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おそらくこれが信長であった

2018年11月22日 18:14

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/21(水) 20:25:38.67 ID:ucCeN/Yq
明智日向守が本能寺に押し寄せ、その軍勢が織田信長の御座所まで入った時、日向守の家臣である
天野源右衛門、鑓を持って縁へ上がると、鴨居に兜を当てて尻餅をついた。そこに森乱丸が鑓で源右衛門の
外腿を突いた。その後乱丸は内へ入ったが、源右衛門立ち上がり、障子越しに人影を見てこれを突いた。
おそらくこれが信長であったのだという。

(武功雑記)



460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/21(水) 22:08:46.32 ID:sPYXC3wR
確かこの人はこの後に森長可の部下になるんだよな
そして信長と同じ日に死んだ
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如水激怒「我が家には」

2014年05月11日 18:57

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 19:13:56.80 ID:zoOo+NYE
安田作兵衛は明智光秀に使えた勇士であった。京都本能寺にて、障子越しに信長に槍を付けたと言われている。
後に姓名を改め、天野源右衛門と号した。

彼が上方に浪人していた時、黒田長政はこれを召し使おうと思い、彼を呼び下して一万石を与えて
召し抱えたいという希望を、父如水に相談した。

これを聞いた如水は激怒して
「我が家には源右衛門に勝る勇士がいくらでも多く居る!もし源右衛門を一万石で召し抱えれば、
我が家臣のうちにこれを恨みに思うものが多く出るであろう!」
と、甚だしく諌めたため、この事は中止となった。

その頃、唐津の寺沢志摩守(広高)が、名のある武士を求めて居ることが聞こえてきたので、長政の勧めで
寺沢のもとに遣わされた天野は、唐津において召し抱えられた。

(黒田家譜)

黒田如水天野源右衛門召し抱えを中止させる、というお話




251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 19:24:12.76 ID:bTyCwBhy
黒田家譜は何でも問答無用で割り込んでくるなー
ある意味、大河ドラマより上かも知れん

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 19:31:26.07 ID:aXqmmMQL
如水が長政に対して「諌める」というのもなんだか

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 21:00:26.04 ID:hYTJMmf6
時期的に当主が長政で如水は隠居だからだろ。

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 22:45:30.09 ID:txbO4TE1
立花家を辞して寺沢家に仕えたのが慶長の役の前くらいだから
中津時代の黒田家で1万石与えるのはな

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/10(土) 23:58:15.34 ID:KGqV5hwW
後藤基次「うわっ…某の俸禄、低すぎ…?」

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 10:01:41.73 ID:NfYWgIiJ
黒田家も結構めんどくさそうなのが粒揃いだからなあ

257 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/11(日) 10:31:31.54 ID:qe8jRmBN
後藤基次さんは、
ご隠居が1000石といったら自分にはそれでも過分ですといい
若殿様が2500石といったら自分には少なすぎると大声で張り上げるイメージ

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 11:01:37.81 ID:5X4ugTox
さすがブラックだ
もとい黒田の御家中

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 11:17:20.07 ID:5F7NBN+E
天野源右衛門は立花家で2千石もらって仕えてたけど、
碧蹄館の戦いのときに千石の十時伝右衛門に一番槍争いで遅れをとったことで、
自分には立花家では2千石の価値が無いって理由で辞したらしいから、
その後に1万石で仕えろって言うのもなんだかな

260 名前:人間七七四年[hage] 投稿日:2014/05/11(日) 14:16:25.38 ID:qcbKdU90
播州人と三河人はホントに面倒くさい人達だな

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 15:14:57.36 ID:2GN5DKbS
忠義とか武士の誇りとかを前面に押し出した本が多いからでしょ
その辺の理想を詰め込みすぎて変態の名産地のようになってしまった

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 15:18:51.00 ID:v6ZzdHEE
忠義とか武士の誇りとかを前面に押し出した「本多」
に見えた

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/11(日) 17:47:51.78 ID:BDdnVfxT
慶長の役の時の遺言(未遂)でもむやみに新しく家臣を取り立てず今いる家臣を大切にしなさいと書いてたな
対費用効果的な面も内にむけたパフォーマンス的な意味もあるだろうが

