こうなった子細を語らなければなりませんね

2015年10月15日 16:03

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/15(木) 01:36:28.67 ID:58hpvlqi
光悦が若い時に、朝早く門外に出ると下小川に人が多く集まっていた。走り行って見れば太刀屋与三という者がからめ取られて、引き立てられて行った。
急いで立ち帰り母の妙秀にこの事を申すと、妙秀はしばらくものを言わなかったが、

「縛られた上に黒い胴服を羽織らせられ、家の中で編み笠をかぶらせて出て行ったか」
と言った。光悦は仰せの通りであったと申すと、妙秀は手を合わせて拝みながら、

「そなたはよい親を持ちました。こうなった子細を語らなければなりませんね。」
と次のような話をした。

「昔この家の隣に何の誰という者がいました。たいした咎も無かったのに、ただ今召捕られた与三が訴え出て、何年か前の今月の今日の朝召捕られて、ついに殺害されました。
そのときも、縛られた上に黒い胴服を羽織らせ、家の内で編み笠を被らせられて出て行った。隣のことなのでよく見ていて、月日もその有様もいささかも違いません。
これは何という事でしょう。凡夫の知恵の及ばないことです。報いが明らかになるのは目前です。
またよい親を持ったという事は他の事ではありません。与三が告げ口ゆえに成敗された者は、家を没収されて門が閉ざされていたのを、そなたの親の光二がお奉行の所に参り、
『私が家の隣の没収された屋敷をしばらく預からせてもらいたい』とのことを申したので、
『お上はいずれお聴きになるであろう。そなたは御用人であるし、とくにいつも名物の腰物を拝領しているのだから、別に土蔵を拵えておくとよかろう。』
と仰られた。
『かたじけない幸せです。』と申して、また明日御礼に参上したときに、よいついでと思って、
『御成敗された者のせがれを召し使いたい。』とのことも申したらすぐに許しが出ました。
『重ね重ねかたじけない』とのことを申して、退出してかの者のせがれを尋ねると、近江国堅田という所の百姓に使われていたので、早々に呼び寄せた。
さて町の年寄を呼び寄せて、『この没収された家は彼はいくらで求めていたのか』と尋ねると、鳥目四十貫であるとのことであった。
すぐに親が買い求めたようにその子に四十貫の銭を取らせて、下京皮の店という所で小屋を買わせて、皮屋を習わせました。
今も一類のところに出入りする皮屋某というものは彼の事である。
よく理解しなさい。咎のない者を成敗させた与三は、ほどなく浅ましい報いを受けました。
光二は拝領した屋敷の値段の分だけ子に与えたり、特に流浪していた子を尋ね出して一人前にした報いもまた無駄でありましょうか。」

まことに他のことよりもまずこのように大きな野山を拝領し、そのうえ妙秀の子孫百人に及ぶが、広い屋敷を持たない者はいない。
江戸でも会所屋敷等を拝領しているものは五人いる。家柄のよい人々でさえ容易にできないことなのに、京都に住みながら(鷹ヶ峰に)下屋敷さえも下されましたことはかたじけないことでございます。
孫やひ孫で出家したものは各本寺の主となり、数百所の末寺末山を領し、ほどなく退いては静かな山林を住み家とするものもいる。
女子は他家へ行ったといえど、皆大きな屋敷の主となる。
慣例のように善悪の報いが明らかになったことを板倉(勝重)殿へ話さなければならないと、鷹ヶ峰を早朝に出て、嫡子光瑳の所へ立ち寄って、孫達を集めて語ったそうだ。
(本阿弥行状記)

縛られた上に黒い胴服、編み笠は今でいうジャンパーやら毛布のことなんでしょうな




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