親たちがそのように仰られるのでしたら

2015年09月16日 13:24

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/15(火) 21:48:20.45 ID:N7D7UwBE
天正元年、奥平貞勝の嫡子貞能が、武田勝頼を裏切り徳川家康へ仕えたいと申し出てきた。
そこで家康は長篠城を与え、「貞能の嫡男九八郎(信昌)をやがて私の婿にしよう」と言った。

これに対して徳川信康が「とんでもないことです!私の妹婿をどうして九八郎にしなければならないのですか!」
                (存知もよらず。我らが妹むこに何とて九八郎を仕らん哉)
と言って反対した。
それで流石に無理に進めるわけにもいかないので、家康は信長に伺いをたてた。

すると信長は、
「信康のいっていることは聞いた。しかし、貞能・信昌は忠節な人であり、また大事な国境を預けられているのだから、
信康殿は不承知を我慢して、このことは家康に任せた方がいいと思う」と言った。

信康はこれを聞いて
「親たちがそのように仰られるのでしたら、どのようにされてもご存分次第に」
と言い、そうして亀姫は奥平信昌と結婚した。


『三河物語』より、徳川信康が同母妹・亀姫の輿入れに反対した話である
若い信康にしてみれば、自分と同腹の妹はやはり徳川家と同格の大名に嫁がせたかったのだろう、
と小楠和正著『浜松城時代の徳川家康の研究』では考察している
後年の信康切腹につながる家康と信康の対立の要因の一つであるかもしれないちょっと悪い話




319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/15(火) 22:11:09.81 ID:dLdCnlPM
奥平は、家康に下った(勝頼を裏切った)ために
人質の親戚の娘を勝頼に殺させてるな。
彼女は奥平の息子の妻って説もあるし、それが本当だったら
そんな不実な奴に妹を嫁がせるのが不本意ってのもわかるんだが

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/15(火) 23:47:58.54 ID:eS4JXMur
新田勝頼だと人質は信昌の許嫁だそうだ
これを勝頼が側女にしようとしたから離反となった
ちなみに離反後に女は自害
正室を殺されてるところに家康から婿にならないか?と誘われれば例え養女だったとしても忠節を尽くすだろうな

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/16(水) 00:16:45.44 ID:p7XFt/ZS
>>320
新田勝頼ってそれ小説じゃねーか!

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/16(水) 01:09:00.51 ID:HBSZDQrh
うろおぼえだが軍艦ネタか何かで、
娘は磔にかけられるってオチじゃなかったかな
どっちにしても「勝頼はダメすぎる」エピソードって事なんだろな

家康の長女をもらって、重要な外戚にしてもらえる恩恵を目当てに
嫁を見殺しにしたとしたら
ちょっと悪いどころじゃない、嫌な話だな

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/16(水) 22:47:15.58 ID:0H+AW7NV
鎌倉時代ですら武士が人質見捨てるなんて別に珍しくも無い話だと思うが

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/17(木) 01:02:33.64 ID:gDSzPnL4
一般的に、長篠あたりの奥平親子は
多大な犠牲を払って家康に忠義を尽くしたんだ! 
みたいな美談として語られるが、結局神君史観だし。
彼らに対して悪意のある見解を時たま見る事はある

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/17(木) 01:15:21.73 ID:wSbhZ+HO
忠義というより、一度武田を裏切ってるから背水の陣が正解だよな

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/17(木) 01:35:01.91 ID:M2E8ScPg
まあ徳川も一度裏切ってるんですけどね奥平家(小声

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/17(木) 01:39:02.36 ID:/k3dPX73
う~ん、いわゆる山家三方衆は、それぞれ生き残るのに必死だっただけだからなぁ
もともとどこかの譜代だの被官だのってわけでもなく、かといって周囲の大物を敵にまわして単独で家を守りきれる
わけでもなく…忠義だの裏切りだのっていう簡単な話じゃないよね
武田vs徳川の20年くらい前には、織田vs今川の板挟みになって同族間で血を流した時代もあったわけだし

地理的な話をすると、武田勢って山越えで南下してくるから、一旦兵を引いてしまうと併合した奥三河衆に後詰めできない

武田の大軍が来る→戦力差あり過ぎて徳川に付いても生き残れないから武田傘下に入るしかない→武田勢の一員として徳川勢
を攻撃させられる→時間切れで武田勢が山のむこうのおうちに帰る→武田方の奥三河衆が残される→じっと耐えてた徳川勢
反撃開始→独力では徳川に対抗できない…

このループですよ
越後の軍神が越山してきたときの北関東の諸将の立場と似てるかも

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/17(木) 01:44:12.79 ID:9Xb9X2zn
武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候。

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/17(木) 06:21:30.82 ID:sjJNYcVD
>>324
神君どうこうより、奥平氏が江戸期に都合の悪い話を粉飾しただけじゃないかな。
武田方から離反した理由もそうだし、信昌の偏諱とかもね。

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