天罰を蒙った者ということなのか

2012年11月18日 19:05

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 16:13:21.53 ID:NrU6NZCb
本能寺の変の時、織田信長の腹を槍で突いた安田作兵衛こと天野源右衛門
その後、首に怪しい腫物ができた。

これがなかなか癒えず、ついには瘤が生じた。天野は怒って琴の糸を
使って瘤をきつく縛り、糸を竹縁につないで脚を張って瘤を引きぬいた。
ところが、幾ばくもなくまたもや瘤が生じた。いよいよ憤った天野は
刀を抜いて自ら首を刎ねてしまった。

また本能寺の変で半弓を使い信長に矢を当てた光秀の小臣川上某という者がいた。
その六日目に川上は喪心して死んだ。川上は「鶴が来て額を刺す…。
痛み甚し、痛み甚し…」と、うわごとを言っていたという。

ああ、これもすべて天網は漏らさずというように、天罰を蒙った者ということなのか。

――『近古史談』




405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 20:44:37.72 ID:/k8ajLJe
>>404
かたやわずか6日後、かたや15年後に割と出世もしていい目も見た後って
その天網ザルなんじゃないか?

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 20:54:38.24 ID:koAVmKDJ
肝心の信長を討ち取った人がのうのうと生き延びている件

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:01:45.28 ID:Uq8Io5lX
>>405
天網恢恢疎にして漏らさず の意味知ってるかい?

信長さんを直に討った連中が悪になるかって話は微妙だけどね~

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:40:37.96 ID:tI7MvZGo
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4700.html
鬼武蔵の部下ってだけで
いい話だと思ったら実はおもいっきり悪い話だったこともあるし
>>404の安田作兵衛も鬼武蔵に召抱えられたからそんな最期になっったと考えれば辻褄が合う

天野源右衛門が語った本能寺の変の一部始終

2012年06月02日 21:00

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 05:11:48.49 ID:g4bm7aX/
天正十年五月の晦日、光秀は「西国へ出陣する軍勢のいでたちを信長公にお見せしたい。」と
表向き発表し総勢八千余騎の軍勢で夜半に丹波の亀山を出発した。
どんどん道を進んでいくと、まだ夜中のうちに大江山まで着いた。
ここで光秀は明智左馬助(秀満)・斎藤内蔵助(利三)などに向かって
「この密事をすべて軍兵にも言い聞かせよう。」と言うと、皆「それがよろしいでしょう。」と答える。
光秀は諸軍勢に向かって「私はとあるわけがあって信長を討ち果たそうと思っている!
皆の者、これから本能寺に討ち入り一気に攻め破れ!
私がこの大望を遂げたならば皆にも大国を宛てがおう。進め者ども!」と呼びかけた。
兵達はこれを聞いて、皆勇み進んで洛中へと攻め寄せた。

折りしもそのとき信長は本能寺で終夜多数の美女を集めて酒を飲み、歌を謡わせるなどして何の用心もしないでいたが
「飲みすぎた。」と言って帳の中に入り、珊瑚の枕を押しやって美しい婦人の玉臂にすがり寝始めたので
当番の者達も皆、帯剣を解いて寝入った。

こうして六月朔日、東の空が明けてゆく頃、光秀は大江山を越えて桂川に臨んでいた。
村井春長軒が召し使っていた者が、桂川のほとりで小役人などをしていたが
光秀の兵が西国には下らず洛中へ行こうとしているのを不審に思って、急いで使者を遣わした。
「光秀の軍兵たちは西国へは向かわず、洛中目指して討ち入ろうとしております。
おそらく光秀は謀反を起こしたものと思われます。ご用心ください。」と注進したけれども
これを聞いた者は「何を言うか!今さら誰がわが主君信長公に向かって弓を引くというのか。
中でも光秀は世に類ない厚恩を受けている。他の者ならともかく光秀に限ってそんなことするはずがない。」と
まったく聞き入れなかった。これが信長の運の尽きであった。

