554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/01/13(金) 22:26:27.80 ID:iXo+cHzD
「武家閑談」より加藤清正の片鎌槍について
天正十六年(1588年)霜月五日、加藤清正は天草伊豆守(天草種元)との一戦の時に十文字槍を突き折ってしまった。
それ以来、片鎌になったことは天下が一同に知るところである。
もっとも、元々片鎌だったという説もある。
寺沢兵庫頭忠高(寺沢堅高)の家人が物語るには、清正が鎌を折ったのは仏木坂という所で、その折れた片鎌が今でも仏木坂の社に保管されているという。
所望の人がいれば取り出すことができるそうだ。
また清正の片鎌槍を見た人の話によれば、十文字の月剣であり、志津の作で直刃、さやの穂は熊の毛、横手は黒ラシャだという。
瘧(おこり)を患っている者がいれば、熊の毛を1本抜いて頭に載せれば瘧が落ちるという。
565 名前:人間七七四年[] 投稿日:2023/01/16(月) 16:05:07.58 ID:Z0LWwUBl
>>554
https://bunka.nii.ac.jp/heritage/131010/_478275/131010_478275520837061644187_900.jpg

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/523895
加藤清正の片鎌槍は、娘の瑤林院が紀州徳川頼宣に輿入れする際に持参した嫁入り道具として紀州家のものとなり、
現在は東京国立博物館に所蔵されています。
常設展示ではありませんがタイミングが合いましたら是非ご覧ください。
「武家閑談」より加藤清正の片鎌槍について
天正十六年(1588年)霜月五日、加藤清正は天草伊豆守(天草種元)との一戦の時に十文字槍を突き折ってしまった。
それ以来、片鎌になったことは天下が一同に知るところである。
もっとも、元々片鎌だったという説もある。
寺沢兵庫頭忠高(寺沢堅高)の家人が物語るには、清正が鎌を折ったのは仏木坂という所で、その折れた片鎌が今でも仏木坂の社に保管されているという。
所望の人がいれば取り出すことができるそうだ。
また清正の片鎌槍を見た人の話によれば、十文字の月剣であり、志津の作で直刃、さやの穂は熊の毛、横手は黒ラシャだという。
瘧(おこり)を患っている者がいれば、熊の毛を1本抜いて頭に載せれば瘧が落ちるという。
565 名前:人間七七四年[] 投稿日:2023/01/16(月) 16:05:07.58 ID:Z0LWwUBl
>>554
https://bunka.nii.ac.jp/heritage/131010/_478275/131010_478275520837061644187_900.jpg

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/523895
加藤清正の片鎌槍は、娘の瑤林院が紀州徳川頼宣に輿入れする際に持参した嫁入り道具として紀州家のものとなり、
現在は東京国立博物館に所蔵されています。
常設展示ではありませんがタイミングが合いましたら是非ご覧ください。
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