だからあのように声をかけたのであり

2014年07月09日 19:07

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/09(水) 17:39:38.38 ID:5ljBE68Z
吉岡流(憲法流とも云)は吉岡券法(一に憲法、或は建法)という者が室町家の御師範として
兵法所と称す。鬼一法眼の京八流の末であると武芸小伝に見える。一説には憲法はもと京師の
染匠だが、へらを使って覚えて、小太刀一流を考え出したともいう。世に建法小紋と号する
ものはこの建法が初めて染め出したのだという。

さて慶長十七年壬子、御水尾帝御即位の日、憲法は禁庭警固の雑色と喧嘩をしはじめ、
相手を一刀で切り殺して立っているのを、「あっ喧嘩だぞ! 狼藉だぞ!」と大いに騒動し、
棒や乳切木を手に押っ取って憲法を取り囲んだ。憲法は小太刀を構え、対応する者を
切るうちに、即座に多数の負傷者や死者が出て、そのあとは追い付く者もいなかった。

時に所司代の板倉伊賀守勝重の家人である太田忠兵衛という者は長刀の上手であり、
彼はこの騒動を聞いて駆け付け、長刀を持って立ち向かった。しばらくは勝敗も
見えなかったが、憲法は何としたことか誤って踏み滑り、仰向けに倒れた。

すると忠兵衛は声をかけて「倒れた者は切らぬぞ。起き上がって尋常に勝負せよ」と言った。
さしもの憲法もこの言葉を聞いて「起き上がって立ち向かうのを待ってろよ」と承知したのか、
足を踏み直して半ば起き上がろうとしたところ、そこを忠兵衛はすかさず切り伏せて勝利した。
その時の評に「倒れたのを幸いとして切ったとしても、相手が名高い憲法ならば一角の高名だ。
それを起こして切ったのは、剛といい芸といい十分な勝ちである」いうものがあった。

忠兵衛はこれを聞くと大いに笑い、「それは憲法を知らぬ者の評だ。その時、憲法は倒れたが、
こちらをきっと見て太刀を構えた表情は、中々近寄って勝てるとも思えないものだった。
だからあのように声をかけたのであり、そういう者でも少し油断して立ち上がろうとする虚を
切って勝ったのだ。ゆめゆめ、私が剛であるわけでも、芸がすぐれているわけでもない」
と言ったということである。

この憲法を称する者を一人とすると時代が相違してしまう。最初に言った拳法の子に伝七郎、
又三郎などという者を聞くので、どのようにか子孫はこの流派を受け伝えて、後にまた名を
憲法と称した者がいたのであろう。

右の喧嘩した者、また宮本武蔵と勝負したなどという憲法は、皆吉岡流の祖とする券法とは
異なるか。また大河内茂左衛門秀元の書いたものに「若い時に吉岡の一流を極めた」との旨が
見えるので、この流派はその頃もあまねく世に広まり行われていたことは間違いない。

――『撃剣叢談』




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