光秀の先駆けの勢は、卯の上刻(午前五時ごろ)に本能寺の門前に至った。
「惟任は西国に出陣するいでたちを信長公にお見せするためにここまで参りました。
上様にもこのことをお伝えください。門も開いてください。」と言うので門番たちは「それは喜ばしいことです。」と
門を八の字に開いた。すると光秀の軍勢が一度にドドっと駆け込んだ。
当番の者たちは「上様はまだ御殿に籠もっていらっしゃるというのに狼藉に及ぶのはいったい何者か!」と
制したけれども兵たちは鬨の声をどっと上げる。
森乱丸は勘のいい者だったためすぐ外に出てきて明智の軍勢を確認すると
「皆の者!切って出て手が動く限り戦い、敵を追い払え!」と下知した。
当番の者たちは鬨の声に飛び起きて帯を急いで身に回したけれども、太刀を取りそびれた者もいた。
同じところで寝ていた者たちは一本の帯を「自分の帯だ!」「いやこれは誰々のだ!」などと論じ合って
太刀なども同じように自分のものだと言い争い、奪い合う者もいた。
また太刀を抜いて出てみると、後から鞘だけを持って追いかけてきたりする者もいて
慌てふためいているところへ明智勢がここぞとばかりに攻め入り、散々に斬り付け、突き伏せていった。
寺にいた兵たちは全く歯が立たず、皆向かってくる敵に走りかかっていって討ち死にした。

信長は白綾の単衣を着て、髪を茶筅に結い、槍を提げて廊下へと走り出ると「せがれめか!せがれめか!」と叫んだ。
その後、敵が思いもよらず攻め入ってきたせいで抵抗のしようがない思いと自害を決めたのだろう
信長は部屋の中へ入ろうとしたが、そこを光秀の郎党、天野源右衛門(当時は安田作兵衛)が槍でしたたかに突いた。
信長は深手を負ってしまったので、自害も思うようにできないとみるや、そのまま燃え盛る炎の中へと飛び込んだ。
だが並河金右衛門が続いて炎の中へ飛び込み、中から信長を引きずり出すとついにその首を討ったのである。

天野源右衛門がのちに語った本能寺の変の一部始終である。




697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 05:19:21.03 ID:ufBBpix2
>並河金右衛門が続いて炎の中へ飛び込み、中から信長を引きずり出すとついにその首を討ったのである。


マジで!?
じゃあその首はどうしたんだ

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 05:59:11.78 ID:psSDWLQc
>>689
その前には大村が横瀬浦とかも寄進もしてるな、後藤貴明に焼き払われるけど

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 06:14:23.58 ID:NiAan7g0
>髪を茶筅に結い、槍を提げて廊下へと走り出ると「せがれめか!せがれめか!」と叫んだ。
髪を 茶筅 に結ったということは、信雄が犯人と思ったのか

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 06:51:51.50 ID:pG5mphBQ
>>697
左馬助(秀満)がイメージダウンを避けるために西誉上人だか清玉和尚だかに埋葬させて
衣袖だけ晒したんだとか

しかしそれにより秀吉による「上様は生きておられる」の工作が成功して
光秀に味方する大名が居なくなってしまったとかも言う

逆に首が晒されていたらどうなっていたんだろうね
左馬助の言うとおりそれはそれでアウトだったんかな?

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 07:58:16.13 ID:g4bm7aX/
>>699
茶筅髷知らないの?

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 08:15:31.38 ID:kxvCwzNg
せがれめか!っていうのはやっぱり四国遠征軍を率いてる信孝のことだよね。


703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 08:21:20.47 ID:EJVgUFNH
>>696
まるでその場で見ていたかのような書き方だな

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 08:47:02.58 ID:x/amQ9nB
茶筅って名前つけられた人がいる
かわいそう

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 08:50:36.53 ID:idfsyFEB
奇妙(信忠)がまんま「キミョウ(様)」って呼ばれてたのに対して、茶筅は「オチャセン」って呼ばれてたみたいよ
フロイスによると

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 09:01:14.89 ID:sw+yd/N2
探したら元ネタがありそうなポイント満載だな

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 10:31:31.50 ID:4vsFTbRT
部下の前で堂々と女囲って女と寝てるあたりのくだりは宣教師の話が混じってそうだ

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 12:02:38.81 ID:VnyOfSu1
人間くさくて個人的には好きだな

709 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/02(土) 12:05:40.40 ID:DKa7XFY4
>>696
近衛兵は昔から弱いのが定説
信長の供も相手にならんか

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 12:27:52.20 ID:9+5xCEWT
茶筅ってかわいい名前だなw

