シテ花ノリヲ待ツ。


島原や有馬の城を責かねて 心づくしに見ゆる上使衆


肥後守いかに心は細川や なかながし日をあかし暮らして


物数寄は越中流とききければ 敵にあふてはならぬ物数寄


有吉や頼むかひなき先手にて 敵をばうたで味方をぞうつ


信濃路や敵に心をかけ橋の かいがい敷もあぐるせい楼


立花や袖の香ふれし昔より 猶かふばしき武士の道


有馬山すそのの桜咲みだれ 軍は華を散す古城


寛永十五年寅三月日」


(甲子夜話)