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 13:58:23.24 ID:vWHBCnt7
「皆聞かされてたよ!」って話があったり
「俺最後まで家康討ちに行ってたんだと思ってた」って話があったり
本能寺は面白いなw

>>709
>近衛兵は昔から弱いのが定説
どこの異世界の定説だよw

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 14:36:38.45 ID:Bg/PK326
平和な時代になると近衛とか馬廻りは血筋や見栄えを優先されて弱体化していく
戦乱の真っ只中ではさすがにそれは無い

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 16:20:17.27 ID:6vEISf0e
蘭丸だってあの森家の人間だし

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 16:47:34.74 ID:MqdqJvpA
近衛といえば、司馬遼太郎の小説なんかでは飾り物と酷評されている、大阪の陣の時の豊臣家旗本部隊の七手組も、
実際には豊臣側であの戦役を大きく支えた、有能かつ勇猛な集団だったらしいな。

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 16:54:25.68 ID:VnyOfSu1
近衛が弱いのは日本陸軍くらいか

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 17:00:24.28 ID:M+8BIhqZ
大阪連隊忘れちゃいけないヨ

「立花宗茂は空腹だった・・・・・・」

2010年10月25日 00:01

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/23(土) 23:52:24 ID:vXXLfDL7
立花宗茂は空腹だった・・・・・・」
 漢城郊外、碧蹄館の戦いで、立花軍の先鋒として、奮闘した安田作兵衛こと
天野源右衛門は、腰兵糧の握り飯を取り出すと呼ばわった。
「腹、空いたもんは、おらんか? 」
「・・・・・・・・・・・」
 声をかけられた者は皆、首を振るか、無言で目を合わそうともしない。
 明国騎兵と必死の戦いを繰り広げた立花の猛者達は、緊張が未だに解けず、
握り飯を食うどころでは無かったのだ。
 立花の3、000は他の家の10、000に匹敵するとまで言われた連中の情けない
有様に呆れかえった源右衛門は、床几に腰掛け、戦況を見ている宗茂に握り飯を差し
出す。
「今、一戦の前にいかがでござる」
「お毒味を」
 脇に控えていた小野和泉が、差し出された握り飯を一つ手づかみにして、ようよう
食い終えるやいなや、宗茂は握り飯を手に取りパクパクと食べ出した。
 二個の握り飯は、あっという間に消えた。
 三個目の握り飯を味わうように食べ終えた宗茂は、源右衛門に声を掛けた。
「馳走になった」
(聞きしにまさる大将かな)
 主君の平然たる態度に内心、舌を巻きながらも、負けじと源右衛門は握り飯を食べ
ようとした。
 しかし、食えない、食おうとすると喉がこみ上げて吐きそうになる。なんとしても
食えない。遂に諦めた源右衛門は、握り飯を投げ捨てると持ち場に戻

 しかし、食えない、食おうとすると喉がこみ上げて吐きそうになる。なんとしても
食えない。遂に諦めた源右衛門は、握り飯を投げ捨てると持ち場に戻っていった。

 立花宗茂のちょっといい話? 天野源右衛門にとってはちょっと悪い話?




887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 00:05:53 ID:jzRNPIue
自分が一番情けなかったってオチ?

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 00:17:18 ID:CTSLqthd
>>887
 まあ、この戦いで源右衛門は、戦死した十時伝右衛門に一番槍争いで負けるわ、握り飯は
食えないわと散々な目に遭い、この後、立花家を去ります。
 情けない自分に愛想が尽きたのかもしれません。


892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 09:43:22 ID:9FEmHDTU
おにぎりMOTTAINAI

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 11:15:59 ID:UrFsPYUH
>>885
親父の教えを忠実に守ったわけだ
宗茂は

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 11:41:42 ID:l82GwbYr
親「何も食っていないだろう、飯を用意した」
子「や、もうたらふく食ってきたんで」

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 13:02:51 ID:Sttc9CAe
長政さんはその馬鹿正直なところが家康に気にいられたんだろうなw
家臣に思慮なきもなんて言われながらもなんだかんだで慕われてるところ。
如水さんとしてはそこは本当に食べなくてもいいから下がってみせる
押し引きの巧緻さを求めたのかもしれんが